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2 善の共鳴



 一般の魔物の目に触れない辺鄙な土地にある建物を改装した施設には、姫君と共に攫われた者たちを超える数の人間がすでに収容されており、外部の危険性を理由に大きく(そび)える防御壁の中、軟禁生活を送っていた。

 彼らを刺激しないためか、そこそこ広い敷地内には、元より人間に酷似した姿の魔物か、もしくは全身鎧で一切の正体を隠した魔物が、両手の指と同程度のほんの数体、有事に備えて配置されている。

 この世界では、電気の代わりに魔素と呼ばれるエネルギーを用いた現代日本に並ぶかそれ以上の魔学文明が形成されており、未だ炎のみを頼りに生きるナギタの人々は、生物としての格の違いを身に刻まれながら、日々を恐恐と生きるのみであった。


 そんな辺境の施設へ話のある度に行き来していたのでは時間が足りよう訳もないと、交渉役を買って出たアイダラスだけは、(くだん)の怪物と共に王城へと連れられ、一流ホテルのスイートルームにも等しい豪華な客室を与えられていた。

 通信機器もあるにはあるが、電話番号に相当する個体識別用魔素が人間の体には含まれておらず、現状の道具の仕様では対応が出来ないのだ。

 また、今後の人間の動向を決定付けるに重要な役割を担う者を、目の届かない場所へ置いて万が一があってもいけないという判断もあった。


 王城に到着した際、すぐにでも交渉が始まるのかと思いきや、疲弊した状態では冷静な決断は下せぬ等と、アイダラスは怪物に明日までの休養を言い渡されてしまう。

 悠長に構えている暇はないのだと咄嗟に反論するも、ここで無理に話を進めたところで即座に動く事態もないとして、大人が聞かん坊の子供を宥めるような口調で諭されてしまった。

 怪物の意思は固そうで、更に主張を繰り返したところで相手の機嫌を損ねるだけだろうと、彼女は悔しさに奥歯を噛みつつも、それを受け入れる。


 その後、まず初めに室内設備の説明を受けた王女は、その驚異の道具の数々に一筋にとどまらぬ冷や汗を流した。

 個々の武力だけをとっても到底敵わない相手が、基本的知能すら遥か先を行くという事実を知ったことで、人間など魔物にとって家畜以下の無様な存在に過ぎぬのではないかと考えてしまったのだ。

 心のままに彼らに逆らったところで、意味もなく命を散らして終わるだけで、本来、対等に言葉を交わすことすら烏滸がましいのかもしれないと、彼女はここに来てようやく思い至った。

 これが人間同士、国同士の話ならば、とっくに彼らへ恭順の意を示していたことだろう。

 有体に言って、生物としての格が違いすぎるのだ。

 現状、(まさ)るものを何一つナギタは保有していない。

 休息と称して、魔物と人間との差を見せつけるための時間だったのではないかと、便利が過ぎる設備を実際に体験しながら、王女は首を深く落とした。

 明日に控えた交渉は、始まる前からすでに暗礁に乗り上げている。

 悶々と悩みながら潜り込んだベッドは柔らかく滑らかで、アイダラスの意識は焦燥する心と裏腹に、すぐに闇の底へと消えた。





 少女が目を覚ます。

 まだ半分ほど瞼に覆われた世界の先で、大きな窓からふわりと優しく光が降っていた。

 人も魔物も誰もいない。

 穏やかな空気の中、アイダラスは一瞬、悪夢を見ていたのではないかと自らを騙そうとした。

 が、視界に映る見慣れぬもの全てが残酷にも現実を主張してくるせいで、わずか数秒で逃避は終わってしまう。

 体調はけして悪くはないが、王女の心は混沌としたものだった。

 魔物の実態を知れば、むしろ、最初の奴隷のような扱いこそが妥当で、妙に王国民の人権を尊重してくるような怪物の態度がおかしいのだと、彼女にはそう思えて仕方がなかった。

