オペレーション・ゴッズ・ハンマー
雨は海面を打ち、波が沖に向かって「くの字」形に伸びる防波堤にぶつかっては白く砕けた。のんびり釣りなどできる状態ではなかった。
幸い風はなく、寒くないのが救いだった。むしろ、雲が昨日の暖気を閉じ込めているため、この時期にしては珍しく蒸し暑く感じるほどだった。
こんな状況の中、傘を差しながら防波堤の突端に向かって歩く妹尾とケン。
その姿は、傍目にはきっと奇異に映っただろうが、海岸に人の姿はなく、海上に船もない。異様な二人組を気にする者は誰もいなかった。
9ミリ弾の発射音は確実に波の音にかき消されるはずだ。
悪天候の中を釣りに出かけた二人が戻らなければ、やがて警察による捜索が始まるだろう。
そして、遅からずケンの遺体が発見されるだろう。
それでも、ケンは防波堤から転落して溺れ死に、死体が上がらず行方不明の妹尾も海に沈んでいる。
誰もがそんな風に考えるに違いない・・・しばらくは。
妹尾にとっては望み得る最高の状況だ。
妹尾の後について歩きながら、ケンは不思議で仕方なかった。
こんな雨にもかかわらず、妹尾はなぜ釣りにこだわるのか。
一昨日の飲みの席では、天ヶ浜の伝説に惹かれて、自分もちょっと釣りを楽しみにしていたのは確かだ。
しかし、悪天候に見舞われるとは予想外だった。
今となっては、わざわざ雨に打たれながら釣りなどやりたくない。
とは言え、釣り具まで用意されては仕方ない。
小一時間も釣り糸を垂れて、それで釣果がなければ切り上げよう。
妹尾だってきっと諦めるに違いない。
二人は、防波堤がくの字に折れたさらに先の突端までやってきた。
「さて、ケンさん、この辺で始めようか」
ビニールシートを敷いて荷物を置くと、すぐさま釣りの準備に取り掛かった。
妹尾が仕掛けを作っている間は、ケンが傘を差し、次はお互いの役割が入れ替わる。そんな風にやってみたが、いかんせん二人とも釣りは素人のため、仕掛けを準備するだけでも大いに手こずった。
妹尾が今朝、天ヶ浜の釣具店から調達した生餌のゴカイは新鮮で活きがよく、濡れた手で釣り針に刺すのは一苦労だった。そして、この雨では傘など差してもたいして役に立たないことも早々に理解した。
雨に濡れながら、二人がどうにか海面に釣り糸を垂れるまでにニ十分が過ぎた。
ケンは比較的波の穏やかな防波堤の右側に、陸地の方を向くかたちで腰を下ろした。意味をなさない傘を使うのはとっくに諦めていた。ベースボールキャップは雨水を含んで早くも重たくなり始めていた。
「ケンさんがそっち側なら、自分はこっちで釣ってみるか」
妹尾は沖を向くかたちでケンの反対側に腰を下ろした。打ち寄せる波がもろに防波堤にぶち当たる側である。そんな場所で釣りなどあり得なかったが、妹尾があえてこちらに陣取ったのは、ケンに背を向ける形で腰を下ろしたかったからだ。これなら気づかれることなくケンの背後に立てる。
傘を差しながら、荒波に向かって釣り竿を握る妹尾。その背中に向かってケンが「幸運を」と声を掛けた。
無言のまま十分以上が過ぎていった。
防波堤を激しく叩く波音と傘を打つ雨音。それに混じって、岸辺の方から微かに太鼓の音が聞こえる。こんな天候だが祭りは無事に始まったらしい。
ケンを背後から襲うタイミングを慎重にうかがう妹尾の中で、シャツの下に隠したP7M8が徐々に存在感を増していった。
その時、ケンがおもむろに立ち上がる気配がした。
妹尾が振り返ると、ケンは脱いだばかりのびしょ濡れのシャツを雑巾のように絞っていた。雨に打たれる上半身は、元兵士らしく無駄な肉が一切ない。まるで野生の動物を思わせる佇まいだった。
「これで今日のシャワー、必要なしね」
ケンの言葉に、妹尾は軽く笑いながら頷いてみせた。
ケンの左腕に彫られたドクロと短剣のタトゥーが目に留まった。海兵隊時代の名残に違いない。妹尾は、あえて英語でケンに話しかけてみた。
「そのタトゥーは?」
いきなり妹尾の口から出た英語は、ワンフレーズとはいえ流暢だった。発音は日本語訛りだが、それでもケンを驚かせるには十分だった。
絞ったシャツを再び着こみながら、ケンも不自由な日本語をやめて英語で返した。
「英語しゃべれるなんて知らなかったよ」
「こう見えて、実はフランス語だって少しいけるんだ」
にこにこしながら妹尾は続けた。
「そのタトゥーは軍隊で?」
なぜ、そんなことを聞いてみたくなったのかは、妹尾自身分らなかった。これから殺そうとする人間のことを詳しく知ったところで良いことなど何もない。それでもなぜか今、ケン・オルブライトにターゲット以上の興味を持ち始めている自分がいる。
「そうなんだ。言ってなかったと思うけど、俺は昔、海兵隊にいてね。その時のチームのタトゥーさ。沖縄にもしばらく駐留してたから、そのおかげで日本語もちょっとだけね」
そう言いながら、ケンはタオルで濡れた顔をごしごし拭いた。
「ほぉ。ケンさん海兵隊にいたのか。で、今はなぜ天ヶ浜に?」
舞子が、除隊の理由はちょっと聞けない雰囲気とか言ってたな。
そう思い返しながらケンの方に向き直った妹尾は、しっかりとあぐらで座りなおしてから改めて尋ねた。
「差支えなければ聞いていいかな、海兵隊を辞めた理由」
顔を拭く手を止めたケンは、タオルに埋めていた顔をゆっくり上げると、しばらく無言で妹尾の顔を見据えた。
ケンの表情から、その考えを推し量ることは難しかった。険しい表情で妹尾を睨み返しているようにも思えるが、単に雨に濡れてそう見えるだけかもしれない。
やがてケンは、肩をすくめてみせると、何も言わずに釣れる見込みもない釣りを再開した。
釣り竿を握ったまま無言で佇むケンの背中を見ながら、妹尾はしばらく待ってみた。
・・・話す気はなしか。では、この辺で終わりにしよう。
妹尾は、傘を差したまま、空いた右手を懐にそっと差し入れると、拳銃のグリップを握り込んで安全装置を解除した。
P7M8をシャツの下から取り出し、銃口をケンの後頭部に向ける。
妹尾がみせた一連の動きは一切の無駄がなく、動作の気配さえ感じさせないほど滑らかだった。
微動だにしない銃口からケンまでの距離は1メートル強。
左後方の死角ギリギリの位置から狙うは左耳の付け根。
弾丸の入射角およそ四十度はこの条件ではベスト。
しくじることは先ずない。
トリガーにかけた妹尾の人差し指に力が入った。
その刹那、ケンがおもむろに口を開いた。
「仲間が死んだんだ。戦いの中で・・・兄弟同然の連中だったんだが」
ケンの視線は、釣り糸を垂れた海面に向けられていたが、その目には何も見えていなかった。
物音一つ立てずに拳銃をシャツの下に隠すと、妹尾は静かに次を待った。
「俺の兄貴も死んだ。頭が吹っ飛ぶのが見えたんだ。まさかリックが死ぬなんて、そんな事あるわけないって思ってたんだがな」
「ケンさん」
妹尾の呼びかけも耳に入らないかのように、ケンは話し続けた。
「リックや仲間たちの遺体は、今もコロンビアのジャングルに置き去りにされたままだ。国のために戦ったっていうのに野ざらしで・・・無念だろうよ。俺は連中に約束したんだ。必ず戻るって・・・だが、もう二年が・・・」
「分かった。もし気が進まないなら話はそこまでにしてくれ」
妹尾の言葉を受けて、ケンは振り返るそぶりをみせた。
「だがな、ケンさん。話すことで少しでも楽になるんなら、聞いてやることくらいはできる」
妹尾は、雨に濡れるのもお構いなしに、差していた傘をわざわざ畳んだ。ケンの話を聞かせてもらうにあたって、なんとなく同じ位置、条件に身を置かねばならないと、そんな風に感じたのだ。だから、先ほどから傘も差さずにタオルを頭に巻いただけで、雨に濡れているケンをまねてみた。
ケンは軽く頷くと再び海の方に向き直って、しばらく無言のまま雨に打たれていた。
あの時も雨が降っていた。今みたいに生暖かい雨だった。
目に焼き付いて、消すことのできない映像。
鼻の奥に、今もはっきりと蘇る匂い。
耳を聾する炸裂音。
脳みそにこびりついて、絶対に一生涯忘れられない出来事。
それらを反芻しながら、ケンは静かに話始めた。
それは、二年前の夏に南米コロンビアで麻薬組織を壊滅すべく極秘裏に実行された「神の鉄槌作戦」の顛末だった。
二年前の1992年。その夏は記録的な猛暑で今も人々の記憶に残っている。そしてケン・オルブライトにとっては、人生を大きく変える特別な夏となった。
南米コロンビアでは、七十年代より麻薬密売組織が勢力を拡大しはじめていた。
組織の巨大ネットワークは、コカインを中心とした麻薬の生産から加工、販売までをも手掛け、ドラッグビジネスで生み出される莫大な資金が、警察や治安組織の買収を可能にした。
巨万の富を築いた麻薬王たちは、強力な武器を有する私設軍隊で武装し、軍や敵対グループとの抗争に明け暮れた。麻薬王の私設軍は、欧米からフリーランスの優秀な兵士を顧問に迎えることで練度を上げ、その能力はコロンビア正規軍を凌駕するほどになっていた。
中でも最大の組織メデジン・カルテルを創設したパブロ・エスコバルは、強大な麻薬帝国を築き、警察官をはじめとする敵対人物四百名以上を殺害。絶対的な恐怖でコロンビアを支配していた。
世界最大の麻薬消費国という汚名を冠するアメリカにとって、パブロ・エスコバルの存在は長年、頭痛の種だった。
八十年代後半、コロンビアから大量に流入するコカインの元を絶つべく、アメリカの諜報機関が行動を開始。パブロ・エスコバルの殺害とメデジン・カルテルの壊滅を最終目的とするアメリカの麻薬戦争がここに幕を開けた。これはDEA(米国麻薬取締局)、CIA(中央情報局)、特殊作戦群直属の情報部隊ISA、さらに特殊部隊、海兵隊が参加する、アメリカが国家の威信をかけた総力戦に発展した。
それから数年後の1993年には、米軍特殊部隊の協力を得たコロンビア警察特殊部隊が、遂にパブロ・エスコバル殺害に成功する。長年に及ぶ麻薬戦争の大きな区切りとなったその出来事は、世界的にも大々的に報道された。
だがその前年に、ジャングルの奥地にあるパブロの麻薬精製工場を破壊すべく、非公式軍事作戦「オペレーション・ゴッズ・ハンマー(神の鉄槌作戦)」が実行されたことを知る者は、米軍の関係者でも多くはない。
1992年の夏。作戦実行の三ヵ月前から、コロンビア在中のDEA捜査官が身分を隠して工場に潜入していた。この勇敢な捜査官は周囲の目を盗みながら、メデジン・カルテルの誇る強大なネットワークに関する情報をアメリカに送り続けた。
これらの情報は、パブロの巨大帝国崩壊の決め手となる非常に重要なものだった。捜査官は、潜入してからの三ヵ月間で工場から盗み出せる情報のほとんど全てを入手していた。そろそろ姿をくらますべき時期だった。
だが、さすがにメデジン・カルテル最大規模の工場だけあって、365日、二十四時間を通じて警戒態勢が敷かれていた。周囲は見渡す限り広大なジャングルに囲まれており、捜査官が自力で工場を脱走することは不可能だった。
