02.取引
おう、神よ、できることなら死んでください。
そう呪わずにはいられなかった。
「かあさま、見て見て!」
「まあ、アラン、綺麗ね」
俺の視界にピンク色のコスモスを手に持った、幼い手が映る。目の前には長いドレスを着た優しそうな女性が笑っていた。
どう見ても低い視界。中世ヨーロッパを思わせる服装、建造物。
そして知りもしない、ブードゥア王国、首都シュミネルという国名。
全てが真新しく、慣れないどころか戸惑うばかりだ。
どうやら俺は現代ではない、異世界に転生を遂げてしまったようである。
王政の貴族が牛耳る封建社会で、大貴族からスラムの住人まで貧富の格差が激しい世界観。
…それだけならどれだけマシだったか。
本当、あの神様とやらは厄介な世界に転生させてくれた。
現代の知識がそれなりにある俺は、当然そういう国の長所短所を知っているし、立ち回り方を考えることができるだろう。
しかしそれだけでは済まない点が二点ほどある。
回りくどいのは好みじゃないので、単刀直入に言おう。
【魔族】
聞き慣れないこのワード。例を挙げるとするならば、エルフ、ドワーフ、魔女、この世界の人間は、そういった類のことを、まとめて魔族と呼ぶ。
この世界には、人間より賢かったり強かったり長命だったりする高等生物が存在しているのだ。
正直その事実を知ったときは混乱してしまった。魔族なんていうのは空想上の生き物だと思っていた俺にとって、その存在や動き方、習性は未知数でしかない。
これからの生活に不安を覚えずにはいられなかった。
俺が考える横で、幼い手は母親にコスモスの花束を作っていく。
「かあさまに、これを差し上げます!」
「ありがとう。本当に優しい子ね」
そしてそう、これが二点目の問題点だ。
この少年(自分なのだが)、アラン・ジルベール=バルニエルは、この国の貴族の一人であり、実はこの少年、二ヶ月前まで大病で床に伏していたのである。
死にかけ、医者に今夜が山場だろうと言われていたところを、突然回復したのだそうだ。
なんだかあのクソ神様達の導きがあるような気がしなくもないけれど、ヘレンケラーよろしく、少年は右目の視力と左の聴覚を引き換えに、命を手にした。
もとい、死の淵から奇跡的な生還を果たしたのである。
……実のところをいうと、その右目と左の聴覚は、俺が使わせてもらっている。なんとも不思議なことに、俺は彼の右の視界と左の聴覚だけは扱えているのだ。
お分かりいただけただろうか。
俺は、彼の体に意識がある。にも関わらず、彼の体を自分の意志で動かすことができないのである。
たしかにこれじゃ自殺どころか、何もできやしないな。
それだけでも悪い情報なのに、もっと最悪なことがある。ーーアランと俺は意思疎通すらできないのだ。
何回か念じるように唱えてはみたが、なんの反応も示さない。…クソが。これじゃ何の意味もないじゃないか。
ずっとこの少年…アランの体に閉じ込められたまま過ごさないといけないのか?
俺はあの神様たちの魂胆で生まれ変わった筈だ。なのにただ彼の毎日を見聞きさせるだけとはどういうつもりなのだろう。
「かあさま!俺あっちのお池をみにいきたいな!」
「あんまりはしゃぎすぎて落ちないようにね」
母親が少し心配そうに言って、アランを追いかける。病み上がりなのを気にしているようだ。
それにしても、と思う。幾日も見ないうちに、この少年がいかが純粋かがよくわかった。
母を慕っていて、父を尊敬し、友を大切にする。そして毎日笑って駆け回っていた。
俺にはない感性で溢れかえっていて、なんというか、くすぐったい。眩しすぎる。
「わぁっ!」
言わんこっちゃない。アランは池に落ちはしなかったものの、道で転んでしまった。
不思議なことに、痛みは俺の方には伝わらないようだ。
ぐずって泣きそうになっているのを、周りの従者や母親が助け起こす。
半泣きをすぐに大きな笑みに変えて、アランは遊びだした。
「アラン、そろそろお腹が空いたでしょ?お屋敷へ戻りますよ」
「はい、かあさま!」
昼食の時間になったのか、母子は手を繋いで屋敷へと帰り始める。
ここは地方にあるバルニエル家の別荘で、母子の散歩する広い庭園(というか森?)から屋敷までは馬車で帰ることになる。この国には車などの移動手段はまだないのだ。
馬車は滑らかに広大な敷地を通り、小高い丘の上に建つ要塞のような屋敷にたどり着いた。外的から主人を守るように、または中から人を逃さないように、高い壁と堀が辺りを囲んでいる。
馬車の到着を見ると、吊り橋が金属の軋む重い音をたてながら下がった。
屋敷の前では、この屋敷では一番の高齢である執事、マクヒィーが待ち構えていた。
「若様!またそんなに泥だらけになさって!」
「…じいや」
アランがまさにうんざり、といった声を発する。
「すぐにお風呂に入りましょう!また風邪をひいてしまいますよ!」
「でも俺、まだ遊びたいよ…」
「でももだってもありません!昼食の後はすぐ勉強の時間が始まりますよ!」
「はぁい…」
名残惜しそうに母親を見て、アランは爺やに連れられて浴室に向かう。
