4 二等辺三角関係
数日後、アイダラスはとある施設にいた。
そこは、魔物がホールと呼称する瞬間移動システムの設置された政府直轄施設で、王女は理解が追い付かないながらも、その仕組みや扱い方などについて、詳しく説明を受けていた。
彼女の相手をしているのは、緑小人じみた年嵩の施設所長で、ヴェリーネといえば、二人の間で通訳に徹している。
「では、そのナギタに通ずるというホールが発見された場合、私たちが五体満足で帰国するには、魔物のどなたかと直接肌を触れ合わせる必要があるということですか」
「いかにも。
体内から体外へ生命エネルギーを放出したのち魔力により固定することで己の身を守るという、我ら魔物ならば生まれつき備わっている随意防御機能が、人間には存在せぬと伺っております。
これにより、我々は超短期的にとはいえ宇宙空間においてすら生身での活動を可能としているのですが、あぁ、いや、これは関係に遠い話ですな。
とにかく、その機能がないとなると、ホール内に足を踏み入れた瞬間、原子レベルに分解される可能性もあるわけで……そうなれば、もはや自殺と変わりません」
「……危険性については、承知しました。
ついては、具体的な接触の程度について、ご教授願いたく」
「最も手っ取り早いのは、罪人共同様、直接我々が抱え上げる方法でしょうな。
そうすれば、衣服や装飾品のように、人間ごとエネルギー防壁を展開するのも容易かと。
ですが……」
「全ての者が、貴方がたを恐れず触れ合えるとは思えない。
そこですね」
「はい。
しかし、それが難しいからといって、ホールを人間用に改造するとなると、何年、いや、何十年かかるか分かったものではありません。
また、生体エネルギーに変わる防御装置を開発する方向にしても、ゼロからの試みですので、やはりこれもすぐという訳にはいかんでしょう。
座標さえ分かれば、ホールを使用するより多少の時間が掛かるにしろ、輸送船で送ることも可能なのですが。
そもそも、どれも莫大な費用がかか……あ、いや、失敬」
「いいえ。
そういった事情であれば、何とか接触の方向で帰還できるよう、皆に働きかけてみます。
一刻も早く祖国へと思う心は誰しも持っているはずですから」
「おぉ、おぉ。やっていただけますか、ありがたい。
さて、では、話を続けさせていただきますが……そもそも、ワームホール論の応用で開発された瞬間移動システムではありますが、その利用は宇宙規模ではなく、当惑星内に出力を限定されており、まぁ、これは過去に起こった大規模な犯罪事件が関係しておるのですが、そこは一旦置いておいて、現在に直接繋がる話としまして、今から約八年前、とあるホール研究者がその探求心から出力をアトランダムに各地にホールを乱立させ……」
その後も、慣れぬ専門用語や科学の概念に悩まされながら、王女は所長の解説を懸命に聞き続けた。
もっとも、相手の方も文明程度の低い民族が早々理解可能な内容ではないと認識した上で、あくまで誠意として語っているにすぎないのだが。
実際、大まかな行動方針さえ固まれば、お互い、それで十分だった。
蛇足になるが、所長の話に登場した、とある研究者の根城に、映像記録として各ホールの先の様子が残されており、当然といえば当然ながら、そこにはナギティアルーダの情報が含まれていた。
犯人確保と同時にデータが押収されはしたものの、肝心のホールがどこに設置されているのか、その全てについて捜索が及ばなかったために、万が一を想定して、ヴェリーネのような高位かつ理性的な極々一部魔物のみが、映像を参照し言葉を学習していたのである。
一般市民には、乱立ホールは危険であり、見つけ次第の報告をと呼びかけているのだが、現実として、政府の想定の中で最も最悪の結末を迎えてしまった。
施設からの帰り道、アイダラスはヴェリーネのある変化について考えを巡らせていた。
数日前より、決定的に変わってしまったもの。
それは、視線だ。
王女と会話する際には、いつも真っ直ぐと向かい合っていたはずのヴェリーネの瞳が、今は彼女を全くといって良いほど映さなくなっている。
例の失態が彼を呆れさせてしまったのか、それとも知らぬ間に気分を害するような何かをしてしまったのか、少女は一人、悶々と思い悩んでいた。
分かりやすく項垂れるアイダラスに対し、ヴェリーネはいかにも心配そうに安否を問いかけてくる。
だが、そうした彼の視線は、やはり逸らされたままだった。
「私、そんなに気に障ることをしてしまいましたか」
彼の態度に深い悲しみを覚えて、王女はついに脳内を占めていた本音を口に乗せてしまう。
しかし、ヴェリーネは思い当たる節がないといった様子で、小首を傾げていた。
それが更に彼女の心を刺激する。
「お分かりになりませんか、ヴェリーネ様。