この状況を考慮した結果、立案された作戦は二段階の複雑なものとならざるをえなかった。
第一段階は捜査官の救出。陸軍の極秘部隊デルタフォース(第1特殊作戦部隊デルタ分遣隊)がその任務につく。
第二段階は工場の爆破。捜査官の救出が終了しデルタが現地を離脱した直後に、海兵隊のF/A-18ホーネットが空対地ミサイルで工場を爆破する。
こうして大まかな骨子が整った作戦だが、詳細を具体化してゆくのに必要な情報は現地でしか入手できない。そこで作戦実行に先駆けること一週間、ジャングルに極秘裏に潜入し、偵察及び情報収集活動を行っていたのがリック・オルブライト上級曹長率いるフォース・リーコンのチーム、コードネーム・ヴァイパー(毒蛇)だった。そこにケンも、そしてロバート(ボブ)・ワナメイカー一等軍曹もいた。
深夜、人気のない海岸に上陸を果たしたリック率いるヴァイパーは、そのまま二日間に渡って細心の注意を払いながらジャングルの中を移動。三日目の夜明け前には、工場にある唯一のゲートまで百五十メートルの位置に迫った。
ゲート近辺を見渡せる場所に三メートル四方の監視所を設営し、カモフラージュネットと野生植物の葉などで完璧な偽装を施す。こうした技術もフォース・リーコンが得意とするところだった。
蒸せるような湿度で自然のサウナと化す日中のジャングルでは、目標の監視以外にできることはほとんどない。アルファ・ツーでは、所せましと体を寄せ合う十二人の海兵隊の猛者が、ジャングル特有の虫たちに耐えながら、ひたすら日が暮れるのを待っていた。
夜になり、辺りが漆黒の闇に包まれてからが彼らの本領発揮となる。行動最小単位となるツーマンセル(二人一組)の計三組ブラヴォー・ワン、ツー、スリーが静かに動き出すと、三十分後には全セルが工場を三方から監視可能な位置についた。
リーダーのリックを含む残りの六名ブラヴォー・ゼロは、引き続きゲートを監視しながら、各セルから送られてくる情報をまとめ、それらを特殊作戦群(SOCOM)司令部に送信する。
その情報をもとに、どのような具体的計画が立案されるのかは、リック達の知るところではない。彼らに与えられた任務はあくまで敵地の偵察、情報収集とデルタによる救出作戦のバックアップだった。
フォース・リーコンがもっとも得意とするのが、そうした縁の下の力持ち的な任務であるため、作戦の「おいしい部分」は、特殊部隊に持っていかれることが常であり、それはやむを得ないと理解しつつもボブ・ワナメイカーは、時折そんな現状に愚痴をこぼしていた。
ケンが、ボブとのコンビで工場の北側面の監視任務についていたこの時も、ボブはひそひそ声で「デルタの連中なんかに頼らなくたって、俺たちだけで救出できるぜ。なぁ、ケンよ」とぼやいていた。
監視任務の三日目には、工場の警備体制を完全に掌握していた。
鉄壁の要塞であろうという予想に反して、工場の周囲を守るのは高さ二メートルにも満たない塀と、その上にめぐらされた鉄条網だけだった。その塀も丸太を組んで作られた簡素なものである。これは急襲作戦にとっては吉報だった。
そもそもジャングルの奥地に部外者がやってくることなど先ずあり得ず、外敵に対する厳重な警備を必要としないのだろう。
ゲートのすぐ内側に二人の見張りが待機しているほか、敷地内をさらに三名の武装兵士が壁に沿って巡回しているが、これは外からの侵入者ではなく内部からの脱走者に目を光らせているのだ。おそらくコカインを盗んで姿をくらます作業員対策だろう。
実際、パブロ・エスコバルの麻薬を盗んで生き延びられるはずもなく、そんなハイリスクを冒す愚か者などいはしない。その意味では、この敷地内の警備は作業員への警告、威嚇以上の意味はないと考えられる。
二十四時間の警備体制とは言え、とりわけ夜間は兵士の態度もだらけ気味で警備がおざなりになってくる。作戦は、この隙に付け込んで深夜に実行されるはずだ。
たまに寝付けない作業員がタバコを吸いに、トタン屋根の宿舎から出てくることもあるが、不確定要素を完全に取り除くことは不可能なので、そこはやむを得まい。
むしろこの状況は有利に利用できるはずだ。DEA捜査官が、タバコを吸う振りをして建物の外に出て、救出にくるデルタを待つよう仕向けることも可能だろう。
大きな不安要素は、敷地内の南側に確認できた倉庫の存在だった。そこに武器、弾薬が詰まっていると考えられる木箱が大量に運び込まれるのを目撃した。パブロが強力な私設軍隊を持っているのは聞いている。おそらくあれが武器庫に違いない。
この事実からも、正面突破は選択肢から消える。万一、戦闘になった場合は、相当厄介な事態に陥ることは確実だ。司令部がその点を十分に考慮した作戦を立案することを、リック・オルブライトは祈った。
工場の警備状況を把握したリック率いるヴァイパーは、続いてデルタのLZ(降着地域)となるアルファ・ワンを選定のための偵察任務を開始した。
工場の北側一㎞ほどに直径百メートル程度の開けた台地があるのは、偵察機が撮影した航空写真で分っていた。そこが現実的にアルファ・ワンとして、LZおよび離脱時のLDVZ(集合地)に使える場所なのかを確認しておく必要があった。
偵察の結果、幸いなことにリックの目から見て、その場所は潜入及び離脱には理想的だった。デルタがHALO(高高度降下低高度開傘)降下可能なだけでなく、離脱時のヘリコプターの離着陸も、腕利きのパイロットであれば楽勝といえる広さだった。
問題があるとすれば、工場からこの開けた台地までのおよそ一㎞の道のりが、歩行も困難なジャングルであるということだ。敵に気づかれることなく捜査官を奪取し、その後、道なき道を踏破してここに辿り着かねばならない。
万一、交戦となった場合には、この一㎞が間違いなく死のロードと化すだろう。
リックはアルファ・ワンの状況を司令部に連絡すると、次にケンたちに脱出経路沿いの数か所にクレイモア指向性対人地雷の設置を命じた。使われないに越したことはないが、万一に備える必要がある。
クレイモア地雷には特殊な周波数の電波発信機が付属しており、受信機を持った隊員が地雷の半径三メートル以内に接近すると点滅して知らせてくれる仕組みになっている。この装置のおかげで、暗闇のジャングルであろうとも地雷の位置を見失うリスクは大幅に減少するのだ。
リックたちは、再び工場のゲートを前方に臨むアルファ・ツーまで密かに戻って待機した。後は司令部からの連絡を待つだけだった。
一週間前にコロンビアに潜入し偵察任務についたフォース・リーコンのチーム、ヴァイパーから送られてくる情報は、専任の情報分析士官が吟味し作戦が具体化された。
総指揮はSOCOMの司令官が執り、実働部隊として陸軍のデルタフォースが出動する。
デルタチーム=コードネーム・アルバトロス(あほうどり)は、深夜未明コロンビアの上空四千メートルを飛行する輸送機からHALO降下。
アルファ・ワンで待機するヴァイパーと合流後、彼らの先導でアルファ・ツーまで移動。
隠密裏に工場敷地内に侵入し、見張りを処理。
救出対象である捜査官の身柄を速やかに確保。
ヴァイパーと共にアルファ・ワンを目指し、そこに待機するヘリで離脱する。
捜査官の確保後にUH-60ブラックホークヘリコプターを呼び出し、アルファ・ワンに待機させておくのだが、このタイミングは非常に難しいことが予想された。
アルファ・ワンは工場から一キロ離れているとは言え、ヘリのローター音は深夜のジャングルの遥か彼方まで轟くだろう。すなわちヘリの到着が早過ぎては、敵にその存在を気づかれる危険がある。
とは言え、遅すぎてもまずい。というのも作戦の第二段階である空爆は実行時間が厳密に決められているからである。
作戦自体が機密のため、空爆は夜明け前に密かに実行されなければならない。そのためには、現地が夜明けを迎える0430時より前に、カリブ海沖に展開する空母からホーネットが発進する必要がある。これは本作戦において、変更できない条件の筆頭だった。
そこから逆算すると、0400時には米軍チーム、アルバトロスとヴァイパーはヘリに乗って現地を離脱しているのが望ましい。逆に言えば、敵地脱出の遅れはすなわち空爆の中止を意味する。
司令部では、米軍チームの離脱に時間的余裕を持たせるため、作戦開始時刻を前倒しにする案も検討された。だが、それでは作戦の第一段階である急襲が危険にさらされることになると結論。その案は速やかに却下された。実際、捜査官の救出は工場が寝静まった深夜だからこそ遂行可能なのは事実だった。
そのため神の鉄槌作戦のタイムスケジュールは非常にタイトにならざるを得なかった。
デルタの隊長、マット・ダニエルズ少尉は、融通の利かないタイムスケジュールに不満を感じてはいたが、自分の部下たちならば問題なくやってのけると確信していた。何といってもデルタは世界最高水準の訓練で鍛え抜かれた超エリート集団であり、ソルジャーではなくオペレーターと呼ばれる隊員たちが最も得意とする任務こそ、まさに今回のような人質救出なのだ。
ダニエルズが不安視していたのは、作戦にコロンビア陸軍士官を同行させなければならない点だった。
コロンビア国内でアメリカ軍が単独軍事行動を行うわけにはいかない。そこで、デルタに同行するかたちでコロンビア陸軍の士官が作戦に加わることになっているのだ。これで、パブロ・エスコバルの麻薬工場を壊滅させたのはコロンビア軍という建て前を保つことができる。
パラシュート降下の経験もない士官を作戦に参加させるなど言語道断だと一度は食って掛かったが、その決定事項が覆されることがないのは、ダニエルズ自身がよく分かっていた。それが軍隊というものだ。
作戦開始は三十六時間後に決まった。0100時にはコロンビア上空を飛ぶハーキュリーズから闇夜に飛び出し、明かり一つないジャングルの上空を時速320㎞で自由落下していることだろう。
決定された作戦計画を受け取ったリック・オルブライトは、チームメンバーに詳細を説明しながら考えていた。
デルタは困難もなく捜査官救出に成功するだろう。気になるのは時間的余裕のない作戦スケジュールだった。不測の事態に陥ることなく、計画通りに遂行されてちょうど良いという程にタイトで余裕がない。敵との交戦だけは絶対に避けねばならない。
作戦は成功させる。そして必ず全員を無事に帰還させる。それがリーダーとしての責任だ。
その時、リックの脳裏に浮かんでいたのはケンの顔だった。大切なチームの仲間に上も下もない。だから、極力ケンのことを特別扱いしないように努めてもいた。だが本音は違った。この世界でただ一人、血を分けた弟だけは自分や他の仲間たちがどうなろうとも、決して死なせはしない。それが兄としての責任なのだ。
ふと、幼き頃、母が自分たちの前から姿を消した時に言い残した言葉が蘇った。
