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14 人間模様



 人間たちが議論を繰り広げている隙に、ヴェリーネは一言断りを入れてから、部下たちを魔物の国へと帰していた。

 マッデュバ側の出入り口で待機していたクォザンには、大いに反対されることを見越して、実に曖昧な説明だけを施し誤魔化しつつ、私事で彼の業務を延長させてしまう事実を詫びる。

 それから、肉人形はすぐに装置の解体作業に必要な研究員らと、その護衛兼見張り役の側近一人だけを残して、兵を現地解散させた。


 全員の動向をある程度まで確認した後、逸る気持ちのままに、ヴェリーネはナギティアルーダへと踵を返す。

 見張りも置かず場を離れるにあたり、星王は両国に通じる道を一時的に自らの結界で覆い、双方からの干渉をけして受け付けぬよう固く封じた。

 間もなく再び輝く砂の大地へと降り立てば、苦虫を噛み潰したような顔の大臣と、薄く笑みを浮かべた国王が彼を出迎える。

 最終的な彼らの結論は、火を見るよりも明らかだった。


 基本的な事実として、人間の足では、都からこの取引の場まで丸一日近く移動時間が必要となる。

 そのため、ロドムスと彼の護衛一名のみがヴェリーネの見舞いに付き添い帰還する流れとなった。

 大臣はホール閉鎖の見届け人としての役割を王から引き継ぎ、要件を終えた肉人形が再び戻るまで、兵たちと共に待機を命じられている。


 一団と僅かに距離を取り、魔物の王が自国の英知であるところの魔走機を組み立てようとすれば、背後より制止の声をかけられた。

 小さく首を傾げつつヴェリーネが振り返れば、人間の王がどこか迷うような素振りでこう尋ねてくる。


「あー……その、ヴェリーネ殿。

 娘のように空から、という訳にはいかんかね」


 人の身では永遠に叶わぬ飛翔の経験を得るには、これが確実に最後の機会になろうということで、ロドムスは子供じみた己の欲を、恥を忍んで口にした。

 すぐ斜め後ろで一気に顔面蒼白となった護衛役の男については、この際、捨て置くこととする。

 当然、善意の塊のような星王が断りの言葉など吐くはずもなく、彼は一も二もなく頷きを返した。


「もちろん、構いません。

 であれば、まずは魔走機に乗り込んでいただいて、それを私が運ぶ形ではいかがでしょうか。

 この両腕に直にお二方を抱え上げるよりは、些少は気も楽であるのではないかと」

「うむ。心遣い痛み入る」


 隠し切れぬ天駆への期待に瞳を輝かせる人の王に、肉人形は動かぬ顔面筋の代わりに僅かに瞼を細めていた。



 さすがに今回は姿が丸見えでは不味かろうと、(くだん)の片面透過性立体シールドを周囲に張り巡らせてから、ヴェリーネは遥か高みへと舞い上がる。

 片手に掴む魔走機内部からの嬉声と奇声が鳴りやまぬ中、空の旅は順調に進んだ。


 およそ十五分で宮殿の中庭に到着すれば、即座に駆け寄ってきた臣下の内の一人から火急の要件とやらを耳打ちされ、ロドムスと護衛が離脱。

 ヴェリーネは案内役として新たにつけられた兵に連れられて、ついに愛しい少女との再会を果たすのであった。


 それまで大人しく臥せていたはずの王女は、悍ましき肉人形を視界に入れた瞬間、反射的に(とこ)から飛び出して、そのままの勢いで巨体に縋りつく。

 傍に侍っていた使用人や扉の前に待機していた兵たちは、姫君の唐突な行為に揃って驚き、目口を開いて固まっていた。

 徐々に広がっていく周囲の戸惑いの声など全く耳に入っていないようで、アイダラスは涙ぐみながら何度も何度も星王の名を呼び続けている。

