5 暴走箱入娘
次の日、再びクォザンはアイダラスの前に姿を現した。
彼は軽く形だけの礼を取って、早速とばかりに報告を始める。
「昨日の件ですが、やはりホール内については、想定の範囲外であったそうです。
キングベルは、対応策を講じるので少々時間が欲しい、と」
簡易な説明だが、王女はそれを聞き満足げに頷いた。
帰還のためのホールが見つかっていない以上、何にせよ、無力な人間はただ待つより他にない。
「委細承知しました。こちらとしても重要な処置であると考えます。
お手数とは存じますが、どうぞ、よろしくお願い致します」
苦手意識のある相手とはいえ、一方的に情けを受ける立場であるとして、少女は丁寧に頭を下げる。
銀の魔物はそれを意に介さず、淡々と次の話題に移行した。
「さて、本日は保護施設へ向かわれるとのことで、予定の変更等ございませんか」
特に問題もないので肯定すれば、クォザンは準備があると言って、アイダラスにはそのまま待機を指示しつつ、自らは踵を返して扉の外へ消えていった。
間もなく戻ってきた彼は、常にない金属の大箱を携帯しており、それを目の当たりにした王女は湧き上がる不穏な想像にゴクリと唾を飲み込んだ。
「あの、その箱は?」
問えば、銀の魔物は無表情の中にいつになく愉快そうな気配を漂わせて、口刃を開く。
「もちろん、貴方に入っていただく箱ですよ。
私は、偉大なるキングベルのように、特殊な片面透過性立体シールドを展開できるほど、器用さも潤沢な魔力も持ち合わせてはおりませんので。
余計な人員は割けませんし、私一人で輸送するなら、これが最大サイズです。
精々、大人しく詰め込まれて下さい」
「…………嘘でしょう」
悪意を隠す必要のなくなったクォザンのこれ見よがしな嫌がらせに、少女は唇の端を引きつらせた。
結局、抗議はせず、彼女は体育座りでやっとの窮屈な空間に顰め面で収まってみせる。
この国において、どう足掻いてもアイダラスは無力な存在であり、一応仮にも善意の協力者である魔物へ実情を知りもせぬままアレコレと不満を垂れ流せるような、そんな厚顔さは持ち合わせていなかったのだ。
危害を加える気はないという宣言を守ってか、運搬作業自体は非常に繊細かつ丁寧に行われたのが、また小憎らしいところである。
さて、ある意味、魔物も人も等しく苦労の末に到着した保護施設だが、何やら以前よりも面会へ至るまでの手順が大幅に増えているようだった。
王女が知らぬ間に警戒態勢を強めたのか、ヴェリーネという最高権力の恩恵で簡略化されていたのか、その他、何か別の理由があるのか。
何にせよ、かなりの歩行距離を強要されるとあって、体力のない姫君にあまり嬉しい変更ではなかった。
仲間が厳重に護られている事実には感謝しかないが、これから面会の度に繰り返すのかと考えると、少し頻度を減らしたくなってきてしまうアイダラスである。
疲労を隠して少女が民の前に姿を現すと、間をおかず歓声が上がり、彼女の周囲には人垣が形成されていった。
魔学文明の粋を集めたような施設内での快適かつ安全な暮らしは、いっそ、祖国にあった時よりも健康な肉体を彼らに与えているようで、アイダラスはどこか複雑な気持ちを抱きながら、民草一人ひとりに笑顔を向けていく。
ただ、やはり、当初程ではないにしろ、皆の顔には一様に不安の色が揺らめいていた。
敬愛する王女が相手とはいえ、彼女一人が幾ら説明を重ねたところで、心身に深く刻まれた魔物に対する恐怖の感情は、おいそれと拭えるものではないのだろう。
だからといって、都合よく他の効果的な方法が浮かぶわけもなく、少女に出来るのは、ひたすら真摯に言の葉を紡ぐのみである。
沈静化させた人垣の中心で、アイダラスは己が知り得た情報を取捨選択しつつ語った。
魔物に触れられなければ、例え今日にでもナギタに繋がる道が発見されたとて、即日の帰国は叶わない。
そうなった時、施設長の言う改造作業の完遂に一体どれほどの期間を要して、一体どれだけの人間がその長きに堪え、無事にナギタの土を踏むことができるか。
可能な限り一人でも多くを生き残らせたい王女としては、あまり進みたくない未来だった。
苦々しい現実を前に、姫君の説得にも力が入る。
