7 教育姉姫
数日後、アイダラスの部屋にノックの音が響く。
「どうぞ」
「失礼いたします」
声が届いた瞬間、王女の心がドクリと瞬ねた。
ここ最近耳慣れた、金属を擦り合わせたような銀の魔物のものと異なる、怨嗟渦巻く冥界の闇を凝縮したような悍ましいソレ。
けれど、彼女はむしろ大きく期待を込めて、開く扉に視線を寄せた。
果たして、そこから現れたのは、やはり少女の想像通りの魔物、星王ヴェリーネであった。
「ヴェリーネ様! どうして……っ」
荒ぶる本能の目覚めにより、もう会えないはずではと、そんな憶測が口をつきそうになり、アイダラスは慌てて自身の唇を手のひらで塞ぐ。
「ご無沙汰しております。
クォザンは本日の面談予定者の代わりとして別の任に赴いておりますゆえ、私が」
「え……まぁ、そうでしたの」
彼女の言葉を異なる意味に受け取ったようで、王女は彼からの思わぬ返事に一瞬呆けそうになりつつも、何とか咄嗟に取り繕ってみせた。
「正直に申し上げて、複数の魔物と言葉を交わそうなどという危険行為は、今からでもお止めしたいところではありますが……」
「そんな! お願いします、ヴェリーネ様っ。
皆のため、無事の帰還のために必要なことなのです」
怪物から発された不穏な言に慄いて、少女は祈るように手を組み、必死の表情で肉人形を見上げる。
そんな彼女に対し、ヴェリーネは一瞥すらせずに、淡々と舌を蠢かせた。
「理解しております。
これはあくまで個人の心情。
もちろん、御身の安全は確保しておりますし、今後の効率を考えれば悪い提案ではない。
公の立場としての私に、貴方様をお止めする理由はございません」
「……ヴェリーネ様」
態度と裏腹に、その内容はアイダラスを案ずるものだ。
見目と正反対の気性を持つ優しき魔物の心を、己の都合で痛めさせているのだと考えれば、王女の感情も複雑に揺れる。
「失礼。詮無いことを申しました。
それでは、これより面談会場である王の間へご案内いたします」
「王、の間、ですか?」
「ここ惑星マッデュバの王が、常の政務と、時に小規模の謁見を行う場です。
すでに御存知でしょうが……恐縮ながら、私はその王という位を頂いております。
そこで、書類を片付けがてら、アイダラス様の御様子を見守らせていただく所存です」
ここで驚いたアイダラスが、ほとんど反射で怪物を見て、言った。
「っ見守……それは、大丈夫なのでしょうか?」
彼女が今更になって安全性について言及してくるとも思えぬヴェリーネは、ただただ頭上に疑問符を浮かべている。
「大丈夫、とは……?」
聞き返されて、今度こそやってしまったと、王女はしどろもどろになった。
「っえ、いえ、あの、ちがっ、違うのです。や、何がと申しますか、その」
「アイダラス様?」
「あの、突然の交代、でしたし、特別なご事情がおありだろうと、そう考えて、それで、今また長時間、私の近くに、とは、ヴェリーネ様、ご無理をなさることになるのでは、と……そう、ええと、ですから、けして、変に想像を働かせた訳ではなく、あくまで、こう、少し、少しだけ……」
ハテナをいくつも増やしながら黙って耳を傾けていた星王は、途中、何かに気付いたように口元に手を当て、その奥で息を飲んだ。
「っまさか、知って……?」
瞬間、ザッと顔を青褪めさせる少女。
「っあ!?
ぁあ、の、けれど、私の勘違いの可能性が高いですし、本当にそうとはまだ……っヴェリーネ様!?」
アイダラスが往生際悪くセリフを重ねている最中、ヴェリーネは全身の力が抜け落ちたかのように、ヘナヘナと床にへたり込んだ。
「なんということだ。
で……では、貴方にとって現在最も信用の置けぬ魔物は……最も危険な化け物は……私……か」
そのまま頭部を抱え込み、小さく丸まった巨体は、一目でそうと分かるほど激しく震えている。
先程までの冷静な態度が嘘のようだと、王女は眉尻を下げた。
何と声をかけるべきか、少女は半端に伸ばした腕を悩まし気に彷徨わせる。
内に、肉団子の隙間から、独り言か語り掛けか判別の付きづらい、困惑に塗れた呟きが零れてきた。
「っぐぅ、今更どんな顔をして、アイダラス様を守るなどと……私はっ。
とうの昔に信頼を失っていたとすれば、あまりにも滑稽ではないか。
やはり、今回の話はなかったことに?