私と目を合わせて下さらなくなってしまった、ご自身のことを。
ここ数日、ずっとそうです。
何か、私が無礼を働いてしまったからではないのですか」
「まさか、そのような……っ」
焦った怪物は反射的に眼球を正面に滑らせるも、アイダラスを捉えると、またすぐにその中心窩を泳がせた。
「……違います。
アイダラス様は何も悪くなど」
「では、何故」
少女は必死に理由を尋ねたが、彼は頑として語ろうとしなかった。
しばらく空中を眺めてから、無言で俯き、ただ首を横に振る。
王女は怪物の醸し出す陰鬱とした瘴気に言葉を失い、処理しきれぬ感情を一人抱え込むのであった。
幾度夜を越えても、ヴェリーネの態度は変わらない。
十年間、健気に浮かべ続けていたはずの慈愛の姫君の笑顔は、今や、すっかりと曇り切ってしまっていた。
それに目敏く気付いた怪物は、ついに、兼てよりの独りよがりな考えを実行に移す。
翌日。
常のように王女が自室で待機していると、そこに、見知らぬ銀の魔物が訪ねてきた。
刃の束が人真似を始めたような姿のその魔物は、彼女から少し距離のある位置で丁寧に頭を下げ、こう告げてくる。
「お初にお目にかかります。
本日より折衝役と身辺警護を仰せつかりました、クォザンと申します。
以後、お見知りおきを」
寝耳に水の話を突き付けられ、アイダラスはその場に立ち竦んだまま、大いに驚き戸惑った。
「っえ……ヴェリーネ様……は……?」
「通常業務にお戻りになられました。
あの御方は、本来、供も連れずお一人で出歩くなどという、軽率な行為が許される立場にはございません。
もはや二度と、貴方がた人間の前に姿を現すことはないでしょう」
「二度と……そう……そうですか。
あの、立場というと……ヴェリーネ様は、どういった身分にあらせられる方なのでしょう?」
王女とて、彼のことをどこか適当な都の警備長や領主程度の存在であるとは考えてはいない。
国の大将軍や大臣のような、かなり高位の職務にある者と認識していた。
あえて詳細に聞かなかったのは、本人が語らなかったこともあるし、そもそも、魔物の世界の政治体系や役職名が分からなければ問うても意味がないと思っていたからだ。
だが、クォザンの話は、アイダラスに遅まきながらも興味を持たせた。
そして、そこから、彼女はヴェリーネの意外な正体を知ることとなる。
「彼の御方こそは、我が国において最も尊き存在。
この星の全ての民を統べる者、ヴェリーネ・ディゴ王にございます」
「ホ……シ……を……統べる……王?
ヴェリーネ様が?」
真実は、少女の想像を遥かに超えていた。
星という概念は、今日に至るまでに、曖昧にだが学習している。
一国の姫である自身でさえも、多大な責務に日々精神を削られている現状からすれば、それすら遥か超えた星一つを丸ごと統治しているなどとは、にわかには信じがたい話だった。
「まさか、あの御方はそんなこと一言も……」
「さればこそ。
星王は先代亡き後、数多の候補者の中から戦闘により選定されし者。
ヴェリーネ陛下は圧倒的な個の力を示し王となった後、合理的かつ人道的な、他に類を見ない優れた統治法を我々に与えて下さいました。
しかし、陛下自身はけして驕らず、常に誠実謙虚な姿勢でその政に取り組んでこられた。
全国民の尊敬を一身に集める、この星の神にも等しき存在なのです。
そして、慈悲深き陛下は命を尊び、どれほど脆弱な異種であろうと違わぬ敬意を払われる。
さればこそ、我らがヴェリーネ王なのです」
声色だけは淡々としていたが、その目には狂信が宿っている。
ヴェリーネを神とさえ呼ぶクォザンに、アイダラスはそら怖ろしさを感じていた。
同時に、彼が王以外の全てを見下しているような、少々傲慢な印象さえ抱く。
「しかし……」
「しかし?」
唐突な反語に王女が首を傾げるも、クォザンは頭を振って、口刃を閉ざした。
「いえ……こうしている間にも、時は流れております。
無駄に浪費せず、建設的な話を致しましょう」
「……はい」
語りかけられる中で、アイダラスは目の前の魔物から軽い敵意のようなものを感じ取っていた。
ゆえに、彼女は今後の先行きに不安を抱く。
自分にあてがわれた警護者を信頼できないということは、民草に語る言葉に虚偽が生まれてしまうということに他ならない。
それでは誰も己を信用しないのではないかと、そう考えた王女は、まずクォザンと会話を交わす必要性を感じていた。
やるならばすぐだと、内心の僅かな怯えを隠して、毅然とした態度で声を上げる。
「お伺いしたいことがございます」
「……まだ、何か?」
平然と、彼は胡乱な目を十五の少女に向けてくる。
「人間という生き物について、クォザン様はどうお考えでしょうか?」
途端、銀の魔物はこれ見よがしに溜め息を吐いた。
「その問いに何の意味が?
