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ステンドグラスの狼  作者: こにくら坊や
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妹尾

1994年秋―沖縄県、名護市。

地元で開催されるイベントやコンサート、祭りなどを取り仕切る(有)唐島興行は、実際のところ暴力団組織である。

イベント興行に関わることも確かにあるが、その数は年間を通じても片手で足りる程度だ。芸能事務所から、所属するタレントやその卵が巻き込まれたトラブルの解決を依頼されることの方がずっと多い。

唐島興行の主たる収入源はヘロインの密売であり、商売相手は多岐に渡っている。地元の一般人に始まって、有名無名のタレントを含む芸能関係者たち。解放感から冒険したくなっている観光客、時には沖縄駐留米軍の兵士まで様々だった。


金本はまだ二十代半ばだが、唐島興行の組員になってすでに十年近くが経っていた。普段は何か変わったことはないかと、縄張りを回るお目付け役。反社会的存在でありながら地域の安定を裏側から支える。そんな、杓子定規では割り切れない現実社会に必要とされる人間だった。

今日は、社長命令である男を迎えに行くことになっていた。場所は米軍基地キャンプ・シュワブの隣にある広い公園。入り口近くに設置されたベンチで落ち合う予定だ。

約束の時間より三十分前に到着した金本は、駐車場からベンチが見える位置に車を停めて中で待つことにした。

もう十月だというのに夏のように強い日差しだった。エンジンを切った車内の温度はすぐに上昇し、刈り上げた後頭部を汗が伝い落ちる。手に持った新聞は、顔も知らない面会相手と落ち合うための目印として持たされたものだ。

新聞の一面には大見出しで、ロシアの人工衛星が隕石と衝突し、日本海沖に墜落する可能性があるという記事が載っている。

金本には、そんな事はどうでもよかった。新聞越しに公園の方を見やりつつ、ベンチで居眠りしている男が邪魔だなと苦虫を噛み潰しながら考えていたのは、これから会う相手のことだった。

公園の上をかすめながら飛び立ってゆく米軍輸送機。

轟々たる騒音さえ気にならない程に、頭の中はその相手のことでいっぱいだった。

社長からは妹尾せのおと言う苗字しか教えられていないので、下の名前は分からない。年齢は三十代後半から四十歳くらい。職業はフリーランスのヒットマン。どこかの組織に飼われて働いているわけではなく、契約ごとに雇い主が変わる一匹狼の殺し屋だ。

もっとも、「殺し屋」などという物騒な響きの言葉は、その筋の人間でさえ口に出すのがはばかられるので、普通は「掃除屋さん」と呼ばれている。腕は一流で元自衛官という噂があるらしい。

やくざの世界に身を置く金本も、それなりに修羅場を経験してはいる。暴力沙汰で警察の世話になったことも一度や二度ではないし、自分の周りにいるのは裏社会で生きる連中ばかりだ。

それでも、殺し屋などという存在は映画や小説の中だけだと思っていた。殺しを生業とするような人間が本当にいるのだろうか。この期に及んでまだ半信半疑である。殺し屋に会うなどということは、二十数年の人生でもちろん初めての経験だ。

初めての経験に不安は付き物だ。どんな猛者が来るのだろうかと想像ばかりが先走って落ち着かない。だから三十分も早く来て、暑い車の中でこうして待っている。妹尾なる男がどんな奴なのか、こっそりと観察して心の準備をしてから対面したかった。

だが、今や金本は、早目に来たのは失敗だったと後悔し始めていた。約束の時間までがやけに長く感じる。まるで死刑執行を待つ囚人のような気分である。

恐れる必要がどこにある。凄腕のヒットマンだろうが同じ人間じゃないか。そもそもこちらは依頼主だ、いわば大切なお客なのだ。俺の仕事は妹尾という男を事務所に連れて行って、うちの社長に合わせるだけ。全くもって簡単な仕事だ。

自分に言い聞かせる言葉とは裏腹に、緊張がピークを迎えた金本は、鉛を飲み込んだような不快感を感じていた。


海岸に立ち尽くし、焼け落ちる天使たちに心奪われる男。

先程から聞こえている雷鳴が、いよいよ耐えがたいほどの轟音となってきた。

次の瞬間、男は目を覚ました。

目の前には真っ青な大海原が広がり、そこを悠然と泳いで行くクジラの黒い影が見えた。

浜に打ち上げられていたザトウクジラが息を吹き返したのか・・・バカな。

一度目をつむって再び開くと、十月とはいえ、まだまだ夏の気配を残す沖縄の青空が広がっていた。クジラに見えたその影はC‐130ハーキュリーズ。男もよく知る米軍の輸送機だった。

