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8 答え合わせ



 来る日も来る日も、アイダラスはヴェリーネの訪れを待ちわびていた。

 が、魔物面談はとうに終わっており、すでに顔を合わせるのはクォザンのみ。

 相手に王という立場がある手前、呼びつけることも叶わず、ただただ、ため息が増えるばかりの王女である。


 さて、ホールが確保されたことにより、本格的な帰郷の準備を進めるため、姫君は保護施設で皆の発言を求めていた。

 例のホールを通る際、誰がどの魔物を選択するか、という問題についてである。

 いくら人と比べ強靭な肉体を持つ彼らといえど、生命エネルギーの放出を短時間に幾度も繰り返せば、確実に弱ってしまう。

 要は、負担の偏りが出ぬよう、人間側で調整しなければならないのだ。

 とはいえ、やはり見目や性格による受けの良し悪しはあるもので、どうしても意見が纏まらず、王女はその対処に困っていた。


「簡単な問題です。

 日を分けて行えば良いではないですか」


 クォザンは自室で思い悩むアイダラスを前に、するりと言い放った。

 少女は、彼の無責任な態度に憤りを覚え、そんな自身の感情を受け流すことができずに、眉間に皺を寄せて早口でこう返す。


「クォザン様におかれましては、私共人間という種について、未だお分かりではないご様子。

 日を分けるなど、悪くすると、諍いが起きてしまうやもしれませんわ。

 誰しもが一刻も早く祖国に帰りたいと願っているのです。

 もし、人数が減れば自身の帰還が早まるのではと短絡的に考え、殺人を犯す者が出たら何とします。

 現在まで行ってきた努力が、全て水泡に帰すとは思いませんか。

 ただでさえ、魔物の世界での軟禁生活に耐え忍び、誰しも精神の不安定な状態にありますのに。

 そのような不用意な発言はお控え下さいませ」


 王女の口撃に、人間嫌いを隠さぬクォザンは、あからさまな侮蔑を込めて笑った。


「そうですか、それは申し訳ございません。

 まさか、人間がそれ程までに下等極まる生物とは思いもよりませんでした。

 全く、我ら魔物には到底理解しがたい」

「クォザン様のような偏った思想の御方には、一生お分かりになりませんわ。

 本当に、ヴェリーネ様とは天と地ですこと。

 あの御方なら、間違ってもそんなこと口に出したりなさいませんもの」

「……浅はかな人間なんぞに、キングベルを語って欲しくはありませんな」


 売り言葉に買い言葉で、どんどん険悪になっていく二人。

 特に、星王ヴェリーネについては、互いの話題と上がる度、常々衝突が発生していた。


「クォザン様こそ、あの御方を強さなどという極一面でしか捉えられずに、まるで何でも分かっている風なことを、よくも言えたものですわね」

「我らがキングベルは、全てにおいて完璧であらせられる。

 人間ごとき下等種が、自身の矮小な枠に天上陛下を当て嵌めようなど笑止千万」

「完璧な者など、心持つ生き物には存在しません。

 貴方が見ようとしないだけでしょう?

 (わたくし)は、ヴェリーネ様の強さも弱さも、どちらも知った上で尊敬しているのです。

 少なくとも、今の貴方よりは余程あの御方を知っています」

「陛下がお優しいからと、勘違いも甚だしい手前勝手な解釈につけ上がりおって小娘がッ!」


 どちらも自らの論を譲らず、ついに、事態は最悪の方向へと流れていく。

 むしろ、これまでの日々、無事にやり過ごせていたことが、奇跡のようなものではあったのだが。


「我らが星王陛下に対するこれ以上の侮辱は許さぬ!」

「貴方のような思い込みこそ、彼に対する侮辱よ!」

「貴様ぁっ。その減らず口、もはや捨て置けん……ッ!」


 セリフ通り、銀の魔物はその全身凶器に等しい体を低く沈ませ、照準を合わせるように少女へと刃のごとき腕を伸ばす。


「っ暴力で解決なさるお心算(つもり)

 ならば、おやりなさい!

 その瞬間、貴方は下等種を説き伏せることすら出来ぬ、魔物の面汚しとなり下がるのだわ!」

「口先ばかりが達者の弱小生物めが!

 そのような(さえず)りで刃が止まるなどと侮るならば、見込み違いというもの!

