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3章 男といってもいろいろある 4

「えっ、お父様にって」


 ヘイゼルが驚いて息を飲むのと、侍女のひとりが助け船を出そうと口をひらきかけるのとが同時だった。

 だが、ブルーデンス王女が静かに片手をあげて侍女を制する。


「い、いいの」


 王女は自分を落ち着かせようとするように、肩で大きく息をしている。

 ヘイゼルはその様子を見て思った。

 このかたは、どうやら話すのがお得意じゃないらしいけど、でもきっとご自分で話したいんだわ。


(なら、私は待っていよう)


 そう思うと、肩からふっと力が抜けた。

 力が抜けて初めて、ああ自分も緊張してたんだとヘイゼルは気づく。


「そうだったの……知らなかった。わかってよかったわ」


 ヘイゼルが言うと、王女が少し表情をゆるめた。

 おや、今のは笑ったのだろうかと思う。


「……お、お、驚かれたでしょう」

「えっ」

「わたくしの、足のこと」


 王女はまっすぐにヘイゼルを見返して、確かに微笑を浮かべていた。彼女の瞳が濃い紫色であることにヘイゼルは気づく。まるで最高級のモルフォのように。


「な、な、長年、近親婚を繰り返すと、こういうふうに生まれるんですわ」


 いいえ、とヘイゼルは首を横に振った。


「言いにくいことをお話して下さって、ありがとう。ブルーデンス王女殿下」


 それに、と彼女の足元に目線を落とす。


「その靴、とても素敵だわ。よくお似合い」


 黒地に銀の糸で刺繍が施された小さな絹の靴は、彼女が今着ている淡い色のドレスとはまったく違う風合いだったが、豪華な部屋よりも贅沢なドレスよりも、その小さな靴は彼女によく似合っていた。


「あ、あなたの金のドレスも、素晴らしいわ」


 話しているうちに抵抗が薄れたのか、勢いがついたのか、王女は次第に長くなめらかに話すようになった。


「先日、見た時も思ったの。か、格調高いドレスだって。近くで見るとなおよくわかるわ」

「そうかしら?」

「千の花、メアンダーのふち飾り。強い結びつきを現す鎖模様に、豊かさを現すざくろもある」


 彼女が話しているのが刺繍の種類についてなのだと、ヘイゼルは一拍遅れて気がついた。


「近くで見ると本当に見事。し、しかも、花喰鳥もあるのね」


 指でさされたところを見ると、確かに花をついばむ鳥が刺繍されている。

 ここ最近ずっと着ていたドレスなのに、言われるまでわからなかった。


「花喰鳥を千の花に織り込むのは難しいわ。片方は大柄でよく目立つし、片方はそうではないから。でも、花喰鳥が浮くことなく自然にまとまっている。相当腕のいい人が作ったのね、そのドレスは」

「あ……そうかしら」

「そう思うわ。しかも」


 王女は濃い紫色の瞳を少し細めて、さらに言った。


「そのドレスは、店で仕立てたものではないでしょう」

「当たりよ、なぜ」

「普通の仕立屋であれば選ばない柄がひとつに入っているからよ」


 王女は白いあごに指先を当てて話し続けた。


「千の花とメアンダーは、わかる。メアンダーとざくろも、わかる。だけどその三つを同時に組み合わせる仕立屋はないわ。理由は、自然に仕上げるのが途方もなく難しいからよ。刺繍の柄というものは、数を増やせば増やすほど統一感を出すのが難しいの。──それに加えて花喰鳥もとなれば、店ではなく、誰か個人が作ったと考えるのが妥当だわ。あなたのいらっしゃるところには、技術の高い人がいるのね」

「驚いた……その通りよ」


 心から感心してヘイゼルは言った。


 このドレスを作ってくれたのはウースラだ。

 もちろん砦の女たちが力を合わせて作ってくれたのだが、刺繍の図案をいちから起こしたのはウースラで、なんだかんだで刺繍の半分以上を彼女がひとりで手掛けている。


 彼女は砦の若い女性を束ねるリーダー格の存在だが、同時に砦の刺繍番長でもあって、植物だろうが動物だろうが幾何学模様だろうが、刺繍と名のつくものならばなんでもばっちこいの、『針と糸に愛された』女性なのだった。


ヘイゼルがそのことを伝えると、ブルーデンス王女は瞳を輝かせた。


「そうなのね! やはり世界は広いわ!」

「王女殿下……」


 そこに傍仕えの侍女がそっと割って入る。

 はしゃぎ過ぎだという注意だったのだろう、王女ははっとして口を閉ざし、視線を落とした。


 だがヘイゼルはそんなことお構いなしに、胸の前でうっとりと両手を組んでいた。


「すごいわねえ……」

「えっ」

「私、あなたのこと好きだわ」

「えっ……」


 王女は戸惑ったように目をぱちくりさせている。


「すでにお聞き及びかもしれませんけど、私は王女としての教育を受けていないの。だからあなたが言っていることでわからないこともある。でもこれだけはわかるわ。あなたは、とても知識のあるかたね」

