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16 凶神



 しばしの後、段々と濃くなりつつある妙な色の空気を、無粋なわざとらしい咳払いが雲散させる。


「……すまんが、本題に戻って良いかね」


 娘と怪物の想定以上に睦まじい仲に戸惑い、そこへ割り入る居たたまれなさを顔面に出しつつも、一応この場で唯一冷静さを保っていたロドムスが軌道の修正を試みた。

 瞬間、正気を取り戻した肉人形は大きく背を仰け反らせ、姫君は手を離して後方へと素早く飛び退く。

 衆目を集める中で演じてしまった醜態を恥入り、慌てて謝罪に(こうべ)を垂れる二人へ、父王は抑揚に許しを与えてから、続けて語り出した。


「ヴェリーネ殿。

 先程の申し出は大変ありがたいが、貴公の手を借りれば、我が国が魔物に魂を売ったなどと周辺国より謗られ、ようやく修繕し始めた付き合いを改めて見放されかねぬ。

 そうなれば、アッダとの戦を乗り切ったところで、やはりナギタは立ち行かなくなってしまうだろう」


 分かりやすい断り文句に、魔物の王は当惑する。

 そうした未来の可能性も確かに低くはないのかもしれないが、このままアッダシャグナブ王国の蛮行を捨て置けば、確実にナギタは滅ぶのだ。

 だが、悍ましき肉人形という味方さえあれば、少なくとも現状は無傷でやり過ごせる。

 それが理解できぬ男ではないだろうに、頑なに助力を拒むのは如何な真意によるものかと、ヴェリーネは彼の心を図りかねて口を噤む。


 この時点で、双方の認識には多大な相違があった。


 そもそも、ロドムスは全ての魔物の頂点である彼の実力というものについて、正しく把握してはいなかったのだ。

 ナギタを襲った悪しき者たちを基準に、それより強い存在ということで、一騎当千を超える働きは期待できるだろうというのが、彼の予想だった。

 さればこそ、ヴェリーネの助力があったとて、ナギタの王は自国の勝利すら確信してはいなかったのである。

 どうせ結末が決まっているのなら、看板はあくまで清くある方が、これより避難を促し、他国へ散り逃れるであろう民の立場も少しはマシなものとなるはずだと、ロドムスはそう結論付けていた。

 また、上記と異なる理由として、ようやく国民が前を向き始めた今この時期に、再び魔物の存在を臭わせるような真似をしたくないという、要は、多くの人間の心に刻まれたトラウマを軽率に刺激してくれるなといったような考えもあった。


