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1章 棄てられた王女は幸せに暮らしている 2

 しばらくして、ヘイゼルはふとつぶやいた。


「ごめんなさい」

「──なにが?」


 素でわからないというように聞き返された。


「咳が出ちゃって」

「それは謝ることじゃないよね?」

「その……地下坑道に連れて行ってくれたこと、ほんとに嬉しかったの。また連れて行ってくれる?」

「もちろんだよ。あと、なにも謝らなくていいからね、俺には」


 そう言いながら、彼の手がぽんぽんと背中を軽く叩く。

 あやすように、なだめるように。


 そのさわりかたに親密さが増したなとヘイゼルは最近思う。

 それが嬉しくて、照れくさくて、やっぱり嬉しい。


 そんなことをしみじみ噛みしめていると、そう言えば、とアスランが思い出したような顔になる。


「ガーヤって」

「ええ」

「うちに連れてきてから俺、なにも話を聞いてないけど。大丈夫なのかな」

「大丈夫って?」


 えーと、と彼は珍しく言葉に詰まる様子をみせる。


 ガーヤはヘイゼルの乳母だった女性だ。もとは王宮で女官長まで勤め上げた人だが、国境近くの森の奥でヘイゼルのことを育ててくれた。ヘイゼルにとっては母親代わりでもあり、大切な家族でもある。


 とある事情で彼女はつい先日、砦にやってきたばかりなのだ。


「その、うちって急な坂とか階段とか多いじゃん?」

「そうね」

「どこに行くにもあがったりさがったりしないとだし」

「そうねえ」

「で、ガーヤさんはほら……」


 アスランはさらに詰まる。

 言葉を選ぼうとして選びきれない気配に、ヘイゼルは助け船を出した。ここはガーヤと付き合いの長い自分の方が言いやすかろう。


「まぁ、ほっそりしてはいないものね」

「そうそう」


 彼の目を覗き込むと、何度もうなずかれた。


「足腰がつらいとか、どこか痛いとか、聞いてないかと思って」

「特に聞いてはいないわね……」

「そうですか……」


 彼が言い終わるか終わらないかで、強い意志を感じさせる足音が近づいてきたかと思うと、


「姫様いますね、このへんにいますね、ほらいたっ!」


 と言いながら、当のガーヤが姿をあらわした。

 どん、と階段の段差に足をかけているところは、妙にしっくりはまっている。


「姫様が咳してるのが聞こえた気がしたんですよ。やっぱりいましたね」

「ええと、あの、これはねガーヤ」

「坑道なんて狭いし暗いし換気は悪いし! 姫様が入ったら絶対発作を起こすからって言いましたよね私は?」

「うーんと……」


 ヘイゼルはうまい返事が思いつかない。

 心配してくれているのはもちろんわかるのだが、これは、なんと言えばいいのだろう……とヘイゼルが宙を仰いでいると、もうひとつ元気な足音が戻ってきて、あたしっ! とアデラが日焼けした自分の鼻先を指でさした。


「今咳してたの、あたしっ! ゲホンゲホン!」


 とってつけたように咳をするアデラを、ガーヤは、ほう、というように見た。


「ゲフッ、ゲフッ、風邪かなあ、最近ちょっと喉がなあ」

「そうですか、喉がねえ」

「うん、ゴホゴホゴホ」


 ここ数年風邪はもとより、微熱ですら出したことがないアデラだったが、新しく来たガーヤにはどうせそんなことわからないでしょっ、とたかをくくりまくっているのがありありとわかる、おおざっぱなフォローだった。


「……なら、薬草茶でも飲みますか?」

「え」

「姫様に作ってきたものだから少し強いかもしれませんけど、まああなたなら大丈夫でしょう」

「えっなに怖い、あたしなら大丈夫ってなに」


 嘘咳をすることも忘れて、頭に浮かんだことを全部言うアデラに、ガーヤは小さくため息をついた。


「ごめんなガーヤ。俺が誘った」


 ヘイゼルがうまい説明を考えるより早く、アスランがそう言った。


「……ですか」

「気をつけてたつもりだったけど、足りなかった。すまん」

「違うのガーヤ、私ね、楽しかったし勉強になったの。また行きたいの、だから……」

「はあー」


 ガーヤの大きなため息に、ヘイゼルはぴたりと口を閉ざす。


 ガーヤは順番に、ヘイゼル、アスラン、それからアデラを見て、仕事はじめは浮き石落としから! と下手くそな字で書かれた今月の標語を見た。


 そしてもう一度大きなため息をついて、何か言おうと口をひらきかけた時。

 坑内作業から戻ってきた砦の男たちが通りかかった。

 額に大粒の汗をかいて、そのほとんどが上半身はだかだ。


 男たちはその場を一瞥してから、よく通る声で笑い飛ばす。


「おっガーヤ、下に入るのか?」

「気をつけろよ、足腰にくるぞー」

「疲れてから引き返しても遅いからな、上がる時は早めにな!」


 気安く軽口を叩く男たちに、ガーヤは憮然とした顔をつくった。


「みなさん、私のことをずいぶんばあさん扱いしてくれて……」

「違うって!」

「そうじゃないってー」


 男たちは笑いながら否定する。


「マジで慣れないやつは腰にくるんだって」

「怒るなよー」


 お説教のタイミングを逃したガーヤは、あきらめたように肩をすくめた。

 そして目ざとく、『しかもガーヤは横幅が広いから』という意味の手ぶりをした男を見つけて、通り過ぎざま、わき腹にひじ打ちをひとつお見舞いした。

 どすっといい音がして、男たちがゲラゲラ笑いながら通り過ぎる。


 ガーヤは持ってきた薬草茶をヘイゼルに手渡し、それから上等な紙質の手紙を一通、アスランに渡した。


「俺に?」

「そうですよ」


 それだけ言ってガーヤも去っていくと、ヘイゼルは小さな吐息をついた。


「ありがとうアデラ、ごまかしてくれて……」

「ごまかしきれた気はしないんだけどね……」


 まあいっか、あんたが怒られなかったしとアデラは付け加える。

 そしてよっこいせと肩から水桶をふたつぶら下げて、慣れた足取りで馬に水やりに向かった。


(アデラってやさしい……)


 とヘイゼルは思う。

 砦に来た最初のうちは、避けられていたような記憶もある。

 話し方は今でもぶっきらぼうだが、多分あれが素なのだろう。はじめはアデラさんと呼んでいたのだが、繰り返し言い直させられて、アデラと呼ぶようになった経緯もある。


(彼女だけじゃない、みんなやさしいわ……)


 そして再びアスランとふたりになって、ヘイゼルは色の濃いお茶に口をつけた。

 もうだいぶぬるくなっていたが、各種ハーブが煮出されたお茶は、ヘイゼルが子どもの頃から体調を崩すたびに飲まされてきたものだ。砦に来てまだ日も浅いのに、どうやって用意してくれたんだろうと思う。


(怒られそうで、ごまかそうとして、ごめんなさい……)


 心の中でそっと謝る。

 薬草茶の効き目はたいしたもので、全部飲み終わる前にすでに喉の違和感がない。


「ガーヤブレンド、効く?」

「うん、あなたも飲む?」

「や、遠慮する」


 即座に断ったアスランである。味がどんなものか一応は知っているらしい。

 わかる、とヘイゼルは笑った。


「でもほんとに効くのよね……」

「いろんな意味で、ガーヤに来てもらってよかったね」

「そうね」


 ヘイゼルは答えてから、ふと、アスランが持っている白い封筒に目を落とした。

 ワインレッドの封ろうが重々しく押されている。


 その双頭鷲の紋章には見覚えがあった。


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