「リック、あなたはお兄ちゃんなのだから、ケンを助けてあげてね」
リックの双肩に重圧がのしかかってきた。胃の辺りに鉛を飲み込んだような不快な感覚が湧き上がる。だが、こうしたプレッシャーに対処するのもまたリーダーの、そして兄としての義務なのだ。
太陽が沈み、それからさらに四時間後。工場もすっかり寝静まった頃、ケンをはじめとする四名のリーコン隊員が暗視ゴーグルを装着すると、監視所を後にしてアルファ・ワンに向かった。
生い茂る樹木によって月光が遮られるため、夜のジャングルはまさに漆黒の闇だった。暗視ゴーグルが微かな明かりを増幅し、緑色の平面的な視界を提供してはくれるが、この装置は目に極度の負担をかけるので、ときおり外して目を休める必要があった。
デルタとの合流までにはまだまだ時間があるので、あえて急ぐことはせずに、昨夜設置したクレイモア地雷の位置を再確認しながら慎重に前進した。
ケン達がアルファ・ワンに到着したのは、アルファ・ツーを出発して一時間近く経ってからだった。密林の先に開けた台地は月光に照らされており、暗視ゴーグルの必要はなかった。
ボブの指示のもと、早速二手に分かれて目印となるストロボマーカーを設置する。これは肉眼では分からないが、赤外線暗視ゴーグル越しには点滅して見え、デルタフォースはこれを目印に降下してくるのだ。
すでに複数回の実戦を経験しているケンだが、これほど大掛かりで、しかも他の部隊との合同作戦は今回が初めてだった。交戦の可能性はこれまでの実戦でもあったが、今回ほどタイムスケジュールが細かく決められている任務はなかった。
ケンは急に不安に駆られ、一瞬パニックに陥りそうになった。だが、隣でリラックスして瞑想にふけるボブに、そんな弱気な自分を感づかれたくなかったので、規則的な呼吸を繰り返して極力平静を装った。
他の二人の隊員も、各々が物思いに耽りながら作戦の開始を待っていた。あと二時間もすれば夜空にパラシュートの花を咲かせながらデルタが舞い降りてくる。
0030時。カリブ海上空を飛行するハーキュリーズの中で、八名のデルタフォースがリラックスしつつも、間もなく始まる作戦にむけて意識を集中していた。
同乗しているコロンビア軍士官はパラシュート降下の経験がないため、ベテランジャンパーの隊員と一緒にタンデムジャンプ(一つのパラシュートで二人が降下すること)で降下することになっているが、恐怖による緊張は隠しようもなく、そのせいかやたらと喋りまくっている。「アメリカ軍は立派」「デルタフォースは最強」などと、おべっかを使って隊員の機嫌を取ろうとしているが、そんな態度こが真っ先に軽蔑されることに気づいていないのは哀れでしかない。
やがてハーキュリーズはコロンビア上空に到達した。
デルタの八名は、赤外線ゴーグルを装着しながらゆっくりと立ち上がった。
輸送機の後部が開き、機内が轟音に満たされた。
ぽっかりと口を開けた後部ランプドアの先には、月明かりで思いのほか明るい夜空が見えている。
スロープをゆっくりと進む隊員たち。
時刻は0100時きっかり。
降下合図のランプが緑色に変わると、彼らは一切の躊躇もなく、まるで近所の散歩に出かけるかのような調子で、夜空に向かって飛び出していった。
生い茂る樹木と開けた台地。その境目に身をひそめながら上空を見守るケン達、四名のリーコン隊員。
やがて、パラシュートを巧みに操縦しながら降下してくるデルタの姿が見えてきた。
八名のデルタオペレーターは、台地のど真ん中にほとんど音もたてずに着地するやいなや、パラシュートを回収。すぐさまコルトM733アサルトライフルを構え、四方を警戒するフォーメーションをとった。どう動くべきか分からずに立ち尽くして、間抜けな姿をさらしているのはコロンビア軍士官だった。
デルタに合図を送り安全を確認後、ボブを先頭にリーコンの四人が木々の間からそっと姿を現した。
ボブがダニエルズ隊長と最小限の会話を交わし、この後の行動を確認する。
デルタ隊員全八名のうち、狙撃兵を含む四名がこの場に残って離脱時の援護とヘリの誘導につく。
ダニエルズ隊長を筆頭とする後の四名とコロンビア軍士官は、リーコンの先導でリックらの待つアルファ・ツーを目指す。
無駄に出来る時間は一秒たりとなかった。暗視ゴーグルを装着したケンを先頭に、一行はジャングルの闇に姿を消した。
デルタ隊員はさすがにプロの兵士で、道なきジャングルを移動する要領を心得ていた。だがコロンビア軍士官はそうはいかない。すぐに隊列から遅れ始めただけでなく、歩く度に無駄に大きな音を立てていた。いっそ殴って気絶させ、担いで進んだ方が利口なのではないかと真剣に考えたくなるほどだった。
そんな状態で一㎞の道のりを進み、アルファ・ツーに到着したのはアルファ・ワン出発から一時間以上後だった。
リックがダニエルズ隊長と状況及び作戦行動の確認を行った。
その間にリーコンの六名はツーマンセルでブラヴォー・ワン、ツー、スリーそれぞれが、三方から工場を監視できる位置に再び向かった。各セルは、デルタの四名が敷地内に潜入し捜査官を連れ出す間、それぞれの位置から現場を監視し、必要とあらば援護を行う。
ブラヴォー・ワン、ツー、スリーが全て位置に着いた。
救出対象の捜査官には、最後の通信時に作戦の段取りが伝えられており、今夜0240時過ぎに、タバコを一服するふりをして外に出くることになっていた。もう五分もすれば姿を現すはずだ。
四名のデルタ隊員は二手に分かれて、迂回するようなルートで工場のゲートまで慎重に歩を進めた。
工場の明かりが点々と灯っているため、暗視ゴーグルが必要ないのはありがたかった。月のない闇夜さえ昼間のように浮かび上がらせる利器ではあるが、視界が限られて遠近感も曖昧になるため、ゴーグルを使用しないに越したことはなかった。
数分後には、中からは死角となるゲート両脇に待機して潜入のタイミングを待った。
ゲートの扉は閉まっており、この位置から敷地内は一切見えないが、捜査官が表に出てきたら、アルファ・ツーで監視中のリーコン隊員から連絡が入ることになっている。
ここから扉一つ隔てたすぐ内側には、二人の兵士が名ばかりの警備についている。奴らを仕留めるのにはサプレッサー付きの拳銃を使用する。各隊員の好みに合わせてカスタムメイドされた世界に一丁のコルトM1911である。ゲートの扉を乗り越えて、敷地内に着地すると同時に兵士を倒す。連中は何が起こったかを把握する前に絶命するだろう。
そこからタンゴを連れて脱出するまで、早ければ二十秒でケリがつく。あとは音もなくジャングルの闇に紛れ、アルファ・ワンで待つブラックホークヘリに乗り込んで帰投する。朝には美味いコーヒーと温かいベッドがお出迎えだ。
ダニエルズ隊長は、溢れ出すアドレナリンを自在にコントロールするかのような冷静沈着さで、その時を待った。
傍らに待機する隊員も、ゲートの反対側で位置につく二人も冷静そのものだった。
彼らの技量を誰よりも知るダニエルズは、この極限の緊張状態においても落ちつき払い、むしろ安堵さえ感じていた。
工場内の宿舎から、一人の男がふらりと出てくるのが、ケンとボブの位置から確認された。
捜査官=タンゴだ。
男は煙草に火をつけると、門を警備する二人の方に向かって歩きながら、気楽な感じで何事か話しかけている。
塀の向こう側で待機しているデルタから極力、注意をそらせるための行動だった。
ボブはその状況を、骨振動マイクでささやくようにリックに告げた。
リックはそれをダニエルズに伝えた。
いよいよ始まる。
その時、不意に一発の銃声が鳴り響いた。
「馬鹿な!」
悪態をつきながらダニエルズは、この最も重要なタイミングで一体何が起ったのかを把握すべく辺りを見回した。
敵か、味方か。撃ったのは一体誰だ。
工場の三方から監視していたフォース・リーコンの各セルにも、その銃声ははっきりと聞こえた。
工場内で警備につく兵士の耳にも届いたであろうことは、先ほどまでの弛んだ雰囲気から一変した彼らの動きをみれば明らかだった。
銃声から三十秒後には、敷地内の至る所で明かりがつき始め、辺りはにわかに活気づき始めた。
塀の周りを巡回していた兵士も、サブマシンガンを胸の前に構えながら慌ててゲートの方にやってきた。
救出を待つ捜査官は、デルタが突入してくる気配がないのは一体どうしたことだ?と内心ひどく困惑しながらも、かろうじて芝居を続けた。
ボブとケンが見張りに着く位置からは、宿舎からわらわらと人が出てくるのが見えた。
「なぁ、やばいぜ、ボブ」
「ああ。一体デルタの連中はなぜ入ってこない」
ボブは、正面でゲートを監視しているはずのリックに向かってマイク越しに囁いた。
「こちらブラヴォー・ツー。おい、一体どうなってんだ。何が起こってる」
だが、その問いに答えている余裕はリックにはなかった。なにしろ銃声が自分のすぐ横で鳴り響いたのだ。
銃声の主はコロンビア軍士官だった。極度の緊張で力んでしまい、手にしていた銃の引き金を思わず引いてしまったというのが真相だ。
だが、リックも周りの隊員もそんなことは知る由もない。発砲の瞬間、何が起こったのか彼らには分からなかった。キーンと耳鳴りがして何も聞こえない状態の中、リックは頭をフル回転させて状況把握に努めた。
はじめは敵の銃撃を受けたのかと考えた。
次に、発射されたばかりの銃を手に立ち尽くすコロンビア軍士官を見て、この男が裏切ったと考えた。
傍らの隊員がすかさず士官をねじ伏せて銃を取り上げた。
抵抗するそぶりもなく、組み伏せられたままでいる士官を問いただしたが、茫然自失で答えられる状態ではなかった。
今、この緊急事態の場において真相解明は後回しだ。
少なくとも負傷者はない。
目の前の脅威も排除されている。
今やリックの懸念は、この騒動で救出作戦における最も重要な奇襲の要素が失われてしまった事実に向いていた。
双眼鏡でゲートの状況を確認すると、デルタが扉を乗り越えて敷地内に姿を消すところだった。
ダニエルズの判断は素早かった。
今の銃声が何だったのかは分からない。だが、敵に気づかれることなくタンゴを救出することが不可能になったのは確かだ。こうなると一秒の遅れさえも致命的となる。
事態を把握しないまま突入のサインを出すと、ダニエルズは自らが先頭に立ってゲートの扉を乗り越えた。他の三名もすぐさま続いた。
ダニエルズは敷地内に着地するとほとんど同時に、門番の一人を背後からダブルタップで仕留めた。
もう一人の門番も、ダニエルズの後に続いた隊員に撃たれ、どさりと音を立てて崩れ落ちた。
宿舎の方からサンダルで駆けつけてきたパジャマ姿の男が、サブマシンガンを構えるそぶりをみせた。
次の瞬間、男はデルタ隊員の放った二発の銃弾を顔面に受けて骸と化した。
ダニエルズは、銃撃に巻き込まれないよう身をかがめている捜査官の下に駆け寄ると、予め決められていた合言葉でお互いの身分を確認した。
