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ステンドグラスの狼  作者: こにくら坊や
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依頼

唐島興行の事務所は、繁華街の外れに建つ古いビルの二階にあった。

四部屋からなるフロアは、唐島興行が丸ごと借り切っていた。廊下は、建物の貧相な外観からは意外に感じるほど清掃が行き届いており、唐島興行が手掛けたイベントやコンサートのポスターが貼り出されている。名前こそ知らないが、妹尾にも見覚えのあるアイドルのポスターもあった。

実際の業績はともかくとして、れっきとした興行会社にみえる。


妹尾を案内してきた金本は、社長室の前に立つと、一呼吸おいてノックしながら言った。

「社長、お連れしました」

「おう、いいよ。入ってもらえ」

中から、かすれ気味の野太い声が聞えてきた。


室内は、これも暴力団の組長室と言うよりは、まずまず成功している中小企業の社長室と言った趣だ。

壁には油絵や日本画など、統一感を欠いた芸術作品の複製が掛かっている。窓際やキャビネットにも日本刀や壺、宝石を散りばめたロシアンエッグなどが所せましと飾られている。

いずれも高価な品々なのだろうが、あいにく互いの魅力を相殺してしまっている。この部屋の主には、作品個々の美しさや調和を尊重するよりも、価値あるものに囲まれているという事実の方が重要なのだろう。

表向きは興行会社の社長だが、実のところは地元暴力団の組長。仕立ての良いスーツを着て良く日焼けした男。一枚板の重厚な木製机の向こうに座って、がさつに音を立てながらキャビネットの中を探している唐島を、妹尾はさり気なく観察した。

「よぉ、暑い中ご苦労さん。まぁ突っ立ってないでそこに腰掛けて」

ようやくみつけた封筒を手に立ち上がった唐島は、背は低いが実際より大柄に見える。高圧的な態度がそのような印象を抱かせるのだろう。

「はい、失礼します」

妹尾は、革貼りのソファーに静かに腰を下ろした。

妹尾の対面に乱暴に巨体を沈めた唐島は、封筒をテーブルの上に放り投げて、あからさまに溜息をついた。

「いやぁ・・・うちの組も、これまでこんな経験なくてね」

唐島は、面倒くさそうに封筒から数枚の写真を取り出してテーブルに並べた。

「でなきゃ、はるばる沖縄くんだりまで、あんたに来てもらっちゃいないよ、分かる?」

不機嫌を隠そうとしない口調で吐き出される言葉を、妹尾は黙って聞いた。

「でなぁ、まぁ率直に言うと、このアメリカ人」

唐島は、写真を中指でトントン叩きながら続けた。

「こいつを片付けて欲しいんだわ」

写真には白人の男が写っていた。年齢は三十前後。身長はおそらく高い。細身だが引き締まった体躯は筋肉質。豹のようにしなやかで俊敏、かつ力も強い印象を受ける。

大きく引き伸ばした証明写真もあった。これは顔の特徴をつかむのに大いに役立つ。髪は茶色と金髪の中間。ブルーの目が印象的だ。まっすぐ通った鼻筋。頬は少しこけているが、やつれているわけではない。

伸ばした無精ひげで印象が異なる写真もあったが、どの写真の顔にも、屋外労働に従事する人間特有の細かい皺が刻まれていた。

なるほど。この類の男たちのことはよく知っている。そんな妹尾の予想を、最後の一枚が裏付けた。

そこには式典用の軍服を着用したクルーカットのアメリカ人が写っていた。黒の生地に金のメタルボタン。こちらも金のバックルがついた白のベルト。その軍服がアメリカ海兵隊のものであることを妹尾は知っていた。左胸の勲章が、この男が実戦経験者であることを語っている。

妹尾は、日頃より依頼者に対し、あまり立ち入り過ぎないよう心がけている。殺しを依頼してくるような人間が、あれこれ詮索されるのを好ましく思うはずがない。だから質問も必要最小限に留める。要点だけを極力シンプルに伝え、的確な答えを得られるよう努めている。

今回に関しては、ターゲットの経歴や容姿など欲しい情報が早速手に入った。この写真だけでも大した収穫だ。後は確認も含めて二、三質問するだけでいいだろう。唐島がこの男を殺したい理由は特に知る必要はない。むしろ知らない方が、ことはスムースに運ぶのを経験上知っている。

だが妹尾のプロとしての気遣いは不要だった。質問を待たずに、唐島は勝手に話を続けた。

「名前はケン・オルブライト。とんでもない奴でね。元々うちで用心棒をやってたんだけどな」

身内のトラブルか。

「クラブかどこかでうちの若いのと揉めてさ。うちのが殴られてケガさせられたのが始まりだったな」

徐々にリラックスしてきたのか、先程よりいくらか穏やかな口調で、唐島は続けた。

「でな、そこの基地で兵隊やってたらしいんだけど、今は辞めて仕事探してるって言うから雇ったんだよ。腕っぷしを買ってな」

社長室のドアを軽くノックする音が聞えた。

「失礼します」

体のラインが浮かび上がるタイトな服装の女が、お茶を運んできた。

「ユミちゃん。いつもありがとう」

唐島は表情を崩して、お茶をテーブルに置く女の尻を揉んだ。

何事もなかったように一礼して退出する女は、唐島の愛人をしながらモデルかタレントになる夢でも見ているのだろうか。

「で、どこまで話したっけ」

「このアメリカ人が、こちらで用心棒をしていたと」

饒舌な唐島とは対照的に、ほとんど感情を込めずに最小限の言葉を返す妹尾。それは事務的とさえ言える口調だが、相手に警戒心を抱かせもしない、丁度いい具合のトーンだ。これも経験に基づいた妹尾のテクニックだった。