「我らがナギタへ至るためには、各々の覚悟が不可欠です。
魔物への恐怖を、憎しみを、全て忘れろとは申しません。
少しずつでいい、一時を凌げるだけでいい、善なる魔物の方々と触れ合えるよう、皆で帰国が叶うよう、どうか協力して欲しいのです。
そのためにも、私は、信用に足る魔物だけを、この口で直接言葉を交わし選んだ清き心の持ち主だけを、皆の前に連れて参ろうと思います」
「直接言葉をっ!?」
「姫様が、何もそんな!」
「危険です、お考え直しを!」
「ナギタの、我が民のためとあらば、私は喜んでこの魔物の世界へと身を投じることが出来る。
ですから、お願いします……どうか、皆様の勇気を私に……っ」
アイダラスの手は祈るような形に組まれ、そして、それは頼りなく震えていた。
この場にいるのは、そもそもが滅亡目前のナギタ国から逃げ出しもせずに残っていた者たちだ。
それは、出奔するだけの精神や体力、金銭や伝手の不足する社会的弱者であったり、愛国心を胸に、共に滅びようとする熱心な信望者であったり、根拠もなく、いつか何とかなると考える楽観者であったり、何もかもをただ諦めて、堕落した日々を過ごす怠惰者であったりした。
「わ、分かりました、俺、やります」
「王女様だけに辛い思いはさせられないものね」
「すべてアイダラス様の御心のままに」
「わ、私も、頑張りますっ」
「皆で帰ろう、ナギティアルーダに」
だからこそ、自国の王女に……ナギタ建国以前の古の時代、渇きに喘ぐ人々に神が遣わした導きの使徒の血を引くと伝えられる、尊き一族の末裔である少女に熱心に乞われて、従う以外の選択肢を取れる者は少なかった。
帰路でのこと。
周囲に気配がないのを見計らって、クォザンが腕に抱える大箱の中身へと囁きかける。
「自らの手で魔物を集めようなど、それが我らにとってどれほどの迷惑行為か、理解しているのですか。
奥底に眠る本能について、実際に獲物を前にするまで、我々自身ですら知覚のしようがないというのに。
一見して穏やかな賢人のようでも、それが本能を失った安全な者かどうかなど誰にも分かりはしないのです。
自害がしたければ、余所でやっていただきたい。
貴方がどれほど無力な存在か、よもや知らぬとは言わせませんよ。
まったく、己から危険に飛び込まんとする愚か者の警護など、私ごときの身には余りますな。
この様な人間に好き勝手させて、陛下は一体何をお考えなのか……」
忠告的語りかけから、段々と独り言のように愚痴り始める銀の魔物。
一方、王女は彼の言葉をきっかけにして、ヴェリーネに対する、ある推察を巡らせていた。
もし、ヴェリーネにその本能が目覚めていたのだとしたら、つじつまが合うのではないか、と。
目覚めつつも強固な自制心で抑えていたソレが、連日アイダラスという人間と対話することで、決壊しようとしていたのではないか、と。
だからこそ、目を合わせることを避け、ついには会うことさえできなくなってしまったのでは、と。
そう、少女は考えた。
ヴェリーネの、王女には非がないといった発言も、理由が本能によれば頷けるというものである。
また、人間に友好的であろうとする国のトップが、部下の追及に無言を貫くのは自然なことだろう。
そこまで辿り着いて、アイダラスは眉間に皺を寄せた。
(だとしたら、私はそうとも知らずに彼の本能を後押しするような真似ばかりしていたのでは……。
いや、それ以上に、あの誠実な御方でさえ性に逆らえぬというのなら、複数の魔物と話し合おうなど、余りに無謀な行為かもしれない。
ホールを抜ける数秒の間、たったそれだけの接触だというのに、途方もなく困難なことのように思えてくる。
いいえ、いいえ。だとしても、やらなければ。
それが、ナギティアルーダ王の娘である私の使命なのだから……)
懸念ばかりが少女の心に纏わりついている。
そうしてアイダラスが自身の考えに耽っている間にも、銀の魔物は淡々と運搬をこなし、やがて、恙なく王城の自室へと到着した。
その夜、彼女は心身の疲れから早々に床へと就いたが、実際に寝付けたのは、明け方近くになってからだったという。
戻って、夕刻。
クォザンから報告を受けたヴェリーネは、珍しく声を荒げていた。
「そんな話は聞いてはおらぬぞ、クォザン!