いやしかし、こんな悍ましい事実を、部下にどう説明せよと。
あぁ、申し訳ありません、アイダラス様、私が、私がこのような、申し訳ありません、申しゎケッ!?」
突然の平手打ち。
もちろん強靭な魔物の身には僅かな痛みすら発生しないが、思わず呆気に取られ、ヴェリーネは目を見開いた状態で固まってしまった。
そんな彼に対し、アイダラスは畳み掛ける様に叱責の声を放つ。
「星を統べる王ともあろう者が、この程度で何を狼狽えているのです!
貴方は己自身に負けず、最後まで私を守り通すと、そう覚悟を決めたからこそ、再びここにいらっしゃったのでしょう!?
その心を貫くと、なぜ言えぬのです!
私が既知であったから何だと言うのですか!
貴方の覚悟はその程度のものだったのですか!?
私はっ、ヴェリーネ様、貴方が私を傷つけることはないと、悲劇はけして起こり得ないと、そう信じています!
ですから、私の信じるヴェリーネ様を、貴方ご自身を、もっと信用なさってください!」
息を荒げながら、人の王女は魔物の王を睨みつけている。
向けられるに悍ましい彼の心の内を知りながら、それでも信じているのだと、そう断言するアイダラスに、ヴェリーネは大きく衝撃を受けていた。
幼くも儚い身でありながら、彼女の魂の何と強く輝くことか、と。
そんな少女に、彼の返せる答えなど、もはや一つしかない。
「……はい」
正気を取り戻したヴェリーネに満足したのか、アイダラスは優しく微笑みを浮かべ、その場の空気を一瞬で柔らかくさせる。
次いで、その笑みに僅かに苦い色を混ぜて、深くも丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません。
貴方を煩わせているのは私であるのに、立場を忘れて出過ぎた真似を」
王女の謝罪を受け本格的に覚醒したヴェリーネは、勢いよく立ち上がって、即座に否定の言葉を吐く。
「そんなことはない。
アイダラス様のお陰ですっかり目が覚めました。
謝罪も礼も、申し上げるべきは私の方だ」
「いいえ、貴方がたに頼りきりの私が口にして良いことでは……」
そこで姫君がクスリと笑った。
「これでは、いつかの繰り返しになってしまいますわ」
「あぁ……ハハ、ございましたね」
可憐な少女と大違いの、ニチャリと汚らしい笑みを作って、星王が過去へと思いを馳せる。
「一月も前のことではないのに、妙に懐かしいものだ。
互いに謝罪や礼を何度も言い合って、段々と可笑しくなって笑ってしまって、それから……」
直後、ヴェリーネは沈黙した。
また、アイダラスも口を閉ざした。
彼が彼女の元を離れざるをえなくなった切っ掛けがそこにあり、その話に繋がってしまうことを互いに拒否したからである。
「……ヴェリーネ様、そろそろ目的の場所へ参りましょう?」
「そうですね。では、ご案内いたします」
道すがら、王女はこうして見ているといつもの怪物であるのに、その内には自分の想像もつかないような葛藤が渦巻いているのだろうか、などと、ぼんやりと考えていた。
彼女に向けられ続ける視線に、肉人形は通路の先を見据える顔を動かさぬまま、申し訳なさそうに告げる。
「……あの、あまり、こちらを見ずにいただけると助かります」
そこで、初めて気が付いたとばかりに、アイダラスは慌てて瞳を逸らした。
「あっ、そ、そうですよね。ごめんなさいっ」
信じていると、そう高らかに宣言した王女だが、実際は、未だ彼に凶暴な本能が隠れているという現実を上手く咀嚼できずにいた。
それを彼女自身があまり自覚していないため、危機意識が低く、よくよく無防備な行動を取ってしまうのだ。
弱冠十五才という年齢が、自己分析と状況判断の未熟さを語っていた。
それから一月ほど経ち、アイダラスは日々の語り合いの中で、信頼に足ると判断した数名の魔物を選出した。
選ばれた魔物は、王の命令により、人語を学習していく。
人のソレより優秀な頭脳を持つ彼らは、一月半も経過する頃には、流暢な人間の言葉を操るようになっていた。
その中で、姫君基準により恐ろしさを感じさせぬ見目の者から保護施設に送り込み、少しずつながら、人間と魔物との交流を図っていく。
