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惑いの怪物は砂漠の夢を見る  作者: さや@異種カプ推進党


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18 四面楚歌



 ナギタの王宮へと戻って間もなく、まずは、息子ゼフォンスに忌憚のない見解を述べさせたいというロドムスの要請を受けて、魔物の王は少年と別れ、案内された客室で、もうすっかり体調を回復させたらしいアイダラス王女による労いを受けていた。

 公的な言葉を幾つかやり取りした後の僅かな沈黙の中、テーブルを挟んだ向かい側で二人掛けの長椅子に窮屈そうに腰かける肉人形へ、麗しの姫君が憂いに潤む瞳で告げる。


「……まさか、父があの様に時を要する策をお示しになるなど露も思わず、(わたくし)が軽率に救いを求めたばかりに、長くお引き留めしてしまって。

 此度の件では、ヴェリーネ様のみならず、あちらの世界の方々にも、さぞご迷惑をお掛けしていることと存じます。

 本当に、何とお詫び申し上げれば良いか」


 もちろん、それを肯定するヴェリーネではなく、彼の歪な首がゆっくりと左右に振られた。


「了承したのは私です。

 アイダラス様が気に病まれることなど何も……」

「お優しいヴェリーネ様が、我が国の窮地に頷き以外で応えるなど有り得ません。

 それを分かっていて、私共は卑劣にも貴方という魔物を利用したのです」


 眉間に皺を寄せ、アイダラスは自身の薄い腹の前で組んだ手の力をグッと強めた。

 彼女としては、極力彼の負担とならぬ形で助けを乞うつもりだったのだ。

 魔物の世界で目にしたように、ヴェリーネ一人が飛翔し、天より力を放って敵軍を戦闘不能状態に陥らせ、上級将校数名を拘束し捕虜として連れ帰るなど、そうした方法であれば、一時間とかからぬ内にその身を解放することすら出来たのではないかと少女は考えていた。

 何くれと忙しい星王の貴重な時を不当に奪ってしまったようで、姫君は胸に湧く罪悪感から徐々に視線を下らせていく。


「アイダラス様。

 利用したとおっしゃるのであれば、私も同じです」

「え?」


 思いもよらぬセリフが耳に飛び込んできて、アイダラスは座してなお高みにあるヴェリーネの顔を反射的に見上げていた。

 その目の先で、橙色の眼球が僅かに泳ぐ。


「我欲に溺れ……貴方との別れを惜しんで、ロドムス殿の話にこれ幸いと飛びついたのですよ、私は」

「っえ……わ、(わたくし)と……?」


 あまりにも想定外の内容に、すぐには脳への理解が及ばず、王女は返す声をどもらせた。

 それに続けて、肉人形は静かに語る。


「一分でも一秒でも長く、アイダラス様の生きるこの清き世界との繋がりを保ち続けていたかった」


 偉大な王たる彼らしからぬ独白を今度こそ素直に受け止めた少女は、戸惑いに眉尻を下げながらも、薄っすらと白い頬を朱に染めた。


「仮にも王の名を冠する者にあるまじき行いであることは重々承知の上です。

 卑怯で愚かな男と(なじ)っていただいても構いません」

「そ、そんな、それをヴェリーネ様に言われてしまったら、(わたくし)……私も、同じ罪を負う不謹慎な娘であると……。

 ナギタの危機にあって、貴方と再びこうして言の葉を交わせる事実を、はしたなくも喜ぶような、不忠の王女なのです、私もまた」


 責められるはずがないと、彼女は複雑な胸中そのままの表情で(かぶり)を振る。


 愛よりも国を取ると()の地ですでに固く決意した身ながら、二人は一向にままならぬ己の感情に翻弄され続けていた。

 彼らを信じ敬愛する民たちへの裏切り行為のようで、後ろめたさは引きも切らないが、それで大人しく鎮まる程度の好意であれば、今なお距離を縮めんと動きたがる両の足を制御するのに、多くの労力を要してはいないだろう。

