真南風 ⑥
浜下りから戻って以来、マハエは体調が良くないようであった。
少し動いては休み、また動いては休む。
夜布団に入るのも早く、朝は具合が悪そうな様子で起きてくる。
腹に子がいる中、海の水に浸かって人の形をとり続けること、人の悪意に触れ続けることは思いのほか厳しく、体にこたえたようだった。
ある朝、日の出とともに起きたアタラは、家の外へ出て潮の強い匂いを嗅いだ。
珊瑚が子を産んだのか、と漁へ出ようか一瞬迷う。
マハエの体が心配で、海へ出ない日がもうずっと続いている。
ましてやマハエは、つい先日女の子を早産で産んだばかりだ。
すると後ろから赤ん坊を抱いたマハエが声をかけてきた。
「大丈夫だから、行ってきて。2、3日のうちに浜に珊瑚の卵が届く。そうしたら、また元気になるから。トウンジのために美味しい魚をとってきてね」
いつものマハエの笑顔だった。
そうか、とアタラは家のことをマハエにまかせ舟を出した。
今日は大漁の予感がする。
アタラはその日、たくさんの魚と、潜ってとった海老や貝を土産に浜へ戻った。
家ではトウンジが大喜びで出迎えてくれる。
マハエはまだ体調が良くないようだったが、赤ん坊に乳をやって幸せそうに笑っていた。
自分たちで食べるぶんを別に、アタラは世話になった実家や兄・姉たちの家を回った。
どの家でも喜んでくれたが、実家で一番上の兄がほっとしたように息を大きく吐き出して言った。
「助かった。これでお役人様に恥ずかしくない食事が出せる」
ここしばらく、漁で不作が続いている。
海の様子が悪いわけでもなく、全員がというわけでもない。ただ幾人か魚がとれないものがいるのだという。
いつもと同じに漁ができている兄たちの元へ、大島から来た下級役人の家に魚を渡すよう話がきた。
だがそういつもいつもいい獲物が手に入るわけではない。
どうしたものかと悩んでいたと聞き、アタラはまだ生きていた海老も兄にやった。
また明日も海に行ってくるから、と言い添えて。
次の日、マハエは夜中に目を覚ました。
思ったよりも、卵が流れ着くのが早い。
戸を開けて外へ出ようとしていたところへアタラの声がかかった。
「マハエ、浜に行くのか?」
「卵が届いたようだから」
「一緒に行くよ」
「大丈夫、それより赤ん坊とトウンジが起きたらお願いね」
「ああ、気をつけて」
マハエは時々、浜に届けられた珊瑚の卵を食べに夜出かける。
珊瑚の卵には海の力が込められていて、マハエのために特別な卵が届くのだそうだ。
一度、一緒に浜へ出たアタラが自分も食べていいかと尋ねたが、『人には食べて良いものといけないものの区別はつかない』と笑って返された。
そのとき、薄桃色の美しい卵をひとつ渡され、これなら食べてよいと言われたが、口にしたそれはただしょっぱいだけのあまり美味しくはないもので、顔をしかめたアタラを見てマハエは笑っていた。
人魚には栄養なのだそうだ。
ひとつ摘んではぷちり、またひとつ摘んではぷちり、ぷちりと薄桃の卵を食べるマハエの様子は色めいて美しく、本当にこの美しい女が自分の妻なのかとアタラは嬉しいような恐ろしいような、本当は全て夢なのではないかと不安に思うこともあった。
だが今は2人の間には子供がいる。
トウンジと赤子は2人の間の確かな絆で、そして愛おしい我が子であった。
アタラはもう以前のように不安に思うことはない。
3人の大切な家族を守る、それだけがアタラの考えるべきことであった。




