5章 笑わない王女 2
「先日の夜会では、本当にごめんなさい」
庭で顔を合わせるなり、ブルーデンス王女はそう言って丁寧に頭を下げた。
ツツピーツツピー、どこかで鳥が鳴いている。お茶にふさわしい心地よい夏の午後だった。
「えっとんでもないわ……でもなにが?」
素でわからないヘイゼルが聞き返すと、ブルーデンス王女は申し訳なさそうに眉を下げた。
「わたくしの父が画策したことであなたにいやな思いをさせたこともそうですし……その時、わたくしがなにもできなかったことも」
「そんな」
「わたくし、桟敷席ですべて見ていました。あなたはご立派でした」
それだけ言うのに、なぜか王女は勇気を振り絞ったようだった。
色の白い肌がうっすら熱を帯びて、目元がうるんでいる。
「ありがとう、でもあのことは、ブルーデンス殿下のせいではないですから」
「それでも」
気がつけば、お互いに立ったまま会話をしている。
それにふたり同時に気づいて、ちょっと笑いあった。
「座ってお話ししましょうか」
「そうね」
ブルーデンスが遠くに待たせていた侍女に合図を送ると、侍女が数名やってきて、手早くお茶の支度をしてくれた。
その間にふたりは向かい合った椅子に座る。
みるみるうちにテーブルの上は色とりどりのお菓子や茶器でいっぱいになり、ヘイゼルはしばしそれに見とれた。どれもこれもが美しく華やかで、そこにあるだけで目を楽しませる。
「飲みながら、お話ししましょうか」
「ええ、ぜひ!」
喜んで返事をしたヘイゼルに、ブルーデンスはほっとしたように目を細めた。
今日の彼女はつやのある黒髪を長く垂らして、髪の一部だけを感じよく結い上げている。そこに挿されているのは小さな銀の髪飾りだ。
なるほど、昼の集まりならこういう装いも素敵なんだわとヘイゼルはそれを見て学ぶ。
こうやって社交の場に身を置くことは、他人の良いところや悪いところを取り入れる意味合いもあるのだと改めて思った。
侍女たちはあえて会話が聞こえないほどの場所に待機させているため、お茶はブルーデンス自身が注いでくれた。
水色も鮮やかなお茶を一口含むと、口の中で余韻が長く残ってさわやかな心地になる。
三段トレイには色とりどりのお菓子が並んでおり、どれから手をつけたらよいか迷うほどだ。
純白のブラマンジェの上にはピンク色のクリームが乗っており、その隅には飴細工の蝶がとまっている。銀のスプーンで口に運ぶとクリームは濃厚ないちごの味がして、飴細工の蝶々は歯の間でパキパキ割れた。
「おいしい……」
ヘイゼルはうっとりと目を細める。
その様子にブルーデンスは相好を崩した。
「お口にあってよかったわ。こんな古くさいお菓子なのに……」
「古くさい?」
「とても昔のレシピなんです。祖母の代から変わっていないような」
「そう?」
そう言われてもヘイゼルにはまったくわからない。
だってスコーンひとつとっても、普通のものとは明らかに違うのだ。
きつね色のスコーンは濃い紫色のアクセントが入っており、ブルーデンスに聞いたところ、菫の砂糖菓子を練りこんであるのだという。口の中で生地のふんわりした部分と、菫の砂糖菓子のかりっとした部分が混ざっており、かみしめるたびに口の中が菫の香りで満たされる。
「とってもおいしい」
「それならよかった」
どこか恥ずかしそうにブルーデンスは言って、自分はあまりお菓子には手をつけず、お茶だけをおかわりして飲んでいた。
かすかな風がふたりの間を通り過ぎて、遠くで誰かの笑い声が聞こえる。
「さっきの、あのう……お話ですが」
「はい」
改まった様子でブルーデンスが言う。
「あの夜会の日、おそらくわたくしの父と、あなたのお父様とで何かしら打ち合わせがあったものと思われます」
「──はい」
「あの後、あなたに誰も話しかけなかったのも」
はい、とヘイゼルはまた答える。
そうではないかと思っていたが、こうして誰かがそう言ってくれると、心のどこかが深く落ち着く気がした。
「公の席で、あなたにいやな思いをさせたことを、この国の王女として深くお詫びします」
「気にしていませんから」
「わたくしが気にしているんです。どうか、なにか埋め合わせをさせていただけませんか」
「そんな、いいえ」
両手のひらを振って遠慮しかけてから、ヘイゼルは言った。
「……あ、そうだわ」
「はい?」
「もしよかったら、ひとつお願いが」
「なんなりと」
「この見事なお茶とお茶菓子を、私の連れにもいただけませんか。あまりに素晴らしいので、私だけで食べているのはもったいなくて」
「……それは、あちらにおいでの方ですわね」
侍女たちとは別に、ひとり護衛役で立っているドゥンガラに目をやって、ブルーデンスはうなずいた。
そして侍女に合図すると、何事かささやいて指示した。
侍女は数人がかりでトレイをしずしずと運んでいき、ドゥンガラが狼狽しているのが遠目にもわかる。
「ですが、こんなことではお詫びにも埋め合わせにもならないかと」
「どうしてです?」