 二人は黙して見つめ合い、恋しい恋しいと咽び泣く互いの心の様を共有することで、やり場もなく膨れ上がるばかりの愛を僅かにも慰めるのだった。




 やがて、父の執務室から戻ったゼフォンス王子と入れ替わりに、ヴェリーネはロドムスの元へと報告に立つ。

 到着してすぐ、ナギタ王は、粗方の話はすでに聞いていると言って、彼に一国の主としての主観を交えた語らいを求めてきた。

 星王は、そうした父王へ、逡巡するまでもなく頷いてみせる。


 それから、時をかけずして魔物の王より目ぼしい情報を得たロドムスは、一度口内を湿らせることで話題に区切りをつけ、今度は自らが主体となって言を紡ぎ始めた。


「各国との援軍交渉は順調に進んでおる。

 我らにとっては、まさにここからが正念場となるが……まずは、暗き運命を見事覆してみせた其の方にナギティアルーダ国王である私から謝意を述べさせていただこう」


 頭は下げず、執務机の前に立つヴェリーネを真っすぐ見上げる王。

 視線の先で、肉人形の薄く開かれた剥き出しの歯の隙間から、汚らしい濁緑の粘液が醜く厚い赤紫の舌に合わせドロリと踊る様が垣間見えた。


「いいえ、とんでもないことでございます。

 先日も申し上げましたが、全ては私の不徳の致すところ……」


 思わず眉を顰めかけたが、ロドムスはこれまでの人生経験を総動員して、無の表情を保つことに成功する。

 二心はないと知りつつも、呪怨そのものといった声と語られる内容とのあまりのギャップに、『相も変わらず、白々しく響くものだ』と、彼は自身の脳の片隅で無益な感想を垂れ流した。


「先の日、私もこう返したはずだが……。

 民の犯した罪の何もかもを王一人が背に負わねばならぬなら、国など到底立ちゆくまい、と。

 其方(そなた)も存外、頑なな御仁であるな。

 まぁ、いい」


 これだけ悍ましい怪物を相手に、本来そういった耐性の薄いうら若き乙女であるはずのアイダラスが平然と愛まで向けているのだから、世の中とは分からないものだと、父王は己の数奇な人生に思いを馳せつつ、ゆっくりと瞼を細める。


