4章 嵐のバラ園 4
翌日、ヘイゼルはというと再び図書室通いを再開して、調べ物に精を出していた。
「ロンバルド王国式典記録」「建国百年史」「ロンバルド近代史」「戦功勲章授与一覧」「ロンバルド貴族名鑑」
彼女のまわりには分厚い本がこれでもかと積み上げられて、さながら要塞のようだ。
ヘイゼルは一心不乱に書籍に向かっていたが、やがて、顔をあげて声を漏らした。
「──そうなんだわ」
ここしばらく、調べていたことがようやくわかった気がしたのだ。
「やった、わかった。多分これで間違いない」
喜びと達成感とで、ヘイゼルは思わず宙をあおいで目をつむった。
頭の中が心地よい快感で満たされる。
「アスランに、ようやく知らせられる……」
この時、ヘイゼルがロンバルドにやってきてからちょうど二週間がたっていた。
「おうい姫さん。お茶でも飲まないか」
そこにドゥンガラが、慣れない手つきでお茶とお菓子を持って入ってきた。彼が持っていると銀のトレイが小さく見える。
「調べ物も、やすみながらな」
「ありがとう、今ちょうどひと段落したところなの」
うず高い本の間から顔をあげて、ヘイゼルは答える。
「あったかいお茶、嬉しい」
「なんか今日は肌寒くないか。風も強いしよ」
ドゥンガラに言われてヘイゼルは窓の外を見る。確かに空は灰色だし、風も強い。
「──寒い?」
「俺じゃなくてだな」
ドゥンガラはガーヤが編んだ毛糸の肩掛けを指さしたので、ヘイゼルはおとなしくそれを羽織った。
書物に集中していて寒くはなかったが、彼の気遣いがありがたい。
飲んでみると、お茶はほのかに甘かった。
別皿に乗っている焼き菓子もバターの風味が強くておいしい。
いったいこれをどこで手に入れてきたのかしら、とヘイゼルが思っていると、ドゥンガラは自分もカップを手にして言った。
「ひと段落したなら、えーと、遊びでもしないか」
「遊び?」
「『なんでもひとつ』知ってるか」
「知らない」
ヘイゼルが首をかしげると、ドゥンガラは説明した。
砂漠の男がオアシスなどに集まると、夜、焚火を囲んで誰からともなく始まること。酒ではなくお茶を飲みながら話すこと。部族が違っても、だいたい『なんでもひとつ』で通じること。
「要するに、なんでもひとつ、相手に質問していいんだ」
「へえ?」
「聞かれたほうは、なるべく正直に話す」
もちろん常識的な範囲で聞くわけだが、とドゥンガラは付け足して、王宮の繊細なカップを太い指でつまんだ。ヘイゼルは持ち手に指をひっかけているが、ドゥンガラは指が入らないので、カップの側面をつまんでいる。
「女同士でもこれはやるらしいが……俺は女同士の『なんでもひとつ』は聞いたことがないからよくわからん」
「そうなのね、やってみたい」
「ふたりなら、ダイスを転がして数の小さいほうが話すんだが、ここにはそんなものを持ってきてないからな」
そう言って、ドゥンガラは口をつぐんだ。
「私が質問していいの?」
「そうだ」
「なんでも?」
「そうだ」
ヘイゼルがカップを持ったまま迷っていると、ドゥンガラは丁寧にこの遊びの作法を教えてくれた。
ふむふむ、とヘイゼルはうなずきながら聞く。
「なに聞いてもいいのよね?」
「ああ」
「怒らないのよね?」
「多分……」
「じゃあねぇ」
言ってヘイゼルは、まず自分のお茶を一気にくーっと飲んだ。
とん、と軽い音を立ててカップをテーブルに置く。
「なんでもひとつ」
「おう」
「ドゥンガラのことを聞かせて」
「えっ俺っ??」
「どんな女の人が好きなの」
「なんでそうなる!」
まさかそう来られるとは思っていなかった彼は一瞬目を見開いたが、もともと奥まった細目なのでさほど変わりはしなかった。
ヘイゼルがじっと待っているのを見て、ドゥンガラはあきらめたようにくーっと自分のお茶を飲み干す。
飲みほしてとんと置いてから、ゆっくり考えて話し出した。
「うーん、どんな人と言われると」
「恋愛感情の話よ、もちろん」
まさか恋バナを投げられるとは思っていなかったのだろう、ドゥンガラは困ったように首をしきりにかしげていたが、やがてぽつぽつと話しだした。
「まずは、元気で健康で……あっ、今のはあんたを悪く言ったわけじゃないぞ」
「わかってる」
「見た目の華やかさとかは、あまり関係ないみたいだ。あとは、気の強い女も嫌いじゃない」
ヘイゼルは前のめりになって彼の話を聞いている。
聞きながら、ふと思った。あら私って、人生初の恋バナがもしかしてこれかしら?
