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難破船 ー 後 ー

 しばらく風は吹かないだろうと大巫女が言ったその朝、大島から来た商人と集落の男たちはカユカラを大島にある王府へ捧げるためハルサの家の前に集まった。


 ハルサは戸の前に立ち塞がったが、大勢でやってこられてはどうにもならない。

 ことはハルサだけでなく、ハルサの実家や、姉が嫁いだ先にも関わってくるのだ。


 男たちはハルサを突き飛ばすようにして家の中へ入ったが、そこにいたカユカラをどうしてもかごの中に入れることができなかった。

 おそろしく重かったのだ。


 神の使いである白蛇に手荒な真似はできない。どうするかと相談していたところへ、大巫女がやってきて言った。


「この蛇は神であるのだから、人が思うようにすることはできない。ハルサにかごを持たせて、ハルサに王の前まで連れて行かせなさい」


 ハルサはこれを聞いて平たいかごいっぱいに花を敷き詰めた。そしてそれをカユカラの前に差し出すと、カユカラは嬉しそうにかごに入って花に埋まった。


 こうしてハルサは王府へと行くことになった。







 その頃、王府では王とその妻、そして王神女たちが毎夜夢にうなされていた。


 銀の髪と真珠の肌した精悍な美しい男が夢にあらわれ、王たちの前で一段高い場所に寝転び、「困ったことになった」と淡々と話すのだ。何も困ってなどいないような顔で。


「お前たちはこの土地に住まうことを許されている。我々はお前たちにとってのここが楽土となるように様々なものを与えている。だが我々はお前たちに何もかもを許しているわけではない」


 そしてどうでもいいような様子で寝転んだままの姿勢で告げる。


「もうすぐお前たちの元へ我ら一族の娘がやってくる。娘の自由を奪い、お前たちに貢ぎ物として捧げるために不埒者たちに連れられて。せっかく気持ちよくいたものを、気に入りの男から奪おうとしたそうだ」


 王たちは青ざめてだらだらと汗をかき、顔も上げられずにいた。


「気に入りの男が持ったかごの中に入ってやってくる。丁重に扱え。娘もその男も。他の不埒者どもは生かしておかぬそうだ。関わりある者らも心を入れ替えぬ限り命はない。そなたたちもせいぜい気をつけよ」