 ヴェリーネは、人間たちの反応を気の端に留めながらも、相変わらず自らを恐れも厭いもせず触れてくる彼女に対して、深く染み入るような愛情を心に湧き募らせた。


「あぁ、ヴェリーネ様、ヴェリーネ様。

 貴方と会えぬ日々が、望んで手に入れたはずの平穏が、こんなにも苦しいものだと思いもよりませんでした」

「……アイダラス様」

「いずれ時が忘れさせてくれるなどと、安易に考えていた過去の己が愚かしい。

 美しかったはずの世界も今は色褪せて、もはや(わたくし)に何の感情ももたらしません」


 嘆く少女の華奢な背に、魔物の王は無言の同意として、醜い腕をひとつ添える。


 彼ら二人のやり取りに、人々は大層混乱した。

 これではまるで、恋仲にある男女のようではないかと。

 もしも、相手が普通の人間であれば、慌てて窘め、引き離しにかかる者もあっただろう。

 だが、実際に今彼らの目の前で姫君と醜聞らしきものを繰り広げているのは、世にも恐ろしい魔物であり、まさか有り得ないという否定の思考がどうしても先に浮かんでしまう。

 結果、状況と感情との齟齬を上手くすり合わせることができず、誰もが、ただ立ち尽くすままとなっていた。


 刹那。


「姉様から離れろ、化け物!」


 漂う異様な空気を怒りの咆哮で切り裂いて、弟王子ゼフォンスが姉の私室へ勢いよく飛び込んでくる。

 彼は、身を寄せ合う二人の数歩手前で足を止め、憎悪に塗れた瞳で肉人形を睨み付けてから、こう叫び放った。


「汚らわしい魔物を庇うなど、妙だと思っていたんだ!

 怪しい術で姉様を洗脳して、貴様、何を企んでいる!」


 力強く人差し指を向けて、ゼフォンスは魔物の王を糾弾する。

 正しい現実よりも余程受け止めやすい彼の言葉を鵜呑みにした人々は、そうした王子に追従するようにヴェリーネを口々に罵り始めた。


「っ何ということを!

 貴方達、自分が何を言ってるか分かっているの!」


 アイダラスは、巨体に縋りついたまま、青白い顔で視線を一人ひとりに巡らせていく。

 怒れる者、恐れる者、反応は様々だが、そこには例外なく敵意が滲んでいた。


「姉様っ、姉様は操られているんです!

 待っていてください、すぐに私がお助けします!」


 そう告げて、少年はおもむろに腰帯に挿していた剣を抜く。

 姉の必死の制止も虚しく、彼は醜き怪物へ正面から挑み掛かった。


 ヴェリーネは、アイダラスが万一にも傷つかぬように体を丸めて、その内側に囲い込む。

 少女の性格からして、刃の前にその身を晒しかねないと考えたからだ。

 しかし、それを見た兵たちは彼の意図を誤解して(にわ)かに殺気立ち、弟王子同様、各々得物を持ち出し、肉人形へと襲い掛かる。


 姫君の甲高い悲鳴が、広く宮殿に響いた。





「そんな……っ」


 ゼフォンスの悲痛な声が聞こえ、王女は知らず内に瞑っていた目をゆっくりと開ける。

 魔物の王は無傷だった。

 その代わり、人間の持つ全ての武器という武器が(いびつ)に折れ曲がっていた。


 想定外の結末に、兵たちが怯え後退る。

 少年は床に落ちた自らの剣を見つめ、歯を食いしばり震えていた。


「……くそぉっ」


 そう呟いてから間もなく、彼は完全に歪み壊れたソレを再び手に取り振り上げ、幾度も幾度もがむしゃらに巨体を打つ。

 ヴェリーネは微動だにせず、沈黙と共にゼフォンスの無謀を眺めていた。

 怪物が言い訳の口すら開かぬのは、己の声が人間という種にどういった影響をもたらすのかを、よくよく理解しているからだ。


「もう、止めて」


 アイダラスは弟のために泣いた。


「もう止めて、ゼフォンス!

