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15 反するは愛故に



「ヴェリーネ様を……一人の男性としてお慕いする感情でございます」

「アイダラス様っ、何を!?」


 直後、責めるような、悲鳴のような、魔物の呪音が飛ぶ。

 彼と同時に声を上げようとしていた弟王子は、その勢いに負けて、思わず言葉を飲み込んでいた。


泡沫(うたかた)の夢であると、覚めるべきものだと、貴方ご自身、重々理解していらっしゃったはず。

 それをっ、ここに来て、何故……っ」


 焦りを多く含んだヴェリーネの疑問に、けれど、王女は僅かに苦笑いを向けたのみで、明確な答えを返すことはしなかった。

 代わりに、彼女は父王へと静かに語る。


「ロドムス陛下。

 確かに、(わたくし)はアイダラスという一人の女として、己自身の意思で、ヴェリーネ様という男性に心を傾けました。

 ナギティアルーダ国王の娘としては、不祥極まりなきことでありましょう。

 けれど……どうか、その事実を一言に裏切りなどとは断じてくださいますな。

 今日(こんにち)に至るまで、私、誓って、王女としての責務を放棄した覚えもなければ、これより後にそのような不義理を働く心算もございません。

 こうしてこの場に立っていることが、祖国に殉ずる覚悟の何よりの証とご承知おきいただきたいのです」


 そこまで告げて、姫君は国王の沙汰を待つように口を噤み、黙り込んだ。

 背丈の差により見上げる形となっている瞳は凛と力強く、また清く澄み渡っている。

 魔物の王との間にやましいことなど一切ないのだと、視線ひとつで主張しているようだった。


 逆を言ってしまえば、王女という重きを負う立場になければ、娘が帰ってくることはなかったのだろうと、ロドムスは、意図的に隠された彼女のヴェリーネに対する情の根深さを正確に読み取っていた。

 また、弟王子ゼフォンスは、自らの思い違いに気付いて、顔を青褪めさせる。

 先ほどまでの己の発言が、王女としての姉の矜持を踏みにじり侮辱するものであったと、ようやく理解したからだ。

 正確なところ、彼女が肉人形を慕っている事実については、未だ納得いっていない。

 だが、あの気高い姉が迂闊をさらす程の恋しい相手を心に宿しながら、その想いに蓋をして、国のため身を捧げようとしているのだと知って、少年は湧き上がる罪悪感からの吐き気に口元を抑えた。

 王の御前であり、無言で控えるべき立場にある使用人や兵たちは、思考及ばず、ただ心内で困惑することしか出来ずにいる。


 そうした静寂の中、室内にいる全ての者の目が、ナギタ王一人に集中していった。

 やがて、彼により導き出された回答は、この場の誰にとっても意外なものであった。


「……アイダラス。

 其方(そなた)、嫁ぐか。ヴェリーネ殿の元へ」

「えっ?」

「父上!?」


 常に王として最善を探り、時に非情な決断を下すこともやってのけるロドムスが、まさかナギタへ何の利もない提案をするなど有り得ないと、姉弟は信じられない思いで父親を見やる。

 そして、彼の口から続けられた言葉に、二人は意図せず悲鳴を上げた。


「……アッダが戦を仕掛けてきておる」

「アッダシャグナブ王国が!?」

「まさか、そんなっ!」


 驚きと戸惑いで心を乱す子らとは対照的に、あくまで冷静に国王は語る。


「強欲な()の大国が、過去、交易の要であったナギティアルーダを欲していたのは知っているな?

 彼奴(きゃつ)め、魔物の害が終えたと見て、またその薄汚い手を伸ばしてきおったらしい。

 ……悔しいが、それを跳ね除けるだけの力は、今のナギタにはまだない。

 早ければ、五日も過ぎる頃には敵軍が王都へと押し寄せ、我が国は歴史の闇底へと没するだろう」


 あまりの現状に、姉弟はもはや絶句するしかない。

 魔物が消え、復興開始から約一年。

 かつての姿を取り戻すにはまだまだこれからといった段階での、ろくな大義すらなき戦争など、近隣諸国の不況すら買いかねぬ真似をよくも堂々出来るものだと、ロドムスはいっそ感心すらしていた。

