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9.家族の愛




 長いまつげに覆われていた瞼がゆっくりと開かれ、メイリアの枯れた薔薇色の瞳があらわになる。


 何か夢を見ていたらしい。気が付いた時には涙がまつげを濡らしていた。

 溢れ出していた雫を拭いながら瞬きを繰り返す。


 メイリアが体を無理やり起こすと、そこは自身の部屋ではなかった。


(ここは、どこ?)


 広い割に綺麗に整頓された部屋だ。

 隅に置かれている棚の上には花が一輪飾ってあるだけで、嗜好がわかるようなものは特に見当たらない。


(たしか、さっきまで部屋でレイと……そう!お父さんのお土産の紅茶を飲んでたはず)


 朧気な記憶を掘り返していく。


 夕食後、父親から土産に貰った紅茶をさっそく淹れた。その芳醇な香りに笑みが溢れたのを覚えている。


 レイのティーカップに注ぐと、彼は少しの間青色の目を細めてから勢いよく飲み出していた。

 つられて口に含むと、果物の甘さに混じった独特の苦味は感じたが、残ることなくするりと喉へ流れていった。


(急に眠くなって、それで……)


 抗えない眠気に誘われたのは突然だった。

 腕が鉛のように重くなり、ティーカップさえ持っていられなくなった。


 食器の割れる音や向かいに座っていたレイが床に倒れ込む音さえも、どこか遠い世界のように感じた。


 がくん、と体の力が抜け、ソファから滑り落ちて床に手をつくと、真紅のドレスの袖にオレンジ色の水飛沫があがった。


『あ、あ……セル、デ…………け、て……』


 近くにあったテラスへと繋がる大窓の前まで必死に這いずりながら、メイリアは唇を震わせ呟く。

 ドアノブを握りしめ体重をかけると、冷たい風が金色の髪を揺らした。


 途端、意識を手放した。


 メイリアは唇に指を押し当てながら目を伏せる。


(あの時、何を考えていたんだっけ……)


 意識を手放す直前まで自分が何を感じ、何を考え、何を呟いたのかが思い出せない。


(まぁいいわ。忘れてるってことは大したことではないだろうし、きっとどうしようもなく眠かったのね)


 一人で納得すると、不安にも似たモヤモヤとした感情が晴れていく。

 深呼吸をしてふかふかのベッドにまた寝転がった。



 瞼を閉じていたらまた眠っていたようで、メイリアが次に目覚めたのは窓から月明かりの差し込む夜だった。


 窓に腰掛け、外に顔を向けたままの人影が見えた。


 灰色の空を見つめる澄んだ緑色の瞳が、雨に反射してきらきらと輝いていた。

 癖のついた焦げ茶色の髪は柔らかそうで、彼の特徴である垂れた目元に薄い唇は儚さを帯びている。


 目を離したら消えてしまいそうに感じるほどに。


「雨が降り止まないな……」


 メイリアを呼ぶ声よりも幾段か低く覇気のない声でセルデンが呟いた。


「もう動ける。すぐに出発でいいだろ」

(他にも、誰かいるの?)


 聞いたことのない、甘さが残った耳をくすぐる声に、メイリアは部屋の奥を見やる。

 ソファに足を投げ出したまま寝そべっている人影があることに気が付いた。


 光をかき消してしまう漆黒の長い髪に、深い海のような青色の瞳が長いまつげの影に隠れている。

 もう少し幼ければ可憐な少女にも見えただろう横顔は、美少年と表現するのが相応しい。


 布団を捲り起き上がると、二人の視線がメイリアへと勢いよく向いた。


「―――メイリアお嬢様っ! 具合はいかがでしょうか?」

「わっ、セルデン……!」


 駆け寄ってきたセルデンに左手をきゅっと優しく両手で包まれた。


 普段よりも距離が近いせいか宝石のようにきらめく緑の瞳に吸い込まれそうになる。

 初めて会った時のように、メイリアは自分の侍従に釘付けになった。


(セっ、セルデンは近くで見ちゃだめなんだわ!)


