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17 弟王子の結論



「本当にやった……」


 どこか呆然とした少年の呟きが、ヴェリーネの耳に届く。

 空事と疑っていたわけではなかろうが、それでも、神の如き大いなる力を()の当たりにすれば、改めて衝撃も受けようというものだ。

 知らず内に握り込まれていた白い手は小刻みに震え、薄っぺらな体に駆け巡っていた魔物への反発心がみるみる萎縮していく。


「軍の到着には、まだ少々の時間を要しましょう。

 見張りはこのまま私が続けますので、ゼフォンス殿下は今しばらくの間、地上拠点にてゆるりと過ごされませ。

 状況に変化があれば、すぐにでもお迎えに上がりますゆえ」

「っあ、あぁ。そうさせてもらおう」


 魔物の王の提案に、僅かに怯えの混じる声で王子が応えた。

 彼が珍しく素直に頷いてみせたのも、とにかくこの恐ろしい怪物と一秒でも早く物理的な距離を取りたくて仕方がなかったからだ。

 自ら視界の外へと消えてくれるのならば、今、ゼフォンスにとって、これ以上ありがたいこともない。

 全く隠しきれてはいないが、最低限でも平静を取り繕おうとしているのは、他人に弱みを見せまいとする王族としての少年なりのプライドだった。


 ただし、保護活動の最中(さなか)、人間という人間に忌み嫌われてきた肉人形からすれば、この程度でも随分と救われる態度となる。

 見栄を張るという行為は、少なからず精神に判断力が残っていなければ成立しない。

 大の大人たちですら、泣きわめき逃げ惑うような化け物を相手に、幼き身でなんと立派なことかと、さすがはアイダラス様の弟君であらせられると、彼はしきりに感心していた。


 愛しい少女の実の家族に疎まれる寂しさもないではないが、そもそも怯えは生物の本能より発露する感情でもあり、力量差を踏まえれば致し方ない部分も大きいのだと、ヴェリーネは理解し、受け入れている。

 滅びに向かいゆく国を限界を超えて支え続けた賢王ロドムスですら、一見平然と怪物へ対峙しているようで、瞳の奥には拭えぬ畏怖の色が滲んでいた。

 本気で心の底から異種族である彼を信頼し、慕ってくる人間など、やはり、アイダラスぐらいのものなのだ。

 しかも、彼女は星王を崇め奉るマッデュバの民たちとも違い、あくまでヴェリーネを個人として認識し、その在るがままを愛している。

 一切の歪みなく真っすぐ向けられる純粋な好意は、比類なき化け物にとって、あまりに新鮮で、そして、途方もなく甘美であった。



 激しい砂嵐の渦中を、光の球に包まれた魔物と少年が互いに無言のまま降下していく。

 黄金の銃弾が飛び交うそこへ突入する際には小さく息を飲む音も漏れたが、はっきりと声までは上がらなかった。


 間もなく地上へと足をつけ、そのまま結界部屋へと踏み入れば、突然の怪物との遭遇に、室内で待機していた世話役兼料理人の男から甲高い悲鳴が発される。

 単に反射的なものであったので、すぐに口は閉じられたが、己の犯した不敬に気付いて、男の顔から急速に血の気が引いていった。

 全身を小刻みに震えさせる彼に対し、ヴェリーネは敢えて無視を決め込み、その場に跪く。

 次いで、丁寧な仕草で王子を肉々しい肩から降ろして、低く頭を下げた。


「では、ゼフォンス殿下。御前失礼致します」


 直後、少年は彼へかける言葉を探して、唇を僅かに上下させる。

 が、結局、その口から何も告げられることはなく、速やかに踵を返し去りゆく巨躯を、ゼフォンスはただ無言で見送るのみであった。

 また、世話役の男は、悍ましき化け物に一瞥すらされなかったことで、自身のような小物には毛ほども興味はなさそうだと都合の良いように解釈し、安堵の感情から深く息を吐いていた。