捜査官に自衛のための拳銃を渡し、自分はアサルトライフルを構えて状況を確認した。
状況はまずい方に転がっていた。
宿舎から続々と人が現れ始めている。
武器庫に駆け込む姿もみえる。
デルタ隊員たちは、拳銃からアサルトライフルに持ち替えると、工場の方から近づいてくる人影を次々と撃った。
反撃が始まるのは時間の問題だ。ならばその前に可能な限り倒しておきたい。
ダニエルズもセミオートで正確な射撃を開始した。
身をかがめて逃げ惑う人影を、片っ端から撃ちまくった。
「急げ!」
入り口の扉を開けた隊員が叫んだ。
ダニエルズは、捜査官と共に真っ先にゲートの外に飛び出した。
他の隊員もすぐさまそれに続いた。
「こいつは只事じゃないぜ・・・」
一部始終を見ていたボブが、ケンに言うともなく言った。
その時、イヤホンにリックの声が飛び込んできた。
「こちらブラヴォー・ゼロ。全ブラヴォーへ。大至急、撤収。アルファ・ツーに集合。隠密行動は不要。可能な限り早く戻れ。間もなく交戦の見込みだ」
その声は、長年リックの相棒を務めてきたボブでさえ初めて聞くほどの切迫感を漂わせていた。
「こちらブラヴォー・ツー。了解。ケン坊、撤収だ。アルファ・ツーに向かうぞ。大急ぎだとさ」
一切の無駄口を叩くことなく、ケンは素早く行動した。何が起きたのかは分からないが、激しい戦闘になる予感をひしひしと感じていた。
上等だ。俺たちが海兵隊最強と言われるのが伊達じゃないってことを、麻薬の売人どもに死を持って教えてやる。
厳しい訓練で磨き上げた戦闘技術を発揮するチャンスの到来に、ケンの気持ちは高ぶった。そこに恐怖のつけ入る隙は一切なかった。むしろこの地球上でもっとも頼りにできるタフな仲間たちと一緒に戦えることに、喜び混じりの興奮を感じていた。
アルファ・ツーでは、リックたちが撤収の準備を開始していた。
やがて前方から、捜査官を連れたデルタ隊員がこちらに向かって全速力で走ってくるのが見えた。
工場からの追跡者はない。このまま引き下がってくれればいいのだが。
ライフルを構えて援護の態勢を取りながら、リックは心の中で祈っていた。
監視所内に飛び込んでくるなり、ダニエルズがリックに怒鳴った。
「一体どうなってる!」
「こいつが銃を暴発させたようです」
裏切り者の容疑が晴れて、拘束を解かれたコロンビア軍士官の方を指さしながらリックが答えた。
怒りで頭に血が上ったダニエルズは、思わず士官を殴りたい衝動に駆られたが、そんな時間はない。今は一秒でも惜しい緊急事態だ。
「俺たちはこのままアルファ・ワンに向かう。お前たちも全速力で俺たちの後を追え」
傍らでは、デルタ隊員が無線でブラックホークヘリの出動を要請していた。今や逃げ隠れする必要はない。一刻も早くアルファ・ワンにヘリを待機させておく必要がある。
「隊長。この疫病神を連れてってください」
リックはコロンビア軍士官を無理やり突き出した。
ダニエルズは、士官など存在しないかのように一瞥さえくれなかった。
こいつのお守りをする気はない。一緒に来たければ勝手にするがいい。俺達デルタは救出したタンゴと一緒に全力でアルファ・ワンを目指すだけだ。
ダニエルズはリックに面と向かって言った。
「お前たちも絶対に遅れるなよ。分ってると思うが、待ってる時間は無い。0400時までにアルファ・ワンに辿り着けなかった場合には・・・」
冗談ともつかない調子でダニエルズは続けた。
「お前たちにはジャングルの住人になってもらう」
軽口に付き合っている余裕はなかった。リックはむっとした調子で答えた。
「こっちの心配をする暇があったらさっさと出発してはどうですか、少尉殿」
にやりと笑ったダニエルズが、リックの肩に軽いパンチを打ち込みながら言った。
「その調子だ」
デルタ隊員は夜のジャングルを疾駆すべく、各々が暗視ゴーグルを装着した。
ダニエルズ隊長は、予め用意してきた予備のゴーグルを捜査官に渡すと、五人はあっという間にジャングルの闇に消えていった。
コロンビア軍士官は、置いて行かれては堪らないとばかりに、来た時とは別人のような素早さで慌てて後を追いかけていった。
監視についていた全てのセルがアルファ・ツーまで戻り、ようやくヴァイパーの全隊員が再集結したのは、それから五分程経ってからだった。この五分間はリックにとっては、五時間にも感じられた。
「アルファ・ワンに全力で向かう。遅れた者はこのジャングルで一生暮らしてもらう」
リックもダニエルズをまねてみた。冗談などほとんど言ったことのないリックの口からでたその言葉を聞いて、みんなが笑った。おかげで、何の益にもならない無駄な緊張感が抜けていった。それでこそリーダーだ。
ボブが後を継いだ。
「ジャングル暮らしも悪くないぜ。税金払う必要もなさそうだしな」
その時、工場の方から強力な人工の明かりが射してきた。
見ると、工場を囲む塀の上に、一定間隔で設置された全ての投光器の電源が入れられたようだった。そのうちのいくつかはこちらの方向に直接向けられている。
闇の中に浮かび上がる、大自然の中の人工的建造物は非現実的な美しさだった。ケンは圧倒されながら思わず見惚れてしまった。
だが、続いて聞こえてきたざわめきが、すぐさまケンを現実に引き戻した。
武装した一団が隊伍を整えて、こちらに向かってくるのが見えた。
総勢で五十名近くいるようだ。工場作業員も混じっているようだが、それにしてはどうも様子が違う。
その動きは素人のそれではなかった。手にしているのはAK47アサルトライフルなどロシア製の武器が中心だが、中には一体どんなルートで入手したのか、米軍の対戦車バズーカAT4を担いでいる者もいた。
大型のマグライトが描く光の筋を交錯させながら、武装集団はまっすぐにケン達の方向に向かってくる。
「全力で離脱だ」
「言われるまでもねぇ」
リックの号令にボブが答えた。
暗視ゴーグルを装着した十二人のフォース・リーコンがジャングルの悪路を走り始めた。目指すは一㎞先のアルファ・ワン。そこにはブラックホークが待機しているはずだ。
彼らの出発と同時に雨が降り始めた。作戦開始時には明るい月が出ていたにもかかわらず、雨脚は徐々に強まりやがて豪雨となった。
リック達ヴァイパーにとって致命的に不運だったのは、この神の鉄槌作戦が実行されたタイミングだった。
彼らが麻薬工場の監視任務につくちょうど前日に、十五名の屈強な男たちが工場に派遣されていた事実は、潜入していた捜査官さえ気づかなかったのだから、米軍側には知る由もなかった。
彼らの正体は、パブロ・エスコバルに雇われて私設軍の一員になった傭兵で、そのほとんどがソ連崩壊で職を失った元スペツナズ(特殊任務部隊)の隊員だった。その目的は、このジャングルの中で、コロンビア最大の反政府武装組織であるコロンビア革命軍(FARC)の戦闘員に軍事訓練を施す事だった。訓練に使用する大量の武器、弾薬も到着しており、それが武器庫に運び込まれるのはケンたちも目撃していた。
FARCはメデジン・カルテルと手を組み、麻薬工場や流通ルートを保護するなどの活動にも従事。その範囲はベネズエラ、パナマ、ブラジルなどの隣国にまで及んでいる。そしてFARCの戦闘員は定期的にメデジン・カルテルが支配するエリアでジャングル戦から市街地戦まで、さまざまな戦闘訓練を受けていた。
FARC戦闘員の到着が、神の鉄槌作戦の翌日だったのは不幸中の幸いだった。仮に、彼らも工場にいたとしたら、間違いなく実戦訓練と称してフォース・リーコン追撃に駆り出されたはずである。
だがFARCはいなくとも、戦闘のプロである十五名の元スペツナズに率いられた五十名からなる武装集団が動き始めたのだ。リックが、絶対に避けたいと考えていた戦闘に突入するは時間の問題だった。
生い茂る樹木を雨が激しく打ち、騒々しい音を立てていた。これは移動時に出る音をかき消してくれるため、逃げる側には都合がよかった。
反面、時間と共に地面がぬかるみはじめ、只でさえ前進するのが困難な状況に追い打ちをかけた。
ケンたちがアルファ・ワンまでの道のりを半分ほどまで進んだ頃、とうとう後方から銃撃が始まった。
AK独特の甲高い発射音が雨音を切り裂いて響いてくる。
敵との距離はおよそ百メートル。
射撃はかなり正確で、ケン達の付近に生い茂る樹木の幹に命中しては、パスパスと不気味な音を立てている。
「このままじゃ、やられちまうぜ、リック」
ボブが大声で怒鳴った。
リックもケンも、他の全員が反撃したい気持ちを必死で押さえていた。
十分な弾薬と、時間的な余裕があれば彼らは追ってくる武装集団を迎え撃っただろう。だが偵察を任務とし長期間敵地に潜入するフォース・リーコンは、その性質上、携行する武器、弾薬は最小限にとどめなければならない。武器の代わりに携帯するのは無線などの電子機器や衛星通信システム。そして一週間でもジャングルで活動できるだけの食料である。
主力武器がM16A4ライフルで、弾倉は四つのみ。サイドアームの拳銃にM1911を一丁。それが全てだった。
心もとない武器を最後の切り札とし、ケンたちは可能な限り逃げまくった。
だが、敵の射撃がますます精度を上げてきた。
こんな芸当ができるのは元スペツナズの傭兵に違いない。
こちらの位置は完全に把握されているらしい。
このままでは温存している武器を使う前に殺される。
そう判断したリックは、移動し続けながら、チームの全員に、敵を攻撃しながら退却すると告げた。
その知らせに、死と隣り合わせの危機にあってなお胸を躍らせながら、ヴァイパーの十二人が暗視ゴーグルを外した。ジャングルを強力なライトで照らしながら追撃してくる敵と対面する以上、光を増幅させる暗視装置はむしろ視力を奪われる危険があるからだ。
彼らは、まるで一匹の巨大な蛇を思わせる滑らかな動きで二列縦隊になるや、最後尾のケンとボブが、後方八十メートルに迫る集団に向けて射撃を開始した。
敵は有効射程距離内だが、降りしきる雨と密林が邪魔して十分な打撃を与えるには及ばなかった。
ケンとボブが縦隊の先頭まで駆け上がると、次に最後尾になった二人が同じように後方に向けて射撃する。
彼らは交互に射撃と移動を繰り返しながら、ひたすらアルファ・ワンを目指した。
そこには恐怖も興奮もなかった。ただ訓練で死ぬほど繰り返した動作を行うだけだった。
ケンたちの反撃は敵の足を鈍らせはしたが、同時に闇に瞬くマズルフラッシュ(発火炎)がこちらの位置を敵に知らせることにもなる。
アルファ・ワンまであと三百メートルというところで、敵が対戦車バズーカを使用した。
一瞬、大地が割れたかと錯覚するほど凄まじい衝撃が、ヴァイパーの十二人を襲った。
そのたった一発で、二列縦隊の後方にいた四名の隊員が即死した。
火薬と肉の焼ける臭いが辺りを漂い、樹木がチロチロと燃えていた。
