5章 笑わない王女 4
ヘイゼルが部屋に戻ると、扉の前には黒髪の侍女が立っていた。
凝った形に髪を結った侍女は手紙を持参している。
「カルマ殿下からです」
なんだか嫌な予感はした。
ヘイゼルは一瞬その手紙を受け取るのを躊躇する。隣のドゥンガラを見上げると、彼は無言で肩をすくめた。
いやなのはわかるが、ここは受け取るしかないだろうよ、ということだ。
そうよね、とヘイゼルは本心を顔に出さないようにしてそれを受け取る。
だが黒髪の侍女はそれでは済まさなかった。
「必ずお返事を持ち帰るようにと言われています」
「今ここで?」
「はい」
仕方なく、ヘイゼルは彼女を部屋の中に入れた。
すぐに返事が必要だとなると、読みたくなくても読まざるを得ない。
封蝋をあけて中を見ると、中には一言だけ、あの図書室にひとりで来るようにと書いてある。
ヘイゼルはぞっとするの感じた。行けばどうなるか、聞かなくてもわかる。
「お返事は、口頭で承ります」
「では残念ですけど──」
「先に申し上げておきますと」
ヘイゼルが言いかけたのを彼女はさえぎった。
「カルマ殿下のお誘いを断るのは、あまりよろしくないかと」
「どういうこと?」
「誘いを断るなら夜会のドレスは貸与しない、とのことでございます」
一瞬ヘイゼルは、なにを言われているのかわからなかった。
「借りるのはカルマ王子の私服ではないでしょう。ブルーデンス王女のドレスよ。なぜ彼が」
「王陛下がそう命じられるからです」
「そんなことを言っていて、あなたは恥ずかしいとは思わないの?」
思わずヘイゼルは打ち返すように言ってしまった。
自分の遊びの相手になれ。そうでないなら嫌な思いをするぞ。
これは誘いではなく恐喝ではないか。
カルマ王子が誰とどんな遊びをしようと、百歩ゆずってよしとしよう。だが、自分の立場を利用して相手にそれを無理強いしようなどとは、第一王位継承者のすることとも思えなかった。
「仮にも私は、正式に招きを受けてこの城に滞在しているもの。その人間を恐喝するなど──」
「──姫さん」
ドゥンガラが低い声で言って、ヘイゼルははっとした。
黒髪の侍女は表情を固くして口をつぐんでいる。彼女は主の言葉を伝えに来ただけであって、言いたくて言っているわけではないことに遅ればせなからヘイゼルは気づいた。
「ごめんなさい。きつい言い方だったわ」
「いいえ」
「あなたが悪いわけではないのにね」
ヘイゼルが言うと、黒髪の侍女はびくっと顔をあげてから、浮かんできた感情を押し殺すようにまた下を向いた。
「……おそれいります」
それはそれとして、さてどうしよう。
ヘイゼルはドゥンガラのほうを見た。
彼は黙って立っており、表情も変わっていない。首から腰までをまっすぐ伸ばして立つその姿からは、いざとなれば自分がヘイゼルを守るという強い意志が透けて見える。
大丈夫だ、あんたがどんな判断をしようと、俺が完璧に守ってやる。そう言っているように。
「──どうか、お返事を」
「伺わないとお伝えください」
「どうしてもですか」
「どうしてもです」
はっきりそう言うと、侍女は奇妙な平坦さで下がっていった。
◇◇◇
(疲れた……)
黒髪の侍女がいなくなって、ドゥンガラとふたりになってしまうと、ヘイゼルはぐんにゃりと肘掛椅子に体をもたれさせた。
もう頑張りたくない。というか頑張れない。もうやだ、ほんとにやだ。
どんよりした顔になっているのが自分でもわかる。
「大丈夫か、姫さん」
「うん……」
「よく頑張ったな」
「だって、私アスランの妻だもの……」
この国に来てから外してポケットに入れていた金の首飾りを取り出して眺めた。
鎖の先に金色のコインと牙が並んでいるもので、アスランが求愛のしるしにくれたものだ。
自分は彼の妻なのだから。
頭ではそう思っても、なんとも言えない疲れが全身にまとわりついているようで、ヘイゼルはきつく目をつむった。