 これ以上見惚れていられない。そんなことよりも大事なことがあるのだ。


 一度、ぎゅっと目をつむって火照った頬の熱を冷ます。


「……だ、だだだいじょうぶですから。それよりも、ここはどこですか? 家でレイとお茶している最中に寝てしまったことは覚えてるのですが……」


 メイリアはわざと辺りを見回すふりをしたせいで、緑の瞳が大きく見開かれるのを見ていなかった。


「……それ以外は覚えていないんですか?」

「はい。セルデンが帰ってきてくれた時もお迎えできず申し訳ないです」


 見惚れていたことに気付かれていただろうか。

 ちらり、と盗み見ると、セルデンは何も言わず静かに目を伏せていた。


「……」


 セルデンは二、三日考えていたことを思い出す。


 一度破断になって、新しい結婚話が持ち上がっていたメイリア。

 貴族同士の結婚という観点では損失はあまりないはず。となると問題は、なにを理由に鞭で打たれていたのかという事だった。


 ひとつめは、結婚相手のグレードが下がった場合。

 ふたつめは、男の侍従を新たに雇っていたからという場合。

 メイリアの容姿ならば問題はないだろうし、見下す対象ができた彼らの目は嬉々としていたから可能性は低い。


 一番可能性の高いみっつめは、鞭打ちが習慣化されていて理由などない場合。

 レイにあの日のことを訊くと、紅茶以外はいつも通りだと言っていた。


 現にメイリアは、背中を痛めている素振りを見せるどころか一人で起き上がってみせた。

 何事もないように、今も何かを隠している様子はない。


 "いつものこと"として捉えて受け入れているのだろう。

 ならば、突拍子のない嘘であっても両親が関係していることなら無条件で信じてしまうのではないか。


「……お話しづらいのですが」

「なんでしょう?」


 重々しく口を開いたセルデンを丸い瞳でメイリアが見た。


 これを言ってしまうともう戻ることはできない。


 緊張のせいでごくり、とセルデンの喉が鳴った。


「…………結婚相手の方から破断の連絡が届いたそうです。それでお怒りになった旦那様と奥様に追い出されました。それでこの宿に泊まっています」


 その言葉に、メイリアは呼吸の仕方を忘れそうになった。


「ふ、ふたりは、なんて?」

「『貴族としての務めも果たせないなら戻ってくるな』と仰ってました」

「貴族の務め……」


 メイリアには思い当たる節があった。

 母親が『貴族の娘は家の繁栄のために政略結婚が必要』と言っていた。それのことだろう。


(政略結婚すらできないなんて追い出されるのも当たり前だわ)


 メイリア自身の荒い息遣いが耳の奥から聞こえてくる。肩ごと体が震え、藻掻くように呼吸がどんどん浅くなっていった。

 息苦しさから解放されたくて咄嗟に服の胸元を握りしめる。


 セルデンのついた嘘は、メイリアにとって耐え難い苦痛を生んだ。


(失望、された)


 たとえ一週間に一度しか会えなかったとしても。

 家事をすべて放り投げられても、鞭で打たれるようになっても、メイリアは我儘など一つも言ったことはなかった。


 それなのに、罰を与えられるでもなく存在が必要とされなくなった。

 愛する唯一の家族に要らないものとして捨てられた。


 大粒の涙が溢れ出しそうなほど溜まっていく。


(戻りたい。帰りたい)


 メイリアの脳裏に過ぎるのは、あたたかな家族の時間だった。


 今よりももっと質が悪く平凡な服で着飾りながら『愛している』と両親に抱き締められている。

 そんな三人家族の肖像画を絵の得意な古い友人に描いてもらった。


 あの時はメイリアの瞳に映る世界すべてがキラキラと輝いて見えていた。


 しかし時間が経つとリビングの壁に飾られてあったそれは、いつからかメイリアの部屋の壁に収められている。


「なんとか、しなくちゃ。愛する家族の役に立たなくちゃ」


 虚空を見つめ、怒りでも悲しみでもなく淡々と狂気めいた声色で呟く。


 過去には確かにあった家族の愛というものに、メイリアは歪なほど囚われていた。





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