爆風で傍らの大木に叩きつけられたケンが、胸の辺りを抑えて咳込みながら何とか立ち上がろうとした。だが、甲高い耳鳴りのせいで平衡感覚が失われ、無様に尻もちをついた。
「なんてこった」
隣では、ボブが茫然としながら呟くと、赤く濡れたボロ雑巾のように横たわる塊を見つめていた。ほんの三十秒前までは、長年苦楽を共にしてきた世界一勇敢な男たちだった。それが今では血濡れの肉塊でしかない。
「ボブ、しっかりしろ!」
リックが耳元で怒鳴った。我を取り戻したボブは、ゆっくりと深呼吸しながらライフルを三点連射に切り替えると、後方の敵目がけて撃ちまくった。
タタタ、タタタ、タタタと小気味よい連射音を鳴らしながら、あっという間に最初の弾倉を打ち尽くすと、すかさずマグチェンジして再び連射を開始した。
ケンは口の中に広がる血の味を意識しながら、先程までの興奮や勇気がすっかり萎えている自分に気づいた。
なぜ、俺はあんなにも強気だったのか。本当の戦闘を知らない愚かな若造だったのか。
銃火のど真ん中で自問自答を繰り返すケンだったが、耳元をかすめる銃弾が空気を切り裂く音で現実に引き戻された。
考える時間は後でいくらでもあるだろう。今は、仲間と共にこの窮地を脱出することに専念するのだ。
その時、急に格闘術の先生だったトゥワンコ師のことを思い出した。
「冷静沈着な洞察力こそが最強の武器なのです」
ケンは、ボブに倣って三点連射で敵の隊列目がけて撃ちまくった。
だが、これでは敵を止めることはできない。
飛び交う銃弾の中、今すぐ逃げろと警報を鳴らし続ける生存本能に抗いながらケンは冷静に考えた。そして閃いた。
クレイモア地雷だ。
「リック、クレイモアだ!」
ケンは、兄に向って叫んだ。
リックは力強く頷いた。
この状況にあっても、破れかぶれになることなく、しっかりと前を見続けてリーダーの役割を果たしているリック。その姿に勇気づけられながらケンは思った。さすが俺の兄貴、マイティ・リックだ。
リックはあくまで冷静だった。元スペツナズ兵士が発射したバズーカ砲の直撃を受けて、一瞬にして半数近くの仲間を失った。人的損耗なしで全員を無事に帰還させるという、そんな誓いが果たされないと決まった時、リックはその事実を素直に受け止めた。
残酷な現実を受け入れられずにパニックに陥って、使い物にならなくなるリーダーもいるがリックは違った。
人間、死ぬ時はどうあがいても死ぬのだ。
銃弾が止むことなく飛び交う中で、リックは妙に達観した気分を味わい、その数秒後には完全に気持ちを切り替えていた。
「全速力で、クレイモアの位置まで退却」
リックの命令を合図に、ケンたちは一旦射撃を中止すると、雨でぬかるんだ地面に足を取られながらも全力で走った。
この逃走経路の三ヶ所にクレイモア対人地雷を仕掛けておいたが、すでに二か所は通過してしまった。最後の一ヶ所に意地でも辿り着き、うるさい敵を黙らせるしかない。
暗闇の中を必死で進みながら、ケンは胸の受信機が点滅するのを待った。
やがて受信機が点滅しクレイモア地雷の位置を告げた。金銀財宝を発見するよりも嬉しかった。
「クレイモアはここだ!」
叫びながらクレイモア地雷の向きを確認し、リモコンを取り出した。
「よし、引きつけてブチかませ」
ボブが叫んだ。
だが引きつけるまでもなく敵は五十メートルまでに迫っていた。有効加害距離だ。
ケンはスイッチを入れて起爆させた。
次の瞬間、弁当箱のような形をしたクレイモア地雷のフタが開き、中から七百個の鉄球が後方目がけて発射された。
六十度の角度で扇型に広がる殺傷ゾーンにいた人間は、一人の例外もなくひき肉と化し、この世から消滅した。
血で染まった赤色の霧がその付近を漂っていた。
「行くぞ!」
ケンたちは、再びアルファ・ワン目がけて全速力で進みだした。
だがクレイモア地雷をもってしても、敵の追撃を沈黙させ続けることはできなかった。
一分もすると、生き残った元スペツナズが指示を出し、敵は再び隊列を整えて追撃を開始した。
アルファ・ワンでは、すでに第160特殊作戦航空連隊の凄腕パイロットが操縦する二機のブラックホークヘリが待機しており、メインローターがふりしきる雨を辺り一面に弾き飛ばしていた。
すでにデルタの八名と救出された捜査官、そしてこの惨事の引き金を引いたコロンビア軍士官が分乗して、ケンたちが戻るのを辛抱強く待っていた。
ローターが出す騒音が全ての音をかき消していたが、それでもダニエルズの耳にはバズーカ砲やクレイモア地雷の炸裂音が届いていた。
ジャングル移動に関しては米軍一の能力を誇るフォース・リーコンがまだ到着しない。のっぴきならない状況に追い込まれているのは確実だ。
開けた台地の端からヘリに向かって設置されたケミカルライトが、美しい蛍光グリーンに発光している。ここまで辿り着いたヴァイパーが、闇の中を最短距離でヘリまでこられるように設けた道しるべだ。
ブラックホークの縁に腰掛けたデルタの隊員たちは、死に物狂いでこちらに向かっているであろう同胞を援護すべく、アサルトライフルを構えて、その時を待っていた。
今回の作戦では、帰還時にブラックホークに搭乗する人数が通常の作戦よりも多い。そのため燃料の問題から武器を搭載できなかった。
また、やはり燃料的にジャングル奥地までの飛行が不可能なため、アパッチなどの攻撃ヘリが護衛に着くこともできなかった。
つまり、頼れる武器はこのアサルトライフルだけだった。
刻一刻と時が過ぎて行く。この場に留まれるのは長くてもあと十分程度だろう。0430時になればホーネットが空母を発進する。そしてその数分後には空対地ミサイル、マーベリックがこの辺り一帯を火の海に変える。
急げ。ダニエルズはヴァイパーの一刻も早い到着をひたすら祈っていた。
走っては振り返って撃ち、撃ってはまた向き直って走る。機械のような正確さで動作を繰り返しながら、アルファ・ワンを目指すヴァイパーの生き残りたち。
先頭をゆくリックのすぐ後ろで、また一人仲間が倒れた。
これで何人目だろう。
決して戦場に仲間を置き去りにしない。それはアメリカ軍に入隊した誰もが胸に刻む軍規である。
だが、その軍規ゆえに悲劇が生まれるのもまた事実だ。無理を承知で仲間の救出に向かって死んだ兵士や全滅したチームはいくらでもある。それは犬死ではないのか。
全滅してしまっては元も子もない。助けに戻ることはできないのだ。
引き裂かれるような思いで、仲間をその場に残しながら先頭を走るリック。
とにかく生き残るのだ、自分がダメでもケンだけは祖国に帰してみせる。俺はあいつの兄なのだから。
リックの後ろを二名の隊員が走っていた。
彼らの、さらに数メートル後ろにケンの姿を認めて、リックはほっとした。
そして最後尾のボブが、鬼のような形相で必死にケンについてきていた。
十二人いたヴァイパーだが、今や残っているのはこの五人だけだった。
その誰もが体力的限界を迎えつつあった。
やがてケンの耳にも、ヘリのローター音がはっきりと聞こえてきた。
銃声と豪雨にかき消されて気づかなかったが、アルファ・ワンはすぐそこに迫っていた。
前方に開けた空間が見える。
その地面には人工的な美しさで発光するグリーンの目印が、ヘリまでの道を浮かび上がらせていた。まさに希望の道しるべだ。
その先のヘリでアサルトライフルを構えて待機するデルタの姿が見えた途端、ケンの中に力が湧いてきた。
もはや全ての力を使い果たしたと思っていたが、まだいける。
ケンは、最後のマガジンを装填しながら振り向くと、後方の敵に向けて三点バーストをお見舞いした。
だがその瞬間、胸にハンマーで叩かれたような衝撃を受けて吹っ飛んだ。
被弾したのだ。
弾丸は奇跡的にタクティカルベストのナイフに命中し、どこかに弾き飛ばされた。官給品の代わりに持ってきた仲間たちからの贈り物-チタン製のカランビットナイフがケンを守ったのだ。
それでも着弾の衝撃はすさまじく、ひっくり返ったケンは頭部をしたたかに打って意識を失った。
ヴァイパーが開けた台地の向こう端に姿を現したのが、ダニエルズにも見えた。
全部で四人、いや負傷者を担いでいる奴がいるから五人。他の七名はここまでたどり着けなかったということか。
その損耗にダニエルズは衝撃を受けたが、落ち込んでいる暇はなかった。このままではさらに被害は拡大しそうだった。
追跡者たちは、もはや五人の直ぐ後ろに迫っているのは明らかだが、それを追って開けた場所に姿をさらすほど素人ではないようだ。それどころか正確な射撃からしてプロの兵士に違いない。
敵の銃弾は今や、待機するブラックホークにも狙いを定め始めていた。
ダニエルズが合図するまでもなくデルタ隊員が一斉に射撃を開始し、こちらに向かう五人を援護した。
だが、敵はジャングルの樹木に姿を隠しながら暗闇の中から攻撃してくるため、いかにデルタといえども効果的な射撃はほとんど不可能だった。
一方で、開けた台地にいるこちらは、敵からみればイージーな射撃の的のようなものだ。
敵の撃つAK‐47のライフル弾が、不気味な金属音とともにヘリの機体に穴を穿ち始めた。
怯えるコロンビア軍士官がダニエルの肩を掴んで言った。
「早く脱出しないと。死ぬ。みんな死ぬ」
ダニエルズは振り向きざまに、士官の鼻柱に拳を叩き込んだ。折れた鼻から血を流しながら、コロンビア軍士官はその場にうずくまって静かになった。
それを見て、ダニエルズは一瞬残酷な満足感を覚えた。だが確かにこのダメ士官の言っていることは正しかった。このままではやられる。判断を下すべき時は近い。
胸部に打撲の強烈な痛みを覚えて意識を取り戻したケンは、雨に濡れた草地の地面が、スローモーションのようにゆっくり揺れているのを見た。暗闇の中、空中を浮遊しているような妙な感覚だ。
一瞬、自分の居場所が分からなかったが、すぐに誰かに担がれて運ばれているのに気がついた。もう大丈夫だと言おうとしたが、胸の痛みで呻くのが精いっぱいだった。いずれにせよヘリのローター音で相手には聞こえなかっただろう。
そのうちヘリの中にどさりと乱暴に降ろされた。撃たれて気を失ったケンを担いできてくれたのはボブだった。
「ケン坊、直行便でひとっ飛びだ!ファーストクラスってわけにはいかんがな」
ケンの耳元でそうどなりながら、ボブはウィンクしてみせた。
だが次の瞬間、そんなボブの顔が苦痛に歪み、次にケンの上に被さるように崩れ落ちてきた。
それを見たダニエルズが大声で叫んだ。
「衛生兵!」
もう一機のヘリにいたデルタの衛生兵が、銃火をかいくぐりながらこちらに来ると、すぐさまボブに応急処置を施した。
息はある。だが生き延びても五体満足とはいかないだろう。
残酷な現実を幾度となく見てきた衛生兵は、動じることもなくその場でできる処置に専念した。
その様子を茫然と眺めながら、ケンは声にならない声で叫んだ。
頼む、死ぬな、ボブ!
