暗躍する影
文化系のクラブのために設置されている部室棟の一番日当たりがよいところに、新聞部の部室はあった。週に三回、各教室に貼り出される壁新聞型のものを発行するのが役目であったが、三宅に言わせると、それはあくまでも「表の顔」に過ぎないという。
「――するとなにかい、君らの一番やりたいことっていうのは、学校内のゴシップをつかむことなの?」
「その通り。むしろ、それこそが我が新聞部、百十七年の伝統ってものです」
「よくもまあ、先生に怒られないもんだ」
「そりゃそうですよ、そもそも顧問がいない上に、学校内での報道の自由が校則で認められてますからね……」
驚く佐原をしり目に、三宅は愛用のマグカップを片手に、自信満々といった顔をしていた。
「……ここ二十年の間でずいぶんと様変わりしましたけど、この学校の生徒は基本的に、上流階級の出が多いんです。そういうご身分となれば、あたしみたいな一般人がなんとも思わないようなことが問題になりかねない。そこを面白おかしくつついてきたのが、我々新聞部。時々、怪文書形式で号外を出しては、学校中をあっと驚かせてきたんです」
「他人の不幸は蜜の味……。だが、それがなんとも甘美なお味なワケなんやなあ」
「イグザクトリィ……!」
「ときに三宅デスク、今までにどないな特ダネをフライデーしてきはったん?」
部室備え付けのカップでインスタントコーヒーを飲みながら、鴨川浮音が三宅に問いかけた。
「そうですね、ここ五年の間だと、一部の女子生徒の間でアイドルグループのチケットがやや恐喝まがいに取引されていたとか、空き教室で繰り広げられた賭けトランプ。あとは……」
そこまで話していた三宅は、突然、驚いたような顔をして、あたりを見回した。曇りガラス越しの廊下を、よそのクラブの部員と思しき生徒が箱を抱えて歩いて行った。
「――ふう、びっくりした。てっきり先生かと思って……これ、先生たちの前じゃタブーなんです」
「あら、いったいなんなんですか」
副級長が三宅に尋ねると、彼女は奥の戸棚から「保存用」と白いインクで書かれた黒表紙のファイルを取り出し、あるページを開いた。
「なんや、第一級の秘密でも眠っとるんかいな」
脇から覗き込んだ鴨川浮音が、紙面を指で指した。それは、壁に貼り出してあるものや、新聞部員説くところの「号外」を縮小印刷した綴じ込んだものだった。
「あっ、気を付けてくださいよ。これ一冊きりなんですから……」
指を払いのけて、三宅が露骨に嫌そうな表情を見せたので、ゆかりがその訳を問い詰めた。すると、少し間をおいてから、
「――もう、五年近く前の話になるんだけどね。新聞部始まって以来と言われた大スクープを手に入れた先輩がいたの。そのスクープっていうのが、」
「当時の理事長直々の裏口入学斡旋、ってわけやな」
綴じ込まれた号外を見ながら、鴨川浮音はなるほど、といった表情を浮かべている。
「ええ。その確たる証拠をつかんだ先輩は、写真なんかもふんだんに入れたこの号外を徹夜で刷りあげて、翌朝には屋上からばらまこうと考えた。ところが……」
「ところが……なんですか?」
摩子が肘で三宅をつつくと、彼女は口を引きつらせながら、
「どうしたことか、号外はばらまかれず、これ一枚を残して廃棄処分。先輩はしばらくして、理由も告げずに退学してしまったの。自主退学って話だったけど、もっぱら、学校側が圧力をかけたってウワサよ」
「なんだかクサい話やねえ」
カップの中のぬるくなったコーヒーを飲み干すと、鴨川浮音は三宅から縮刷版を受け取り、しばらくの間、紙面に目を通していたが、
「――三宅さん、これ、何年分入っとりますのん?」
「かれこれ八年分、今年の四月発行のまで入ってますよ」
「まるまる一冊、コピーとらせてくれまへんか」
「ええ、構いませんよ。なんなら、デジタルデータにしときましょうか?」
「その方が都合がエエな。これあげるから、書いてあるメールアドレスに送っといてや」
袂からアルミニウムの名刺入れを出して、中の一枚を三宅に渡すと、鴨川浮音は佐原に耳打ちをした。そして、ゆかり達の方を向くと、
「ちょいと、急用が出来たわ。僕らはこれでドロンするよって、あとは任せたわ。校長先生によろしゅうお頼もうします……!」
それだけ言い残すと、鴨川浮音と佐原有作の二人は、部室棟の廊下をつむじ風のような速さで駆け抜けていった。
「――いったい、どうしたんだろ」
学校を出てから、ゆかり達はずっと、鴨川浮音が慌てて出て行った理由についてあれやこれやと議論をしていた。なにか今度の事件に関する資料でも見つけたのか、それとも、単純に女子高生記者たちによるゴシップ合戦に興味をひかれたのか……。彼女たちの興味は尽きるところを知らなかった。
「でもさあ、あたしはあれ、今度の事件とは関係ないと思うなあ。だって、その時の理事長って、亡くなって随分経つんでしょ。まさか、幽霊がいるわけないし……」
摩子の言葉に、ゆかりが付け加える。
「それより、問題は私達を襲ったやつのことよ。鴨川さん、ゴシップにうつつを抜かす余裕があるってことは、もう見当がついてるのかしら」
「さあ、どうなんでしょうね……」
副級長が不安そうな顔をしながら返答すると、それきり、三人は会話が続かない状態に陥ってしまった。
そんな三人が無言の谷間から掬い上げられたのは、七条通の坂を下り、鴨川のほとりまでやってきた時であった。三人の眼前に、白いワンピースを着た、おさげ髪の少女が姿を現した。
「あれっ、佐伯さんじゃん。どっかお出かけ?」
合同授業などでよく顔を合わせる隣のクラスの少女に、摩子は声をかけた。
「ええ、そうなの。ちょっと、参考書を買いに行くところで……」
「さすが佐伯さん、一位の成績で入ってきただけはあるわね。摩子、ちょっとは見習ったら?」
ゆかりの指摘が痛いところを突いたのか、摩子は苦々しい表情でゆかりの顔をにらんだ。
「それより三人とも、制服姿でどうかしたの? もしかして……」
察しがついたのか、佐伯は少し伏目がちに、三人の顔を覗き込んだ。
「うん、またちょっとあってね。探偵さんを呼んで、直々に事情聴取」
「佐伯さんも気を付けたほうがいいよ。杖を持った怪しい女が、この辺をうろついてるみたいだから……」
摩子がゆかりに付け加えるように、両の手を幽霊のようにぶら下げて佐伯の前に迫った。
「こらっ、やめなさいよ摩子。ごめんなさい、怖がらせちゃって。そのうち、探偵さんたちが犯人を挙げてくれると思うから……それじゃ、またね」
軽く手を振ると、三人はそのまま七条の橋を渡って行った。あとには、ワンピース姿の佐伯だけが残された。
「――きっと、ねえさんだ」
地下ホームへ通じる階段を降りながら、佐伯はひとり、呟いた。そして、しばらく立ちすくんで考え事をすると、ポケットから徐に携帯電話を取り出し、相手を呼び出した。
「もしもし、ねえさん、わたし、智津恵よ。……これから、そっちに行っていいかしら?」