3章 男といってもいろいろある 8
「もういやっ、もーういやっ、もうほんとに色々いやっ」
あてがわれた私室に早足で戻ってくると、ヘイゼルは手を使わずにハイヒールを蹴って脱ぐと大きな声を出した。
その声とただならぬ気配に、ドゥンガラが驚いてやってくる。
「どっ、どうしたどうした」
「どうもしないっ」
「そんなわけないだろうよ……」
ヘイゼルは大きく深呼吸をして、一度で足りずに二度、三度と繰り返した。
「早く砦に帰りたいっ」
「わかるよ俺もだよ」
ドゥンガラは心なしか肩をすぼめて切実にそう言った。
「ほんとに、ほんとに、そう思ってるよ」
「この件が終わってアスランも戻ってきたらすぐ帰りましょうね。絶対ね」
「そうだなあ」
ドゥンガラはしみじみそう言って、ふと大きな手を伸ばしてヘイゼルの肩をたたいてやろうとしたが、すぐに思い直してその手を引っ込めた。
励ましたい気持ちはあるものの、軽々しく女性の体にさわってはいかんとも思っているらしく、ヘイゼルはその様子にほっと心が和むのを感じた。
「あなたがいてくれてよかったわ……」
「そうか」
「男の人にも色々いるのよね」
そりゃそうだとドゥンガラは言った。
「今日は早く休むといい」
「そうね」
「心配なら隣の部屋にすぐいるから」
「うん」
彼が隣の部屋にいてくれるなら心強い。
ドゥンガラの言うとおり、あれこれ悩んだり怒ったりするのはいったん横に置いておいて、寝てしまおう。なにはともあれ、自分は最善を尽くしたのだし。
(多分ね……)
そう思ってドレスを脱いだヘイゼルだったが、その日はそれで終わりにはならなかった。
「あのう……」
夜着に着替えて横になったヘイゼルにおそるおそる声をかけたものがいる。小姓のタタールだ。
「もうお休みでしょうか、明日になさいますか……?」
「いいわよ、なぁに?」
「お手紙がいくつか届いておりまして……」
なんだろう、とヘイゼルは思う。
手紙をもらうような親しい友達などまだいないのに。
怪訝な様子のヘイゼルに、タタールは控えめに説明した。夜会に出席すると、それをきっかけに手紙が来るのはよくあることだということ。特に目立っていた人物には手紙が何通も届き、それをきっかけに交流が始まることも貴族の間ではよくあること。
また、普通手紙は翌朝になって届くものだが、ごくまれに、強く望まれた場合などにはその日のうちに届くケースもあることなど。
「お疲れかとは思ったのですが……急ぎ目を通したほうが良いものもあるかと思いまして……」
「いいの、ありがとう。気をつかってくれたのね」
トレイの上の手紙は三通あって、タタールのほうであらかじめ仕分けをしてくれていた。
「紋章や手紙の特徴などでわかります。こちらの二通は急ぎ目を通したほうが良いかもしれないもの、あとの一通は明日でもよろしいかと」
「本当に助かるわ、ありがとう」
心を込めてそう言うと、タタールは一礼して下がっていく。
手紙の一通はブルーデンスからだった。
今日は遠目にも美しいドレスだった、お話しできなくて残念だった、というもので、どことは言えないが形式的な手紙の域を超えない内容だとヘイゼルは思った。
過不足はないが、親密さも感じられない。
(さて、問題はこちらよ……)
もう一通は鮮やかな紫色の封筒だった。封蝋の印はない。その紫色は明らかにカルマ王子の女装ウイッグの色と同じで、ヘイゼルは眉をしかめた。
「あける前からもういやな予感がするんだけど……」
それなりの覚悟をしてからあけたはずなのに、中に書かれていたのは、ヘイゼルの気持ちをざらりと逆なでする文章だった。
『素直じゃないほうが楽しみがふえる』
流麗な文字でそう書かれている。
(──なによっ)
ヘイゼルはかっとして、それを床にたたきつけた。上質な紙のせいで、パシッといい音がする。
「大丈夫か、なんかあったか!」
隣室で様子をうかがってくれていたらしいドゥンガラが言う。
「ううん、ちょっと虫がね」
「虫……?」
「そう、虫が」
ここは王宮のど真ん中、しかも三階にあたる。虫などそうそういるはずもなかったが、ヘイゼルはそれで押し通した。
(なによこれ、なんなのよこれ……)
こちらをからかって遊んでいることはわかる。動揺させるための手段なのだということもわかる。
だがむかつきは容易におさまらず、ヘイゼルは寝具を押しのけてベッドから出た。
はだしのまま、室内をうろうろと歩き回る。
一度落ち着いたはずの気持ちが再びぐらぐらと湧き上がってくるのを感じて、ヘイゼルは苛立った。
こういう、上がったり下がったりというのは自分で思うよりも気疲れするものだ。
(そして、彼が今夜これを送ってきたのも、きっとその効果を狙ったのでしょうね……)
明日まで待てば、ヘイゼルが冷静さを取り戻している可能性がある。
今日送っておけば、それだけ、ダメージを与えられるというわけだ。
(あああ……そして実際その通りなんだわ! くやしいっ)
ヘイゼルは無意識に室内を見回した。
なにか投げたり叩いたりできるものがないかと思ったのだが、よく考えてみなくても、この部屋にあるものはすべてロンバルド王家の持ち物である。
(壊したり破いたりしたらそれこそ大変なことになるじゃないの)
ヘイゼルは怒りのやり場がなく、その紫色の封筒を何度も何度も床にたたきつけた。
「姫さん、大丈夫か……」
びしびしとそんなことをやっていたら、ドゥンガラが入り口のところから顔をのぞかせていた。
淑女の寝室なので、夜、気軽に入ってはいけないと思ってそこにいるらしい。
ドゥンガラってほんとに癒される。ヘイゼルはそう思いながら、模範的な笑顔を作った。
「なんでもないの。ちょっとかるたの練習」
「かるた」
「そうー」
そんなわけはなかったが、ドゥンガラはそれ以上追求しようとはせず、心配そうに入口のところでヘイゼルを見守っていた。