あの位置にボブがいなければ、俺が被弾していただろう。
いや、それ以前にボブがここまで運んでくれなければ、俺はジャングルの中でとっくにくたばっていたのだ。
二度も俺の命を救ってくれたボブを、絶対に死なせるわけにはいかない。
リックと、二人のリーコン隊員が最後の反撃に転じていた。
ライフルは予備の弾倉まで撃ち尽くしており、今では腰につけたガバメントを抜いていた。戦場においては護身用以外に実用性のない拳銃さえも使わざるをえないほど追い詰められていた。
待機する二機のヘリまでは約三十メートル。
敵の銃火が正確性を増すこの状況では、決して辿り着けないのは明らかだった。
リック自身がそのことを誰よりも理解しながら、今は不思議と冷静で安らぎに似た感情を味わっていた。
横を見れば、長年苦楽を共にしてきた二人の仲間が勇敢に戦っている。こんな男たちと一緒に最後の時を迎えられるのは、兵士の死に様としては悪くない。
その時、木々の間からRPGを担いだ兵士が現れ、ブラックホークに狙いを定めるのが見えた。
リックはとっさにガバメントを撃ちまくったが、この距離と状況からして命中させるのは不可能だった。
だが、RPGが発射される前に、後方のヘリからデルタ狙撃兵がこれを倒した。
リックがほっと胸を撫でおろした瞬間、敵のライフル弾が右の太腿に命中した。
右足から力が抜けたリックは、崩れるように地面に片膝をついた。
あとの二人も、これとほとんど同時に撃たれて死んだ。
すでに絶命している彼らの体が、地面に向かって倒れてゆく様子が、リックの目にはスローモーションのように映った。
後方では、ヘリの一機が離陸して行くのが、遠のいてゆくローター音で分った。
戦って死ねることの幸せが、リックに太腿の痛みさえ感じさせなかった。
進退窮まったその時、リックの心を占めていたのは、死への恐怖や絶望でもなければ、最後まであきらめずに戦ったことに対する誇りでもなかった。
弟は無事にヘリに乗れただろうか。
たった一つ、その事だけを考え、心配していた。
ダニエルズの眼の前では、ヴァイパー最後の三人が木々の裏側に隠れる敵に向かって、果敢に銃撃を浴びせていた。だが、どう贔屓目に見ても劣勢は明らかだった。それどころか、死が彼らの目前に着々と迫っている。
時間がない。早くここまで来い!
ダニエルズは心の中で、祈るように叫んだ。
だが攻撃を止めて、三人がこちらに向かって走り出した瞬間に、敵弾の雨が背後から容赦なく彼らを襲うだろう。まさに地獄の真っただ中に釘付けの状態だ。
その時、RPGでこちらに狙いを定めている敵の姿が目に入った。
その瞬間ダニエルズの脳裏を、二年前のソマリアで米軍を襲った悲劇「モガディシュの悪夢」がよぎった。あの戦闘で、ソマリア民兵に撃墜されたブラックホークのパイロット救出に志願し、そして戦死したデルタ隊員、ランディ・シュガート軍曹とゲーリー・ゴードン曹長の二人は、ダニエルズの親友だった。
ダニエルズの隣にいた狙撃兵が、いち早くRPGの脅威を排除した。
だが、ますます正確になる敵の銃火は、ブラックホークの機体に穴を穿つだけでなく、中にまで飛び込んでくる。
限界は目の前だ。
カリブ海上の空母で、今や遅しとダニエルズからの発進許可を待つホーネット。その命令を下すまでの時間的猶予は、多く見積もってもあと三分程度だろう。
だがその前に、このヘリが撃墜される可能性の方がむしろ高い。
ダニエルズは、救出した捜査官が乗り込んでいるもう一機のブラックホークを先に離脱させた。これでようやく、神の鉄槌作戦における任務の最低ラインはクリアだ。
「ダニエルズ隊長、限界だ。このままでは離陸できなくなる」
そう叫んだのは、コックピットの機長だった。
このヘリを操るのは、特殊作戦のための訓練を積んだナイトストーカー(闇夜に忍び寄る者)と呼ばれる連中である。世界一の操縦技術を持つ彼らは、Night Stalkers Don't Quit(ナイトストーカーは諦めない)というモットーが示す通り、特殊部隊の連中でさえ無謀だと考えるウルトラC級の操縦を難なくやってのける。そんな連中が限界だと言っているのだから、本当に限界なのだ。やむを得まい。
「了解だ。離陸してくれ」
ダニエルズは動揺を隠すために、あえて機械的な口調で命令した。
馬鹿な!仲間が地上で戦っているのに見捨てて行くのか!
銃撃による胸部の打撲でまともに声を出せないケンは、心の中で叫んだ。
俺の兄貴が、リックがまだ戦っているんだ!戻れ。戻ってくれ
だが、その願いもむなしく、ふわりと浮上したブラックホークが徐々に高度を上げてゆく。
このまま逃げるくらいなら、俺は降りて戦う。それで死んだほうがましだ。俺を地上に降ろせ!