 貴方、本当に私が正気かどうかも分からないの!?

 っヴェリーネ様、お願い! 弟を止めて!」


 彼女の望みを受けて、それまでされるがままとなっていた魔物の王は、自らを突こうとする刃先を二本の指で静かに摘む。


「なっ、離せ……このっ……!」


 到底力を入れているようには見えないが、ゼフォンスがどれほど躍起になって柄を引っ張っても、一ミリたりと剣が動く様子はない。

 その間に、姉姫は恋しい男の庇護から離れて、弟の傍へと移動した。

 そして、次の瞬間。

 パンッ……と、乾いた音が室内に響く。


 アイダラスが王子の頬を打ったのだ。


「身勝手な勘違いで無抵抗の相手に刃を向けるなど、それでも貴方は(わたくし)の弟ですか!

 恥を知りなさいっ!」

「ね、姉、様……?」


 涙ながらに強く睨み付けてくる姉へ、ゼフォンスは呆然と視線を向ける。

 未だあどけなさの残る少年を正面に見据え、彼女はひとつ深い息を吐いてから、彼の愚行を淡々と窘め始めた。


「それに……もしも、ヴェリーネ様がお優しい方でなければ、ナギタが再び恐ろしい魔物の害に晒されていたかもしれないのですよ。

 国民の安全を第一と考えるべき身でありながら、軽率な行動を取った愚かな己を反省なさい」

「反省などっ、私はただ姉様を助けようと……ッ!」


 己を正義と信じて疑わぬ態度に、一気に怒髪天を衝いた王女は、再び実弟へ容赦のない平手を浴びせた。


「それが愚かだと言うのです!

 いつまでも憎しみに囚われて先を見ないから、そんな短慮に走るのでしょう!

 仮に、本気で彼を悪しき者と思うのならば、そして、(わたくし)をその魔の手から救わんとするのならば、何の準備もなく正面から突撃して兵や自らの命を無駄に散らすより、もっと他にやり様があったはずだと、どうして気が付けないの!?

 王族たる者、私心に溺れて目を曇らせるようであってはならないと、あれほど口を酸っぱくして教えてきたというのに、この子は!」


 ある種の正論ではあるが、少なくとも、ヴェリーネや使用人たちの目の前でするような(たぐい)の叱責ではない。

 被害はないにしろ、愛する男が一方的に誹られ暴行を受けて、怒りで周りが見えなくなっているという点で、今この時の彼女もゼフォンスとそう変わる立場ではなかった。


「あの、アイダラス様。

 弟君の誤解を招くような、軽はずみな言動を取ってしまった私にも、非は大いにございます。

 ですから、もうその辺りで……」


 ここで、姉弟のやりとりを見かねた魔物の王が、萎縮する王子を庇うように身を乗り出してくる。

 が、姫君の勢いは止まらない。

 彼女は、肉人形に一瞥もくれず、ゼフォンスを真っすぐ睨んだまま、こう返してきた。


「いいえ、ヴェリーネ様は黙っていらして!