私は貴方の召使いになれとも、暇つぶしの相手をしろとも、命令されてはおりませんよ」
「いいえ、これは意味のある問いです。
私は、魔物にも我ら人と同じように心が存在し、その心から生じた善意でもって接していただいていると、そう信じたからこそ、皆を纏め、協力体制を取れるよう説得を試みているのです。
しかし、気のせいでなければ、クォザン様からは敵意すら感じられる。
前提が覆されるならば、我らの常々知る魔物が正しい姿であるなら、私は私を含む人々の命運を貴方がたに託すことは出来ません。
どうぞ、嘘偽りなくお答え下さいませ」
アイダラスの主張が終われば、室内にしばしの沈黙が落ちた。
クォザンは王女の真意を見極めるかのように、じっと瞳を見つめている。
どれほどそうしていたのか、やがて、彼は呆れたように肩を竦めて、こう答えを返した。
「……確かに、私の個人的な意見として、貴方がたを快く思ってはおりません。
貧弱な下等生物の身でありながら、我らがキングベルの手を当然とばかりに煩わせている。
それが私には見るに堪えないのですよ。
さりとて、陛下の崇高なる御意志を否定するつもりは毛頭ない。
あの御方が望むのであれば、私は黙ってそれを叶えて差し上げるのみ。
よって、私が人間に危害を加えるなど有り得ませんし、むしろ、早々に去っていただきたく、協力は惜しまぬ所存です。
私の行動はけして善意から来るものではないが、手前勝手な理屈で愚行に走り、あの御方の妨げとなられては困ります」
辛辣だが、それはどこまでも率直で嘘偽りのない言葉だった。
アイダラスは冷静に彼の意見を受け止め、人形じみた無表情で、更に先へと話を進める。
「確かに……関係を絶つには、いささか早計のようですね。
ですが、例えば、クォザン様のように王を崇拝なさっている方が他にもいらっしゃって、その誰しもが私どもに危害を加えないなどと言い切れないように思うのですが。
本当に人間をナギタにお返しになりたいのでしたら、まず、私共の身の安全を確実なものにしてはいただけませんか。
もし、貴方が衝動的に抱いた殺意をそのまま行動に移したとして、こちらには身を守る術が何一つありはしませんでしょう?」
と、ここでクォザンが王女のセリフを遮った。
「あれだけ毎日陛下と接しておきながら、貴方はあの御方のことを何もご存知ないのですね」
刃の魔物は、存在もしない鼻で笑う。
堂々と小馬鹿にされて、少女は思わず眉間に皺を寄せた。
特に、ヴェリーネを知らないと言われたことに対し、何故だか強い憤りを感じていた。
「……何をおっしゃりたいの?