呻き声を上げながら、もがくようにヘリから身を乗り出そうとするケンを、デルタの隊員がどうにか押さえつけた。
ダニエルズは無線機に向かって怒鳴った。
「こちらアルバトロス。離脱した!ホーネットを寄こせ」
その時、飛び去るブラックホークの機中からケンが見た兄リックは、地面に片膝をついており、手にした拳銃は最後の一発まで撃ち尽くしていた。
傍らには二人の仲間の死体も見えた。
リックがおもむろに振り返ると、ケンたちの乗るヘリを見上げた。
リックと目が合ったケンは驚いた。
戦場に一人見捨てられ、確実なる死という運命が目前に控えているにも関わらず、兄は優しく笑っていたのだ。
まるで何かから解放され、心からほっとしている様にも見えた。
一体どうして・・・。
ケンが、届くはずもない問いを兄に投げかける間もなく、リックは再び敵に向き直り、胸に差してあるタクティカルナイフを抜いた。
届くわけもないそのナイフを、それでも迫りくる敵目がけて投げつけようと振りかぶった瞬間、リックの頭が風船のように破裂した。
頭部を失った胴体は、ナイフを振りかぶった手をそのままに前のめりに倒れた。
決して屈服せずに、最後の瞬間まで戦い続けた兄の姿は、死ぬまで絶対に忘れられないイメージとしてケンの脳裏に焼き付いた。
俺は必ず戻ってくる。兄貴、みんな。それまでここで待っててくれ。
ケンは泣きながら心に誓った。
ジャングルの上空を、樹木すれすれに飛ぶブラックホーク。
気がつけばあれだけ激しく降っていた雨はすでに上がっていた。辺りはうっすらと明るくなり始めており、夜明けが近いことを告げている。
どこからともなく聞こえてくるジェットエンジンの音が、徐々に近づいてくるのが、ヘリのローター音越しにも分かった。
次に空気を切り裂くような鋭い音が聞えた。
やがて後方から、連続して凄まじい爆発音が轟き渡り、他の全ての音を飲み込んだ。この世の終末を思わせるような恐ろしい音だった。
ケンが涙にかすむ目でその方角を見ると、つい先ほどまで自分たちがいた場所に、何本もの巨大な炎の柱が立っていた。それはまさに地獄の業火というに相応しい光景だった。
つぎの瞬間、強烈な爆風でヘリが大きく揺れた。
ケンは肺に焼けるような痛みを感じた。
次に、肺の中から空気が無理やり絞り出されるような苦しさを味わって、思わず呻いた。
ケンの傍らで横たわるボブは、安らかに眠っているようにみえた。
雨露に濡れたジャングルを炎がなめ尽し、パブロ・エスコバルの麻薬精製工場をこの世から消し去った。
キャンプ・ペンドルトンに帰投した翌日、ケンはボブが一命を取り留めたことを知って、心の底から安堵した。半身不随は免れないらしいが、それでも生きていれば良いこともあるはずだ。自分の代わりに撃たれたようなものなのだ。精いっぱいのヘルプで恩返しをしなければならない。
ともかく、あの状況でボブの命を救ったデルタの衛生兵には心の底から感謝する。だが、リックを置き去りにしたまま離脱の命令を下した隊長マット・ダニエルズ少尉を許せる気にはなれなかった。
兄を含む、実に十人の仲間を一度に失ったショックはあまりに大き過ぎて、ケンにはまだ実感が湧かなかった。その時点では、喪失の悲しみよりもむしろ現実に対する怒りの感情が勝っており、その矛先はダニエルズに向かっていた。
数日後、ケンは休暇を申請すると、デルタフォースをはじめ米軍の特殊部隊が駐屯するノースカロライナ州のフォート・ブラックを訪ねた。
実際、ダニエルズ少尉を訪ねたところで何ができるわけでもないことは承知していた。だが、あの時なぜ兄を置き去りにしたのか。そのことについては、ダニエルズに面と向かって問いただしたかった。
「おい、マットに客だぜ」
そういってケンを取り次いでくれたのは、長髪にあごひげでベースボールキャップを被ったTシャツ姿の男だった。その筋肉質な太い腕にはタトゥーが彫られている。
おおよそ軍人らしくない見た目は、いかにも特殊任務で民間人になりすますことの多いデルタフォースである。上官を呼び捨てにすることなど海兵隊では言語道断だが、ここの連中にとってはいたって普通のことらしい。
しばらくすると、向こうに見える質素な建物のドアからダニエルズが出てきた。
ほんの数日前のジャングルにおける激戦など、とっくに忘れたようなリラックスした表情でこちらに歩いてくるダニエルズを見て、ケンの中で抑えていた怒りが瞬時に沸騰した。
「よぉ、誰かと思えばお前さんか。はるばるこんなところまで、今日は何の・・・」
言いかけたダニエルズの左あごに、ケンの右ストレートが炸裂した。
いきなりの不意打ちを喰らったダニエルズは、もんどりうって倒れこんだ。
それを周りで見ていたデルタ隊員たちは、止めに入ろうともせず、それどころか笑いながら二人の様子を楽しんでいた。
「なぜ、置き去りにしたんです」
顎をさすりながら立ち上がるダニエルズに向かって、ケンは繰り返した。
「あの夜、まだ戦っている俺の仲間を残して、なぜ離脱・・・」
言い終わる前に、今度はダニエルズがボディブローを打ち込んできた。
あまりに強烈なパンチに思わずくの字に体を折り曲げるケン。
すかさず背後に回り込んだダニエルズは、そのまま首に腕を絡ませるとケンを地面に倒して押さえつけた。
「一度しか言わないからよく聞けよ、若造。俺たちは兵士だ。兵士ってのはな、いついかなる時も命を捨てる覚悟で戦ってるんだ。死ぬのなんか問題じゃない。どうすれば任務を遂行できるか、そのためのベストな選択はなにか、大切なのはそれだけだ」
そこまで言うと、ダニエルズは腕を解いてケンを無理やり立ち上がらせた。
肩で息をしながら再び対峙する二人。
「それはお前だって、お前の仲間だって全員同じだろ。兵士が戦場で命を落とせるなんて、俺にいわせりゃ最高に幸せな死に方だ」
冷静さを取り戻したケンは、うなだれた。
「死んじまったお前の仲間だって悔いはないはずだ。そいつらをがっかりさせるようなまねは慎め」
「・・・すみませんでした」
ケンは、ダニエルズを見ることもできずにうつむいたまま、踵を返して出口に向かった。
確かにダニエルズの言う通りだった。最後まで勇敢に戦って死んでいった仲間たちは、何も悔やんでなどいないだろう。それどころか、むしろ自分たちの死に様を誇りに思っているに違いない。
彼らの死を汚してはいけない。そう思うと、ケンは恥ずかしさで顔を上げることができなかった。その背中にダニエルズが声をかけた。
「兄貴だったそうだな」
ケンは立ち止まって振り返った。
先程までとは打って変わって、ダニエルズは慈悲深い優しい表情でケンに言った。
「お前さんのチームの隊長さ」
「ええ」
「勇敢な男だったな。誇りに思え」
「・・・もちろんです」
ダニエルズに頭を下げると、ケン再び出口に向かった。
出口付近で、先程ケンを取り次いでくれた長髪にあごひげの隊員が声をかけてきた。
「おい、坊や。お前さんの気持ちはわかるよ。俺たちもな、理不尽な命令で仲間を失くすなんてのはしょっちゅうだ」
「・・・」
「あのマットもな、ソマリアで親友を二人亡くしてるんだぜ。だからあいつだって、お前さんの気持ちを理解した上でああ言ってるんだ」
「分かってる。俺がバカだった。すまなかったと思ってる。だが、この感情の矛先をどこに向けて良いのか分からなくて・・・」
「少なくともマットに当たるのはお門違いよ。頭冷やして、ゆっくり考えてみるんだな。それでも、どうしてもお前さんの気持ちが収まらないってんなら、文句はもっと上の連中に言ってみろ」
「ああ、そうしてみる」
神の鉄槌作戦から半月以上が経ったその日、キャンプ・ペンドルトン敷地内の片隅では、作戦で戦死した十名の海兵隊員のための葬儀が、ひっそりと執り行われていた。
国家が公には認めていない極秘作戦における戦死者ゆえに、身近な関係者のみが集まって少人数で行われる簡素な式だった。遺体は未だコロンビアのジャングルに放置されたまま帰国を果たしていないため、ただの形式的な葬儀でしかない。
それは同時に、リック・オルブライトをはじめとする十名の海兵隊員が、その死を確認されぬままに戦死確定の烙印を押されたことを意味した。
形ばかりで何の心もこもっていない葬儀に参列しながら、ケンはそのことを考えていた。ヴァイパーのコードネームで任務についたリーコン隊員たちがあの戦闘で死んだのは、疑いようもない事実だ。ましてや、あのホーネットによる爆撃だ。遺体の回収もまず不可能だろう。
だが海兵隊は、軍は、国家は、それを確認しようと努力したのか?国のために命を捧げた兵士の末路がこんなことでいいはずがない。国だって彼らの死に報いるべく、命を捧げるつもりで動かなければならないはずだ。それなのに、こんな形式だけの葬儀で全て終わりにされようとしている。
優秀なデルタ衛生兵の応急処置により辛うじて一命を取り留めたものの、半身不随となったボブ・ワナメイカーは、未だ病院のベッドから動くことができず、式への参列は叶わなかった。
こんな式ならボブは参列しなくて正解だったとケンは思った。ボブの代理として妻のケイト・ワナメイカーが列席していた。年の離れたおしどり夫婦として知られており、若いケイトの美貌は海兵隊員の中でも有名だったが、今やその顔には深い疲労と絶望の色が浮かんでいる。
ケンは勇気を振り絞ってケイトに声をかけた。
「ケイト、何と言っていいのか・・・」
言葉に詰まるケンを見て、ケイトは無理やり微笑みながら言った。
「ケン、あなたも・・・お兄さんは残念だったわね」
二人の会話はそれきり途絶えた。
ケンが入院中のボブ・ワナメイカーに会いに行く勇気を持つまでには、さらに二ヵ月以上の時間を要した。
葬儀が終わった時、ケンは初老の女性に声をかけられた。
「ケン・オルブライトさんね」
どこかで見覚えのある女性だったが、すぐには思い出せなかった。
「覚えてないかしら」
そこでようやく思い出した。ケンが十八歳になるまで世話になった孤児院の院長シスター・エリスだった。
「この度はご愁傷様です。お兄さんは本当に残念だったわね」
そこから始まったシスター・エリスの話を聞いて、ケンは兄への尊敬の念をますます深めずにはいられなかった。
リックは孤児院を出てから十数年間に渡って、毎年多額の寄付をしていたという。おかげで孤児院は運営に行き詰まることもなく、今も大勢の子供たちが元気に生活を送っている。
長年に渡って院長の責務を担ってきたシスター・エリスは、間もなく勇退する予定でおり、リックには退任式に出席してもらおうと考えていた矢先に、今回の訃報を知らされたという。
ケンは、シスター・エリスのすぐ後ろに女性が控えているのに気がついた。エリスは彼女を紹介した。歳の頃は三十代半ばくらいだろうか。地味ながらも芯の強そうな印象のこの女性の名はアイダ・ブルックスといい、修道院の次期院長だという。
それよりも驚いたことに、アイダはリックの婚約者だった。兄にそんな存在がいるとは全く気がつかなかったケンは、自分の知らないリックの意外な一面を垣間見た気がした。
「あなたがケン・オルブライトね。はじめまして」
悲しみを感じさせない気丈な声でアイダはあいさつした。
「え、ああ、どうも」
「初めての挨拶がこんな場になってしまうとは、本当に残念です」
「ええ、確かに」
「あなたのお兄さん、リックはあなたのことを本当に誇りにしてましたよ」
「え、兄貴が?」
リックこそ俺の誇りだった。そのリックが俺を?