アスランにぎゅっと抱きしめてほしかった。
背中を撫でてもらいたい。やさしい声が聞きたい。
(でも……いないんだもの)
仕方ないではないか、とヘイゼルはのろのろと肘掛椅子から身を起こす。
やけに体が重く感じる。
「大丈夫……私ちゃんと教えてもらったのよ。同じドレスでも髪やアクセサリーを変えれば非礼には当たらないって……同じドレス、でも」
そこまで言って、ヘイゼルとドゥンガラははっと顔を見合わせた。
お互い同時に同じことに思い至り、真顔になる。
「ドレスは?」
「そうだ、ドレス」
ふたり同時に言って衣装タンスに駆け寄ると、両側から扉をひらく。
そこにあるものを見て、ふたりは息をのんだ。
かけていた青緑色の夜会ドレスは、無残に切り裂かれて床に垂れ下がっていた。
「ひどい……」
思わずヘイゼルは声に出した。
手直しをしてどうにかなるようなものではない。胸元はいくつも縦に裂かれて、長い繊維が引っ張り出されている。裾の部分も縦、横、斜めにはさみを入れられて、破れた布の破片が床にたまっている。
思わず膝をついて、破れた布地をヘイゼルはそっと撫でた。
「これは、皆が……」
ヘイゼルの肌色に合うからといって、何度も顔に当てて顔うつりを試してくれたものだ。
ヘイゼルはドゥンガラと一緒に図書館へ行ったりお茶会に行ったりしていたから、部屋が留守になることは何度もあった。さっきの侍女にだって、やろうと思ったらできたはずだ。
だが犯人探しをしたところで意味がない。
夜会は10日後である。今はドレスをどうするか考えることが最優先だった。
ブルーデンスにはもはや借りられない。
ほかに借りるあてもない。
どうしよう、とヘイゼルが肩を落としかけた瞬間、低いかすれた声がすぐ後ろで響いた。
「ひどいな」
ドゥンガラだった。
振り仰ぐと、彼は眉間にしわを寄せて悲痛な表情をしている。
「あんたが外国の夜会で胸を張れるようにと、あいつは布から吟味していた」
大きな分厚い手が伸びて、破れたドレスの端にふれる。
「それを……こんなふうに」
静かな物言いではあったが、彼が珍しく怒っているのがひしひしと伝わってくる。
座り込んでいるヘイゼルに手を貸して立たせると、ドゥンガラは声に力を込めた。
「心配すんな、姫さん。俺が探してきてやるよ。あんたが着るドレス」
「ドゥンガラ……」
「なぁに、ドレスの一枚や二枚、買えないわけあるか。ここは大陸でも有数の大都市だろう。大丈夫だ、なんとかしてくる」
金ならあるんだよ、と彼は分厚い胸をどんと叩いた。
サイズの参考にするために、彼は大きな手でそっと破れたドレスをかき集めて袋に詰めている。
そのまま部屋を出ていこうとして、ふと、戸口で振り返った。
「それとだな。今度からは俺のことを……ガラと呼んでくれ」
「え?」
「まあそっちのほうが呼びやすいし、砦でも、親しい奴らはそう呼ぶから」
「ガラ……」
やっぱりそっちのほうが落ち着くぜと彼は白い歯を見せて笑った。
まるで岩がほほ笑んだような笑顔だった。
出て行きかける彼にヘイゼルは慌てて声をかける。
「あのっ、じゃあ私のことはなんて呼んでもらったら……」
「いいっていいって!」
彼は向こうを向いたまま、肩のあたりで片手を振る。
「あんたは姫さんでいいんだ。うかつな呼び方するとガーヤにどつかれちまうわ」
んじゃちょっと行ってくるから。夜までには帰るよとドゥンガラは言って部屋から出て行った。
あっそうそう、俺がいない間なるべく部屋から出るなよ。用事があったらシリンを呼ぶんだぞ、と駆け戻ってきて付け加えることも忘れない。
「わかったわ。気をつける」
「それじゃ、あまり気に病まずに待ってろよ。あんたはなにも悪くないんだからな、わかったか」
「うん」
「王都で一番の高級店で、たっかいドレスを見つけてきてやるから」
そう言って、彼は出かけていった。
だがドレスは見つかりはしなかった。