 そんな両王の行き違いに唯一気付けたアイダラスが、選ぶべき道を正すべく、半歩分だけ身を前方に進ませてから、臣下としての立場より、こう奏上する。


「ロドムス陛下。

 ここは是非、ヴェリーネ様のご厚意に甘えるべきかと」

「アイダラス?」


 姫君が父王の決定に真っ向から反する言葉を吐くというのは、普段であれば相当に珍しいことである。

 彼女は己自身の未熟と、また父親との経験や能力の差を、よくよく知っている。

 生じた疑問について仔細を尋ねることはあっても、いきなり否定から入るようなことは、まず有り得ない。

 だからこそ、この場面で何を考えているものかと、彼は訝し気に娘を見やった。


「辞退の根拠がそれ一つならば、魔物による助勢と分からぬよう動いていただけば良い話でございましょう」

「あの、姿を隠す妖しの技でも使わせ、軍に紛れ込ませるのか?」

「いいえ、まさか。そのやり方では不自然さが残り、疑惑が生じます。

 そうではなく、天災を起こしていただくのです」


 咄嗟に王女のセリフを変換できず、ロドムスは目を瞬いて不穏に過ぎる単語をそのまま復唱する。


「………………てんさい?」

「はい。地震でも、嵐でも、天雷でも、何でもいい。

 ヴェリーネ様の御力で、アッダの兵が引かざるを得なくなるような損害を与えていただきます。

 どんなに都合の良い奇跡のようでも、それが人為的に起こされたものだとは、よもや誰も思わないでしょう」


 至極当前のことのように語ってみせる少女へ、人々の視線が集中する。

 信じられない、というよりは、信じたくない、という方が、彼らの心情として正確だろうか。

 この地において自然が猛威を振るう時、それは神々の怒りであると、人はただ天に祈りを捧げ、過ぎ去るを待つことしか出来ぬと、そう常識として刻み込まれている。


「待て、アイダラス。

 その、天災が、起こせると……ヴェリーネ殿一人に、可能、だと?」


 背中に冷えた汗を幾筋と垂らしながら、震えそうになる声を抑えて、ロドムスが問う。

 聞きたくもないその答えは、すぐにヴェリーネ本人によって、もたらされた。


「そうですね。

 その程度であれば、造作(ぞうさ)もありません」


 一切の気負いもなく、むしろ、軽い調子で頷きが返ってきたことで、事の真実味が一気に深まる。

 ここに来て、神々の怒りを単身発揮する様な埒外の能力を有すると判明した魔物の王であるが、彼の言葉を深読めば、暗にそれすらも力の一端に過ぎないのだと示されていた。

 見目のみの話ではない、正真正銘の化け物ではないかと、誰もが顔を青褪めさせる。

 次元の違う怪物を前にしている現実を今さらながら理解し、根源よりの恐怖が皆の胸中に蔓延していった。


 室内の雰囲気が一変したことを感じ取った姫君は、彼らの表情からその原因を察する。

 次いで、周囲をぐるりと見渡しながら、彼女は呆れを隠さぬ声色で告げた。


「杞憂に怯え、貴重な時をいたずらに浪費するなど、お止しなさい。

 ヴェリーネ様は、この場に立つ誰よりも優れた人格者でいらっしゃいます。

 彼は、魔物の世界を統べる王という極めて高き身にありながら、自らに劣る異種族に非もなく刃を向けられて、憤るどころか無抵抗に打たれ続けることを選択するような情け深い御方なのですよ。

 一体、これ以上のどんな無礼を働けば、貴方がたの恐れる理不尽な振る舞いに及ぶと思うのです」


 直後、ある方向から小さく呻き声が上がる。

 思い当たる節のありすぎたらしい弟王子が、両手で自身の胸元を掴んで、苦し気に顔面を顰めていた。

 己が如何に危うい橋を渡っていたのかを知った彼の薄い背筋が、後悔の重さに耐えかね自然と丸まっていく。


 被害者である魔物が些事と流しているのに対し、密かに弟の所業を根に持っているらしい姉だった。


 だが、説得力という点で、中々に悪くない例えではあったようだ。

 一方的に罵倒を浴びせ、無手の相手に武器を持ち襲い掛かる以上の愚行など、まともな倫理観の持ち主であれば、容易に浮かぼうはずもない。

 中には、それに連鎖して、加害者であるゼフォンスを王女の怒りから庇おうとした肉人形の善たる動きを思い起こす者もあった。

 見目の醜さもあり、恐れの感情が完全に消失することこそないが、そうそう緊張する必要もないのだと納得し、少しずつ張り詰めていた空気が弛緩していく。


 この間、表面的には微動だにすらしなかった魔物の王だが、内心で、彼はこうした流れを作ってしまった己の迂闊さを呪っていた。

 人間たちの絶望すら含んだ視線が、保護施設で幾度と悲劇を招いてきた過去と重なる。

 だが、アイダラスが至極あっさりと状況を好転させたことで、ヴェリーネは嵌り込みそうになっていた自己嫌悪の深みから脱し、一変して正の精神を、彼女に対する敬慕の念を強く抱いた。


「ヴェリーネ様の優しさに甘え、返すものもなく御力を借りるばかりで心苦しいですが、ナギティアルーダ存続の危機にまさか遠慮などしている場合ではないでしょう」

「…………違いない」


 娘の発言への同意の裏で、たかだか一国の王が、異なる地とはいえ世界の統治者に向けるにはあまりに尊大な態度を取ってしまったと、ロドムスは自身の素行を省みる。

 当然のように下手から接され、つられる部分もあったのだろうが、無意識の内に、魔物に対する差別的感情が働いていたようだと、ヴェリーネの真の恐ろしさを知った今だからこそ、彼は己の奥底にこびりつく負の心理を理解した。