遊び盛りとはいえ、アランはバルニエル侯爵家の後継者である。学ぶことは多いのだ。
一応言っておくと、この国の言葉をすぐに覚えることができたのは、ひとえにその勉強の時間があったことが大きい。
幼い子供であるアランはまだ英語でいうところのABCから習っていた。
元々頭の出来は悪くないので、アランの文字を見、必死にリスニングしているうちに大体の言葉の意味は理解することができた。
基本的にこの世界の貴族の子供は学校には行かず、優秀な家庭教師を雇って教育を受けさせる。要するに籠の鳥なのだ。
しかし公の場に出ることが多いので、勉強全般はもちろん、食事中の細かいマナーからダンスの仕方、音楽や剣術など、現代人には想像もできないほど多忙な習い事が待ち受けている。
それを毎日こなすアランも大したものだ。だが最近は病み上がりな為か、激しく動く剣術の授業は免除されている。
大病を患う前のアランは活発な子供であったらしい、剣術の授業がないことが大変不満のようだ。
「若様、こちらへおいでください。体が濡れたままでご昼食にはできません」
体を洗われて浴室から出ると、アランの専属メイドであるエマが体を拭いてくれた。
エマは若く見えるが、これでも十年以上この屋敷に勤めている由緒正しきメイドで、アランが生まれる前からチーフメイドとして頑張っていたようだ。(婚期は逃したらしい)
……元成人男性としては若くて美人な女性に世話されるというのはかなり気恥ずかしいのだが、これからこういうことは慣れていかなければなるまい。(ぶっちゃけ悪い気はしない)
エマは確か、先代のチーフメイドの引退時に、次期チーフメイドにと直々に指名されたという優秀なメイドだった筈だ。
つまり若くは見えるが結構なお年を召して…いや、これ以上言ったらダメだろう。
そんな俺の心情も知らず、エマは優雅な笑みを浮かべ、アランを食堂へと連れて行った。
食堂ではすでにアランの母親が待っており、テーブルの上に昼食が並べられていた。
「わあ、美味しそう!」
「お待ちくださいませ、若様」
エマがナプキンをアランの首につけ、スープに袖が浸からないよう捲っている間に、使用人の何人かがスープやパン、サラダなどの毒味をしているのが見えた。
貴族の食事ってかなり面倒だ。
食事といえば暗殺。それを警戒し、必ず毒味役がいるし、食べきれない量のものが出る。
余ったら大抵は使用人に下賜されるらしいんだけど、アランとその母親しか食べないのにこんなにたくさん出すとは…。
権威主義なのはいいが、いくらなんでもどうかと思う。いや、俺が貧乏性なだけなんだけど。
満腹になった昼食後、いよいよ勉強の時間が来た。
「若様、イネス先生がお待ちですよ」
「もうきてるの?」
「ええ。若様をお待ちです」
アランは見るからに不機嫌そうだ。どうやら、イネスという家庭教師が苦手らしかった。
いつも会うたびに怯えている。
「エマが先生になれないの?」
「私はメイドですから…」
「おねがい!一回だけ」
「若様は、イネス先生がお好きではないのですか?」
「その…えっと…イネス先生は怖いから…」
エマは困ったように笑い、アランを客用の正装へとお仕着せを終わらせた。
実際問題、彼女が家庭教師することは可能かというと、実は学力的な側面では問題ない。
エマはイネスが止むを得ず休んだ時や、アランが宿題をしているときに時々アドバイスしていた。
「イネス先生は怖い方ではありませんよ。ただ、学問を愛していらっしゃるから、厳しくなってしまうんです」
「がくもんを…?」
「はい。それに私は若様の先生になることはできません。身分不相応ですから…」
…この国は基本的に男社会であり、相続も基本的には男が優先的だ。男の務めは男が、女の務めは女が教えるのが習わしだ。
典型的な男尊女卑である。
準備を終わらせ、応接室の扉を開くと、いつもどおり、イネス=ベロンは無愛想な面を下げて机に座っていた。
アランを見るや否や、立ち上がって仰々しくこちらに一礼する。
「……若様。ご機嫌麗しゅう。早速ですが、本日の授業を始めましょう」
「はい、イネス先生」
「本日の授業は算数です。前回の復習から行きましょう」
残念ながら、アランは算数と語学の授業が苦手なようだった。
しかも、二桁同士のの足し算で躓くという苦手っぷり。正直内心苦笑いだった。
語学は隣国やその植民地の使う言葉を習うのだが、カタコトで一言もまともに話すことができないのだ。
しかしできないからといってイネスは叱ったり急かしたりはしない。
しばらく待って解き方のヒントを教える。愛想がないのが玉に瑕だけど。
「え、えっと…」
今日もアランは67+96でつまづいていた。筆算をするはいいのだが、手を使ってもなかなか答えが出てこない。
イネスが黙っているので、それがまた急かすように見えてしまうのだろう。
67+96……163か。
「え?163?」
「正解です、若様。今日は早かったですね。素晴らしい」
⁉︎
今、声が届いたのだろうか。
67+96の答えが届いたのか?それとも自力で解いただけ?