 そして冷たい目で見下ろされる。


「金があるからといって何をしても良いものではない。権力があるからといって何をしても良いものではない。ゆめ忘れるな。要らぬものは要らぬ」


 その言葉を最後に王らはびっしょりと汗にぬれて目を覚ますのだった。






 今日の謁見の中に、『白蛇の献上』があると聞いて王は体を震わせた。


 要らぬものは要らぬ。


 多くの島を治め、王神女たちを取りまとめる(いつき)姫を妻に持つ彼でさえ、足りぬ、至らぬとなれば要らぬ。

 そう言われているような気がした。


 夢の話は妻と王神女たちとしか話していない。


 離れ島の集落からやってきたという男たちがひれ伏し、城下の商人がその前で得意げな笑みを浮かべている。

 隣に並ぶ妻と、官吏とともに控えている王神女たちの目がぎらついて、王自身も、この裕福で名を知られた商人を衝動的に殺したくなった。


 商人の合図で1人の男が前に出てきて、平かごに被せられた布を取った。


 そこには、平かごいっぱいに敷き詰められた赤花仏桑華と、その上で丸くなる真珠色の蛇があった。

 とても生き物とは思えない美しさに、つくりものではないかと誰もが思った。

 そのつくりものめいた蛇が顔を上げた。


 赤い瞳に見つめられて、王は息が詰まるような気がした。

 これが何か、自分が何をするべきかわからないで、この島で王は名乗れない。


「その蛇は神の化身である。神のいるべき場所を人の身で決めることはあってはならない。神は神の望む場所にいるべきである」


 商人はこれに驚いて声をあげようとしたが、それはできなかった。

 その場に固まったようになってしまった商人たちをかまわず、王は続けた。


「蛇の神に気に入られた男、望みはあるか」


 ハルサはぼそりと「何も」と答えた。


「カユカラと静かに暮らしたい。あとは何も」


 あの蛇はカユカラというのか、と白蛇に目をやった次の瞬間、蛇の体がゆらりとゆれて、蜃気楼のように美しい1人の女が現れた。


 長い黒髪、輝くような白い肌。

 形の良い眉、切れ長の黒目がちな瞳、蠱惑的な唇。

 大きな胸とくびれた腰、形の良いずしりと重たげな尻と、着物からのぞく細い足。


 ただ美しいだけでない、生命の味わいと性の喜びを形作ったかのような、あふれこぼれんばかりの花の蜜のような女。


 着ているものは離れ島からきた男たちとそう変わらない。

 強い日差しと潮にくたびれた、丈の短い、身分の低いものの着るものだ。


 王は椅子から腰を浮かしかけた。

 あれが欲しい。


 正気に戻したのは隣の妻だ。

 着物の袖を引かれて見れば、青ざめた顔で小さく首を振る。


 試されているのだ、と気がついた。


 お前は「要る」ものなのか、と。


「船を用意せよ。この者を神とともに島へ返せ。そして褒美をとらせ」


 ハルサは驚いたような様子で顔を上げ、そして再び頭を垂れた。





 謁見の後しばらくたって、王は官吏たちと話していてあの女神の姿を見たのが自分と妻、そして王神女たちだけだと気がついた。


 城下の商人とその家人は病に倒れた。

 使用人たちや離れ島から来たものたちも同様である。

 苦しんだ挙句に次々と死んでいったが、一部のものは回復した。


 その者たちが一様に口にすることがある。

 夢を見たというのだ。

 夢の中で誰かがこう言う。


「金があるからといって何をしてもいいと思うな。権力があるからといって何をしてもいいと思うな」


 その言葉の意味を理解した、と思ったとき、夢から覚めて病は癒えていたのだと。


 話を聞いて、王はひっそりと息をついた。

 神から要らぬとだけは、言われたくはないものだと。








 ハルサの住む集落の端、誰も滅多に訪れない海岸に、大巫女は島の集落の代表者を集めていた。


 ハルサが大島へ向かってしばらく経つ。

 そろそろ王府についた頃だろうか、と何人かは話していた。


 それはとても晴れた日で、美しい雲が龍のように形を作る夏の空。


 突然、雷が晴天の中海岸に轟いて落ちた。


 誰もが一瞬体を伏せ、そして上げたときそこには一体の巨大な白龍がいて、その白龍とともに1人の男が立っていた。

 ハルサだった。


 王府の外へ出てすぐ、カユカラがカゴから出てきてハルサの腕に絡みつき、体が浮いた、と思った次の瞬間にはハルサは大音響とともにこの海岸にいた。


 そばの白龍の優しい顔を見上げると、白龍はふわりと乙女の姿を取った。


 長い黒髪の、白い肌の、この世のものとも思えぬほど美しい乙女。


「ハルサ。おまえ様」


 微笑まれて、ハルサはこの乙女がカユカラであると理解した。


「ああカユカラ、俺のカユカラ」


 大巫女は2人の結婚を祝福し、この海岸を神域とした。





 ハルサとカユカラの間にはたくさんの子どもが生まれ、2人はハルサの終生仲良く暮らした。

 カユカラは年を取らない様子だったが、ハルサは普通に年老い、孫やひ孫に大勢恵まれて死んだ。


 カユカラはハルサの死を悲しむでもなく、その遺体を抱いて柔らかく微笑みながら龍の姿を取って天に登っていった。ハルサとともに。


 2人の墓は作られなかったが、小さい子どもたちの中から選ばれて、神域に花を届ける役目のものが出るようになった。

 神域には日照りの日も枯れない泉があり、そこの水で届けた花を洗っていたが、そのうち窪んだ岩に泉の水を入れて花を浮かべるようになった。


 これを集落のものは花手水と呼んだ。


 2人の子孫は今も浜の前に家を建て、畑を仏桑華の木で囲んで暮らしている。







 時折、神域に白い龍が姿をあらわすことがあるというが、巫女以外その姿を見ることはない。


 浜には今も、たくさんの花が流れ着き、そして沖へと流されていく。


 ハルサは天の楽土へと行ったのだと、人はそう噂した。





                       ー 了 ー


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