真南風 ⑩
赤子はイジュと名付けられた。
朝、聖域からトウンジに抱かれて子供2人だけで集落に戻ったが、母を恋しがって泣くような事もなく、兄とともに親族の女たちの手に預けられた。
マハエを魔物として捕まえようとしていた下級役人の男は、その日のうちに大島へ行く船に乗せられたが、途中ひどい嵐に遭ったそうだ。
船はぼろぼろになりながらも大島の港に着いたが、男の姿は船にはなかったという。
船乗りたちの手によって海に放り出されたとも、ある日突然おかしくなって海へ身を投げたとも言われているが、真相はわからない。
島の上級役人はトウンジに目をかけ、賢いこの子供を教育し、3年後に大島へ戻るときには一緒に連れて行った。
妹のイジュは一緒には行かず、親族からは離されて島の神域で巫女たちに育てられた。
後年、トウンジが王府のある都で元服したさい、後見人である上級役人よりも地位が上のものが『自分が名付けよう』と名乗り出た。
しかし上級役人はこれを母であるマハエとの約束を持って断る。
すると相手は怒ったが、生まれ島の巫女でなければ認められないとして退けた。
相手はトウンジを自分の下に入る名前、トウンジとの相性が悪い名前をつけていいように使おうとしたものだが、この企みが明らかになってその人物は失脚した。
無事成年を果たしたトウンジは、離れ島の大巫女より諱を与えられる。
そして上級役人により推薦を受けて王府で働くようになった。
同時期にトウンジは生まれ島に残した妹のイジュを都に呼び寄せる。
イジュは母親に似て美しい娘であったため、妻にと求めるものは多くいたが、トウンジは妹が成人するまで仲良く暮らし、成人したのちは王神女のもとに送った。
その後トウンジは官吏の地位を上り詰め、美貌の宰相として王のそばに侍った。
当時の人物としては長く生きた彼は、老いてなお優れた才と洞察力で王家を支えたという。
今、彼は王府の近くで眠りについている。
生まれ島へ帰りたいか、と訊かれたときに返した最後の言葉は、『生きて生きて、生き抜いてここへ来た。なぜにまた初めへ戻ろうか』だったという。
ふた親への未練に泣くこともなく、振り返ることなく生きてきた彼の心の在り方は余人には計り知れない。
心の冷たい、物事に感情を動かさない人物であったという逸話も多い。
だが、生まれ島の税が軽くなったことや、横暴な役人が派遣されなくなったこと、賄い婦などの習いが無くなったことは、間違いなく彼の実績であった。
離れ島の巫女たちは政府によって守られている。その神域も含めて。
これもトウンジの手柄であると、島では彼の生まれた冬至の頃になると巫女たちが海に花を流して礼を尽くす。
花は波にさらわれ、いつか海の底、母なる宮まで届くだろう。
そこにはトウンジとイジュの兄妹が、2人の両親や血族とともに暮らしていると、そう信じられている。
ー 了 ー