当初は、視界に入れるだけで体調に異変をきたすような者もあったが、王女の必死の介助と懸命な説得もあり、徐々にナギタの民たちも彼らの存在に慣れていった。
そうして、全員が軽くでも魔物に触れられるようになったのは、約二ヶ月後である。
とはいえ、それぞれ気の合う魔物や、どうしても相容れぬ魔物などいるようだったが、それでも帰国のための準備は大きな問題もなく進んでいた。
そんなある日、急な知らせが星王の元に飛び込んで来る。
「なにっ、人間世界へ通ずるホールが!?」
ついに、アイダラスたちナギタの民の運命を大きく狂わせた、諸悪のホールの所在が明らかになったのだ。
「ハッ。
場所は、ナバ大陸、座標D1625、地下深くに隠されたグ王の神殿内。
見張りが多くおりましたが、隠密行動に長けた者を侵入させたところ……」
「該当のホールを発見、と。
暴虐のグ王、その隠し神殿か……早々見つからぬのも頷ける」
グ王とは、果てなき悪意で国民を嬲り続け、ついには魔物という種を絶滅の危機にまで追いやった、歴史的犯罪者の名である。
正確には、グ・ナプルというのだが、とにかく、彼は星王と成りながら、統治にも享楽にも興味を持たず、その立場でもって、ひたすら同種の命を狩り続けた。
いくら弱肉強食の意識の強い魔物たちとはいえ、常軌を逸した殺戮衝動を向けられ続ければ、皆、彼を恐れ、憎むようになっていく。
結果、グ王は全てを赦される星の支配者でありながら、大罪人として裁かれた、唯一の存在となったのである。
ただ、未だ魔物に深く根付く強者信仰ゆえか、いつの時代にも必ず彼を祀る者たちが現れるのだという。
もちろん、表立って罪人を讃えるなど出来ようはずもなく、信者らの活動は、常に密やかに行われた。
「よし、準備が整い次第、神殿制圧に動こう。
人間が囚われている可能性を考慮して、此度も既接触者のみの厳しい任務となる。
長らく我らの手を逃れ続けた主犯も、おそらくそこにいるだろう。
くれぐれも気を引き締めて事に当たるよう、皆に伝令を頼む。
私もすぐに向かおう」
「ハハーッ!」
さて、その数日後、特筆すべきこともなく、神殿は墜ちた。
古い建物ということで、少々のやりにくさはあったようだが、その程度の条件で惑星の頂点に立つ男の攻勢を防げるわけもない。
無事にホールを確保したヴェリーネは、これでようやく人間たちも救われるとして、深く安堵の息を零した。
ただし、首謀者らしき存在は見つかっておからず、今後の懸念材料となっている。
また、予想通り神殿内より新たに発見されたナギタの民については、本人の強い希望により連れて来ざるをえなかったアイダラス姫の説得によって、つつがなく保護の流れとなった。
ちなみに、そこで王女はヴェリーネについて、一つの真実に気付く。
アレだけ頑なに彼女から目を逸らす星王が、何の躊躇も戸惑いもなく、施設へ送られゆく人間たちを眺めていたのだ。
最初、アイダラスは、彼が必死に耐え忍んでいるだけだろうと思っていた。
だが、それにしては、あまりにも平静すぎる姿だったのだ。
かと思えば、王女がヴェリーネに話しかけた途端、彼の表情は強張り、目が泳ぐ。
不審を抱くには十分だった。
それはつまり、少女にだけ星王の本能を呼び覚ますような何かがあるのか、それとも本能とは別の何かがあるのか、極端な話になると、本能の話自体が嘘で何かの目的の為に演技さている可能性があるのではないか、という結論にすら至れてしまう。
アイダラスは、降って湧いた疑惑と築き上げてきた信心との狭間で、思考を焦げつかせていた。
改めて彼女が記憶を辿ったところによれば、ヴェリーネはあの態度について、本能が原因であるとは一言も口にしていない。
互いの些少な認識のすれ違いか、妙な独り相撲の勘違いか、それとも嘘か、いくら少女の小さな頭を巡らせたところで答えは出なかった。
考えれば考えるほど苛立ちばかりが募り、ついに王女は、直接王を問いただそうと心に決める。
それが、自らの運命を大きく変えてしまう行動だとも知らずに……。