 とはいえ、すぐさま手のひらを返し、現金にも(へりくだ)ってみせるのは、むしろ、妙に人の好い怪物の性格からいえば歓迎されぬはずと推測し、ナギタ王は一先ず現状の維持を独り取り決める。

 緊急性を要する事柄が目の前に転がっているのに、後回しで何の問題も起こらぬと分かりきっている不毛な会話に貴重な時間を弄するなど愚かしいことこの上ないからだ。

 国が救われた暁には、平身低頭して許しを乞うのも良いだろうと、彼は多様な未来予測とそれぞれへの対策を模索し続ける脳の隙間で思考した。


「ヴェリーネ殿。舌の根も乾かぬ内に前言を撤回する無礼を許されよ。

 アッダシャグナブ王国軍の撃退に際し、貴公の力をお借りしたい」

「……仰せのままに、ロドムス陛下」


 相変わらず跪いた姿勢のまま、神妙に頷く肉人形。

 彼がまさかその無表情の内側で、記憶に懐かしい言い回しから父娘(おやこ)を感じて、こっそり和んでいようなどとは、この場にいる誰一人として見抜けるはずもなかった。





 その後の話し合いの末、魔物の王が敵の行く先に激しい砂嵐を巻き起こし、自発的な退避を促す段取りと決まった。

 無理に越えようとすれば消耗は避けられず、目的を果たすだけの余力を残すことは不可能となる。

 また、暴風の手前で待機してみたところで、人為的な災害が治まることもなく、いずれは兵糧が尽きて、彼らは帰国を余儀なくされるだろう。

 頼り切れば、万を超える軍勢を一人残らずせん滅することすら容易であったが、ナギティアルーダ国王ロドムスは、あくまでこれを人間の領分と拘り、最低限の時間稼ぎとしての助力のみをヴェリーネに(こいねが)った。

 敵軍の中に、命令で動いているに過ぎない罪なき者も混在すると思えば、慈悲深き星王としても否やはない。


 上記の方法で得た僅かな空白を利用して、ナギタの地が強欲なアッダに取って代わられては困るであろう近隣の国家群へ、援軍要請を送る手筈となっている。

 彼らに益のある出兵でもなく、第二のアッダが出ぬよう相互監視状態に保つような繊細な舵取りが要求されるが、ナギタ王は、久方ぶりの外交手腕の揮い所とあって、どこか浮かれてさえいるようだった。

 何の成果も被害もなく、ただ天候を理由に撤退しただけの軍を、アッダの王が癇癪と共にすぐさま再び(けしか)けてくるのは想像に難くない。

 そうなれば、多国籍軍を見事操り、今度こそ人のみの力で彼らを撃破してみせようと、ロドムスはニヒルに口角を上げた。



 さて、ヴェリーネが与えられた役割を遂行するにあたり、一連の見届け人を買って出たのは、意外にもゼフォンス王子だった。

 砂漠地帯での幾日にも渡る野宿生活が必要となる可能性が高く、虚弱な少年の身を案じて制止の声も複数上がったが、肝心の彼の父である国王が容認したため、本決まりとなった。

 当人が()の怪物と周囲の邪魔の入らぬ環境で語りたがっているのを酌んでの措置だ。

 魔物の王にはとんだ迷惑を押し付けるようで申し訳なくもあったが、ロドムスはこの機を受けての息子の精神的な成長を望んでいた。

 生まれた頃より病がちで、日々、床に臥してばかりであったゼフォンスも、発育と共に少しずつ症状は緩和され、あと数年もすれば健常な肉体を手にすることができるだろうと目されている。

 ナギタの未来に光明が射した今、王位継承権を持つ男児にいつまでも幼いままでいられては困るのだ。

 二人きりの場で、十二の王子がまたどのような無礼を働くか分かったものではないが、相手がヴェリーネであれば、おそらく悪いようにはならないだろうという、どこか信頼に近い感情が彼の胸の内にあった。



 準備は終夜をかけて行われ、明朝には作戦実行の地へ向けて出立。

 肉人形の展開した巨大な箱型結界の中に、使用人たちが居室そのものといった過保護の過ぎる空間を作り上げており、ゼフォンスは空調すら完璧に整えられたソコで、いっそ王宮以上に快適な生活を送ることとなる。