「我が国の保有する何を差し出したところで、生ける地の異なるヴェリーネ殿には無用の長物であろう。

 よって、ナギティアルーダにあって唯一其の方が価値を見出しておる、第一王女アイダラスの身柄でもって、その対価としたい」

「……何ですって?」


 突然の話に、ヴェリーネは覿面に巨体を強張らせながら、目の前の中年を注視した。


「この際、妃待遇などと、分を弁えぬ要求を突き付ける心算はない。

 アレを連れ帰り、如何様にも使われるが良い」


 努めて事務的に告げるナギタ王。

 さすがにここで子への情を疑い憤るほど短慮な魔物の王ではないが、しかし、異種族の男の意図が読みきれず、彼はひたすら惑うことしか出来なかった。


「恐れながら、ロドムス陛下……対価は求めぬと、私はそう告げたはずです」

「他国の王の力を借り受けながら報酬も無しとあっては、あまりにも外聞の悪い話とは思わんかね?」

「外聞も何も、私の存在は諸外国には秘されておりましょう。

 そも、私は魔物であり、人間の道理は適用外。

 ただ利のみを求め捨て置いたところで、間もなくホールも封じますれば、ナギティアルーダに害など起こりえますまい。

 得難き王女を、みすみす異界の怪物如きにくれてやろうなどと考えるものではありません」


 真剣にロドムスを説こうと言葉を重ねる肉人形に、王は内心で苦笑を零す。

 自らをこうも簡単に怪物などと称してみせるような、謙虚誠実な男であるからこそ至った結論であるとは、彼には想像も及ばないらしい。


「……やはり、通り一遍の建前を並べた程度で其方は動かせまいな。

 ヴェリーネ殿。少々不躾ではあるが、ここからは偽りなき心で語らせていただく」

「陛下?」


 宣言直後、国王としての顔を捨て、一人の父親としてのソレへと表情を切り替えたロドムスを、魔物の王は訝しげに見やる。

 間もなく、人間の中年は座していた椅子から腰を上げ、化け物のすぐ前方へと歩いて移動してから、おもむろに両膝をつき、(こうべ)を毛足の長い絨毯に擦り付けた。


「っ何を!」


 驚きに半歩後ずさり、反射で喉を震わせるヴェリーネへ、姿勢を強固に変えぬまま、ロドムスが滔々と語り出す。


「ヴェリーネ殿、いえ、ヴェリーネ様。

 まずは、卑小たる人間の身にありながら、傲慢にも上位者が如く振る舞う、常日頃よりのご無礼を深く謝罪致します。

 そして、此度、ナギティアルーダへ甚大なるご助力を賜り、また、一人の父として、娘の命をお救いくださり、心より感謝申し上げます。

 長らく幼さの抜けきらなんだ息子のゼフォンスも、貴方様という存在に触れ、いち王族として目覚ましい成長を遂げておるようです。

 国勢の安定には未だ遠くございますが、一先ずの窮地を大きな被害もなく脱せたのも、全てはヴェリーネ様のお力添えあってのこと。

 これだけの、人の身にけして成せぬであろう大恩をお返しする術など、私は寡聞にして存じ上げません。

 挙句、厚顔にも貴き御方に希求を重ねる愚かを、どうかお許しください」


 予想だにせぬ父王の態度に、肉人形は困惑に次ぐ困惑で、もはや声すら発せずにいた。

 そんな彼の狼狽を意に介さず、ロドムスは更に言の葉を紡ぎ続ける。


「此度、派兵を求めた近隣国家群は、いかに我が国を属国とし、より多くの益を啜るかといった目論見を抱いて、非常に繊細なバランスで牽制し合っておる状況です。

 そして、その均衡を崩す最も容易な方法として、アイダラスを妃と娶り、人質として手中に収めることが挙げられます」


 内容が内容だけに、即座に王としての思考を働かせ始めたヴェリーネは、自然と落ち着きを取り戻した様子でこう返した。


「現状を保持したまま時を稼ぎ、各勢力へ対抗可能な程度にまで国力を回復させようとした場合、明確な弱みとなる王女を身の内に抱えてはおれぬと」

「おっしゃる通りです。

 しかし、そうした事実も、私にとって建前の一つに過ぎません。

 極端な話、適当な国内貴族に嫁がせるだけでも一応の片は付くわけですから」


 そこまで言って、ロドムスはようやく顔を上げ、今度は西洋の騎士が(あるじ)へ跪くにも似た体勢で、高みにある魔物の眼球へと視線を合わせる。

 彼の眼差しは真摯な熱を(たた)えており、肉人形は思わぬ話の流れに再び当惑に身を浸しながらも、下方から届く声に聴力を傾けた。


「アイダラスは幼き頃より、我慢ばかりが得意な娘でした。

 誰かと同時に怪我を負えば、自らは涙も(こら)え、痛みにも耐え、懸命に他人を案じてみせる。

 そうしたことを、当たり前にやってのけるのが、あの子でした。

 ……だからでしょう。

 アレは一国の王女として、病弱な弟を持つ姉として、不平一つ漏らさず、常に周囲の期待する以上の姿を演じ続けた。

 父親の私に対しても、一方的に感情や都合を押し付けるような真似はせず、子供らしく甘えてみせる時ですら、常にどこか遠慮がちであったのです」


 息を吐き、ふと、遠い目をしたロドムスが、脳裏によぎる娘へと慈愛を含んだ笑みを向ける。

 実の父親の口から告げられる過去の少女像に、ヴェリーネはいつしか夢中で聞き入っていた。


「……そのアイダラスが、男を愛したと、貴方を前に年頃相応の顔を覘かせている。

 そして、返すものもなく心苦しいと、そう口にしながらも、貴方に頼ることを良しとしている。

 周囲に侍る者たちの望む姿ではなく、私心に我を忘れる娘の姿など、私はこれまで見た時がなかった。

 十数年共にあった我々にも不可能であったアレの在りようを、ヴェリーネ様はたったの半年で変えてしまわれたのです」


 しみじみと語る声に、しかし、肉人形は眼球を蠢かせるのみであった。

 変えたと言われたところで、当人にそのような認識はなく、疑問符ばかりが頭上に湧いている。

 彼にとってのアイダラスは、どこまでも気高き魂を持つ少女であり、出会いから先、自身の存在が影響を与えられるものであるなどとは考えたこともなかったのだ。


「ヴェリーネ様。

 貴方は、他人の泥を被りたがる愛娘が、ようやくにして得た唯一無二の宝。

 常の世ならば、それでも諦めさせたでしょう。

 しかし、今、この時であればこそ、言い訳も立つ」

「……それで、対価などと」

「はい」


 一呼吸の後、再び額を地に擦り付け、ロドムスは懇願する。


「大恩ある御方にございますれば、無理にとまでは申しません。

 しかし、アイダラスが真なる幸福を得るには、アレを王女という前提なしに見る者のおらぬこの地にあっては、もはや不可能であるのです。

 すべては私の……親のエゴと重々承知の上ではありますが……もし、もしも、自らすらをも欺いて王女たらんとする我が娘を憐れにお思いならば、どうか、貴方様のご慈悲に縋らせてはいただけぬものかと……」