 これは(わたくし)と弟の問題です!」

「えぇ……?」


 被害者がもういいと言っているものを、あっさりと一蹴してみせるアイダラス。


 彼女の著しい判断力の低下状態には、興奮以外に、床に臥す程に体調を悪くしている事実も大きく関係していた。

 だが、この場に正しくそれを理解している者はいない。

 もし、万全であったのなら、そもそも利発なこの少女が、人前でヴェリーネに駆け寄り抱き着くなどという、王女として甚だ相応しからぬ失態を演じるはずもないのだ。

 だからこそ、魔物の陰謀とした王子の発言に、普段の姫君を知る人々は簡単に納得してみせたのである。

 ただ、それも、姉弟のやり取りの中で、再び迷いに変わっていたようだが。


「ええい、この非常事態に一体何の騒ぎだ!」

「お父様!」

「父上!」


 と、そこへ、誰ぞより報告が上がったのか、ナギタ国王ロドムスが荒々しく現場に現れる。

 気まずげに父を呼ぶ子二人を尻目に、彼はざっと室内を見渡してから、分かりやすく眉を顰めた。

 ひしゃげた武器が肉人形の周囲にいくつも散らばっていれば、理由はともかく、何があったのかは想像に難くない。


「アイダラス、現状の説明を」


 王の登場に傅く兵や使用人たちの中で、簡易に頭だけを下げる娘へ父親が問う。


「ゼフォンスが見舞いの席に突如として乱入し、(わたくし)が洗脳されているなどという妄言を吐き兵を扇動して、無抵抗のヴェリーネ様へと刃を振るう蛮行を犯したのです。

 御覧の通り、彼は無傷であり、慈悲深くも此度の罪を不問と赦されましたが、姉として、弟の不始末を叱責しておりました」

「洗脳?」


 穏やかではない単語に、ロドムスが目を鋭く細めた。


「違う! 妄言などではありません、父上!」

 姉様は、この化け物に操られているのです!」

「まだ、貴方はそんなことを!」


 このまま不毛な言い争いに発展しそうな姉弟を、王は自らの手を一度打ち鳴らすことで黙らせる。


「双方静まれ。話は平等に聞かせて貰う。

 ゼフォンス、その結論に至った経緯を述べなさい」


 王子は意見を求められたことで落ち着いたのか、常のアイダラスに逸脱したヴェリーネに対する親密に過ぎる振る舞いを、余すことなく父へと語り伝えた。


「このまま、魔物の国へと去りかねぬ勢いでした。

 こんな、悪魔よりも恐ろしい化け物を相手に、操られているとしか考えられません」

「……アイダラス、今のゼフォンスの報告に虚偽はないか?」


 思考を悟らせぬ無表情で、ロドムスが王女に視線だけを向ける。

 対して、アイダラスは姿勢を正し、真っ直ぐに父親を見据えて答えた。


「はい。嘘も偽りもございませんでした。

 しかし、(わたくし)はけして操られてなどおりません。

 ただ、軽率な言動で皆をいたずらに惑わせてしまったことについては、謝罪致します」


 言いつつ、姫君は深々と頭を下げる。

 父王は娘の一挙手一投足を探るように眺めつつも、すぐには口を開かず、場に緊張度の高い沈黙が広がった。

 己の嘴をどう挟もうと少女の不利しか招かぬと理解している魔物の王は、ただただ行く末を見守るしかない。


「……敢えて、問わせてもらうぞ、アイダラス。

 其の方が述べるところの、軽率な言動とやらの真意を」


 王女の薄い腹の前で重ねられていた両の手に力が入る。

 今更になって、己の失敗を自覚した彼女は、国王に向ける頭部の下で悔し気に唇を噛んだ。

 この先、話がどう転んだところで、ヴェリーネに多大な迷惑をかけてしまうであろう事実が、姫君の心に重く圧し掛かる。

 誤魔化そうにも、さすがに相手が悪い。

 ようやく十六の成人を迎えたばかりの小娘がその場限りに吐く虚言ごとき、王はたちまち看破してしまうだろう。


 十秒程かけて、ひとつの瞬きをしたアイダラスは、長い呼吸と共にゆっくりと曲げていた腰を元に戻した。

 それから、いかにも覚悟を決めたような眼差しで父ロドムスを捉えて、彼女は告げる。


「真意などと、大層なものはございません。

 ただ、(わたくし)が己を律しきれぬ未熟者であったと、それだけの話です」

「己の、何を、律しきれなかったと?」


 ナギタ王からの追及は緩まない。

 しかし、少女もまた、彼に怯まず次の口を開いてみせた。


「ヴェリーネ様を……一人の男性としてお慕いする感情でございます」




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