 何を考えているのか、分からないからこそ恐ろしい。


 身支度をして、唯一外に繋がるドアのある一室で待機していると、やがて二度のノック音が響いてくる。

 アイダラスは警戒心から反射的に立ち上がりつつも、入室の許可を下した。

 現れたのはあの悍ましい怪物だ。

 王女は無意識に一歩後ずさった。

 仲間は連れなかったようで、すぐに扉が閉められ、彼女と化け物は一対一で向かい合うこととなる。


 アイダラスが緊張に沈黙していると、やがて、怪物がゆっくりとその場に跪いた。

 あまりに唐突かつ予想外な動きであり、王女は驚きに目を見開いて、それを注視してしまう。

 そこに、初見で浴びた重厚な威圧感はなく、魔物を包む漆黒の空気は、今はむしろ高貴な印象さえ受けた。

 高まっていた警戒がほんの少し緩み、彼女のこわばっていた筋肉が僅か弛緩する。

 そんな少女の変化を受けてか、怪物は静かに歯を開いた。


「昨夜は……何か不便などございませんでしたか」


 口腔内から届く不快な粘性音はこれまで通りだ。


「え、えぇ。特にありません。

 過分なご配慮、痛み入ります」


 化け物の見目と丁寧な台詞とのギャップに眩暈(めまい)のしそうな酷い違和感を抱きながらも、王女は懸命に言葉を返す。

 弱冠十五の小娘が、世にも恐ろしい魔物を相手に、称賛される冷静さだろう。


「あの、不躾ながら、昨日(さくじつ)からの疑問で。

 どうか、お聞かせください。

 貴方は、なぜ、(わたくし)たちナギティアルーダの言葉を……?

 長くそのような御方には出会ったことがなく、とても困惑しております」


 有無を言わさぬ初日の雰囲気から一変した今日(こんにち)の化け物の穏やかさに、アイダラスの声がするりと喉から流れ出てくる。

 怪物は、彼女の問いかけに気分を害した様子もなく、小さく頷いてからソレに答えた。


「学びました。

 私と、私に近しい極一部の者のみが、徹底して。

 いつかこの様な事態に陥るのではないかと、半信半疑ながらも危惧しておりましたがゆえ……」


 最後に漏れた呟きへと反応しかけた王女を先んじて制すように、化け物は一層頭部を低くして話を続ける。


「失礼、こちらの事情など問題ではありますまい。

 まず結論としてお伝えしたいのは、改めての御身の安全の保証と、我々に保護を受けた人間の方々全てを出来うる限り早期に、必ず祖国へお帰しする、という、この二点となります」


