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彷徨える黒い魔女

 京都に行ったことがある人ほど、案外霊的な土壌の多い場所であることには気づかないものです。

 では逆に、住んでいる人はどうなのかといえば……。

「ねえ、いったいいつになったらここから離れるつもりなの?」

 体をなでるように吹き付ける春風に耐えかね、鷲尾ゆかりは欄干に頬杖をついてもたれている級友・竹井摩子の肩を揺さぶった。ところは京都、七条大橋のたもと。時刻はとっぷりと日も暮れた、午後十一時過ぎのことである。

「そうねえ……あの月を覆う雲が晴れるまで」

 ゆかりの疑惑に満ちた表情をものともせず、自信たっぷりに頭上の満月を指さした摩子だったが、肝心の月は絶え間なく流れてゆく黒雲のせいで、先ほどからろくに姿を見せていない。

「この調子じゃ、雲がなくなる前に朝が来ちゃいそうだわ。先に帰らせてもらうわよ」

「まあまあ、そう焦らず……」

 その場から離れようとするゆかりのブレザーの袖をつかんだ摩子であったが、反対にゆかりに引っ張られる形で引き寄せられてしまい、額を指ではじかれてしまった。

「なにすんのさっ」

 よほど痛かったのか、摩子がおでこを押さえながら声を荒げると、ゆかりは苛立ちまぎれに胸元から手帳を取り出し、

「――『学園生活の心得 第五条第八目、やむにやまれぬ事情がある場合を除き、防犯対策の観点から、生徒は午後十時までには帰宅すること』。いくら幼馴染でも、あなたのせいで犯罪にでも巻き込まれたら、末代まで恨むわよ」

 生徒手帳の校則を読み上げてから、ゆかりが自分に向ってじっとにらんだのが効いたのか、摩子はしばらく黙り込んでから、わかったよう、と気弱な声をあげて、足元に放り出してあった通学用の鞄を拾い上げた。その顔には、不満の色がありありと浮かんでいる。

 そもそも、竹井摩子が乗り気でない友人・鷲尾ゆかりを連れて真夜中の七条大橋へ足を運んだのは、ここ二か月ほど、京都市内の女子高生の間で話題を呼んでいるという、ある噂を確かめるためであった。

 三日ほど前、ゴールデンウイークが終わり、世間が再び慌ただしさを取り戻した日の昼下がり、七条通りの坂を東へ登った突き当りに校舎を構える私立の女子高・七条女子学園に籍を置いている二人は、その日もいつものように机を向かい合わせ、のんびりと雑談をしながら弁当をつついていた。最初は近々行われる、高校生活最初の中間試験に関する話だったのが、いつの間にか流行りのドラマ、音楽の話になり、気が付くと二人は京都市内に点在する心霊スポットの話を繰り広げていた。

「――で、それ以来、毎晩決まった時間になると、飛び降り自殺をした男の幽霊が、吹き抜けの真上からまた飛び降りようと姿を見せるんだって……!」

 日ごろお調子者のムードメーカーとして学年に知れ渡っている摩子が、芝居がかった調子で両の手を下げてゆかりに迫ると、ゆかりはわざとらしく怖がってみせてからクスクスと笑って、

「はいはい、お上手お上手。さすが元演劇部の竹井さんですこと……」

「なによう、こっちは真剣なんだからさあ。もうちょっと怖がってくれたっていいじゃないのさ」

「そんなこと言われても、こんなに可愛らしい幽霊じゃあ、怖がりようがないもの。ホラ、右の頬っぺた、ごはん粒ついてるわよ」

 慌てて右頬をさする摩子の姿をのんびりとした心持で眺めていると、背後から鷲尾さん、とゆかりを呼ぶ声がした。振り向くと、副級長の下田薫という少女がプリントの束を抱えて立っていた。

「悪いんだけど、ちょっとさばくの手伝ってくれないかしら。このあとの数学の自習プリントなんだけど……」

 白い絆創膏とガーゼが痛々しい薫の左手の中指と人差し指に気付いたゆかりは、口の中のおにぎりを無理やり胃に落とし、お茶をひと口飲むと、教卓の上で彼女の手伝いを始めた。