思いがけない告白に、ケンは戸惑った。
「ええ、そう。デートの最中だっていっつもあなたの話ばっかり。私が思わず嫉妬してしまうほどに」
そう言ってアイダは笑った。
「だからお会いできるのを楽しみにしてたんです。どれだけ素晴らしい弟さんなのかなって」
「それはどうも・・・えっと、失望させていなければ良いのですが」
「いいえ。予想通りの立派な軍人さんで、さすがリックの弟さんだなって。彼は逝ってしまったけれど、私たちの記憶にある限り、その存在は永遠に生き続けます」
「はい。あんなに立派な兄ですから。忘れられるはずもありません」
「そうよね。残された私たちが自分の人生をいかにしっかりと生きるか。彼に宿題を出されたような気がしてるの」
「はぁ・・・」
「いつまでも悲しみに暮れてばかりはいられない。天国のリックに叱られてしまう・・・」
言葉とは裏腹に、アイダの声は震えだし、やがてその目から涙が溢れた。
葬儀が終わってすぐに、ケンはフォース・リーコンの中隊長の下に出向いて、コロンビアの爆撃地に戻るべきだと直訴した。
確認をするまでもなく、全員が死亡しているのが明らかなのは、あの場にいたケンが誰よりも知っている。遺体の回収が不可能なのも、ホーネットがジャングル一面を火の海に変えた爆撃を目撃したケン自身が分かっている。
それでも国家や軍が、自国の兵士を敵地に置き去りにせずに、故国に帰すべく全力を尽くすことが重要なのだ。その姿勢を見ればこそ、兵士もまた安心して任務に全力を尽くし、国の期待に応えようとするのだから。
だが、ケンのそんな熱意を持ってしても、中隊長は「俺にそれを決める権限はない」の一点張りだった。これでは埒が明かないと理解したケンは、大隊長のもとに向かった。
だが「アメリカがコロンビアに再び兵力を送り込む理由としては、戦死者の確認だけでは不十分」との慈悲もない言葉が帰ってきた。
そもそも今回の作戦自体が公式的にはコロンビア軍による軍事行動であり、米軍は一切関与していないのが建前である。そのため、米軍がコロンビアのジャングルで展開するには何か別の、しかもそれ相応の理由がなければ不可能なのだ。
次第に敗北感が色濃くなる中、それでもケンは、文句はもっと上の連中に言ってみろというデルタ隊員の言葉に後押しされて、越権行為を承知で第1海兵師団の師団長である少将に掛け合おうとした。
だが、会うことさえ叶わなかった。
切実な思いに突き動かされたケンの行動は徒労に終わり、やがて周囲からはそうしたケンを煙たがる連中も出始めた。
ケンは、これまでわが家のように感じていた海兵隊という組織の中で、初めて疎外感を味わった。そして米軍、さらにはその親玉であるアメリカという国に対し大きな失望を感じた。
その頃、今回の惨事の引き金を文字通り引いたコロンビア軍のダメ士官が、パブロの麻薬王国に強烈な一撃を加えた英雄として、インタビューに答えるテレビニュースを見かけた。「コロンビア軍の精鋭兵士たちが、近い将来わが国から、そしてアメリカをはじめ全世界から麻薬を一掃することを約束する」。得意気にそう語る姿に殺意が沸き上がったが、それを維持する気力さえ、ケンには残っていなかった。
仲間を亡くし、軍や国家に失望し、戦う意味を見失い、虚しさに心を支配されたケン・オルブライトが海兵隊を去るまでに、長くはかからなかった。
一時は激しく降った天ヶ浜の雨もいつしか上がり、雨雲の切れ目からは日が射し込んでいた。それは天界から地上に降り注ぐ光のような厳かな光景だった。
「俺は失望して軍を辞めたんだ。国や軍を頼ったところで何もしちゃくれない。ならば自分でやるしかない」
「というと?」
「自力でコロンビアのジャングルに出向くのさ。運がよければ兄貴たちの遺骨や、形見になるような何かが見つかるかもしれない」
しばらく考えてから、ケンは付け加えるように言った。
「いや、そんなものは先ず見つかりっこないってのは俺だって分かってるさ。でも、俺は約束したんだ。飛び去るヘリの上から兄貴や仲間に向かって、必ず戻るって。約束は果たさなくちゃな」
「でも、そんなことが可能なのか?ケンさんが単身コロンビアのジャングルに行くなんてことが」
「一人じゃ無理さ」
「ではどうする?」
「PMCのプライベート・オペレーターを雇う」
「プライベート・オペレーター?」
妹尾は、PMC(民間軍事会社)のこともプライベート・オペレーターのことも知りつつ、わざととぼけた。
「金で働く兵士。傭兵みやいなもんさ」
「傭兵か」
「あの日、作戦が実行された場所の座標は俺が把握している。問題はそこまで行く足なんだが、大手のPMCはヘリどころか航空機だって所有してるからな。あとはオペレーターが一人か二人と、俺自身に武器があれば、万一の事態にも対応できるだろう。ただ・・・」
ケンは、海面を見つめたまま何かを考えこむように黙り込んだ。
妹尾は、ケンの口から語られた内容に内心では激しく動揺していた。
自分はこの男を殺すべきなのか。
何も考えずに、請け負った仕事をやればいいのだろうか。
心の乱れが波紋のように広がりつつあった。プロの掃除屋としての自分が、まずいことになる前に早く決着をつけろと警告する。
妹尾は、再びケンの後頭部に向けて静かに銃を抜くと、グリップを握りしめてセイフティを解除した。
トリガーにかけた指をわずかに引くだけで、ケン・オルブライトは撃たれた事実に気づくこともなく絶命する。
だが、どうしても引く気にはなれない。
トリガーにかけた指が石のように動かなくなった。
妹尾は諦めて銃をしまった。
「・・・ただ、何しろ金がかかる。だから大金が必要なんだ」
ケンが再び話し出した。
「PMCを雇うのはもちろん安くない。本来は政府や大企業を顧客にしている連中だからね。でも金さえあれば、どうにかなると思うんだ」
妹尾はこの時初めて、ケンが唐島興行からヘロインを持ち逃げした理由を理解した。
雇い主の暴力団からヘロインを盗んで逃亡するという、無謀に近い行動にケンを駆り立てたのは、そういうことだったのか。
妹尾は、自分が何者なのか、その正体も含めて全てをケンにさらけ出したくなった。
その上で、自分にも手伝えるかもしれないと告げたくなった。
唐島興行との契約などこの際どうでもいい。掃除屋稼業からは足を洗ってこの天ヶ浜に定住し、ケンの望みを叶えるべく自分も力になる。
これはもしかすると、新たな自分の生き方が見つかったのかも知れない。
妹尾は、そんな考えを無理やり封じ込めると、ケンに言うともなく言った。
「これで魚が釣れてれば、ケンさんの願い事も叶ったかも知れないんだがなぁ。いや、まだこれから釣れるかもしれないな。雨も上がったし」
ケンは、振り向いて妹尾に笑いかけた。
「それより、腹が空いたな、妹尾さん。舞が作ったサンドイッチで腹ごしらえでもしようか」
「ああ、いいね、腹が減っては戦はできぬってね」
ケンがリュックサックから取り出したサンドイッチの包みは、残念ながら雨でぐっしょりと濡れており、手作りのサンドイッチはとてもじゃないが食べられる代物ではなくなっていた。
気まずそうに妹尾を見るケン。
「ダメにしてしまったよ。せっかく舞が作ってくれたのに・・・舞には、ダメにしたなんて言えないよ、申し訳なくて」
「仕方ない。空腹は我慢するとして・・・そのサンドイッチは持ち帰るわけにもいかないから、魚にでも食べてもらおう」
ケンは頷くと、サンドイッチの包みを沖合に向かって力いっぱい放り投げた。包みは回転しながら千切れて波間に消えた。
二人は海に向かって大声で叫んだ。
「舞~、悪いな、ごめんよ!」
「ごちそうさま、舞子ちゃん!」
「妹尾さん、舞がかわいそうだから、彼女には美味しかったよって言ってあげよう」
「ああ、もちろんさ」
そんなケンの優しさを見た妹尾の中に、何とかこの男の力になりたいという思いが再び湧き上がった。ほんのさっきまでは、殺そうとしていた相手であるにもかかわらず。
妹尾は、今自分は何をすべきなのかが完全に分からなくなっていた。
今では、雨が降っていたのが嘘のように空はすっかり晴れ上がっていた。それとともに急激に気温が下がり、十月下旬本来の気候が戻ってきた。
結局釣果もないまま、二人は釣りを止めて帰路についた。
天候の回復とともに、祭りは徐々に活気を帯び始めていた。防波堤をとぼとぼと歩いて戻る二人の耳にも祭ばやしが聞えてくる。
「ところで妹尾さん、ここには祭りの取材で来てるんだろ。写真は撮らなくていいのか?」
「え?ああ、写真ね。まぁ、明日でいいよ。今日はこれで引き上げるとするよ」
妹尾は、偽りの身分を演じるのが馬鹿らしくなっていた。
その夜、妹尾はホテルの部屋でベッドに横たわりながら、昼間の出来事を反芻した。
ケンの口から語られた壮絶な戦場での経験は、かつて兵士として生きた妹尾には、十分に衝撃的であり、その心情を推し量ることができた。
そして、それ以上に気になっているのが、チャンスがありながらケンを撃てなかった自分自身だった。
あの話を聞かされて同情したのか。
そんな、いかにも人間的な甘ったるい感情はとっくに捨てたはずではなかったか。
わざわざ祖母との思い出の場所で、血なまぐさい殺しの依頼を請け負うようにしているのも、そのためだったはずだ。
それでも自分は今日、ケンを撃てなかった。
明日なら撃てるだろうか・・・。
かつて、失意のままに外人部隊を去り日本に帰国した妹尾は、その後、外人部隊や自衛隊の日々を忘れるべく、軍人だった過去とは無関係な職を探して歩いた。
柔道の指導員にでもなれないものかと町道場の門を叩いた。
警備員として深夜のオフィスビルの見回りをした。
工事現場に派遣されて肉体労働に汗を流したこともあった。
だが、何をやっても妹尾の心は満たされなかった。一度でも、生死を賭けて自分の能力の限界に挑んだ者にとっては、平穏な日常は味気ないだけだった。ただ時間が流れて行くだけで、生きている実感がなかった。
やがてそんな日々に対する不満が、夜の盛り場で爆発した。飲み屋の立ち並ぶ狭い道を、偉そうに肩で風を切りながら歩いてくるチンピラ三人組とのすれ違いざまに、わざと肩をぶつけていた。案の定、相手は妹尾の胸倉を掴みながら因縁をつけてきた。
「殺すぞ、こら」
「その言葉、待ってました」
そう言うなり、妹尾は胸倉を掴む相手の手首をねじり上げた。
三人を相手に乱闘を演じる妹尾は、久々にはつらつとした気分を味わっていた。
誰かが警察を呼ぶ前に、片足を引きずりながら駆け付けたのはチンピラたちの兄貴分だった。それが鳴海だと気づく前に、鳴海の方が妹尾に気づいた。
偶然の再会を経て、二人は再びつるんで飲み歩くようになった。鳴海がヤクザになっていたことなど全く気にならなかった。鳴海に頼まれて取引現場について行くことも、むしろ退屈した日常の中で、ちょっとしたスリルを味わえる気分転換くらいにしか考えていなかった。
ある取引現場でのこと。敵対する組の者が、鳴海に向かって銃を抜いたことがあった。隣にいた妹尾は、ほとんど本能的に相手を組み伏せてその腕をへし折ると銃を取り上げていた。鳴海の方をみると、妹尾に向かって頷いた。妹尾は奪った銃で男を射殺した。
初めて人を殺した瞬間だったが、そこには何のためらいも、後悔もなかった。すべきことをしただけだと確信していた。
この事件をきっかけに、妹尾は花山一家の用心棒になり、やがてフリーランスの殺し屋になった。
以来、その手で始末してきた人間はそれなりの数に上るが、全てが暴力団絡みの仕事というわけでもなかった。
とある会社の重役を殺したこともあった。その男は「もうじき孫が生まれる。金はいくらでもやるから助けてくれ」と命乞いをしたが、そんな言葉は妹尾には通用しなかった。
それでも、微かに心の片隅に残る良心らしき感情が疼く時もあったが、そんな自分を抹殺し、別人に生まれ変わったという意識で仕事に臨んでいた。
そのため、この稼業に首を突っ込んでから十年、殺しを躊躇したことなど一度たりともなかった。
だが今日、ケン・オルブライトを撃つことができなかった。
きっと明日も撃てないだろう。その思いはすでに確信に近かった。