「そうそう。で、こいつがな、うちの大切な商売道具を持って、いきなりドロンよ」

「ドロン・・・ですか」

「ヘロインだよ。五百グラム。末端価格で七千万。分かる?」

唐島は、挑むように妹尾の目をのぞき込んだ。その表情は、先ほど愛人の尻を撫でまわしていた好色漢のそれとは別人のように険しく、顔色は怒りで赤黒く変色していた。

事情は呑み込めた。どこから手をつけるべきか。

妹尾は素早く頭を回転させた。

これまでの経験からして、ターゲットの所在を特定するのに時間がかかりそうだが、それさえ分れば他は問題ないだろう。例え相手が元海兵隊員であろうとも。

そこで初めて、妹尾の方から口を開いた。

「持ち逃げしたのはいつでしょう?」

数日前か、数週間前か、あるいは数か月前か。逃亡から時間が経っている程、当然足取りを掴むのに手間がかかる。

「十日くらい前だな」

苦々しい表情で唐島は続けた。

「初めはこっちで解決しようとしたんだよ、身内の恥だしさ。それがそうも行かなくなっちまってよぉ。うちだけの話じゃなくなってな」

「と、言いますと」

「関東の花山一家から連絡があったんだよ。うちのシマで勝手なことしてくれんなって」

花山一家。その名前を聞いて、妹尾は自分がここに呼ばれた理由を察した。

意外な展開に心がざわつくのを抑えつつ、顔色一つ変えずにぬるいお茶を口に運ぶ。

「あのアメ公、ヘロインを花山一家のシマでさばこうとしたらしいんだ。しかもうちの名前使ってな」

今や憤りに加え、不安も入り混じった口調だった。

「花山の親分に詳しく事情を話したよ。持ち逃げした奴が勝手にやったことなんで勘弁してくれって。まぁ何とか誤解は解いたけどもさ・・・」

「そのアメリカ人は今、花山一家の元に?」

自分がここに呼ばれているのだから、そんなはずも無かろうと知りつつ、妹尾は聞いた。

「いや、逃げた。ブツを持ったままな」

一呼吸おいて、唐島は続けた。

「ま、あちらさんが言うには、だけどな」

やはりか。だが、思っていたより手掛かりを入手するのはたやすいかも知れない。

「でよぉ、花山の親分もまぁ、今回の件は不問に付すけど、勝手なことしたアメ公にはケジメをつけさせるのが筋だろうっていってな」

「で、自分が呼ばれたというわけですね」

「そういうこと。聞けばあんた、花山一家と親しいっていうじゃないか」

その通りだった。

関東北部を根城とする花山一家は、日本最大級の指定暴力団の下部団体だ。組の歴史はまだ浅く、現在の組長、花山譲二が初代である。

何度か花山一家の仕事を請け負ったことのある妹尾は、花山が情勢を読むのに長けた知略家であることを知っていた。押すべき時には大胆に押し、引くべき時は潔く引く。その的確な状況判断能力は称賛に値する。それゆえ歴史が浅い組でありながら、上部組織からの信頼も厚く、関東北部を足掛かりとして着実に縄張りを拡張している新興勢力である。

そして花山組長の右腕として、現場で陣頭指揮を執る若頭の鳴海は、妹尾がこの世界に足を踏み入れる切っ掛けとなった男だった。

今回の件に関しては、鳴海からも詳しく話を聞けるだろう。

妹尾にとっては上々の滑り出しだ。

「で、奴さんを殺ったらね、証拠として死体を写真に撮ってきて欲しいのよ。分かる?それを見せれば、花山の親分さんも納得してくれるだろうよ」

「あとは、持ち逃げしたヘロインの回収ですか」

冷めたお茶を一気に飲み干すと、唐島は諦め気味に答えた。

「いや、それは無理だろ。あいつはもう持っちゃいないさ」

「と、言いますと?」

「花山んところにあるんだろうよ、どうせ。この件に対するあちらさんの物分かりの良さからするとな」

こう見えて唐島と言う男は、思ったより状況に対する洞察力はあるようだ。妹尾は密かに感心した。

「もちろん、うちのブツお持ちでしょ?返して下さい、なんて言えるわけないけどな・・・高くついたよなぁ、おい。ヘロイン失くして面倒抱え込んでさ」

唐島は独り言のように続けた。

確かに唐島の言う通りだ。件のアメリカ人を始末したところで、ヘロインは消えたまま帰ってこない。唐島が得るものは何もないのだ。花山からの圧力がなければ、わざわざ自分を雇うこともしなかったはずだ。7千万円相当のヘロインを失い損害を被った上、さらに余計な出費がかさむのは是が非でも避けたいのは当然だ。

そんな妹尾の考えを読み取ったかのように、唐島は言った。

「あんたへの報酬もあるしな」

言葉に被さるように、低空を飛行する米軍機のエンジン音が響いてきた。窓際の小さな骨董品が細かく震えた。


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