「ごめんなさいね、お昼食べてるところにお願いしちゃって」

「いいのよ、別に。それよりカオちゃん、今朝から気になってたんだけど、その怪我、どうしたの?」

 四枚組のプリントを選り分けながらゆかりが尋ねると、薫はあたりの様子を伺ってから、

「実はね、おとといの晩、転んだ弾みに切っちゃったのよ」

「そうだったの。骨折とかはしてないのよね?」

「うん、それは大丈夫。ただ、怪我をして帰ってきたから、お母さんたちにすごく怒られちゃって、お父さんには『変な噂に惑わされちゃいかん』って、きつく絞られたわ」

「噂? それ、どんなの?」

 ひと通りの選り分けを済ませたゆかりが尋ねると、薫は少し驚いてから、

「あら、鷲尾さん知らないの? 『七条大橋の魔女』、もっぱらの噂なのに……」

 どうやら知らないほうが少数派らしい、ということに気付いたゆかりは、噂の概要を尋ねてみることにした。

「そうね、確か二か月くらい前だったかしら、中学を出る少し前にはもう話題になってたんだけど……。ほら、学校から出て、三十三間堂沿いに降りた坂の下に、七条大橋があるでしょう? 夜中の二時にあそこで立っていると、全身黒づくめの、背の高い女がやってきて……」

「やってきて……?」

 話に引き込まれたゆかりは、プリントの束越しに身を乗り出して続きを尋ねた。が、薫の答えはあっけないものであった。

「ところが、肝心なそこから先がわからないのよ。いろんな子に聞いてみたんだけど、みんな知らないって言うばかりで……。だから私、この連休を使って、ちょっと確かめに行ってみたの。そうしたら、暗がりから走ってきた車の警笛にびっくりしちゃって……」

 そこまで話すと、薫は恥ずかしそうに、怪我をした方の手をあげた。優等生として名高い下田副級長も人並みに羽目を外すことがあるのかと思うと、ゆかりは思わず笑いそうになったが、怪我人の手前、グッと気持ちを抑えて、平静を保った。

「知らなかったわ、そんな噂があるなんて……」

「怪我をした人間として忠告しますけど、変な気を起こしちゃだめですよ。だいいち、夜は暗くて危険なんですから……」

「わかってるわよ。ほら、このプリントの山、早いところ配っちゃいましょ」

 と、そこで話は幕を閉じたかのように見えたが、実のところ、ゆかりは彼女からもたらされた「七条大橋の魔女」の一件が気になってしょうがなかった。そのせいで、次の自習時間はすっかり上の空になってしまい、四枚あるプリントの残り一枚を白紙のまま提出するはめになってしまった。

「ゆかりぃ、どうしたのさ。白紙で出しちゃうなんて、いつものゆかりらしくないじゃん」

 放課後、西日のまぶしい三十三間堂沿いの坂をゆったりと下りながら、摩子はゆかりに質問を浴びせた。幼稚園の頃からの付き合いであるゆかりの身になにかが起きるということは、自分自身にとっても一大事である――と、信じてやまぬ摩子にとって、ゆかりが時間内に課題を終わらせられなかったというのは、天変地異の前触れのようなものなのである。

「別に何にもないわよ。ただちょっと、時間の振り方を間違えただけよ」

「それじゃ聞くけど、どうしてさっきから目をそらすの? 知ってるよ、ゆかりがあたしに目を合わせてくんないときは、なんか隠してることがあるんだ、って」

 しまった、とゆかりが思ったときにはもう遅かった。摩子はゆかりの前に立ち、ニヤニヤと笑いながら腕を組んで、

「フフン、この名探偵マコにわからないことはないんだよ、ゆかりくん……」

 と、相変わらず芝居臭い調子で恰好をつけたので、ゆかりは少しあきれ顔で、

「……はいはい、参りましたよ、名探偵さん。洗いざらい話すから、それでいいでしょう?」

「ふむ、泥を吐く気になったな、ゆかりくん。では、もう少し坂を下ったところの、『アマゾン』で話を聞こうか。もちろん君のおごりでだね……」

「いい加減になさい!」

 悪乗りが過ぎる摩子の態度に耐えかね、ゆかりが雷を落とすと、摩子はすっかり委縮してしまい、名探偵のゆかりに捕らわれた犯人マコとでもいった様子で、トボトボと坂を下り出したのだった。


 次回に続く。

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