 そうした対応が、下手に言葉をかけ許しを与えるよりも余程怯える人間の心に負担をかけぬのだという、過去に得た経験からくる肉人形の配慮だとは、まさか考え付きもしない。

 もし、ここにアイダラスがいれば、両者の事情を察して執り成すことも出来たのかもしれないが、彼女は現在、見舞いからの一連の騒動による無理が祟って、再び寝台の上の住人となっている。



 さて、世にも醜い魔物が結界内部より消えて十数秒。

 王子はふらつく足を動かして、無作法ながらも部屋の角に設えられた自身の寝床へとゆっくり倒れ込んだ。


「殿下っ!?」


 もしや体調でも崩したかと慌てて駆け寄ってくる世話役の男へ、ゼフォンスは伏した姿勢のまま、億劫そうな視線だけを送る。


「大事ない。ただの気疲れだ」

「っえ、あ……左様で」


 あのような化け物と行動を共にしていたのだから、確かに消耗も激しかろうと、男は自らの想像の至らなさで王子殿下を煩わせてしまったバツの悪さに頭を掻いた。


 主人の休息を邪魔せぬよう静かに離れていく世話役の気遣いに、ゼフォンスは心の中で軽い感謝を送りながら目を瞑り、訪れた闇の中、己の思考に没頭していく。


 物心ついた頃には、すでに魔物による害が発生していたため、父王や姉姫の知るような交易の要として栄えていた時代の祖国の姿は、少年の記憶にはない。

 しかし、成長の過程で常に周囲の大人の憂いを浴びて育った彼は、誰よりも純粋に魔物を絶対の悪として憎んでいた。

 生来、呼吸器が弱く、頻繁に発作を起こしては寝込むばかりで、王宮内どころか自室からすらほとんど出歩くことのなかった王子の世界は、当然ながら酷く狭い。

 その上で、生まれて初めて目の当たりにした魔物が、あの特に醜悪な容姿のヴェリーネであったというのだから、それまで刷り込まれてきた彼らへの悪感情を爆発させるに何の躊躇もあるはずがなかった。

 ゼフォンスにとって、魔物即ち悪という図式は、太陽が東から昇るのと同じように、不変の事実だったのだ。

 だからこそ、世界の法則そのものを引っくり返すようなアイダラスの発言に対する衝撃は大きく、未だ幼さの残る少年にとって、容易に受け入れられるものではなかった。

 まぁ、人間という種の生育過程における、第二反抗期の発生する頃合いでもある。


 ただ、偉大な国王と聡明な王女が揃ってあの怪物に信を置いているのなら、おそらく間違っているのは自分の方なのだと、いつまでも目を逸らし続けることは不可能なのだと、彼も心の奥底では理解していた。


 そう。

 ゼフォンスは、分かっていて、甘えているに過ぎないのだ。

 黙して見守る父に、厳しくも情深い姉に、誰より、この世の清濁何もかもを赦し受け入れてでもいるかのような、果てなき器の持ち主である化け物に。


 弱さ故か人の悪意にとりわけ敏感なこの少年は、初手より本能的に魔物の王の無害を察していた。

 当人は全くの無自覚であったが、己の身にけして危険が及ばぬと、そう読み取っていたからこそ、彼は誰もが恐れる怪物にああも容易く刃を向けることが出来たのである。

 後に重ねる不遜な態度も、もちろん、その確信が根底にあればこそというものだ。


(……いい加減、非を認めなければな)


 自身の視界を幾重にも狭めていた複雑な感情群が、つい先ほどの恐怖で軒並み払われたことで、王子はむしろ、精神の水底に沈殿するソレらの真実に、遅まきながら辿り着いていた。


 気質に限って言えば、もはや化け物の善性は明らかだ。

 とはいえ、グロテスクな見目と強大な力に対する怯えや忌避の感情は、単に理屈や正論を並べただけで拭えるほど軽くもない。

 その点に関して、努力や時を要すれば果たして解決するものであろうかと、少年は遥か未来を夢想するように宙に両の目を凝らす。


 ゼフォンスが真っ向から彼を厭うだけの道理は、すでに消失していた。

 大事な姉の心を攫った男でもあり、(しゃく)に障る部分も残るが、そこを反発の軸とするには動機として幼稚に過ぎると、弟王子は深く長く息を吐き出す。


(しかし、今更アレにどんな顔を向けろと)


