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3章 男といってもいろいろある 5

「それは俺も同行した方がいいんだろうな」

「え、そう?」

「そうだ。多分、いやきっと」


 王女殿下とのやりとりを聞いたドゥンガラはそう言って、早速、次の日の午後早い時間、侍女がヘイゼルたちを図書室まで案内してくれることになった。


「どうぞ、こちらです」


 侍女は言葉少なに案内していく。

 図書室への長い道を歩きながら、ヘイゼルは考えていた。


(──今なら、わかる)


 自分とアスランが喧嘩したのは、ロンバルド王のもくろみ通りなのだということが。

 王女殿下が悪いわけではない、もちろんアスランが悪いわけでもない。


(では……私たちを仲たがいさせて、この国の王にどんな利益があるのかという話よ……)


 ヘイゼルは小さくため息をついた。


 王宮の陰謀や悪だくみとは無縁で育ってきた自分でも、すぐにいくつか思い当たる。

 一番は、ふたりが喧嘩するすることで砦の結束が多少なりと崩れ、そのぶんだけ外から攻め込みやすくなるということだ。


(相手の思い通りになってしまったことが、腹が立つ……)

「どうぞ、ヘイゼル様」


 侍女に言われてヘイゼルはふと顔を上げた。


 見上げるほど天井の高い、類を見ないほど立派な図書室がそこにあった。

 広々とした建物の壁は、天井近くまですべて本で埋まっている。奥の方には林のような書架があって、いったいどれほどの本があるのか想像もつかないほどだ。


「すごい……」


 思わず声に出してそう言ったが、侍女の表情は硬い。

 入り口には管理人らしき老人がひとり座っている。侍女は会釈でそこを通り抜けると、ヘイゼルを振り返った。


「どういった書物をご覧になりますか」

「全部!」

「は?」


 思わず本音が口をついてしまって、ヘイゼルはあわてて言い直した。


「あの、ほんとに全部見てまわりたいの。でも今日はとりあえずこの国の歴史に関するものを」

「──かしこまりました」

「あっでもほかもね、ひと通り今日はどこに何があるかだけでも」


 侍女は答えず、先に立ってゆっくりと歩き始める。

 ロンバルド王国の図書室は、素通りしてしまうのが苦痛に感じるほど、充実していた。


 右を見ても、左を見ても、本である。

 一度読んでみたかった本もあれば、装丁が見事で思わずさわりたくなってしまう本もある。


 本の背表紙に自分が呼ばれているような気がして、ヘイゼルは自然と歩く速度が落ちてしまう。後ろ髪をひかれる思いを振り切って前に進むものの、進んだ先でまた目に飛び込んでくる本があり、その全部を手に取りたくて仕方がない。


(だめだめ、今は……先にやるべきことがあるんだもの)

「姫さんよ」

「あっごめんなさい」


 後ろからドゥンガラに指摘されて、初めて自分がふらふら歩いていることに気がつく。


「俺がついてきて本当に正解だな」

「ええ」

「放っておいたらあんた、そのへんに入り込んで迷子になってるぞ」

「ええ」

「しかも生返事かよ」


 ヘイゼルとドゥンガラの会話が耳に入ったのか、先を歩く侍女がくすっと小さく笑い声をあげた。

 それから、肩越しに振り向いて、笑ったことを謝るように軽く頭を下げる。

 改めて見ると、整った顔立ちの洗練された女だった。


「仲がよろしいのですね」

「そうかしら」

「そうかな」


 ヘイゼルとドゥンガラの答えがかぶる。

 侍女はまたくすくすと笑った。


「ヘイゼル様と二人だと思っていたので私も緊張していましたが……男のかたがご一緒なら、少しは気が楽です」

「ええと、それは……」


 いったいどういう意味、とヘイゼルがたずねようとしたその時。


「しっ」


 侍女が片手を体の脇に出して、ヘイゼルの足を止める。

 なにごとだろうと思っていると、彼女はその場で真横に方向転換をした。


「この通路を行くのはやめましょう。遠回りですがあちらからも行けますから」

「シリン」


 その時だった。


 若い男の声が響いて、名を呼ばれた侍女がびくっと体を震わせる。

 ヘイゼルはそちらのほうに顔をやって……本の隙間から見てしまった。

 若い男が書架に押し付けるようにして女の体に密着しているところを。


(──っ!!)