 卑怯な手でナギタの地を得たところで、そのような信の置けぬ国と誰が懇意にしたいと思うだろうか。


「何という……。

 この世界には、そのような理不尽を平然と行う王がいるというのですか。

 未だ傷跡多く残るこの地を、ここぞとばかりにつけ狙うとは。

 民を統べる将たる者としての誇りはないのか」


 肉人形の喉から零れたそれは、さながら無慈悲に蹂躙されし民たちの怨嗟の声のようですらあった。 

 同じ人間という種族の愚行を恥じ入るように、アイダラスが伏し目がちに義憤にかられ拳を握る彼へと向き直る。


「ヴェリーネ様。

 こちらの世界において一国を頂く者は、全てとは申しませんが、そのほとんどが世襲制を採っております。

 故に、時にはそのような我欲の著しい王も現れるものなのです」


 肩を落とし憂いの表情を浮かべる姫君を前に、魔物の王は以降の語りを噤む。

 己の言葉が間接的にも少女の心に痛みを与えてしまうとするならば、彼が開く口などありはしないのだ。

 そうしたヴェリーネの気遣いを汲み取って、王女は僅かの間、薄く微笑んだ。


「けれど、父上。

 魔物の王へ姉様を嫁がせたところで、()の国とて到底安全とは言えぬのでは?」


 不信も露わに、弟王子がある意味で当然の疑問を放った。

 その地を治める星王の同席する場で、何とも無礼かつ度胸のある行為である。

 しかし、ロドムスは敢えて、未だ視野狭窄の最中にある息子に答えだけを返してやった。

 ここでそれを咎め謝罪させたところで、実際、見目と正反対に穏やかな性質を持つ化け物は、気を害してすらいないだろうと、この喫緊(きっきん)の状況で無駄に時間を消費するだけのやり取りを省いたのだ。


「……素直に屠られればまだ良いが、アイダラスは見目麗しく、最悪、アレらの慰み者となる可能性もある。

 宮殿に蛮兵の侵入を許した時点で、先に命を奪う以外の方法で我が娘を救う手立てはない。

 よしんば、どこぞへ亡命させたところで、こぞってナギタを見放した周辺国家の面々が、今更、滅びゆく国の王女を丁重に扱うとも思えぬ。

 ならば、たとえ魔物の住処であっても、国王自らの守護も得られ、当人も心を寄せている相手に嫁がせてやるのが、選択としては最良であろう」


 ハッキリと問うた訳ではないが、どうやら怪物の側も娘を憎からず思っているようであるし、と、そこは自らの頭の中だけでナギタ王が呟く。

 父から丁寧に順序立てて諭され、ゼフォンスは反撃の刀もなく悔し気に黙り込んだ。

 改めて、己の無力さが少年の幼き身に染みていた。

 そして、彼と入れ替わりに、今度は魔物の王ヴェリーネが滔々とロドムスへ私見を述べ始める。


「僭越ながら……まこと、慈愛深きアイダラス王女殿下にございますれば、如何に御身がご無事であったとて、祖国の危機に肉親すら見捨て一人逃げの手を打つなど、それでは殿下の心に大きく傷が残りましょう」

「む……」


 ナギタ王が一瞬、声を詰まらせたのは、さもありなんと一切の否定なく納得してしまったからだ。

 愛した魔物を振り切って、民を導き、国に殉じようとしたアイダラスが、例え父の命令であったとして、たった一人平穏を享受する未来を進もうなど、良しとするはずもない。

 仮に、肉人形に頼み込んで強引に連れ去らせたところで、彼女は生涯、真の意味で幸福にはなりきれないだろう。

 だが、だからといって、他に手がある訳ではないのだと、彼は諦念に瞼を狭める。

 そんな王の視界の先で、醜い巨体がゆっくりと跪いた。


「ロドムス陛下。

 此度の件は、元を辿れば我ら魔物の……彼らの王である手前の不徳が招いたものと存じます。

 であれば、ソレを退けるべき、真に責を負うべき者は、この私ということになりましょう」


 肉人形の発言に、王一家は揃って眉を顰める。

 理由は三様だ。

 姉姫アイダラスは、優しすぎるが故に何もかもを一人で背負おうとする彼の姿に心を痛めて。

 弟王子ゼフォンスは、悍ましい魔物に似合わぬ偽善的思考を訝しんで。

 国王ロドムスは、すでにそれが実行された場合の未来の動きをいくつも想定し始めていた。


「ただし、人間には人間の(いくさ)作法があることと存じます。

 ですので、どうぞ、我が力を如何様にもご利用ください。

 もちろん、被害国であるナギティアルーダは、何ら対価を必要とするものではありません。

 ……苦境そのものを覆せば、無理に尊き王女殿下を危険な化け物の世界へ嫁がせる必要もないでしょう」

「何だと、貴様っ!