なぜアイダラス様をお止めしなかったのだ!」
「ハッ、申し訳ございません。
しかしながら、本日の面会において、あの方が突然に宣言なされたことで、露と知らぬ私には止める暇もございませんでした。
また、私の個人的判断にて、その場で彼らの意を覆すという訳にもいかず……」
深く頭を下げ、事情を語る部下を眺めている内に、王は自らの短慮に思い至る。
そして、自省を含む長いため息と共に、彼はゆっくりと背後の玉座へ腰かけた。
「……取り乱して、すまない。
それが事実であれば、如何な者とて止められまい」
「いえ、あの場に立っていたのが陛下ならば、必ず良きように取り計らわれたはず。
至らぬ身を恥じ入るばかりです」
いちいち本気で持ち上げてくるクォザンに、内心、気力を萎えさせられながらも、ヴェリーネは明日以降の動きについて思考を働かせていく。
「多くの魔物と関わらせれば、飛躍的に危険度も増そう。
となれば、護衛にクォザンのみでは、もはや足りぬか……?」
それからしばらく、彼はブツブツと自問自答を繰り返していた。
目前の妄信者は、ただ黙って神の言葉を待つばかりである。
誰彼構わず王女を晒すのは、地雷原を裸足で歩かせるようなもので、当然却下だ。
しかし、基本的事実として、古よりの性を捨て去りし魔物は極めて少なく、人類接触者十の内、一見つかれば良い方といった具合であった。
そうして発見された中でも、特に安定した精神の持ち主は、すでに保護活動や、施設の警備として回されている。
人材は常に不足しており、今その者達を任から外すのは難しい。
さりとて、繊細な人間の相手役に、未熟な者をあてがうなどすれば、不測の事態に陥るは明白。
また、絶対数の少なさを嘆いて、新たな接触者を増やさんと目論むは愚の骨頂である。
リスクが跳ね上がるのみで、メリットはあまりに少ない。
ヴェリーネは頭を抱えた。
アイダラスの望みを一蹴することは容易いが、しかし、ようやく前を向き始めた人間たちの意志を無慈悲に摘み取るような真似だけは避けたかった。
「交渉用に調整していた時間を改めて使い、私自身が各々の任務の代わりとして入って、その間だけアイダラス様の元で面談を受けさせるか?」
良き案も浮かばず、彼が半ば投げやりにそう呟いた瞬間、それまで沈黙を守っていたクォザンがグイと身を乗り出してくる。
そして、彼は冷徹な口ぶりで王に異を唱え始めた。
「恐れながら、星王陛下。
王の力とは、その尊き御身に相応しき場において、効率的かつ効果的に揮われるべきものと愚考します。
所詮は有象無象に務まる程度の任。
たとえ、皆が揃って場を放棄したとして、陛下お一人の存在で全て事足りてしまうのが現実です。
そうなれば、下々の者とて立場がありますまい」
それを受け、ヴェリーネは頭痛を堪えるように右手を額に添えてから、呻き交じりに部下を窘めた。
「クォザン……お前は私を高く見るあまり、他を軽んじ過ぎる節がある。
個人の持ち得る能力や従事する職務内容の差について、そこにあるのはただ事実のみで、優劣はなく、また、命そのものの価値は誰しも等しい。
私のみを特別と置くのは……せめて、職を離れた個人としてある場に限りなさい」
「御意」
恭しく頭を垂れる忠実なる狂信者。
ここで止めろと、彼自身の主義思想を根本から変えさせようとしない辺り、ヴェリーネがヴェリーネたる所以であろう。
また、常日頃より、陛下の意思に従うのみなどと豪語しつつも、この部下は当たり前のように意見反論などを挟んで来るので、そういった盲目的な信仰に浸りきれぬ彼の特性を、王は重用していた。