 見違えようもなく、密会の現場である。書架に押し付けられている女が急いでスカートで自分の足を覆ったのが、遠目にもわかった。


(なんてことを、こんな場所で……)


 ヘイゼルがいたたまれない気分になったその瞬間。

 互いの間にはかなりの距離があって、顔も判別できないほどだったのに、なぜだろう、ヘイゼルはその若い男と目があったように感じた。


 ヘイゼルはとっさに目をそらす。でも。


(──今、こちらを見た気がした)

「シリン、止まれ」


 人に命令することになれた声だった。


 侍女は仕方なくその場に立ち止まると、深く膝を折る挨拶をする。男の声は離れたところからでもよく通った。


「そこにいるの、誰」

「その……」

「オーランガワードの第五王女か」

「……さようでございます」

「俺に挨拶はなしか?」


 からかうような声に、ヘイゼルは眉をひそめる。

 連れの女性を半裸に脱がせておいて挨拶にこいとは、誰か知らないがふざけるにもほどがあると思ったのだ。


「いずれ、ごあいさつの機会もございましょう。先を急ぎますので、失礼」


 彼女がそつなく答えると、あとには若い男の笑い声だけが響いた。

 シリンはもう言い返さず、コツコツと先へ歩いてゆく。


「ねえ」


 ヘイゼルはそこから離れるのを待って、彼女の背中に声をかける。


「今の人は……」

「第一王位継承者の、カルマ殿下でございます」

「では、ブルーデンス殿下の」

「お母様違いの兄君です。よいですか、ヘイゼル様」


 シリンは真顔になって声を低くした。


「こちらへは、決しておひとりではいらっしゃいませんように」

「それは、さっきの」

「そうです、カルマ様がよくお使いだからです」


 シリンははっきり言わなかったが、あそこまで露骨なものを見せられれば、ヘイゼルにもそれがどういうことかわかる。


 要するに、ここは彼の狩場なのだ。


(やっとわかった……)


 誰に聞いても図書室の場所を教えてもらえなかったことも、これほど立派な図書室なのに、ひとけがなくてやけにひんやりしていることも。


「ヘイゼル様が書物がお好きだということは、よくわかりましたわ。ですのであえて申し上げます。こちらへおいでの際は、必ず、誰かをお連れ下さい」

「わかったわ……」


 ヘイゼルが何も知らないのを見てとって、シリンはいくつも注意事項を聞かせてくれた。


 伴をさせるのも誰でもよいわけではないこと。自分は一応上流貴族の出自であり、王女の侍女でもあるので無理強いされることはないが、下級貴族の娘などでは彼に逆らえず、簡単にいいなりにされてしまうので、それはよくないこと。ましてカルマの侍女には決して誘われても一緒についていかないことなど。


「迷ったらわたくしをお呼びください」

「ありがとう、シリン……気をつけます」


 結局その日は、調べごとに役立つと思われる本を数冊借りただけだった。

 大判の書物はずっしりと重く、数冊借りただけでも腕の中がいっぱいになる。


 途中ドゥンガラが見かねて持ってくれたけれど、ヘイゼルは長い廊下を戻りながら違うことを考えていた。


(なにかしら、このいやな気持ち……)


 シリンが一緒にいる間は笑顔で取り繕っていたのだが、自室に戻って落ち着いてから、はっきり自覚した。


 自分は腹を立てているのだということを。


(よその王族がどんな人柄だろうと、どんな振る舞いをしようと客人の私に関係なんてない。でも……)


 ヘイゼルが思うに、書物とは財産である。


 そこに記されている知識は金貨や銀貨以上に価値のあるもので、だからこそ人は学ぼうとするし、古来から文字で物事を記録してきた。

 だから図書室というものは、蔵書数の数だけ得るものがある宝の山だ。


 それを、自分の欲望のための遊び場所として独占し、他人をよせつけないというのは、ヘイゼルにとってみれば許しがたいものだった。


(自分の部屋でやればいいのよ……そんなことは!)