ヴェリーネ様のお人柄が大変優れていらっしゃるという事実でしたら、私も重々存じ上げておりますけれど?」
「ハッ……そんなことは、赤子でも知っておりますよ。
キングベルは宣言なされたはずです、御身の安全を保障すると。
あの御方が口にされたということは、すでに完璧にソレが成っているということ。
よって、陛下が突然に崩御でもなさらない限り、何一つ心配に値する要素はない」
まるで我が事のように、彼は胸を反らして得意げに語る。
これには、アイダラスも黙っておれず、言い慣れもしない嫌味が軽快に口をついて出た。
「あら、魔物の方々はヴェリーネ様お一人に随分と頼りきっていらっしゃるようですのね?」
それが、どうにも痛いところを突いてしまったようで、クォザンは一瞬、グッと声を喉に詰まらせる。
「…………否定はしません。
キングベルのお力は、次元を遥か超えておられます。
誰一人あの御方の足下にも及ばぬ現状で、我々の出来ることはあまりにも少ない」
「まぁ。そこで諦めてしまうなど、忠誠も底が知れますわ」
「な……ッ!」
明白な挑発行為に思わず魔物がいきり立つも、王女はすぐに話題を転換することで、それを鎮めた。
「ところで、少し話を戻しますけれど。
安全の保障について、それはホール内においても同様と考えてよろしいでしょうか?
先日、お話を伺わせていただきましたが、想像するに、あそこは一種の別世界。
この星において不足はなくとも、そちらについて断言は不可能ではないかと推測されるのですが……いかがでしょう?」
「……それ、は……私には、お答え出来かねます」
貧弱種と見下す者からの想定外の鋭い指摘に、彼は悔しそうに口刃を擦り鳴らす。
「では、早急に担当の者へ確認と、必要であれば改善をお願い致します」
だが、王女がそう告げると、銀の魔物は再び感情の見えぬ慇懃な態度に戻って、丁寧に腰を曲げた。
「……承知しました。
本日はこれにて、御前失礼させていただきます。
後日、結果を報告……いや、その前にこちらからも一つだけ、よろしいでしょうか?」
当たりの強い彼に珍しく、どこか迷うような口ぶりであり、アイダラスはその様子を意外に思いながら、素直に頷いてみせた。
すると……。
「貴方、陛下に何をなさったのですか」
「え?」
突拍子のない質問に、呆気にとられる王女。
クォザンはもう一度、更に詳しく疑惑を語る。
「あの御方は、ご自身でお決めになったことを途中で放棄された過去などございません。
ですが、今回、自ら行うと宣言された貴方の相手を、何の前触れもなくお止めになった。
理由を伺っても、なぜか押し黙ってしまわれるばかりで……。
何か、口にするも憚られるような無礼な行為を、貴方がキングベルに働いたのでは?」
少女はここに到り、この銀の魔物が己に敵意を向けてくる真の原因を知った。
だが、彼の心情よりも、アイダラスはヴェリーネが取った行動が、魔物の立場から見てすら有り得ぬものであったことにショックを受けていた。
「それを……っそれを知りたいのは私の方です!」
ついに声を荒げる王女。
「何度尋ねても、アイダラス様は悪くないの一点張りで。
本当に私に原因があるのなら、ハッキリおっしゃってくだされば良いのだわ。
それを、こんな……っ!」
彼女が音に出来たのは、そこまでだった。
渦巻く感情の大波を堪えるように、アイダラスは自らの体を強く抱き込み、小刻みに震えている。
やがて、沈み切った空気の中、先に口火を切ったのは、クォザンだった。
「……つまり、心当たりはないと」
言われて、王女はヴェリーネと出会ってからのことを思い返していく。
(初めて目にした時は、ただ恐ろしかった。
言葉を交わしてすぐ、理不尽な怒りをぶつけてしまったけど、でも、誠実で純粋な方だと分かって……。
面倒な問いにも懸命に応えてくれて、私から皆を説得したいと言い出した時も快く許可してくれた。
星の王という、けして暇ではない立場の中、日を置かず訪ねてくれていた。
思わず弱音を吐いてしまった時、涙が止まらなくなった時、静かに傍にいて優しい言葉をくれた。
比べて、私は……いつもナギタに帰ることばかり考えていた?
自分のことばかりで、知らず内、彼に対し無神経になっていたの?)
心当たり。
それは、現在までの行動全てがそうであり、また全てが違うというようにも考えられた。
「私には分からない、それだけが確かなことです」
「……では、この話はお忘れください。
陛下が直に否定されたのなら、やはり原因は貴方の他にあるのでしょう」
アイダラスの答えに彼なりの決着をつけたのか、クォザンはそれだけ告げると、間をおかず定型の挨拶を投げ、足早に部屋から去っていったのだった。