「代行者が必須であれば、この王の間にて面談を実施するのはいかがでしょう」
「ん?」
再び思考に耽ろうとしていたヴェリーネに向け、ふと、クォザンが自らの提案を口刃に乗せた。
「御政務中であらせられようと、全ての者に気を配り、有事に適切な対処を行うなど、陛下にとっては造作もないこと。
敢えて、護衛を置く必要性は皆無であり、ならば、私が彼らの代わりも務められましょう。
身分の低い者や異種族である人間を、歴史あるこの王の間に立ち入らせるなど言語道断とお考えならば、別の方法を取らざるを得ませんが」
ここでいう身分とは、家柄ではなく、個人の戦闘力のことだ。
どれだけ文明を発達させても、魔物の中には未だに弱肉強食主義的な差別にも似た思想が存在する。
現在、保護活動や施設警護に当たっているのは王直属の兵であり、その実力はけして低くはないのだが、王の右腕クォザンから見れば一段階も二段階も下、ということになるのである。
ちなみに、王とは常に星一番の強者が成るものであり、その存在は身分の規定外と置かれている。
特に、ヴェリーネは歴代の王の中でも突出した力の持ち主であり、本来、己以外の存在は全て塵芥と同様に扱って当然の立場にあった。
だからこそ、命の平等を謳い慈悲をもって国を治める彼を、クォザンのように神と崇める魔物は増える一方なのである。
「む……歴代王達には悪いが、この王の間も所詮はただの部屋にすぎぬ。
誰に立ち入られたところで、特段、害される感情もない。
だが、執務と同時進行とは、いささか乱暴ではないか?
中には機密文書も多く含まれておるのだぞ」
「それこそ、陛下得意の片面透過性立体シールドをお張りになればよろしいのでは」
「ぬ」
そこで、ヴェリーネは返す言葉に詰まった。
更に数秒後、彼はギリギリ己にのみ届く極小の声量で、誰にも吐けぬ本音を呟く。
「……それでは、わざわざ彼女と距離を置いた意味がなくなる」
「何か?」
敬虔な信者が僅かなそれに反応し、王は慌てて取り繕った。
「いや、何でもない。
ん……待てよ、重要なことを見落としていたな」
「見落としですか?」
「クォザンも私も当然のように習得済みのため、すっかり忘却していたが、彼らは人語を解さなかったはずだな?」
「つまり、通訳が必要になると?
しかし、現在、手の空いている者などいないように把握しておりますが。
陛下のシールドは音声を遮る仕様にはなっておりませんよね?
政務を執り行いながら、面談の様子を追い、同時に通訳をこなす。
それで、何か問題がありましょうか?」
「…………ない、な」
あるとすれば、さすがに連日続けば、さしもの星王も多少は疲労を覚えるといった事実ぐらいだろう。
だが、部下を相手にそんな愚痴など吐けるわけもなく、また、他に妙案も浮かんでは来ず、彼は僅かに肩の位置を下げながら、ひとつ頷いてみせた。
「あい、分かった。クォザン、此度はお前の言う通りにしよう。
念入りな準備と、あとは、各所へ連絡を怠らぬよう、くれぐれも頼んだぞ」
「ハッ、お任せ下さい」
神よりの啓示を受け、狂信者は目を輝かせて敬礼し、与えられた任を遂行するべく足早に立ち去っていった。
たちまちシンと静まり返る王の間で、ヴェリーネは一人、大きく頭を抱えて呻き出す。
「心落ち着かせ、気を鎮めれていれば、大丈夫だ。
私は突然の衝動などに引きずられない。
魔力のコントロール同様、常日頃より精神をも鍛えてきたのは何ゆえか。
そうだ、問題はない。問題は、ない」
悲壮な闇を纏って零れる呟きは、さながら、自らを抑制するための必死の暗示のようでもあった。




