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3章 男といってもいろいろある 6

 数日がたち、今夜はいよいよ王と対面する夜会だという時になって、ドゥンガラは再び謝った。


「すまねえな、姫さん」

「えっなんのこと」

「この件について、俺がまったくの役立たずだってことだよ」


 ドレスの相談も、夜会のエスコートもできないし、夜会でどう振る舞うべきかについてもさっぱりわからん、とドゥンガラはヘイゼルから少し離れたソファに座って真面目な顔で言った。

 二人掛けのソファが、彼が座ると小さく見える。


「大丈夫よ、ドレスはあるし、髪はシリンがやってくれるし……」

「開き直るわけじゃないが、この手のことは俺には期待しないでもらえるとありがてえ」

「平気よ、夜会は初めてじゃないもの」


 ヘイゼルは笑った。

 そう、この日のために砦のみんなが用意してくれたとっておきのドレスがあるのだ。

 青みがかった緑色のドレスはモルフォの紫色とも相性がいい。


「アクセサリーは揃ってるし、着付けはひとりでもできるし……」

「着付けをおひとりで、ですって?」


 いつの間にやってきていたのか、戸口のところにシリンが立っていた。


 シリンのすっきりと整った顔立ちはいつものごとく無表情だが、どことなく、彼女が異議を唱えたいのが伝わってくる。彼女はひたひたと近づいてくると続けた。


「ヘイゼル様は、失礼ながら、コルセットをおつけにならないので?」

「つけたことない……」


 正直に言ったら怒られる気がして、ヘイゼルはためらう。だが嘘をついてもすぐにばれることは明白だったのでそう告白すると、シリンは形のよい眉を、ぴく、と動かした。


「なんと、おっしゃいました?」

「ああっごめんなさいなんだかごめんなさい!」

「責めているのではございません。今一度、伺ってもよろしいですか?」


 丁寧な口調のはずなのに、言うに言えない圧がある。

 こわいよう、とヘイゼルはドゥンガラに目で助けを求めたが、彼は不自然なほど首を曲げてあらぬ方向を向いている。


「これまで、一度も、コルセットをお付けになったことがない?」

「そうです……」

「ではつけましょう」


 ではってなに、とヘイゼルが聞き返すことを許さない、なにか無言の迫力がそこにはあった。

 急がなくては、と言ってシリンは早足でそこから出てゆき、戻ってきた時にはなにかの骨組みのようなものを手にしていた。


「わたくしの私物ですが、急遽使えるものがこれしかなくて」

「あのう」

「仮にも王族のご身分のかたに自分のをお貸しするなど、失礼なことは承知しているのですが。夜会にコルセットなしよりはよろしいかと」


 既にヘイゼルは口をはさめない。


「早めに来てみてようございました。初めてなら、より早くはじめなくては」


 あの、俺、出てるから。そう呟いてドゥンガラがさりげなく逃げるのが目の端にうつる。

 あれよあれよという間にヘイゼルは下着姿にされて、というよりも目線だけで脱ぐように促されて、人生初のコルセットを装着することになってしまった。


 手際よく準備を進めながら、シリンが説明してくれる。


 昼ならばともかく、夜のパーティではコルセットは必要不可欠であること。息苦しいし、つけるのも外すのもひとりではできないし、大変だけれど、つけないよりもつけている方がはるかに姿勢を美しく保てること。


「なれると楽ですわ。好きなだけ体の力を抜いても、はた目にはそうとわかりませんから」

「そ、う、なの?」

「コルセットが初めてなら、最初は少しつらいかもしれませんわね。でも大丈夫、時間がたてば体のほうがなれてくれます」


 そういうものなの、ねえそういうものなの? と聞きたくても、聞ける相手は誰もいない。

 今まで体験したことのない苦しさにヘイゼルは無言になっていたが、シリンは心得たように、ぐいぐいと背中の紐をしめていく。


 一番上までひもをしめると、ヘイゼルは息をするのも苦しいほどになっていた。


「まずは、こんなものですか」


 まずは?

 聞きたいけれど声を出すのもつらい。


「体がなれたらもっとしめられますから」

「待って……」


 強い危機感を感じて、ヘイゼルはかすれ声を出した。


「これより、もっと……?」

「大丈夫ですいけます」


 自信をもってシリンは請け負った。


「両手の中に腰がすっぽり入ってしまうほど、しめられますよ」


 にっこり微笑まれて、ヘイゼルはいろんな意味で青くなった。


(いや……)


 あまりにも苦しくて、ねえこれって、新手の意地悪ではないのよね? そういうわけじゃないのよね? 本当に違うわよね? と聞きたいが聞くのが怖い。さらにそこまで長くしゃべれる気が、今はまったくしない。


「おーい大丈夫かー」


 部屋の外からドゥンガラが心配してくれるのに反応する余裕すらない。


 彼はヘイゼルが着替え中なので中を見てはいけないと思っているようで、部屋の外から声だけが聞こえてくる。大変なんだなあ女の人って。とつぶやく声も聞こえる。


「さてと、わたくしは髪の支度をしなくては。しばらくたったらまた来てみますわね」


 また来てみたときは再び今以上にしめられるのかと思ったヘイゼルは、思わずか細い声をあげてしまった。


「あの、シリン……私もう、これで十分……」

「いいえ?」


 切れ長の目を輝かせて、シリンは即答した。


 その瞳は明らかに、いい素材が目の前にあるのに磨かない意味がわからないと言っており、ヘイゼルはそれ以上何も言えなくなったのだった。


◇◇◇


 あんなに苦しかったのに、夜会の時間が近づくとふっと体が楽になったのは不思議なことだった。


 シリンは予告通りコルセットをもう一段階きつくしめあげ、今度は二度目だったので最初の時ほど怖くなることもなく、ヘイゼルは鏡にうつる自分を新鮮な気持ちで眺める。


 これまで見たことがないほど美しいドレス姿の自分がそこにいた。


(こんなこと、自分で思うのバカみたいだけど……)