「ロドムス殿」


 娘の幸せを一心に望む父親の姿に、ヴェリーネは複雑な心境を抱かずにはおれなかった。

 醜い化け物に大切な家族を奪われてたまるものかと、敵意を向けられるのならば、まだ彼も理解の範疇であったろう。

 けれど、実際はその真逆の状況で、別れを定めと受け入れた二人に対し、姉を、娘を愛しているはずの弟と父が、必死に結ばせようと画策してくる。

 星王とて、このまま頷きたい感情はあった。

 だが、そうしてしまえば、肝心の姫君に多大な苦労を負わせる破目になるのは明白で……。

 だからこそ、彼は軽率に許容してみせるわけにはいかなかった。


「私とて、一人の男として、あの輝かしき御方との未来を夢想せぬ日はございません。

 しかし……しかし、です。

 人間の、それもか弱き少女の身に、我がマッデュバはあまりにも惨き地にございましょう」


 ぽつりと天から落とされた呟きに、大いに付け入る隙を見たロドムスは素早く顔を上げ、畳み掛けるように唇を忙しなく動かし始める。


「こちらのどの国に嫁がせるより、余程安全であると確信しております。

 魔物の世界には、少なくともヴェリーネ様という心強い味方がいらっしゃる。

 何が起ころうと裏切りや冷遇を案ずる必要のない絶対の存在が傍らにある事実に、娘の父として、どれほど救われるものか」


 父王の発言に、ヴェリーネは僅かながら、ここに至る流れの根底を把握した。

 つまるところ、彼はナギタをことごとく見捨ててきた他国が信用ならないのだ。

 事が自身についてであれば、仕方のない状況だったと、立場が等しければ同様の措置を取ったはずだと、国のため全てを水に流して友好的な態度を示すなど容易くやってのける男だろう。

 しかし、今、改めて愛娘を差し出そうと考えるには、悲劇の時があまりに長すぎた。

 じわじわと削られ続けた精神が、ロドムスに極端な結論を選ばせたのかと、肉人形は憐憫の情を瞳に乗せる。

 とはいえ、それはあくまで父親側の(ことわり)であるとして、星王は少女を庇うべく再び呪詛を吐き出した。


「蚊帳の外と置けば、傷付くのではありませんか。

 彼女は……()の姫君は、誰よりナギティアルーダを愛しているというのに」


 瞬間、ロドムスは唇の端を歪めて不敵に笑う。


「少なくとも、そのナギタと天秤にかける程に、貴方様もまた、娘に愛されてございましょう。

 どうしても気になるようであれば、そもそもホールなど塞がなければよろしい」

「っ何をおっしゃいます」

「好きに帰るも返すも可能な方が、娘にも貴方様にも負担はかかりますまい。

 そうしてアイダラスが一生を終えた後に、改めて封印を施せば良い話ではございませんか。

 アレを慕う民には、遥か彼方の大国へ嫁ぐのだとでも告げれば、快く送り出してくれるでしょう。

 率直に申し上げて……ナギタが再びの窮地に陥った際には、此度同様、その手を貸していただけるのではないかという、無粋な下心もございます。

 貴方様も、娘の祖国の滅びなど望まれぬでしょう?」


 ヴェリーネの弱みを突くような絶妙な攻勢は、さすがナギタ王といったところか。

 弟王子ゼフォンスとは異なり、彼の語りには、あたかもソレが最上の選択であると相手に刷り込ませるだけの巧みさがあった。


「ヴェリーネ様。どうか、我らを救うと思って」

「ぬぅ……いや、しかし……」


 そうして、その後も手練手管を弄され続けた魔物の王の決意の牙城は、ついに陥落することとなる。


「おぉ、そうですか! 我が娘を受け入れて下さいますか!

 なんと、ありがたい!」

「いえ、あくまで、全ては()の方の御心次第。

 私は、新たに選択肢を一つ提供したに過ぎません」


 とはいえ、すでに決定事項に等しいであろうことは、ヴェリーネも理解していた。

 ロドムス王の話術にかかれば、性格も何も知り尽くしているアイダラスの説得など、赤子の手をひねるようなものだろう。


 父親の顔から改めて国王の面を被り、彼は退出させていた使用人を呼び戻して、内一人に姫を連れるよう言い付ける。

 待ちの間、容易く欲に飲まれ意思を覆した魔物畜生を、彼女はどの様な目で見てくるものかと、星王は動かぬ表情の下で戦々恐々と震えていた。




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