 (あるじ)が名誉をお守りするためならば、被る汚名すら我が誇りよ!」


 圧のこもる咆哮を浴び、内心に湧いた怯えを隠して、アイダラスは気丈にクォザンを睨み続ける。

 しかし、今にも始まろうとしていた悲劇は、寸でのところで実演を免れた。


「何をしておるッ!!」

「陛下!?」

「ヴェリーネ様!?」


 火種に注がれる強力な燃料の元となった(くだん)の人物の登場に、一触即発の空気は雲散霧消し、争っていた二人の顔に一変して焦りの色が浮かび上がる。

 星王は、たまたまこの場を訪れたのではない。

 部下の殺意に反応した警報装置の発動を受けて、光の速さで駆けつけたのだ。

 いかにも気まずそうな表情で固まる彼らへ、ヴェリーネは順番に胡乱な目を向けた。


「っクォザン、お前がそのように愚かな私心に走るとは夢にも思わなんだぞ」

「ぐっ。星王陛下、申し訳ございません。

 わ、私はただ御身の……」

「言い訳は必要ない!」

「陛……っ」

「本日はもう下がっておれ、警護はこのまま私が代わる」

「…………畏まりました。御前、失礼いたします」


 敬愛する王から失望されてしまったと、クォザンは声といわず全身を震えさせながら、その場を去っていった。

 悍ましき肉人形は、そんな部下の背を見届けた後、今度はアイダラスへ視線をやり、ゆっくりと口を開く。


「……アイダラス様」


 名を呼ばれた途端、ビクリと肩を竦ませる少女。

 その瞳は、生まれ始めた涙の膜で潤んでいる。


「も、申し訳ありません、ヴェリーネ様。

 (わたくし)、もうすぐ皆を国に帰せると、頑張らなければと……けれど、何もかも上手くいかなくて、苛々してしまって……こんな……あぁ、完全に八つ当たりです。

 わた、私……クォザン様に何てことを……謝らなければ、私……っ」


 混乱のままに心情を吐露し、突然、扉へと駆け出す王女を、魔物の王は慌てて巨体を前方に滑り込ませることで引き止めた。


「待ちなさい、追う必要はない!」


 常にない彼の大きな発声を受けて、アイダラスは反射的な恐れの感情から全身を強張らせる。

 直後、再び彼女の足が危険な室外へ向かうことのないようにと、ヴェリーネは慎重に言の葉を紡いだ。


「アレは有能な男です。

 早ければ明日にでも自ら気を切り替え、また何事もなく姿を現すでしょう。

 むしろ、失意の渦中にある今は、あまり外部から刺激を与えない方が良い。

 ですので、アイダラス様。まずは、ご自身、よぅく落ち着かれますよう」


 頭上から降ってくる醜くも穏やかな音の群れに、少女は徐々に平静を取り戻していく。

 だが、表情には未だ暗き影を負っていた。

 星王は、一切の躊躇なく彼女の眼前に跪き、更に声を重ねる。


「確かに、帰国を前に逸る心もおありなのでしょうが……それにしても、らしくない。

 人間が誰しも恐れる化け物である私と初の邂逅を果たした過去でさえ、あんなにも気丈に振舞っていらっしゃったというのに。

 一体、何が貴方をこうも苦しめているのですか」


 彼に問われ、王女は少し顔を俯けた状態で、やがて、ポツリポツリと呟きを零し始めた。


「……(わたくし)は、自らの心が分からないのです。

 攫われた皆に笑顔を取り戻したい、祖国の土を踏ませたい、そう、思う反面、いざ、その時が近付くに連れて、鬱屈とした、嘆きにも似た感情が、私の中で大きくなって……まるで、何か重大な事に気付けないでいるような、忘れてしまっているような……とにかく焦燥感が引きも切らなくて……」


 浮かぶままに言葉を垂れ流す少女だが、そこで唐突に、ヴェリーネが少し的外れと取れる感想を落としてくる。


「アイダラス様は、帰還をご自分の望みのようには語られないのですね」

「え?」


 思ってもみない切り口に、アイダラスは瞼を二度、瞬かせた。


「いつも、自らではなく、皆を帰らせたいと、そうおっしゃっているでしょう?