自分は次の問題を見る。
45+49は…94
「今、なにか…」
アランが驚いたように周りを見渡す。
「若様、いかがなされました?」
「先生、今、なにか声聞こえませんでした?」
「……いえ、特になにも。お加減が悪いのですか?」
「そそそ、そんなことはっ!」
「そうですか…」
やはり、俺の声が聞こえているようだ!なぜ今になって聞こえるようになったのだろう。
長い間念じていたからだろうか?
それともあの、クソッタレな神様のお導きという奴か?
わからないがとにかく、声が聞こえているのか確かめないと。
次の問題を、わざと間違えて伝えてみよう。
28+36は、63だ。
「こ、これは、63ですか?」
「いえ、間違いです。惜しいですね。これは…」
間違った問題のヒントを、イネスが与え始める。これではっきりした。アランには俺の声が聞こえている!そのことに俺は歓喜した。
その日、俺は初めてアランとのコミュニケーション(?)に成功した。
そしてその日から、アランと俺の生活が大きく変わってしまうとは、思っていなかった。
**************
夜のことである。
アランが寝静まったあとも、俺は眠れずにいた。
正確には、眠らずにいた。
基本的に体の疲れなど感じない俺は、あまり睡眠を必要とはしない。眠ろうと思えば意識的に眠れるが、積極的に摂る必要はないのだ。
……さて、神さま、そこにいるんだろう?
『おやおや、気付いていたのですね』
聞き覚えのある、若い声が聞こえ、部屋の真ん中に白い光がぼんやりと浮かんだ。
それはなんとなく人の形をし、こちらに微笑みかけた気がした。
『お久しぶりです。覚えておいでですか?』
勿論。お前らが俺をこのクソッタレな体にぶち込んでくれたんだろ。体を動かすどころか意思疎通もできねぇし。
『まあまあ、それはあなたの自業自得ですから』
自業自得?
『あなたが簡単に自分の命を投げ打とうとするからです。我々はあなたに死んでもらっては困るのですから…』
話が見えないぞ。自殺しないようにするにしても、これじゃあなんにもできないじゃないか。
もしかして、罰のつもりなのか?
『いえ、そんなつもりはありません。これからもあなたには役に立って頂きたいのですから…このお話はいわば、取引です』
取引?
『あなたにも我々にもメリットのある取引をしようと持ちかけているのですよ』
なんだ。早く言ってみろ。
『……。あなたは神様に対する遠慮とか畏怖とかないんですか?』
ないね。
お前が神様ってことは信じてやってもいいが、ぶっちゃけそれ以外信用する気はない。
神は全知全能だとは思えないし、完璧な存在でもないんだろ。
『…まあいいんですけど。完璧であれっていうのは神の規則に書いてあるんですけど、正直無理っていうか。元老院の耄碌どものどこが完璧なんだか…ブツブツ…』
早くしろよ
寝るぞ
『あ、そーでした。それでですね、質問があります。あなたはこのまま、この少年、アランの体の中に燻ったまま、アランの中で死にたいですか?』
……それは困る。ここ数日でもかなり退屈だったんだ。せめてアランが寝ている間だけでも、動けるようになりたいな。
『では、ギブアンドテイクでいきましょう。あなたの望みは、普通の人生を送ること。我々の望みはあなたに生きてもらうこと。そこであなたにひとつ耳寄りな情報が』
奴は目の前に一枚の紙を取り出した。
『この少年、アランは死にます』
は?