 どこか性急な本題の投下。

 発言を受けたアイダラスの表情が僅かに歪む。

 無謀にも交渉で掴み取るはずであった人々の未来が、自ら飛び込んできたのだ。

 だが、素直に喜ぶには、とうの昔に時期を逸している。

 彼女の耳には、にわかには信じられない、都合の良すぎる夢物語にしか聞こえなかった。

 幾度となく国を破壊し、人を襲い、ナギタが壊滅の危機に瀕することとなった元凶を前に、いかな慈愛の姫君といえども無垢ではいられない。

 王女は心の内で魔物に抱いていた恐れが、少しずつ怒りに変わっていくのを感じていた。


「なぜ、貴方一人にそのような約束ができるとおっしゃるの?」


 突然すべり出た強気な語句に、それを発したアイダラス自身驚き戸惑い、慌てて口元を指先で塞いだ。

 怪物は変わらぬ表情で、どこということもない空中を見つめている。


「……お疑いはご(もっと)もです。

 私がいくら己の権限を行使しようと、全ての者にそれが及ぶわけではない。

 定められし法も意味を成さぬものであると、こうして貴方がたがここに存在していることで証明されている。

 しかし、私はけして嘘偽りを申しているのではありません。

 貴方がたの無事の帰還を何よりの優先事項とし、二度と再びこのような悲劇が繰り返されぬよう、全力でもって対処させていただく所存です。

 我が同胞(はらから)の犯した罪は、そして、それを止められなかった我々の罪は、けして許されてよいものではないと愚考します。

 心中複雑でしょうが、どうか助かるためと……今この時だけでいい、私を信じてはいただけないでしょうか」


 相変わらず、化け物の顔面筋は静止し続けているが、その声色だけはどこまでも真摯に響いていた。

 賢明な父王ロドムスならばまた違った読みもあったのかもしれないが、いまだ未熟なアイダラスに、正確な真偽の判断がつくことはない。

 だが、これまでの魔物のイメージと似ても似つかぬ言動を重ねるこの肉人形に対して、彼女の胸中には、ほんの少しだが興味のような感情が生まれ始めていた。


「たとえ、そちらの真意がどこにあろうと、この未知の世界において圧倒的弱者であり無知蒙昧な私共が選べる道など、結局は服従か死、二択しかございませんでしょう?」

「っそれは……」


 望まぬ諦念を感じ取り、思わずといった体で怪物は視線を上げる。

 続けて、何かを語ろうとするその口を、王女は片手を向けることで制した。


「生のための服従。

 その行為自体に変わりはなくとも、それぞれの心の在処が異なれば……そこに互いの信があれば、内には救いを感じることも、未来への希望が芽生えることもあるでしょう。

 ナギタの民一人ひとりの到る結論までは保障しかねますが、少なくとも(わたくし)は今伺った貴方の言葉を……貴方を信じたいと思います」


 直後、アイダラスは、自らの宣言を証明するように柔らかく微笑みを浮かべた。

 怪物は、そんな彼女をしばらく呆然と眺めてから、徐々に巨体を小刻みに震わせていく。

 果てに、歯の隙間から掠れる声を絞り出した。


「……ありがとう……ございます」


 同時に、化け物の眼球から一粒の滴が零れて落ちる。

 それが床全体に敷かれたカーペットに小さくシミを作る様子までを目で追いかけてから、王女は再び怪物へと視線を戻した。


「なぜ……?」


 長年に渡り刻まれた魔物への恐怖や嫌悪は、そう容易く忘却できるものではない。

 だのに、健気にも、彼女はすでに両の瞳からその感情を拭い去っていた。

 怪物は数度、躊躇うように顎を上下させた後、敢えてこれまで触れずにいた真実を紡ぐ。


「貴方がたの立場からすれば、私なぞ、恐れの対象でしかない。

 姿を現せば、泣き叫ばれ、罵倒され……言葉を発せば、耳を塞がれ、逃げ出され……。

 中には自ら命を絶った方、狂気の世界に没してしまった方、破れかぶれに襲いかかって来られる方などもおりました。

 ただただ救いたいと、そう願う心とは裏腹に、私の見目が、存在そのものが、貴方がた人間に悲劇を生む。

 ……半ば諦めかけてもおりました。

 貴方のように正面から私を見つめ、耳を傾け、語りに応えていただける方は、これまで一人としておりませなんだ」


 淡々と、それでいてどこか悲痛な色を含む声だった。

 王女には、人間側の反応が痛いほど理解できる。

 彼女とて、魔物のその言葉を、態度を、いくつも曲解してきた身であるのだから。

 だからこそ、ここに来ての居たたまれなさが激しく胸を突き上げていた。


「……大変辛い思いをなさったのですね」


 同情的な視線に反応して、再び化け物はその眼球をアイダラスに向ける。

 すでに彼女はこの魔物に対して、仲間意識のような気持ちを芽生えさせていた。

 信ずると決めた心からか、はたまた慈愛の姫の本質か、その瞳は優しい輝きに揺れている。

 怪物は大仰に首を横に振った。


「いいえ、いいえ。とんでもないことです。

 貴方がたが受けてこられた苦痛に比べれば、私なぞは……。

 あぁ、このような世迷い言を口にするなど、どうかしていた。

 なんたる愚行だ、ただ罪のままに憎まれておれば良いものを」

「そんなことは……」


 分かりやすく項垂れて、大きな手のひらで自らの顔面を覆う化け物へ、慰めのためかアイダラスが歩を進めようとする。

 が、その瞬間、誰かが部屋の扉を叩き、そのまま外側から何事か語り掛けてきた。

 魔物の言語のようで、王女には内容が理解できなかったが、それを聞いた怪物はドアごしに一言二言、短い会話を交わしながら、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、それが途切れた直後、彼女の方へと全身で向き直り、少し早口でこう告げてきた。


「火急の用件のようで……こちらの都合で大変申し訳ありませんが、本日は失礼させていただきます。

 ですが、私もまだ具体的な話を何も出来ておりませんし、貴方も聞きたいことが山とあるでしょう。

 よろしければ、また明日にでも伺わせていただきたく」


 化け物の提案に、姫君は迷うことなく頷いてみせる。

 この簡素な懇談が異種同士の代表による正式なやり取りであるのかどうかすら、分からないままに。


「えぇ、もちろん。こちらからもお願い致します。

 ですが、あの……最後に一つだけ、教えていただきたいことが……」


 急ぎだという相手に対し微妙な行為だが、にべもなく断られるようなことはなかった。

 立ち上がったことで開いた互いの身長差により、首を痛めるのではないかと心配になる角度で怪物を見上げた王女は、おずおずと唇を動かし、最後の質問を投げかける。


「名を……貴方のお名前を、どうか……」

「っあ」


 途端、焦りの感情を露わにした魔物は、あちこち落ち着かなげに腕をさまよわせつつ、彼女の求めに応えた。


「あぁ、いや、これは気が付きませんで、大変な失礼を。

 私の名は、ヴェリーネ。

 ヴェリーネ・ディゴと申します」


 苦笑い交じりに頷いて、自らも丁寧に名を返す王女。


「アイダラス様……」


 ヴェリーネは、どこか噛み締めるようにそれを復唱した。

 そこへ再び罪なきドアが暴行を受ければ、怪物はハッと夢から覚めたように肩を揺らす。


「……では、これにて失礼をば」


 端的に挨拶を落とし、今度こそ、彼は足早に踵を返し部屋から去っていった。

 ヴェリーネが退室した後も、しばらくそのまま扉を見つめていた王女だったが、やがて、彼女は誰に見せるでもなく胸先に親指と中指とで輪を作った右手を置き、深く深く頭を下げてから、極小の呟きを床へと零す。


「ヴェリーネ様の来訪を、心よりお待ちしております」


 当然、本人に届くわけもない、独り言の(たぐい)だ。

 けれど、そんな遊興を遂げたアイダラスは、至極満足そうに微笑んでいたのだった。





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