 ただちに甘えを是正すべきと考えつつも、年頃相応の自尊心が決断の邪魔をした。

 彼がこのまま変わらずとも、怪物が不快と喚き出すわけでもない。

 むしろ、急な宗旨替えこそがヴェリーネを困惑せしめるだろうと、その様を脳裏に思い描いて、少年は湧き上がる煩わしさと気恥ずかしさに枕を抱き込んだ。

 端的に表現すれば、ばつが悪い、といったところか。


 ゼフォンスが一人悶え苦悩している内に、すっかり時は過ぎ去って、やがて、軍隊の接近を告げに、再び魔物の王が結界内へと姿を現した。

 刹那、ビクリと細い肩を跳ねさせてしまった事実を、どうにか無かったかのように流して、王子は跪く怪物の正面まで移動してから、次いでの報告を端的に促す。

 すると、仮拠点設営予定地と思われる場へ斥候が差し向けられているとの説明があり、直に様子を確認すべく、少年はヴェリーネの膝と腕から成る硬い肉の階段を駆け上り、間もなく空へと飛び立った。



 突如として発生した大規模な嵐については、当然ながら、アッダシャグナブ王国兵らの目にも届いている。

 だが、彼らの常識として、この地方における砂嵐は、発生頻度はそこそこ高いが長くとも二日と続かぬ短期のもの、という刷り込みがあった。

 そのため、日常的な砂対策として顔面へ布を巻くなどの行為はしつつも、軍略的な意味では特に変更らしい変更もされぬまま進軍は続行されたのである。

 この程度の出来事、想定の範囲内だと、将校らも高を括っていたのだ。


 半日後、本格的な砂漠の攻略に入る手前、あらかじめ取り決められていた岩石地帯に到着した一行は、僅かな嵐の余波を浴びながらも、手慣れた様子で野営の準備を整えていく。

 彼らの受けている風が、たった一体の魔物の手により意図的に作られたもので、ともすれば一月でも一年でも続く災いであるなど、当然、誰一人として知る由もなかった。


 休息に入る傍らで、取らぬ狸の皮算用を繰り返し下世話に盛り上がる兵士たちの姿は、いっそ憐れですらあった、と後の場でゼフォンスは語る。


 万を超える人員を抱えるアッダの侵略軍が、兵糧不足に喘ぎ、王の苛烈な怒りを覚悟しつつも自国へ引き返したのは、それから八日が経過した頃合いだった。

 まともな交戦も長期に渡る災害も前提としておらず、予備的物資も最低限に送り出された、その弊害が顕著に及んだ結果である。


 天にも達そうかという黄金の脅威を眼前に、終わりも見通せぬまま、ただひたすら待機するだけの毎日というのは、中々精神に堪えるものだったろう。

 彼らは一様に暗い表情を浮かべて、どこか重い足取りで地平の彼方へと去っていった。

 特に下位の兵などは、十分な食事にありつけておらず、体力的にも辛いものがあったようだ。

 また、一定以上の地位にある将校らについては、此度の失敗でいくつの首が物理的に飛ばされようかと、皆、自らの死を想い青褪めた顔をしていたという。

 必ず成功すると、誰もがそう信じている状況であるからこそ、その期待を裏切られた際の失望と腹立ちは計り知れなかった。



 一方、アッダ軍の撤退から即座に嵐が治まるというのも不自然かと、ヴェリーネたちは、更に二日程の滞在を経てから、ようやくの帰路に就く。

 作戦が成った時点で、伝書鳥による一報を入れているので、王宮ではロドムスやアイダラスが様々な対処に走る傍ら、彼らの戻りを首を長くして待っていることだろう。


 魔物の王が出立時と同様、結界部屋を中庭の一角へと静かに降ろせば、建物のあちらこちらから使用人や兵たちが飛び出して、王子を迎えようと集まってきた。

 久方ぶりに生家の土を踏んだ少年は、そうした人々が彼を囲んでしまう前にと、巨体に歩み寄り、一言、こう囁く。