 なぜあの場所でなければいけないのか。

 貴重な資料もあるだろうに、用事のある事務官などはどうしているのか。

 そのたびあの光景を横目に見ながら、見ないふりをして遠回りするのか。


(なんだか……いやだわ、本当にいや)

「なあ、姫さん」


 本の表紙に手を置いたまま、微動だにしないヘイゼルにドゥンガラが声をかけた。


「大丈夫か」

「ええ、大丈夫」

「ほんとかよ」


 せっかく借りてきた本をすぐ読みたいのはやまやまだったが、今はそうしたくなかった。

 こんないやな気持ちのままで本に向き合いたくなかったのだ。


 真剣な顔でどこか一点を見つめる彼女に、ドゥンガラは続けた。


「あのな」

「ええ」

「さっきのは、男の俺が見てもいやな気分になったよ」


 ヘイゼルは巨体の大男を見上げる。

 よく日焼けして、肩のあたりが盛り上がっているのが服の上からもわかる。


「そうなの……?」

「だから、あんたがいやな気持ちになってるとしたら、ほんとにすまねえ」

「どうしてあなたが謝るの」

「ああいう男がいることも確かに事実だからだよ」


 王族だからということではない。自分の腕にものをいわせて女を好きにしたがる男がいることも、相手が避けにくい罠をはって女を自分のものにしたがる男がいることも、歪んだ欲望を満たすことに喜びを感じる男がいることも知っている、と彼は言った。


「あんたが見てたか知らねえが、俺は見えてた。さっきの女は明らかにいやがってた」

「そうだったの?」

「目はいい方だ」


 いやがる女を無理やりどうかしようって男はクズだ。とドゥンガラは言いきった。


「くず……」

「男の俺でもいやな気分になったということは、女のあんたはもっとそうなんじゃないかと思ったんだ。俺が謝る必要は確かにないかもしれねえが、同じ男として、謝ったって別に悪いこともないだろうよ」

「ねえ、お願いがあるの」


 彼の言葉が終わるか終わらないかで、ヘイゼルは机に手をついて立ち上がった。

 その勢いに、ドゥンガラのほうがびくっとする。


「な、なんだ」

「私、明日もあの図書室に行きたい」

「おう……」

「ついてきてほしいの」


 それは全然いいけどよ、とドゥンガラがよくわからない顔をして応じる。


「ありがとう!」


 そこからというもの、ヘイゼルは、借りてきた本をばりばりと読み始めた。

 まるで、喉の渇いた人間がやっと見つけた水を飲むような勢いで。


 そして、次の日も、また次の日も図書室に通い続けた。


 第一王位継承者のカルマ王子はそのたびあの図書室で女と一緒にいたけれど、ヘイゼルは知らん顔をした。

 そして読みたい本を何冊も何冊も選び終えると、悠々とそこを後にした。


「重いでしょう、ごめんね」

「いや、石に比べたら全然軽いからいいよ……」

「だってむかつくじゃない。どうしてまっとうに使いたい人が遠慮しなくちゃいけないのよ」

「まあ、まあ、そうだな」

「しかもあの人、毎日連れてる女性が違わない?」

「それは俺も思う」


 ヘイゼルもカルマ王子を無視したし、相手のほうもまた、ヘイゼルに声をかけようとはしなかった。


 ただ書架の間から、じっとヘイゼルを見つめていた。

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