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難破船 ー 前 ー

閲覧注意。

活動報告に注意書きがあります。

そちらを読まれた上で、この話を読むかどうか判断をお願いいたします。

勝手なお願いで申し訳ありません。

 熱風が体を打った。


 夏の強い日差しは草木の成長を勢いよく促す。

 熱風は草木の間を這うようにやってきて、ハルサの逞しい体に絡みついた。

 海岸へと続く細い道は、とどまることを知らず伸び続ける草に左右から隠され、ほとんど獣道のようになっている。


 湿気とともにむわりと取り囲む草の青い匂いが、自身の体臭と混ざって不快さを増す。


 こめかみを伝う汗が気持ち悪い。

 背中に張り付く上着が、汗ばむ腕が気持ち悪い。

 道の両端から迫る草が肌にさわるのを、ハルサは筋肉のついた太い腕で軽くよけながら上り坂の道を進んだ。


 ハルサは今年15になる。

 身長にも体格にも恵まれ力も強かったが、そのかわりのように口下手で、人付き合いが苦手で友人も少なかった。


 当然仲の良い娘などいるはずもなく、集落の若者は早いものだともう将来を言い交わしている者もいるというのに、ハルサには浮いた噂などこれまで一度も出なかった。


 坂道を登りきると今度は下り坂になっていて、その先は海岸と少しばかりの砂浜が広がっている。

 登り切ると同時に、これまで遮られていた潮風が吹いて、ようやく得た自由に喜びの声を上げている。


 吹きつけてくる爽快さにひと心地を感じながら、ハルサは沖に目をやった。


 今日は大潮の日だ。


 沖にはしばらく前に岩礁に乗り上げて放棄された難破船が現れていた。





 この辺りの海は珊瑚が複雑な地形を作り、漁師の案内もなく海岸に近づこうものならあっという間に岩礁に乗り上げて身動きが取れなくなる。


 水の存在が感じられないほど透き通る海なのになぜ、と船員たちは口を揃える。

 まるで魔物に引き寄せられたようだと。


 沖の難破船もそういう船の一つだった。


 船底に穴が空き、船体のほとんどが海に沈んだ船。

 通常は舳先がほんの少しばかり見えるだけだが、大潮の日、引き潮の間だけはその姿が現れる。

 いずれは朽ちて嵐に姿を消すだろうが、難破したばかりの今はまだしっかりと船の形を残していた。


 遠浅の海を、ハルサは急ぎ足で船へと向かう。


 背中に背負った荷の中身を思って、ハルサの心は浮きたった。


 背中のかごには果物と野菜、そして島にさく色とりどりの花がこれでもかと詰め込まれていた。

 喜んでくれるだろうか、食べてくれるだろうか、次行く時まで足りるだろうかとハルサの思いは尽きない。


 ハルサの心は、沈んだ船の中で待つ友のもとへと旅立っていた。







「カユカラ、食べ物を持ってきたぞ」


 言いながら、ハルサは難破船の中に乗り込んだ。

 海の上は涼しく、過ごしやすい。島とは大違いだ、とハルサはいつも思う。


 難破船の奥から、ずるり、と何か這い出す気配がした。

 カユカラだ、とハルサは嬉しくなった。


 奥の船室から白い小さな頭が顔を出した。


 真珠のうろこ。

 赤い瞳。

 細く二股に分かれた舌。


 カユカラは蛇だった。


 白く小さな蛇。


 潮に濡れた床に、ハルサは果物と野菜を並べる。

 青パパイヤ、パイナップル、島バナナ、蕃石榴(グァバ)

 床を這ってきて、カユカラはふんふんと匂いを嗅ぐ。


 ハルサは思わず笑みを浮かべた。





 カユカラは蛇だ。

 神の使い、白蛇。


 この辺りでは見たことのない蛇だから、おそらく大島かどこかから船に隠れてやってきたのだろう。

 ハルサがカユカラを見つけたのは偶然だった。


 いつもは海に出る兄と畑仕事を交代した去年の冬の入口、潮干狩りで遠浅の海を沖のほうまで歩いたときだ。


 あの船の沈んでいるあたりまでなら行ってもいい。

 だがそこで四半刻(約30分)以上は過ごすな。


 そう言われて貝や海藻を採っていたが、ふと気になって船の中を覗いてみた。

 そしてそこにカユカラが白い体を輝かせていたのだ。


 カユカラは人の言葉がわかるようだった。

 カユカラ、と名付けたのはハルサだ。


 カユカラはハルサの荷物の中の、飲み物がわりの椰子の実にひどく興味を持ったようだった。

 ハルサが椰子の実を取り出すと、どうやって穴を開けたのか実の中に頭を突っ込んで中の汁を飲み出した。


 これは普通の蛇ではない、そう思った。


 もしも普通の蛇なら、この船の中でいつまでも生きてはいないだろう。

 この日から、ハルサは大潮の日にカユカラに島の食べ物を届けるようになった。






 カユカラは動物の肉を食べなかった。

 魚すら食べず痩せ細っていた。

 代わりに果物や野菜を食べた。

 ハルサに会うまではこの船で、流れ着く海藻を食べていたようだ。

 ハルサはこの美しい、穏やかな生き物をすぐに好きになった。


 真珠色の肌も、蛇いちごのような赤い瞳も、何もかもが好きだった。

 本当なら島の巫女に話すべきなのだろう。

 だが誰かに話すとどこかへ行ってしまう気がして、カユカラのことは誰にも言わずに胸の内にしまっていた。


 果物を割って渡すと、シャクシャクと食べる。

 その姿がなんだか嬉しそうに見えて、ハルサはいくらでも食べさせてやりたくなるのだ。


 食事が終わると、ハルサはカゴの中からたくさんの花を取り出した。


 花の種類は時期によってさまざまだ。


 今の時期なら、有明葛(アラマンダ)、大胡蝶、印度素馨(プルメリア)、風鈴仏桑華。

 三段花や仏桑華ならば一年中咲いているので、それも。


 野菜や果物はもちろんだが、カユカラは花の土産もことのほか喜んだ。


 蛇に感情などないと普通なら言うだろうが、ハルサにはわかった。

 カユカラは花の贈り物を心から喜んでいた。


 その日、四半刻が過ぎる前に陸へ戻ろうとして、ハルサはカユカラに手を伸ばした。


「一緒に島へ行かないか、カユカラ」


 今は夏。

 今年は運よくこれまで無事だったが、じきに大風が島にやってくることは避けられない。


『今年の風は少ないよ。かわりに大きい。大きくて強い風が吹く。冬が終わって夏になったら、しばらくは問題ない。でも夏の暑さが盛りになる頃には気をつけなきゃいけない』

 今年の初めの占ではそう出ていた。


 そして今朝、島の大巫女がそろそろ風が吹くと言っていたそうだ。

 だから、俺の家へ来ないか。


 カユカラはしばらくハルサを見上げて、それから伸ばされた手にするりと絡み付いた。


 ハルサはカユカラのひんやりとした体温を腕に感じながら、喜びとともに家へ帰った。

 船にはたくさんの花が残され、潮が満ちるとともにさらに沖へと流されていった。


 カユカラは、ハルサの家に、島の上に招かれた。










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