三輪車と夕日
もう目覚めはしない母を見て俺はほくそ笑んだ。
この棺があの扉の向こうに入ってしまったのなら、もう二度と母の顔をこの目で拝むことは出来ないことが分かっていながらも、俺にはその実感がわかなかった。
隣では妹や親族のすすり泣く声が聞こえる。
喪主である俺が泣いてはいけないと気を張っていたためか、涙がわいてくることはもうなかった。
「よく見ると、奇麗だな」
そう心の中でつぶやいた。もう60を超えているだろう母の顔は年相応というよりもやや若々しく思えた。しかし、18で家を飛び出してからこの年まで母に一度も会いに行かなかった俺は、母の顔がどう老いたのかを知る由もなかった。
「ご出棺です」
そう葬儀屋が言うもんだから、俺は火葬開始のスイッチを一思いに押した。ここでためらっていては何になると感じた。
ごおおお、という音とともに母や焼かれ始めた。葬儀屋に待合室に案内される列からは、夕飯の相談をしている声も聞こえる。妹は泣いていたが、それを慰めるかのように親族たちに連れていかれた。無理もないだろう。父が死んでから妹は母にべったりだったのだから。俺が家を飛び出してからも母の面倒を見てくれていたが、その母がいなくなって肩の荷が下りたのかもしれない。
火葬が終わった母の骨を無言で拾い、俺と妹は帰路についた。元は4人で暮らしていた家には二つの骨壺と二人となってしまった。妹は足早に自分の部屋にってしまった。
「明日は遺品の整理するから手伝って」
そう言われていたが、どうしてもやる気が起きなかった。母はあまりものをためない人だったため、遺品となるものが少なかった。
次の日の朝から、はじまった遺品整理は昼の段階でほとんどが終わり出していた。服や本は処分したり中古品店へ売りに行った。ふと押入れの中をのぞくとそこには箱の中にしまっているたくさんの写真があった。写真には親指のがくっきりとつくほど何回も取り出して見た痕跡が付いていた。そのほとんどが兄妹の写真ばかりだった。生まれてすぐの頃や幼稚園のお遊戯会、入浴中といった少々恥ずかしいものも含まれていたが。一つの写真に目が留まった。
それは三輪車の写真だった。4歳ぐらいの頃三輪車にのりながら近くの公園まで母とよく通っていた。三輪車の後ろには手押し棒が付いており母はその棒を押してくれていた。一人で乗れることをアピールしたかった俺は良くその手を放してと母にせがんでいた。そういうと母は決まって必ず
「はいはい、いっておいで。」
といい、公園内では離してくれた。その時の母の顔は夕日に照らされていたためあまり覚えていないが、優しい声だったのは覚えている。
そのことを思い出していると、不意にあったかいものが頬をつたった。とめどなく流れるそれは、俺と母をつなぎとめる確かなものだった。
今年、俺は父になる。母のような人に俺はなれるのだろうか。そのような不安の中、決まって母の言葉を思い出す。
ああ、母はなんて偉大な存在だったのだろう。俺も母の様にこれから生まれてくるわが子へ何か残せるのだろうか。そんな心配をよそに月日は流れる。あの時の三輪車と夕日の様にわが子の巣立ちまで見も持っていこう。




