6.大きな手のひら
レイは満足気に引き出しの付いた机の方へ進み、前に置いてある背もたれのある椅子に座った。
抱えていた本を改めて一ページ目から捲り読み始める。
「……」
メイリアとセルデンもそれに続き体をそちらへ向けた。
机の上には日付の古い新聞が積み重ねられ、広げられたままのスクラップノートにはとある新聞記事の切れ端がまとめられている。
最近新聞で騒がれている"騎士と王女の物語"の一連の出来事についてだ。
内容をよく見ると、二人の恋愛を仄めかすようなものばかりが集められていた。
その中でもセルデンの一際目を引いたのは『騎士候補試験の身分確認が消える』という文章だった。何度も読んだことのある新聞の記事だ。
それでも確かめるようにその部分に触れる直前で手を止める。
「……」
スクラップノートに対して関心を隠しきれないセルデンに、わくわくとした感情がメイリア胸にわいた。
「私、騎士様と王女様のお話が好きなんです!」
メイリアは居ても立っても居られず、スクラップノートを手に取りセルデンの目の前へかざした。
少しのけぞる形で向かい合う。
メイリアと近くで見つめあい、隈に見えていたものが下まつ毛だったことをセルデンは初めて知った。
「……俺も好きです、ロマンチックで」
「セルデン!分かってくれますか!」
メイリアの表情がより一層パッと明るくなる。
二人の距離はさきほどよりも一歩近くなった。
重く切りそろえられた前髪でより一層暗かった目も光が入ると烈火の如く艶やかな赤が輝いた。
「ただここは意見が分かれるところで……高尚な主従の話にも見えるそうです」
メイリアは嬉しそうに難しい顔をしながら、親友のアンロに言われた言葉を一字一句思い出していく。
『だから少年は王女の騎士になったし娘を守ってもらった王様は身分の改正をした。これは高尚な主従の物語よ』
一度は納得したその話に、違和感を覚える。
(あれ?アンロが言う高尚な主従って騎士様と王女様のことじゃないの……?)
王女の気持ちや考えはどこにもないことに、ふと気が付いた。
「それもロマンがあって素敵ですね、憧れます。 ではこの壁に飾られているのも騎士様と王女様に関するのものですか?」
表情が陰りだしたメイリアの気を逸らすために、セルデンは話を変えた。
「あ……壁のものは……忘れないようにしていることとか、その時気になったものを飾っているので統一感がないんです」
「へえ……」
家族三人揃った肖像画。社交界で一時期話題だった人気店のドレス注文書。絵本から破られたと思わしき絵のページ。
沢山飾られているそこには、セルデンとレイ、そしてメイリアを結ぶ"魔法を用いた裏切らないという誓いの契約書"もあった。
金色の額縁の中に収められたそれは、鮮血の色をしていた文字が黒くかすみ読めなくなっていた。
「―――!」
セルデンの喉がゴクリと音を立てる。
これがなくなれば何に縛られることもなくなる。探していたものがこんな簡単に見つかるとは。
「これは、つい……」
隣に並ぶメイリアが消え入りそうな声で呟いた。
「セルデンとレイが来てくれたのが嬉しくて……つい飾っちゃいました」
「……飾ってもらえて嬉しいです」
「ふふ。これからもよろしくお願いしますね?」
「はい」
人好きする笑顔でにこやかにセルデンは返事をした。
*
翌日の夜、埃臭い地下の部屋の中にメイリアは両親といた。
愛する家族のため、何をすればいいかはいつも分かっていた。
自分ができることは限られていて、それしかできないのなら、それが役目ならば自分の心なんて要らない。
メイリアはただ時が過ぎるのを待ち、空虚を見つめていた。
「……うっ……」
母親に背中から滴る血を布で強く押さえられ、思わず声が出る。
メイリアの父親は濡れた鞭を白い布で拭いながら、ほころんだ表情を見せた。
「メイリア。お前があの方と結婚を受け入れてくれて嬉しいよ。今回は罰が少なくて済んだ」
「私も嬉しいです」
メイリアも笑顔を返す。
「申し訳ないがお前の侍従は下げて、家族水入らずのディナーにしようか。着替え終わったら来なさい」
そう言って一足早くこの部屋から出ていく両親の後ろ姿を、メイリアは見ていた。
今日は金曜日。待ちにまった特別な日。
有名店のシェフを呼んで家族で豪勢なディナーを食べると決めた日。
昨日みたいに別で夕食を摂ることは許されない。
(いつもよりは少ない。大丈夫)
ドレスが擦れて背中が痛む。ぎこちない動きを気にすることなく階段を登り夕食の席についた。
テーブルには、まるまると焼かれたチキンや野菜がたくさん入ったスープを始め、珍しい材料を使ったデザートなどが食べ切れないほど乗せられていた。
食欲の湧かないメイリアは、食べ物をがつがつと口に詰めていく両親の姿を微笑ましく見つめる。
「そういえばお前の侍従たちはどこに寝泊まりしてるんだ?」
「私の書斎を模様替えして使って貰ってるわ」
「そうか」
「茶髪の子が特にかっこよかったわよね。後で連れてきてよ」
フォークを宙で回しながらメイリアの母親が笑う。
セルデンは今日の午後、紺色の帽子を被り元奴隷の店へと出掛けたきりだ。
なんでも『間違えて持って帰ってきたものを返しに行く』らしい。
勿論、メイリアは心地良く見送った。
それとは別に今の状況に嫌な予感がした。
必要以上に興味を持たれ罪を犯した所が見つかったら、セルデンも罰を受けてしまうかもしれない。
(あまり、興味を持たれないようにさり気なく断らなくちゃ……)
ケーキを一口食べて、何もないかのように振る舞う。
「彼は用事があってまだ出掛けてるの。明日はどう?」
「残念ね、明日はまた出掛けなくちゃいけないのよ」
「そうだ、また暫く帰ってこれないからメイリアに土産を買ってきたんだった」
無事に話が流れほっとするメイリアに、父親から小さな包みを手渡される。
中身は紅茶の茶葉が入った見たことのない銘柄の缶だった。
「わあ……」
メイリアは缶の蓋を開けて香りを嗅ぐ。
どっしりとした甘い果実の後に続く涼しさを感じるほどの爽やかさが鼻孔に広がった。
「凄く嬉しい!」
「せっかくだから、後で侍従たちにも分けて飲みなさい」
「いいの!?」
「勿論だ。お前の大切な侍従だろう? そうしたら私達にとっても大切だよ」
さっきまで鞭を握りメイリアをいたぶっていた大きくゴツゴツとした手のひら。
その手を使い、メイリアの父親はメイリアの頭を何度も撫でる。
全ては不器用なだけなのだ。
将来を憂い結婚相手を探してこうして見つけてきてくれる。
時には厳しい面があっても、それは全ては愛しているから。
(貴族になってからお父さんもお母さんも少し変わったけど、それでも……)
爵位を授かったものの両親が貴族社会に溶け込められていないのは、メイリアですら分かっていた。
家族の形が少し歪になった理由もそれだと認識していた。
メイリアは、愛おしそうに黒い瞳を細める父親に抱きつく。
「お父さんもお母さんも大好き!」
ダイニングには楽しそうな微笑ましい笑い声だけが響いていた。