 まるで、貴方ご自身はそれを望んでいないかのような、そんな印象さえ受けるのです。

 いやまぁ、有り得ぬ妄言だとは理解しているのですが……」

「そ、の、はず、です。

 実の父と弟が、そして、そこに住まう人々が、私をきっと待ち続けている。

 彼らを笑顔にすることが、王女として生まれたこの身の使命。

 もちろん、祖国の皆に会いたいと、そう想う私のこの気持ちにだって嘘はありません。

 ただ、そう、戻って、しまえば……」


 その一言から、王女は急に頬に手を添え黙り込んでしまった。

 思考の海に潜っているらしい少女へ、星王がそっと伺いを立てる。


「どうか、なさいましたか?」


 瞬間、とあることを思い出したアイダラスは、まるでそれまでの出来事が全てなかったかのように、平常の顔を取り戻して、逆に彼に問い返した。


「そういえば、ヴェリーネ様にはお尋ねしたいことがあったのです。

 今、よろしいですか?」

「え、はぁ。それは、構いませんが……」


 少女の唐突な態度の変わりように戸惑い、生半めいた返事をしてしまうヴェリーネ。


「私、どうやら勘違いをしていたらしいのです」

「勘違い?」

「えぇ」


 頷いて、ふいに真顔となった彼女は、すぐに理路整然と喉を震わせていく。


「先日、神殿から保護施設に人を移動させましたね。

 その時、ヴェリーネ様は彼らの動向を遠目に見守りながら、魔物の方々に指示をお出しになっていた。

 そうですよね」

「はい。それをアイダラス様も、私の隣でご覧になっていたはずですが」

「そこです。

 貴方は、私をあまり見ることが出来ないはずなのに、他の人間に関しては全く意に介していなかった。

 いくら視界に映そうと、平然とされておりましたね」

「ええ、あの方たちはアイダラス様ではありませんから」


 彼がそう応えた途端、姫君の目がにわかに細まった。


「なるほど、やはりそうですか。

 貴方が気を乱すのは、私一人に限ったこと、と。

 つまり、導いた結論は、誤りではなかった」

「あの、一体なんのお話を……?」


 ひたすら戸惑う星王へ、アイダラスが脳内で組み上げた推測を述べる。


「違ったのですよ、ヴェリーネ様。

 貴方が私を避ける真の理由が、私の想像していた理由と」

「なんですって?」

「貴方が私を直視しないのは、例の、本能のせいだと思い込んでいたのです。

 私を見ると、どうしても殺したい衝動に駆られてしまう。

 だから、距離を取ったのだと、そう考えておりました。

 でも、本能が原因ならば、私以外の他の人間も、必ずその対象に入るはず」

「故に、勘違い、と……」


 変わらぬ無表情ながら、彼の声には確実に焦りの感情が乗っていた。

 だが、少女は互いの間に漂う緊張の糸を緩めることなく、怒涛の詰問を魔物に浴びせかける。


「しかし、では、真の理由とは一体何なのです。

 他の魔物の方々に周知されるわけにはいかない理由。

 私がそれを既知であると思い込むだけで、まるで絶望を垣間見たかのような態度に陥る理由。

 本能以外で、私を傷つけてしまうかもしれない理由。

 それは、一体何なのです、ヴェリーネ様。

 なぜ、私だけがその対象となり得るのですか!」


