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4章 嵐のバラ園 2

「それは、だめよ」


 強い言い方はしなかったつもりだが、彼は傷ついた顔をした。


「即答ですか……」

「ふたりの主に仕えてはいけません」


 今度こそ、重い沈黙が落ちた。


 ヘイゼルは口に出さなかったが、ガーヤを通じて、ジャジャが今誰に仕えているか知っている。

 そしてヘイゼルがそれを知っているということを、ジャジャもわかっているのだった。

 この沈黙は、そういうことだった。


 なにか言っては余計に彼を傷つける気がして、ヘイゼルはなにも言えずにいる。

 息苦しいほどの沈黙のあとに、ジャジャはかすれた声で言った。


「僕のことはもう、要らないんですか?」

「違うわジャジャ」

「あの日の夜、無理にでもあなたについていけばよかったんですか? あとのことなんていっさい考えずに?」


 そんなことは思っていない。

 そう言いたかったが、ジャジャが聞きたいのはそんな言葉でないこともわかっていた。


 あの時、ジャジャは近衛の所属だったのだから、勝手にヘイゼルについてこられる立場ではなかったのだ。

 そしてそれはガーヤも同じだ。


 もしあの時、ジャジャがヘイゼルについてきていたら、ヘイゼルは追っ手をかけられていたかもしれない。少なくともその口実はできることになる。

 だから、あの時はあれでよかったのだ。


 ヘイゼルはそう思っているが、ジャジャはつらそうに眉をしかめている。


「僕は、致命的に間違ったんですか? ガーヤは今あなたといて、僕がそうではないのは、なにか、僕が間違ったからなんですか?」

「違うわ、そうじゃない」


 ヘイゼルは急いで言ったけれど、ジャジャはひときわ強く顔をゆがめており、ヘイゼルの視線に気づくとそれを見せないよう、さっと顔をそむけた。


「見ないでください。失礼します」


 来た時同様、ジャジャは立ち去るときも素早かった。

 ほとんど音を立てないまま、バラの茂みの向こうへと姿を消す。

 ヘイゼルがベンチをまわって覗いてみても、もうそこには誰もいなかった。


(絶対に誤解している……)


 要らないとか、間違ったとか、そんなことは思っていない。

 彼が自分を変な形で責めていなければよいがとヘイゼルは思った。

 そして、もうひとつ気づいたことがある。


(あの子、旅装じゃなかった)


 ということは、この城内に部屋を与えられているということだ。


(……お父様?)


 父がジャジャを連れてきたとしか考えられず、だがそうなると、なぜ彼を連れてきたかがわからない。


(私のこと、無視なさったくせに……)


 考えても考えてもわからず、ヘイゼルは小さなため息をついた。

 父がどういうつもりか知らないが、あまりジャジャの気持ちを傷つけるようなことはしないでほしかった。


◇◇◇


「そう……陛下があの子をお連れになったのね……」


 ところは変わって、オーランガワードの後宮である。

 そこで最もよい部屋を与えられているのは、アズマイラ・ドルパンティス男爵夫人だ。

 だが今、後宮一豪華な部屋で彼女の表情はどす黒く染まっている。


「やっぱりね……」



 アズマイラは低くつぶやく。

 はじめ、侍女たちはジャジャがいない理由について、なにも知らない、聞いていないと言っていたが、アズマイラがはさみを取り上げてシャキシャキ言わせると、急いで知っていることを口にした。

 ジャジャは国王陛下が隣国に近侍として連れていったこと。そのことはアズマイラには言わなくていいと口止めされていたことなどを。


「わかったわ、下がっていい」


 アズマイラは平坦な声で言った。

 侍女にはなにも言わなかったが、もちろん面白いわけはない。


(自分の傍仕えでもないくせに……わざわざあの子を……)


 どうせ、ジャジャをヘイゼルを会わせてやろう、などという親切心のわけはなく、駒として有用だから動かしているだけなのだ。


 わかってはいる。わかってはいても腹が立った。


(あの子、今頃、第五王女に会っている)


 それを考えるだけで、座っているのも苦痛なほどイライラする。

 なにかに当たりたい。めちゃくちゃにしたい。

 めちゃくちゃにして傷つけたい。誰も癒せないくらい深い傷をつけるのだ。


 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、背後では侍女のひとりが黙々と髪を結っている。高く結い上げた髪は、でんぷんの固定剤でほどよく固める仕上げの直前だ。


「もっと」


 後ろで固定剤を塗っている侍女に命ずる。


「もっと固くして」

「は、はい……」


 語気を強めて命令し、普段の五割増しに髪を固定させる。これで、風が吹こうが一晩中踊りまくろうが、結った髪はびくともしない。


 今日の彼女はいつもより気合を入れて髪も化粧も仕上げていた。

 唇は青と白に塗り分け、頬骨の上にはきらきらと大きめのビーズ粒をまぶし、目の周りは唇よりもさらに濃い青で呪術的にいろどっている。


 最近退屈だった社交界に、仮装ドレスという概念を流行らせたのはほかならぬ彼女だ。

 こうした仕掛けは娼婦時代から彼女の得意とするところであり、今日も冬の女王がテーマなのだが、今の彼女は、冬の女王のイメージをはるかに超えた、おそろしい空気を発していた。

 髪を結う侍女がびくついているのが見なくてもわかる。


(あの子に、わたくしよりも大切なものがあることくらい、知っている……)


 だが、承知していることと感情は別のものだ。

 くやしい、くやしい、くやしい。

 頭の中で憎しみが果てしなくまわり、やさしい人間らしい感情が麻痺していくのを感じる。


(陛下の人となりはわかっている。わたくしの気持ちに配慮などする人ではないことも)


 さあどうしてくれよう。

 アズマイラはきれいに磨き上げた爪を眺めた。

 つやつやして、尖っており、人ひとりくらい殺せそうだ。


(──押さえるのよ)


 自分で自分に言い聞かせる。

 今は感情を爆発させる時ではない。今はまだ、もっと力が必要だ。


(わたくしは、ひそかに、爪を研がなくては──)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 宮廷や社交界では、いかに楽しい遊びを思いつくか、その中心人物となれるのか、という流行の人物であるかが要だったりしますよね。 アズマイラ男爵夫人が、単純に王の愛妾だからというだけでなく、なぜ…
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