「ヴェリーネ陛下。昨日(さくじつ)の件、くれぐれも」

「んんっ。いえ、それは……」


 対して、どうにも口籠る肉人形。


 ゼフォンスは、この約半月の間に自らで打ち立てた目標であるところの、魔物の王への謝罪と態度の軟化を完遂させていた。

 そして、最後の夜に、彼は怪物を満月の下へと連れ出して、神妙な面持ちで、とある話を持ち掛けたのである。


「どうか、我が姉アイダラスを娶ってください」


 と。


 当然、ヴェリーネは驚き、真意を問うた。

 すると、少年は酷く大人びた、凪いだ瞳で、白く光る砂漠の果てを眺めて、そのまま訥々と語り始めたのだ。


「……これまで、病弱であることと、聡明な姉の存在に甘えて、王族の一員であるという自覚が私には足りておりませんでした」


 一見、先ほどのセリフと関係のない内容のようだが、怪物はただ黙して次を待った。

 唇の端を自嘲の形に歪ませた王子は、それから、まるで夜空へ独白でもするかのように、大きく天を仰ぎ見る。


「姉様が魔物の世界から帰国されたのは、生来の責任感の強さもあるでしょうが、何より、この私が未熟であったからに他なりません。

 私が一国を任せるに値しない子供だから、あの人は否応なしに戻って来ざるを得なかったのです」

「……まさか、そのようなことは」

「いいえ」


 間髪入れずに返された鋭く強い否定の言葉に、魔物の王は続ける声を失い口を噤んだ。


「……アイダラス姉様は、昔から何事に対しても誠実一途な方でした。

 その姉が、あれだけ盲目的に貴方という男性を愛してしまっているのなら、今後現れる政略相手に心を移すなど、まず有り得ないでしょう。

 であれば、我が姉が真に幸福を掴むには、やはりヴェリーネ陛下、貴方の元へ嫁がせることは必須なのです」


 ここで、ゼフォンスは怪物へ視線を移す。

 当人同士が諦めたつもりでいる婚姻話を、まさかの反対派であった第三者から勧められている珍妙な状況だ。

 肉人形は、表情筋の動かぬ身ながら、覿面に狼狽えていた。


「い、いや、しかし……我が国は、人間である彼女には大変危険で……」

「聞くところによれば、魔物の国というのは、単純に最も武に優れた者が王の任に就くそうではありませんか。

 ヴェリーネ陛下。

 貴方には、姉様を何者からも護り通せるだけの力がおありのはず。

 違いますか?」

「それは……」


 言いよどむ魔物の王。

 ないと答えれば嘘になろうが、さりとて、自信を持ってあると頷けるほど余裕のある立場でもないのが現実的なところだ。

 真綿で(くる)む様に、城の奥深くに囲い込んで日々愛でるだけであるなら良いかもしれない。

 だが、そうした籠の鳥となってしまえば、彼女の魂の輝きは確実にくすんでしまうだろう。

 それだけはしたくないと、その眩さに魅せられ惹かれた男は思うのだ。


「姉様の後顧の憂いを断つべく、私はこれから誰よりも立派な……偉大な父ロドムスをも超える王になってみせます。

 ですから、ヴェリーネ陛下。

 貴方にアイダラスという一人の女性を想う心が、あの人の幸福を願う心が少しでもおありなら、どうか……どうか、妃と迎えて差し上げてください」


 姉を慕う少年の真摯な望みは、同時に、悍ましき肉人形が切に焦がれる未来でもある。

 けれど、マッデュバを統べる星王ヴェリーネ・ディゴは、ゼフォンス王子の求めに対し、けして応えることはなく、ただいつまでも無言で立ち尽くすのみであった。





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