「これを作ったのはコックであって、わたくしではありませんもの」
うーん、とヘイゼルは首をひねった。
どうしたら本当に気にしていないことが伝わるだろう。
彼女の誠実さがうれしいから、提案を固辞してそれを無にすることもしたくない。
考えながらヘイゼルは塩味のタルトをひとつつまむ。一口大のタルトケースの中には、小エビとクリームチーズをあえたものが詰まっており、エビは小さいながらも肉厚で歯ごたえがあった。
ああ、味がぎゅっと濃くておいしい。
いろんなことがあるけれど、少なくともこんなおいしいものはここに来なくては食べられなかったのだわ。
しみじみとそう思った時、ヘイゼルはどうしても欲しかったものをひとつ、思いついた。
「あの」
「はい」
「私は、知識が欲しいんです」
「……知識」
ブルーデンスはおうむ返しに繰り返す。
「私は王宮で育っておらず、普通の王子や王女のように、教師についてなにかを習ったことがありません。乳母は私に最低限の王族としてのふるまいをしつけてくれましたが、あくまでそれは最低限のこと」
「なるほど」
「あなたは知識が豊富な方だと知っています。だから、もしよかったら、私の先生役になっていただけませんか」
ブルーデンスは細い指を顎先にあてて、何事か納得したように小さくうなずいている。
「そうでしたか」
「実は、現に知りたいこともあって」
「なんでしょう」
誰かを責めるつもりもないし、犯人探しがしたいわけでもないことをよくよく前置きしてから、ヘイゼルは先日あったことを説明した。
夜会の夜に招待状が届いたこと。三名の女性の連名だったこと。だがあの夜はそれらしい人とは会話をしていないこと。そして指定された場所に行っても誰もいなかったことなどを。
話のはじめからブルーデンスは眉をひそめていたが、話が進むにつれてはっきりと顔色を変えた。
「今日、女同士のお茶会なのにドゥンガラが……連れが一緒なのはそうした理由なんです。不躾かとは思ったんですが、なにかあったらと心配してくれて」
「──いやだわ」
「えっ?」
「どうしましょう、──本当にどうしたらよろしいの」
ブルーデンスはもともと色白の肌を青ざめさせている。肩のあたりに力も入っている。
どうしたのかとヘイゼルが首をかしげると、彼女は小さな両手で口元を覆った。
「あの、ヘイゼル王女」
「どうなさいました?」
「伺いたいのですが」
「はい」
「その手紙、文面やその他におかしなところはありませんでしたか」
少し考えて思い出してから、ヘイゼルは答えた。
「ところどころ、不自然に大文字なんです。誤字かなと最初は思ったんですけど、そういう感じでもなくて」
「ああ、わかりました……」
ごめんなさい、とブルーデンスは深く頭を下げた。
「この国の上流階級の人間を代表して、わたくしがお詫びします」
「謝ってもらいたくてお話ししたわけじゃないわ。結局あれは、なんだったんです?」
「昔からあるいたずらです……デビュタントの人や、初めて王宮を訪れた人によく仕掛けられるの」
あらまあ、とヘイゼルは目をぱちくりさせた。
「きれいな言い方をするなら、言葉遊びの一種で……多分そのパターンは、大文字だけを拾って読むと本当の文面が現れるものです」
「そう、いたずらなの」
「ごく他愛もないことが書かれているんだと思います……でもそんなの、知らない人にはどうしようもないわ。しかも、国外からの賓客にそれをするなんて」
「賓客でもないですよ、私は」
「なにをおっしゃるの、れっきとした王女殿下ではないですか、あなたは」
きっと黒目がちの瞳でにらまれて、ヘイゼルは首をすくめた。
「その言葉遊びに気がつけばよし、気づかずにその場所へ出向けば……趣向を理解しない無粋な人間として、皆で笑うんです。本当にごめんなさい。この国を嫌いにならないで」
「まさか。こんなおいしいお茶をいただいてるのに?」
いろんな意地悪があるものなのねえと、ヘイゼルはむしろ感心した。
「嫌いになんかならないわ。知らないことは知っていけばそれでいいんだもの」
ヘイゼルは言って、トレイの上の小ぶりのシューをひとつつまんだ。
一口大のシューの中には、カラメル味のカスタードが詰まっている。甘くて、ほろ苦くて、かすかにオレンジの香りがする。味が濃いのに上品で、決してお茶の香りを邪魔しない。
ほんとにおいしいとヘイゼルは思った。
生きる世界が広がると、いいこともよくないこともある。
だけどそのどれもが自分には新鮮で、物語を読むよりよほど面白い。
(まあ、物語はあまり読んでこなかったけど……)
砦での暮らしもそうだ。ここでの暮らしもそうだ。
知らないことがたくさんあって、聞けば答えてくれる人がいる。教えてくれる人もいる。望めば体験してみることもできる。それってなんて素晴らしいんだろうとヘイゼルが思っていると、正面ではブルーデンスがほっとしたように肩の力を抜いていた。
「怒らないのですね……」
「どうして怒る必要が? もうわかったから、次はもっとうまく立ち回れますわ」