「まあ、気の強い女が嫌いだったら、砦ではやっていけないし」
「そうかもね」
ヘイゼルが真剣に聞いていると、ドゥンガラは律義に話を続けてくれた。
「情熱家で、一途にストイックに頑張る女がいいかな。そういう女が根を詰めすぎないように、そばで見ていてやりたいというか」
「それって……」
「ん?」
「あっ、ううん、なんでもない」
ヘイゼルは打ち消したが、内心ではこう思っていた。
それって、私、心当たりがあるかもしれない、と。
「愛想を振りまくタイプじゃなくても好き?」
「ああ、むしろそういうほうが好きだ」
「面倒見がいい人とか?」
「そうだな」
「あまりしゃべらないけど、いつの間にかまとめ役になってるタイプとか」
「いいなあ」
誰か特定の女性を思い浮かべているのか、ドゥンガラはかすかに口元をほころばせている。
やっぱりウースラだ、だってそんな人は他にいない、とヘイゼルは他人事ながらドキドキしてくる。
これって、これって、ウースラは知ってるのかしら。知らない気がする、なんとなく。
(ウースラもそうだけど、ドゥンガラもあまりそういうことを表に出す人ではない気がするもの……)
ウースラも人気があるわりに色恋の話はない人だ。実はひそかにドゥンガラを憎からず思っているとか、ないだろうか。
頭の中でふたり並べて立たせてみて、ヘイゼルはこのふたりがひどく似合うことに気がついた。
(いいかも! すごくいいかも!)
ヘイゼルがひそかに盛り上がっていると、ドゥンガラが言った。
「本当は、俺なんかじゃなく、ガーヤ殿が一緒だったらよかったろうに」
「えっ」
「俺なんかで、悪いなあ」
「どうしてそんなこと言うの?」
ヘイゼルがきょとんとすると、ドゥンガラはしみじみとした口調になる。
「あんたは、ほんとによくやってるよ。これだけいろんなことが起きてるのに、俺に当たることもなく、自暴自棄になることもない」
「そうかしら……」
自暴自棄になるのは簡単だとヘイゼルは思った。
だが、今はそれを叱ってくれるガーヤはいない。叱られたヘイゼルを適度なところで甘やかしにきてくれるジャジャもいない。
(アスランは、『わかった』っていなくなっちゃうし……)
またあの時のことを思い出してヘイゼルがどんよりしていると、ドゥンガラは続けた。
「俺にできることは、せめて気晴らしにあいつの話でもしてやることだと思っていたんだが、あんたは俺の話を聞きたがる。……どうしてだ?」
なるほど、いきなりお茶とお菓子を持ってきて、小さな遊びを教えてくれたのはだからだったのかと思いながらヘイゼルは言った。
「今、目の前にいる人のことをよく知りたいと思うのって変かしら?」
するとドゥンガラは目元をやさしくした。
「アスランが、どうしてあんたを選んだのか、わかる気がするよ」
「まぁとりあえず、ガーヤがここにいなくてよかったって私は思うわ」
「どうして」
「こんな重い本を連日持たせたら、どれだけねちねちお説教されるかわからないし」
「だよな!」
ドゥンガラとヘイゼルの笑い声が室内に響く。
入口の扉はしっかりと閉まっていたが、その扉の外側で、かすかに漏れてくる笑い声に耳をすませている侍女がいた。
黒髪を凝った編み込みにしたその侍女は、息をひそめてその笑い声を確認すると、やがて音もなくヘイゼルの部屋の前をあとにした。