「そ、そ、そうかしら」

「ドレス一枚でここまでいろんなことを読み取れるものなのね。そんなこと考えもしなかったわ。私、あなたみたいな人、ほんとに好き」


 本気で褒めると、王女の白い肌にうっすら朱がかかったようになる。

 先ほどとは少し違った沈黙が落ちて、ヘイゼルは今日の本題を忘れていたことに気がついた。


「あっそうだわ、他でもないあなたに伺いたいことがあったの」

「な、なにかしら」

「実は今日お手紙をお出ししたのは、そのことを聞きたかったからなのよ。図書室は一体どこにあるの?」


 ヘイゼルの質問に、王女はなぜか紫色の瞳を揺らがせた。

 周囲の侍女たちも奇妙な沈黙を落とし、視線を合わさないように目を伏せている。


 なんだろうと思いながらヘイゼルはさらに言う。


「私、本を読むのが昔から好きなの。それで、夫は遠方の鉱山に行ってしまって、いつ戻ってこられるかわからない状況でしょう。だからこの機会に、ぜひ王宮所蔵の本を読ませてもらいたくて……」

「お、お、お」


 王女は再び言葉に詰まる様子を見せた。懸命に言葉を押し出そうとしながら言う。


「大きな図書館が、確かにありますけど……」

「よかったわ。誰に聞いても教えてもらえなくて、困っていたの。もしかして、ロンバルド王族や貴族にしか開放されていないのかしら?」

「……いいえ、そんなことは」


 王女はためらうように目線をさまよわせ、言いにくそうに口ごもった。


「わ、わたくしは、あまり行かないの。この足だし、遠いし……それに」

「それに?」

「なんだか、暗くて。人もいないし」

「そうなの?」


 ヘイゼルは首をかしげた。


 王宮の図書室に人がいないとはにわかに想像できないが、それでも積極的に勧めたい場所ではないらしいことは、彼女の雰囲気からもわかる。だが、アスランからの頼み事は図書室に行かなければ調べられない。


(だから……行かないという選択肢はないのだわ)


 ヘイゼルはソファの上で身を乗り出した。


「お願い、ブルーデンス王女殿下。迷子にならないように気をつけて行きますから場所を教えていただけませんか」


 目に力を込めてもうひと押しすると、王女はやがて小さなため息をついた。


「……わかりました。侍女に案内させますわ」

「──王女殿下、それは!」


 あたりの侍女から咎めるような声があがったが、王女は首を横に振った。


「午前中か、昼の早い時間にご案内するようになさい」


 静かな口調で王女が言うと、侍女たちもそれ以上何も言えなくなったようだった。


「ごめんなさい、わたくしがついていけなくて」

「いえ、そんな」


 ヘイゼルがお礼を言おうとしたその時。


「殿下、そろそろお着替えを」


 新たに入ってきた侍女がそう告げて、王女ははっとしたように顔を上げた。


「ではヘイゼル様。お話の途中ですがこれで……」

「ええ」


 立ち上がり、部屋を後にしながらヘイゼルは言う。


「今日は本当にありがとう。お会いできてよかったわ」

「いえ……ご希望に添えないこともあって、申し訳ありません」

「そんなこと……」


 侍女たちは既に忙しく立ち働き始めており、ヘイゼルはその流れに押し出されるように戸口へ促されている。


 でも待って、とヘイゼルは思った。

 本当に言いたいことを、私はちゃんと言ったかしら?


「あの、ブルーデンス殿下」


 両開きの扉の近くでヘイゼルは立ち止った。


 振り返ると、王女は侍女たちが運び込んできた夜用のドレスにうずもれんばかりになっている。

 右にも、左にも、ドレス。甘くて柔らかいレースとリボン。

 だがそれらに囲まれている彼女は、少しも幸せそうには見えなかった。


 ヘイゼルはやや声を張って言う。


「あなたとお話ができてよかった。本当に楽しかったわ」


 ヘイゼル様、どうか。殿下はお着替えのお時間ですのでと侍女が低い声で退室を促す。

 まるで、これ以上ここにいられては困ることがあるかのように。


 だがヘイゼルは、侍女の肩越しにさらに続けた。


「またお話ししましょう。あなたのことがもっと知りたいから」

「ヘイゼル様、どうかお願いです」


 最後は王女付きの侍女に押し出されるようにして終わったが、両開きの扉が閉まる寸前、ヘイゼルは確かに見た。


 ブルーデンスが紫の瞳でまっすぐこちらを見ているのを。

 その瞳があどけなくて、年相応に見えているのを。

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