 目が快感を覚えるほど細くくびれたウエストは、どの角度から見ても安定したラインを備えており、砦のみんなが用意してくれた青緑色のドレスが試着の時より何倍も引き立って見える。


(これが、コルセット効果というものか……)


 なんとなく納得しながら、ハイヒールを優雅に鳴らしてヘイゼルはゆっくりと大広間へと向かう。


 コツ、コツ、コツ。


 広間へ続く廊下は白と黒の大理石でできており、床には幾何学模様が描かれている。その模様に従って進めば、大広間へとたどり着くしくみだ。


 広間へ近づくにつれて、幾何学模様の白と黒の割合が変化し、広間に通じる最後の階段は黒一色だった。そういえば、この国の国章は黒が基調になっていたなと思いながら、ヘイゼルは階段を上がって扉をくぐる。


 一転、まばゆい別世界が現れた。


 大小のシャンデリアと壁のランプで隙間なく照らされて、昼間のように明るいどころか、太陽があちこちに散らばっているようだ。


(さすがのすばらしさ……)


 ヘイゼルはつかの間、目を細めてそのきらびやかな光景に見とれた。

 ゆったりとした音楽が流れ、広間のそこかしこで、着飾った貴族たちが思い思いに談笑している。


「まあ」

「あれが隣国の王女殿下……」

「なかなかきれいな」


 ヘイゼルが進むと、両脇からささやくような声が聞こえる。

 露骨な品定めには慣れないが、平気なふりならできる。


 まずはロンバルド国王に挨拶をしなくては、とヘイゼルがそれらしき人物を探していると、広間の最奥にそれらしき人物が見えた。

 幾人かの貴族に囲まれていたが、向こうもヘイゼルを認めてこちらを向く。


「おお、これは」


 王は背が高く、肩には見事な夜会用のマントを羽織っていた。


「よく来た。歓迎しよう」

「ご招待いただき、光栄です」


 ヘイゼルはそう言って軽くひざを曲げる挨拶をしたけれど、王の目が笑っていないのをしっかりととらえていた。


(この人が、無理難題をアスランに押し付けた人……)


 そのことを忘れないようにしよう、と思っていると、王は低くかすれた声で続けた。


「今日は楽しんでいってもらえたらと思っている。客人も幾人か呼んであるのでな」

「お客人?」

「きっと懐かしい顔のはずだ」


 王がそれを言い終わるか終わらないかで、ヘイゼルは目の端に見知った顔を見つけた。

 一瞬でそれが誰なのかわかり、ヘイゼルの胸に動揺が走る。


(お父様!)


 生まれてすぐにヘイゼルは王宮から出されたので、そう何度も会ったことがあるわけではない。だけど、父の顔を見間違えるはずもない。


(お父様が、どうして……)


 オーランガワード現国王であるイアン・ウィービング・アクラムはゆっくりとヘイゼルに近づいてくる。


 ヘイゼルと同じ赤みがかったブロンドをきれいに整えて、金刺繍が施された生成り色の宮廷服を身にまとって。この日のためにあつらえたのか、それは真新しく、ぴったりと父の体に沿っていた。


(なんて……。待ってなんて挨拶したらいいの)


 急に胸がどきどきしはじめる。

 コルセットが急にきつく感じられてくる。さっきまで平気だったのに、なんだか今は息が苦しい。


 城を出てきてから初めて会うんだわ、とか、どうして父のことが伏せられていたのか、とか、いくつものことが頭の中をぐるぐる回る。


(そう、おそらく私は試されてるんだわ……本物の王女なのか……)


 父王がここに呼ばれていたのは多分そのためだ。


 かろうじてそれだけを判断しながらヘイゼルは父が近づいてくるのを見つめていた。


 言いたいことはこちらにもある。今でも私に死んでほしいと思っていらっしゃるんですか? とか。幼いころから毎月ひそかに毒を渡していたのは、いないほうが都合がよかったからですか、とも。先日はよくも、何の罪もないガーヤを火刑台に送ってくださいましたね、と皮肉のひとつだって言ってやりたい。けれど。


(──だめ、落ち着かなくては)


 ここで感情に身を任せてしまっては、ロンバルド側の思うつぼなのだということは、動揺した頭でもよくわかる。


 彼らはヘイゼルを怒らせたいのだ。


 怒らせて、恥をかかせて、体面をなくす。

 それによって、砦との交渉を有利に進めることができたらと、多分思っているのだった。


(させられない)


 ヘイゼルは大きく息をひとつ吸った。


 仮にもここは社交の場である。招かれた立場であるならば、それにふさわしいふるまいをしなくてはならなかった。

 ヘイゼルは静かにひざを折って、娘としての礼をとる。


「ごきげんよう、父上──」


 だが、父王は膝を折ったヘイゼルの真横を、無言で通り過ぎた。

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