『歴史を辿れば、この少年はこの世界で6歳の冬ごろ死にます。暗殺によって。彼の立場をよく思わない人物の介入により、確実に殺されます』
嘘だろ。
アランが、死ぬ?この純粋無垢で、母を慕い、父を敬い、友を大切にする…この優しい少年が、死ぬだと?
『これは確実に起こる未来です。普通なら、防ぐことはできない』
なんでだよ。神様ならどうにかしろよ。
だっておかしいじゃないか。俺なんかと違って、アランには未来がある。希望に溢れた未来が、存在してるはずなのに…。
『そこであなたにはいくつか選択肢があります』
神様は指折り話し始める。
『…ひとつ、この少年の体の中で一緒に死に、輪廻転生に戻ること。
ひとつ、この少年の体から離れ、違う主人格の中に入ること…』
待て、おいふざけるなよ。
アランが死ぬのを知って、俺に見殺しにしろというのか?
アランの体に起こることを知って、自分は利己的に逃げろっていうのか⁉︎
俺はこいつがどんな風に笑うかも、泣くかも、怒るかも、どんなことが好きかも、嫌いかも知ってる。
確かにこいつは俺とは全然別の人物かもしれないがな、こいつだって、俺だ。俺自身なんだよ…っ!
ーー怒り心頭の俺に、神様はニヤリと微笑んだ。計画通りって顔に正直イラっとした。
『やれやれ。結論を急がないでくださいよ。いいですか?最後にひとつ…
アランをサポートし、死を回避する、
という選択肢を用意しました』
は?
『我々としてもねぇ、この少年に死なれると、ちょっと困ったことになるんですよ』
困ったことだと?
どんなことになるんだ。
『具体的には、この世界が終わることになります』
……。
………。
…………。
はぁあああああああっ⁉︎
『この少年は世界を救うキーパーソンです。だから、死なれては困る。
だから、取引ですよ、取引。あなたにはアランをサポートし、時に協力し、彼を色々な形で手助けしてもらいます。
そして彼が無事、世界を救うことができたら、あなたを賢者としての役割から降ろし、普通のステータスを与えましょう』
要するに、アランを死から守れってことだな?
『ええ。生き続けるにはこの少年は周りに敵が多すぎます。それを見抜き、未然に排除なりなんなりしてください』
……わかった。その取引、乗ろう。
『あなたならそう言ってくれると思っていましたよ。じゃあ、アランと好きに体を交換することができるようにしてあげます。ーー体と魂が馴染めば、会話も少しずつ可能になるでしょう。それでは』
てかちょっと待て。
お前ら賢者賢者うるせーけど、そもそも賢者ってなんだ。
『それはまた次の機会に。あなたが死を回避する選択をしたならば、また会うこともありましょう。今度こそ、おやすみなさい』
突然、頭が回転するような強い衝撃を受けた。
一瞬視界が真っ白になる。
なにかがカチリと切り替わるような音がした。
「い…痛ぁ…ッ」
頭が鈍い痛みに支配されている。
目を開くが、目の前にあの神様はどこにもいなくなっていた。
目の前にあるのは見慣れたアランの部屋だ。
「あのクソ神様…こんな痛いなんて聞いてないぞ……って…え?」
手を動かせる。声が出せる。
久しぶりの、生身の肉体だった。
「本当に入れ替われるようになってるのか…!」
驚きが隠せない。
しかし依然として、聞こえているのは左耳、見えているのは右目だけのようだ。
右耳と左目はあくまでアランのものなのだろう。
違和感があるが、まあ大丈夫だろう。
なるほど、アランが転びやすいのはこういった片目という遠近感のなさなのかもしれない。
俺は立ち上がり、鏡台の前に立った。暗い部屋の中でも、アランの顔はよく見ることができた。
俺が瞬きをすると、鏡の中のアランも目を動かす。違和感はあれど、ちゃんと動かせる。
俺はぎゅっと拳を握り締めた。
ここから、ここからだ。
ーー俺は絶対、アランを助ける。そして、俺の願いを叶えてみせる。
*******
「うまくいったな」
「かの賢者がお人好しでよかった」
「ははは、そこにつけ込むとは、頭がよいですのう」
「今のところ自殺する様子もないし」
「しばらくは見守るとしましょう」
この世界の神様は腹黒いですね。
読んでくださりありがとうございました。