 姉様が妃では不満だとでも言いたいのか!」

「え?」

「ゼフォンスッ!」


 最後に落とされた呟きを、シスコン王子が曲解し、反射的に怪物へと食ってかかる。

 想像もしない方面からの誹りを受け、一瞬動きを止めたヴェリーネが改めて否定の言葉を返すより前に、即座に姉からの怒りの声が上がった。


「彼はただ純粋に(わたくし)を案じて下さっているだけだというのに、貴方という弟は何たる無礼極まりないことを!

 そもそも、ヴェリーネ様は、たとえ、望まぬ妃を迎えたとしても、不満より慈しみと(いたわ)りをもってあたられる誠実な御方です!」

「ええ……?」


 それはさすがに妄想が過ぎるのではと、王子のみならず、壁際に控える使用人や兵らも揃って当惑した。

 恋に焦がれる若い女性が、その対象に盲目となることは珍しくもなんともない話だ。

 ヴェリーネの性格から考えれば、特に誤った内容でもないのだが、見知らぬ者へ善性を説くには、いかんせん、彼の姿形は醜悪すぎた。

 皆の表情から自身の眼識が疑われていると察しつつも、アイダラスは深いため息ひとつと共に、淀む感情を流して飲み下す。


「……何より、不満はともかく、(わたくし)に不足があるのは紛うことなき事実です。

 魔物は全てにおいて、我らの遥か先の世界を生きています。

 この卑小な人の身では、どう足掻いたところでヴェリーネ様の重荷としかなれません。

 お父様に言われるがまま嫁いだところで、いたずらに彼の評判を下げるだけでしょう。

 恩義ある御方に無力な娘を押し付けようなど、そもそもすべきではないのですよ」


 姉の弁に対し、いかにも不満げに唇を尖らせるゼフォンスだったが、そんな彼よりも先に、異論を唱える存在がいた。

 そう。彼女の最愛、ヴェリーネである。


「アイダラス様、それは違う。

 賢明な貴方が重荷となるなど、そのようなことは有り得ません」

「ヴェリーネ様?」


 肉人形は跪いた姿勢のまま、動かぬ顔面筋の前方で左の拳を握る。


「何故、ご自分をそれ程に卑下なさるのです。

 人と魔物とで、こうして声を交わし相互理解への努めが可能となったのも、全てはアイダラス様の力添えあってのことではございませんか。

 貴方の働きに、我らがどれだけ助けられたか。

 まず尊ぶべきはその者の在り方であり、比べれば、種族による差など些細な違いに他なりません。

 その上で言わせていただければ、私は人生で貴方ほど素晴らしい女性には出会ったことがない」

「……ヴェリーネ様」


 真摯に訴えかける魔物を、アイダラスは歓喜に潤む瞳で熱く見つめた。

 互いの視線を合わせたまま、(いびつ)な拳に少女がそっと自身の小さな手を添える。

 次いで、彼女はどこか自嘲気味な笑みを浮かべて、静かに囁いた。


「けれど、そんな風におっしゃってくださる魔物は、きっと貴方だけ……」


 それに対する否定の言葉を、ヴェリーネは口にしなかった。

 確かにアイダラスは、彼の保護活動を何倍にも潤滑にしたかもしれない。

 また、現在の統治傾向から考えるに、王族として教育を受けてきた彼女が役立つ可能性も、本人が考えている程には低くはないだろう。

 しかし、大多数の魔物の価値基準は、あくまで戦闘能力という一点にのみ置かれている。

 政治的な功績をいくら積んだところで、か弱い姫君が彼らに心から認められる日は、おそらく来ないだろう。

 偉大なるキングベルの影響により、少しずつ民の意識改革も進んではいるが、これまでにない多角的な評価の在り方を完全に浸透させようと思えば、百を超える年月(としつき)をかけようとも足りるものではない。

 本能による物理的リスクとはまた別の角度からの、厳しい真実がそこにあった。

 だからこそ、肉人形は敢えて己の生まれ故郷を危険な世界などと称し、彼女を遠ざけようとするのだ。

 窮屈な思いを、一生の苦労をかけると分かっていて、己の抱く欲のまま愛しい少女に手を伸ばすなど、まさかヴェリーネに出来ようはずもなかった。


 自己卑下の著しい王女と民に悩まされる魔物の王とで認識はすれ違っているが、互いの幸福を願う感情から導き出された結論は一致している。

 けして結ばれてはならぬと心に言い聞かせつつも、二人は束の間、目と目で愛を確かめあった。


 さしもの弟王子も、完全に互いだけの世界に没入しているらしい男女を前に、かける声も見つからない様子である。

 麗しの姫君と悍ましき肉人形の似ても似つかぬ組み合わせは、周囲の面々にひたすら混乱をもたらしたが、これを魔物の洗脳による光景と捉える者は……彼らの相思相愛を疑う者は、もはや一人もいなかった。



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