 とはいえ、この旅路に同行するのは、世話役兼料理人である壮年の男ただ一人であり、何もかも安楽に過ごせるというわけでもない。

 仮にも王の息子を相手にあまりにも供が少ないようだが、護衛の存在はまず無意味で、唯一他国へ逃れずナギタに残留していた初老の侍医は、今回不調の続くアイダラスに付くと宣言しており、何より、ただでさえ不足気味の人手をまず問題の起こりようのない現場へ割く余裕が今の王国にはないということで、こうした結論と至ったのだった。

 万一、病が発症したり、怪我を負ったりといった場合にも、魔物の王が自重なしの速度で飛翔すれば五分と時をかけることもなく王宮へ戻ることができる。

 ある意味で、怪物の実力と高潔なる精神とを、ナギティアルーダ王と姫とがこぞって信頼しているからこその措置であるとも言えよう。


 ちなみに、ヴェリーネ自身も彼らの支度の隙を見て一時離脱し、ホール前に残していた側近や研究者たちに解散の号令をかけ、更に星王不在の期間について各方面に指示を与えるなど、有限の時の中で卒なく動いていた。



 予定の現場に着いてより間を置かず、壮年の男を結界部屋へ残して、怪物と王子、二人だけで砂漠の上空を目指し、飛んだ。

 ある程度の高みに到達してから上昇を止めた肉人形は、硬く広い肩肉に顰め面で鎮座まします少年へ、気遣いの呪詛を放つ。

 対して、ゼフォンスはそれを素っ気ない定型文で流して、以降は口を噤み、敵影を探すように前方に目を凝らしていた。


 大半の人間が不愉快と感じそうな頑なな態度も、星王ヴェリーネにとっては些末事だ。

 圧倒的な力を持って生まれた彼の眼には、全ての生物が儚き者として映っている。

 どんな虫が自己の強さを気取ってみせたところで、巨象の前では、等しく吹けば飛ぶ程度の小さき存在にすぎず、と来れば、同種の掲げる弱肉強食のような価値観など、この男に根付くはずもない。

 誰しもが弱者であるからこそ、魔物の王は平等にその生命を慈しみ、守るべき存在と認識しているのだ。

 牙を剥き噛みつかれたところで傷のひとつも負わぬ身なれば、いちいち波立てる感情もなかった。


 道すがら、野生の小鳥にピーピー威嚇されたからといって、本気で怒り殺意を向ける人間も少ないだろう。

 まして、それを実行に移す者とまでくれば、尚更だ。


 愛する少女の繊細な弟鳥を無暗に怯えさせぬよう、肉人形は自らの行動の意図を逐一舌に乗せながら、体内に蓄積された魔力を辺り一帯に伸ばしていく。

 アッダシャグナブ王国軍は未だ遠くにあり、時が許すならばと、彼はまず、周辺に生息する動物たちを嵐の範囲外へと移動させていった。

 砂礫の渦の中、全身滅多打ちにされて逝くなどというのは、罪なき彼らの散り様として、あまりに惨いと考えたからだ。

 当然、縄張りの問題など発生するだろうが、それでも前述の仕打ちとは比ぶべくもない。

 ただでさえ、数万の兵を丸ごと飲み込めるだけの大規模な嵐を起こそうというのだ。

 人の身勝手に巻き込まれる命の数は、可能な限り少ない方が良いに決まっている。


 いくつかの下準備としての作業を終えて、ヴェリーネは敵軍の姿を視線の遥か先に捉えつつ、ゼフォンスへ作戦開始を宣言した。

 明確な返答こそなかったが、彼のすぐ傍らで唾が喉を通るゴクリという音が鳴る。

 それを合図にするように、魔物の王は下方へ向けて、(いびつ)な手の平を翳した。


 まず、二人の真下辺りに、小さなつむじ風が湧く。

 その勢いは徐々に増していって、砂漠を構成する微細な石粒たちが次々と天へ吸い込まれていった。

 そこから、みるみる内に黄金が広がって、大地という大地を順に覆い隠していく。

 やがて、少年の視界の全てが荒々しい暴風に支配された頃、ついにアッダ兵の進軍を拒むための人工砂嵐が完成した。





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