次にいつ眠れるかは分からない。だから、少しでも時間があればどんな環境にあろうとすぐに眠れる。それは戦場の兵士にとっては重要なスキルである。

それにしても、こんな場所で眠りこけて夢まで見てしまうとは。

やはり潮時なのだろうか。

そんな考えが近頃、頻繁に頭を過る。できることなら、今回の仕事を最後にしよう。見知らぬ土地で、警備員か何かの仕事に就いて堅気の生活を送るのだ。

そんな日は、多分来ないと分かっていながら、近ごろ別の人生に想いを馳せることが多くなった。決して良い兆候とは言えない。特に自分のような仕事をしている人間にとっては。

そんな風に、あてどない考えが脳裏をかすめながらも、男は目をつむったままでいた。体は微動だにしない。傍から見れば、ベンチに腰かけたまま、相変わらず居眠りしているように見えただろう。

だが、男は気づいていた。

斜め前方三十メートル程の距離に駐車している黒いセダンの中から、新聞を手にした男がこちらを見ている。依頼主がよこした使いだとすぐに分かった。

自分のやっている類の仕事では、依頼人との信頼関係が重要だ。信頼なくしては満足に仕事をやり遂げることが難しくなるばかりか、場合によっては自分の生活や、命までをも危険に晒す羽目になる。

だから、こちらから車に近づいて行って相手を不安にさせたり、警戒心を抱かせるようなまねはやめよう。約束の時間まではまだしばらくある。相手がこちらに来るのを待てばいい。


ふと気がついて腕時計を見れば、約束の二時は過ぎていた。だが妹尾の姿はどこにもない。

いぶかしみながら、蒸し風呂状態の車を降りた金本を、心地よい外の空気が包み込む。

金本は、辺りに注意を払いつつ、ベンチの一つに腰掛けて目印となる新聞を開いた。場所も時間も間違ってない。何か行き違いがあったのか。それとも事情があって遅れているのか。それにしたって、そんないい加減な人間に殺し屋が務まるのだろうか、などと考えていると、隣のベンチで居眠りしていた男が急に声をかけてきた。

「唐島興行の方ですね?」

驚いた金本は、慌てて振り返ったが言葉が出なかった。

口元に柔らかい笑みを浮かべて軽く会釈しながら、男は続けた。

「妹尾といいます。よろしくお願いしますね」

さっきからずっと居眠りしていたこの男だったのか。

「ああ、どうも。こちらこそ・・・。えっと・・・そこに車停めてあるんで。行きましょうか」

ようやく事態を把握した金本の声は、少し上ずっていた


妹尾をバックシートに座らせて、金本は車を発進させた。

「仕事は忙しいですか?」

殺し屋相手には間抜けな質問だったなと失笑しつつも、金本は社交辞令的な会話を適当に続けた。

妹尾は口数の多い人間ではないらしく、やがて会話は途切れ車内に沈黙が立ち込めた。

ジロジロと見るわけにもいかないが、好奇心には勝てない。金本はバックミラー越しに、外の景色を眺めている妹尾を観察した。

強面の男を想像し、胃の痛む思いまでしていたが、実際の妹尾はどこにでもいそうな普通の男じゃないか。四十歳近いというのが本当なら、確かに体つきは若い。ラフなシャツの下に隠れた体は引き締まっている印象だ。

一方で顔はどうだろうか。

髪は無造作に刈りっぱなしでやや短め。顎にかけてやや四角張った輪郭とそれに続く太い首は力強さを感じさせるが、顔の表面には細かい皺が刻まれていて歳相応といったところだ。唯一、印象的なのはギョウザのように変形した耳くらいか。

自分より一回りほど年上のはずだが、偉ぶった風でもないし、物腰は静かで威圧感もない。本当にこの男が殺し屋なのだろうか。それも一流の・・・。

金本には、自分の周りで見慣れたゴロツキ連中の方がよほど危険に思えた。あいつらはどこにいたってそれと分かる。町を歩いていれば、すれ違う人間は目を逸らしながら自然と道を開けるものだ。

一方で、バックミラーに映るこの男は、違和感なく通行人の中に溶け込むだろう。殺し屋だなどとは誰も思わないはずだ。

妹尾に抱いていた緊張感から解放された金本は、勝手に一人でビビっていた自分に苦笑した。だが、しばらくすると別の思いを抱き始めた。

こんな、どこにでもいそうな普通の男が人間を殺しているのか。しかも、それを生業としているのか。

珍しく謙虚な気持ちになっている金本は、自戒を込めつつ思った。

人間、見かけで判断していると、時にとんでもない目に遭うことがありそうだ。

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