 想定外の攻めを食らった星王は、大きく首を反らして、しどろもどろに誤魔化しの言を吐き出した。


「そ……そんなことは、どうでも良いではございませんか。

 貴方は、間もなくこの世界から永遠に去りゆき、私のような怪物と築き上げた関係の一切は消滅する。

 今更、それを知ってどうしようというのです。

 勘違いであったなら、不幸中の幸い。

 世の中には知らぬ方が良いこともある」


 姫君をそう突き放しつつ、彼は何かを堪えるように己の拳を強く握りこむ。

 アイダラスの眉尻が悲しげに下がった。


「関係が消滅するとおっしゃるなら、むしろ、今ここで全てを吐き出すことに何の問題がありましょう。

 ねぇ、お願いです、教えてください。

 ヴェリーネ様が頑なに恐れているのは、一体なんですの?」


 両手を祈る形に組み、上目遣いに彼を見やれば、王女のあざとい仕草に(ひる)んだ魔物の王は、ニチャリニチャリと口腔内の粘液を蠢かせる。


「それこそ、今更、です。

 今更になって、貴方が、私を見る目が変わってしまうのが、恐ろしい」

「え?」

「後少しで、親切な王の仮面を被ったまま、アイダラス様をお帰し出来るというのに。

 それが、ここまで来て、今更、どうして……」


 もし、ここに第三者がいれば、ヴェリーネの必死さに哀れみを感じて、少女に追求を止めさせたかもしれない。

 が、当然、この場にそんな都合の良い者は存在しないし、この件について、彼女は執拗に答えを求めており、けして諦めることはない。


「少なくとも、良い理由ではない、ということですね。

 ヴェリーネ様を見る目が変わるだとか、私が傷付くかもしれないだとか。

 もしかして、長く相手をしている内に、私に生理的な嫌悪を抱くように?

 あぁ、そうだわ、それなら説明がつくかもしれない。

 あまり眺めていると気分が悪くなるとか、急に視界に入ると拍子に払い退()けてしまいそうだとか」

「っは? 待っ、有り得ません!」

「慌てるところが怪しいっ。やはり、そうなのですね!」

「お止め下さい、違います!

 まさか、嫌悪などと、アイダラス様に!

 むしろ、その逆であるから困っ……ぁあっいや、違っ、今のは……ッ!」

「……嫌悪の逆?」


 訝しげに首を捻る姫君と、更に慌てた様子を見せる魔物の王。


「それ以上、考えないで下さい!

 今のは言葉のアヤで、深い意味はありません!」

「あ、今度こそ分かったわ!

 ペットに対するような情が湧いた、ですね!

 たまには動物側の都合も考えずに可愛がりたくなってしまうものですものね!

 確かに、魔物の貴方に我を忘れ全力で構われたら危険かもしれません。

 それに、人間を動物扱いするなど、失礼にあたると、黙ってらしたのでしょう?

 その程度、何を気にすることもありませんのに」

「その様な、愛玩動物扱いなど!

 なぜ、そんなにも御自身を卑下するような発想ばかりなさるのです!」


 彼の叫びに、アイダラスはこれも違うのかと口元に手を添え、本格的に悩み出す。

 日々、発展した魔学文明の恩恵を受け、また、クォザンから事あるごとに魔物の優秀さ人の無能さを聞かされ続け、更に、ヴェリーネの王としての資質を目の当たりにしてきた、そんな少女が自身を軽んじてしまうのは、(いささ)か仕方のない流れだった。


