3章 男といってもいろいろある 3
王女からはすぐに返事が来た。
今日の午後ならいつ来てくれても構わない、という。
(では、行きますか)
正直、気は進まなかったが、そんなことを言っている場合ではない。
ヘイゼルは金の昼用ドレスがどこもおかしくないか、いつも以上にあちこち確かめてからそこに向かった。
侍女に先導されて王女の私室に着くと、入り口で少し待たされてから中に通される。
室内は若い女性にふさわしく、クリーム色と薔薇色が基調になっていたが、一歩足を踏み入れたヘイゼルは違和感を感じた。
どことはいえないのだが、しっくりこない。
正面に座っている王女には、なんともいえず似つかわしくないように感じるのだ。
「ごきげんよう、ブルーデンス王女殿下」
まずは尋常に挨拶をしたが、王女は小さくあごを動かしたのみで応じない。
「お時間をとって下さりお礼を申し上げます」
続けてヘイゼルが言っても、沈黙が返ってくるのみだ。
(またこれ……)
内心を顔に出さないように、ヘイゼルは気をつけなくてはいけなかった。
王女のまわりにいる侍女が急いで目配せをかわすのが見える。
ヘイゼルは侍女たちに促されて、部屋の中ほどにあるピンクのつやのあるソファに腰かけた。
「どうぞお楽にして下さい」
「お茶はお好きでしょうか。よろしければ今お持ちします」
「ありがとう」
ヘイゼルはにこっと笑ったけれど、王女はここにいたるまで一言も口をひらいていない。
(どういうこと)
いけない落ち着かなくては、とヘイゼルがそっと深呼吸した時。
コツ、と乾いた音がして王女が肘掛椅子からゆっくり立ち上がった。
その右手には、杖がある。
コツ、コツ、コツ。
杖を慣れた様子で扱い、王女はヘイゼルの真向かいにやってきた。
刺繍の靴を履いた右足をわずかに引きずっているのがわかる。
ドレスの衣擦れの音をさせて正面のソファに座った王女は、杖を手の届くところに置いた。黒檀と白銀の重々しい杖だった。
「ヘイゼル・ファナティック・ガボットです」
「…………」
王女はちらりとヘイゼルを見た。
そのお人形のような唇がかすかに動きかけて、止まる。
なにか言うのかとヘイゼルが注目していると、王女は目を伏せ、小さな唇を完全に閉じた。
周囲の侍女が場をとりもとうとするかのようにせわしなく動く。お茶を、お菓子を、音楽はどうか、誰か楽師をお呼びしてはどう?
(冗談じゃないわ)
ヘイゼルは内心で思った。
お茶や音楽でごまかされるために来たわけじゃない。聞きたいことがあってここへ来たのだ。
ヘイゼルはじっと正面に座る彼女を見つめた。
艶のある黒髪、磁器のような白肌。
年はヘイゼルよりもひとつ下の十六歳だと聞いていたが、その年齢よりも大人びて見えた。
古典的な整った顔立ちをしており、決して派手ではないところに高貴な血筋を感じさせる。
こうして間近に彼女を見ると、シミひとつないきめ細かな肌をしていた。今まで気にしていなかったのに、急に自分の肌が気になり始める。
──だから普段から帽子をかぶれと私は申しました!
脳内ガーヤにガミガミ言われて、わかった、今度からかぶるから、と心の中で弁解する。
王女は、いまだ何も話そうとしない。
そして不思議なことに、彼女がそうして鎮座していると、そうしているのが正しいことのように思えてくる。まるで、それが本当の王女としての振る舞いででもあるかのように。
ちりっ、と胸の奥でなにかがいやな感じにねじれた。
感情がおかしな方向に向きそうで、だがなぜなのかわからない。
(もうなんでもいいから、早くなにか言ってほしい)
場がもたないからではない。このまま沈黙が続いてしまうと、まだ彼女のことを何も知っていないのに、彼女を嫌いになってしまいそうだったからだ。
(だいたい……遠方から客人を招いた場合、普通はそちらのほうからお茶とか食事に誘うものなんじゃないのかしら?)
この王宮に到着して一週間がたった今、ヘイゼルはいまだ、どこからも誰からも招待されていない。
今日ヘイゼルが手紙を書かなかったら、いつまでもほったらかされていたかもしれないのだ。
王宮育ちでないとはいえ、これが招いた相手への礼儀ではないことはわかる。
(どういう事情か知らないけど……話さなかったら余計にわからないじゃないの)
黙り込んでいる王女になんと話しかければよいか、ヘイゼルは考えてみた。
──きれいな杖ですね。……違う。
──伺ってお邪魔でしたか。……違う。
──ずっと黙っておいでなのは、私とは話したくないということですか。……もっと違う。
(もう、やだわ……)
これじゃいけないとヘイゼルは頭に浮かんだよどんだ気持ちをできるだけ遠くに追いやろうとした。
今自分が考えているのは、社交ではなく、雑談でもない。
(ただの意地悪だわ、こんなの)
そういうのやめよう、できるだけ素直に思ったことを口にしようとヘイゼルは気を取り直した。
たとえ相手から答えが返ってこなくてもいい。素直になるのはどちらが先でもいいのだから。
「……ブルーデンス殿下」
そっと声をかけてみると、彼女が目をあげてこちらを見た。
反応した、とヘイゼルは思う。
普通に、思っていることを話してみよう。それでだめなら諦めたらいい。
「あの、どうして今日お使いの杖を、先日はお使いじゃなかったんですか?」
アスランと並んで出迎えた日のことだ。あの日、確かに彼女は杖を使っていなかった。
ヘイゼルが言うと、あたりにいた侍女たちがせわしなく目を見かわすのがわかった。
明らかにこれはしてはいけない質問なのだ、きっと。
(でも……上辺の会話だけしていても仕方がないもの)
それに、一度口にしてしまった言葉は取り消せない。
自分はアスランの妻でもあるのだし、聞く権利はあると思うし、と自分を励ましてヘイゼルはピンク色のソファにまっすぐ座り直した。
王女は唇を小さくひらきかけて、なにやら頑張って言葉を押し出そうとしているようだった。ヘイゼルは黙って待つ。
「…………ち、」
長い沈黙の後に、王女がやっと声を発した。
「ち、ち、父の、言いつけでしたから」
小さな声はかすれていた。
でも話してくれたわとヘイゼルは思う。一歩前進だ。
「お父さまの」
「……ええ」
「足がお悪いのに……杖を持たないようにと?」
「……じ、じ」
再び王女は口ごもり、だがなにかを振り絞るようにして続けた。
「侍女を、せ、責めないでください」
「と、いうと」
「この子たちは、父には逆らえません。……つ、つ、杖を、隠せと言われたら、隠さざるを得ないのです」