「あとは、まさか配下に加えたいとか、そういう……」

「アイダラス様!」


 必死に名を呼ばれて、王女は幼子のような無垢な瞳で魔物を見上げる。


(わたくし)、また間違えました?」


 間もなく、ヴェリーネは深い深いため息を吐いて、それから蚊の鳴くような小さな声で言った。


「……言います」

「え?」

「理由を、お教えします」

「本当に?」

「はい。

 しかし、可能であれば、どうか聞かなかったことになさって下さい。

 私という存在自体を、すっかり忘れてしまっても良い」

「実際に話を伺って、そうした方が良いと判断するような内容であれば、努めます」


 その回答から、長い長い沈黙が始まる。

 アイダラスはそれだけ話し辛いことなのだろうと考え、彼が語り出すのを従順に待った。

 彼女の体感で、三十分は経過しただろうか。

 その間、ヴェリーネは顔を手の平で覆ったり、しゃがみ込んだり、頭を両腕で抱えたりと、とにかく忙しなく体を動かしていた。

 さすが、王女という位を冠する者だけあって、彼女は手本のような美しい立ち姿を崩さぬまま、ひたすら落ち着かぬ肉人形を眺めていた。

 そして、そこから更に二十分程が無意味に過ぎ去った後、ようやく、魔物の王が重い口を開く。


「アイダラス様」

「はい」

「私は……私自身、これがそうだと気が付くのに、長く時を要しました。

 また、理解してからも、必死に否定を繰り返していた。

 貴方は人間で、私は魔物で、それに、私はこの星の王で、貴方は時を置かずして異なる世界へと帰られる泡沫(うたかた)の存在だ。

 元より、生きる時の流れも、あまりに違いすぎる。

 だが、どうしても、自身では処理することが難しかった。

 距離を取れば大丈夫だろうと、そう安易に考えもしたが、実際は苦しいばかりで何も変わらない。

 むしろ、それは日を追うごとに増すばかりで。

 アイダラス様……私は……あぁ、願わくば、どうか怖れずにいて欲しい」


 長い前置きだが、アイダラスはただ静かに頷くのみだ。

 その反応を見届けてから、幾度か大きく呼吸をしたヴェリーネは、彼女を真っ直ぐと見つめて、ついに、その言葉を口にする。


「アイダラス様。

 私は……貴方を、一人の女性として、愛しています」


 刹那、互いの時が止まった。


「っえ……あ……へぁ……?」


 魔物の王からの予想外の告白に、王女は茫然と意味を成さぬ声を喉から漏れさせている。

 やがて、少女が正気を取り戻した時には、目の前に立っていたはずの肉人形が、いつの間にやら床にへたり込んで、後頭部を抱えていた。


「申し訳ありません。

 私のような化け物が己の身も省みず、なんという恥知らずな真似を……。

 お忘れ下さい、こんなことは。貴方の汚点となってしまう」


 とても表に晒せぬ彼の情けないその姿に、ふと彼女の胸によぎった想いがあった。


「……あぁ、そう、(わたくし)

 やっと分かりました、ヴェリーネ様」


 そう言って、声を立てずに笑うアイダラス。

 だが、星王は微動だにしない。

 王女はそれを気にもとめず、話を続けた。


「ようやくナギティアルーダに帰れるというのに、どうして喜ばしい反面、こんなにも心苦しいのか……貴方の言葉で、(わたくし)も気が付くことが出来ました。

 とても単純なことだったのです、ヴェリーネ様。

 ……貴方に……会えなくなってしまうから」

「……は?」


 途方もなく意外な結論が耳に届き、肉人形は思わず顔を上げていた。

 姫君は彼の間の抜けたそれを、柔らかな微笑みと共に見つめている。


「私もまた、ヴェリーネ様……貴方を、一人の男性として愛しているようです」


 目を皿のように見開いて、魔物の王は、薄っすらと頬を朱に染めはにかむ人間の王女を凝視する。


「…………信じ、られない、私は夢を見ているのか?」

「もう、ヴェリーネ様。

 私の一世一代の告白を、そんな風に簡単に否定なさらないで」


 呆然と呟くヴェリーネに、アイダラスはわざとらしく腰に手を当て、遺憾の意を示してみせた。

 しかし、未だ現実と夢の狭間に思考を遊ばせているらしい彼の反応は薄く、少女は若者らしい大胆な発想で、それを取り戻そうと画策する。


「少々、失礼を」


 声かけ直後、姫君は華奢な両腕を伸ばし、床に座り込んだままの魔物の(いびつ)な頭部を己の胸の内にすっぽりと収めた。


「いかがでしょう、これで現実であることがお分かりいただけました?」

「¶δ§!ы∥‰☯!?」


 狼狽えすぎて魔物の言語で騒ぎ出すヴェリーネに、アイダラスは堪えきれず噴出した。

 そのまま、数度、彼の側頭や角を指先で撫でてから、王女はゆっくりと後方に身を離していく。

 彼女に悲壮感のひとつもないのは、単純に、長らく持て余していた感情に名前がついて、晴々とした気持ちでいたから、というだけの理由だった。


 と、そこで姫君は唐突に神妙な空気を周囲に纏い、真剣な眼差しで王を見つめる。


「ヴェリーネ様。

 私たちは、互いに異なる世界で生を受けました。

 どうあっても、私はここに残ることは出来ないし、貴方も私達の世界で生きることは出来ません」


 黙って頷くヴェリーネ。


「けれど、それでも、重荷でばかりある私に(こいねが)うことが許されるならば……ひとつだけ。

 帰還までの日々を、クォザン様ではなく、ヴェリーネ様……貴方と共にありたいと……私……」

 

 徐々に声を窄ませながら、アイダラスは醜く太ましい腕に自身の手を添えた。

 罪悪感で項垂れていく細い背に、星王は初めて己の意思で、彼女に触れようと、空いている左方の腕を慎重に伸ばしていく。

 壊れぬように、壊さぬように。



 王女の願いは、もちろん、受け入れられた。

 少々やりすぎの形ではあったが……。



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