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12 遠くの歓喜



 執務室外のテラスに降り立った魔物と娘のアイダラスを視界に入れた瞬間、国王ロドムスは勢いよく椅子から立ち上がった。

 そして、傍に侍っていた近衛の兵へと、悲鳴にも似た大声で怪物退治を言いつける。

 騒ぎの報告が上がるよりも早く二人が到着したので、彼にとっては実に突然の出来事であったのだが、驚きや恐怖に身を固めることもなく即座に命令を下してみせた辺り、さすがは彼女の父といったところであろう。

 目前の敵の悍ましき姿に内心慄きながらも、主の命令通りに臨戦態勢を取る兵たち。

 当の姫君は、ヴェリーネの手を取ったまま室内へと侵入、直後、激しく一喝した。


「お止め下さい、ロドムス陛下!

 皆も剣を収めなさい!」


 普段であれば、アイ、お父様と気軽に呼び合う仲の良い親子であるのだが、王女としてこの場に立っているのだという己の意思を伝えるべく、彼女は敢えて公式のソレを持ち出していた。

 当然、ロドムスは思いもよらぬ愛娘からの制止に戸惑い、生じた疑問をそのまま口にする。


「っなぜ止める!

 己の命惜しさに怪物におもねる其の方ではあるまい!」


 途端、刺すような鋭い視線を受けて、国王は続けるはずであった言葉を飲み込んだ。


「この御方は、長きに渡り我が国を苦しめてきた魔物たちとは違います!

 彼は、心なき者に攫われ嬲られるばかりの身であった(わたくし)たち人間を憐れみ、慈悲深くもお救い下さった、言わば、恩人なのです!

 その恩人に対するこれがっ、恩を仇で返すことがナギティアルーダの礼儀ですか!」


 姫君の怒声に、場は一様に静まり返った。

 彼女の主張を受けて、改めて窺えば、ロドムスは娘に手を引かれるがまま佇んでいる魔物の異常さに、今更ながら気が付かされる。

 人の血に飢え狂った怪物たちとは一線を画する、その不気味なまでの大人しさに。

 だからといって、醜悪な化け物相手に警戒を解く訳もないが、冷静さを取り戻そうとする国王は、最も詳細な事情を知るであろうアイダラスに重ねての説明を求めた。


「……アイダラス。

 其方(そなた)(かどわ)かされた先で何があった」


 巨体から漏れ出る息苦しいまでの威圧感に、兵がことごとく散りゆく無情な未来を幻視したせいもあるのだろう。

 まずは対話を選択した父親へ、王女は()の地で起こった全てを手短に、そして、淡々と語って聞かせた。

 時に騒めく兵たちを鎮めながら、ロドムスは、娘の口から紡がれる物語に黙って耳を傾ける。

 人と変わらぬ善悪の在り方、高度な魔学文明、ヴェリーネの正体に、魔物という種の本能について、保護の経緯と、帰還が果たされるまでの苦労の数々。


 姫君の唇が役目を終え閉じられた後、国王は眉間に皺を寄せ、しばし思考に耽っていた。


「……到底想像もつかぬ話だが、だからこそ、真実と考えざるをえまい」


 やがて、何かを諦めたような表情でそう呟いたかと思うと、彼は娘と同時に戻ったはずの自国の民へ向けて、手際よく兵を差し向ける。

 それは純粋に、身一つとなった彼らの今後の生活を援助するためでもあり、また、王女から(もたら)された情報の裏を取るためでもあった。




「……さて、ヴェリーネ殿」


 国王としてやるべきことを終えた頃、ロドムスは同じ王の名を頂く魔物の正面へと立ち塞がった。

 吐き気を催す醜悪な見目に思わず視線を背けそうになるも、それを堪えて、あくまで毅然とした態度で、彼は問う。


其方(そなた)……我が娘を、人間を助け、一体何を望む?」

「っお父様、彼はそんなこと」

「お前は黙っていなさい」


 横合いから挟まれる娘の声を冷たく遮って、人の王は異形の本質を暴かんと、強い眼差しと共に彼に返答を求めた。


「さあ、魔物の王よ。答えていただこう」


 今の今まで沈黙を守り続けていたヴェリーネは、それに応じ、宮殿内において、初めて自身の喉を震わせる。


「私は……」


 世にも醜き姿にあまりにも似つかわしい、怨嗟を煮詰め固めたような爛れた呪詛が放たれて、ロドムスは背筋を凍らせた。

 急速に顔を青褪めさせる彼に気付いているのか、いないのか、肉人形は淀みなく人語を紡いでいく。


「私が、この国に望むことは、何もございません。

 ただ、あるとすれば、たった一つ……許しがいただきたい」


 魔物の意図が掴めず、国王と姫君は揃って頭上に疑問符を浮かべた。

 実に親子らしい、そっくりな表情だった。

 ヴェリーネは、一瞬漏れ出そうになった笑いの衝動に耐え、気を改めて仔細を述べる。


「本来であれば、此度、悲劇の元凶となったホールについて、即刻、消滅させるべきであろうことと存じます。

 アレは偶然が折り重なった末の奇跡の産物であり、一度(ひとたび)繋がりを断てば、二度とこのナギティアルーダへ道が通ずることはありません。

 しかし、さればこそ、今しばらく、これを維持させていただきたいのです」

「何?」

「未だ存命の人間と、またはその亡骸が、我が国に残っている可能性は非常に高い。

 全てを救えるなどと思い上がるつもりはございませんが、それでも、出来得る限り、お返ししたいのです。

 彼らの故郷である、この清き世界へ。

 魔による強襲再来の懸念は重々承知の上で、切に、お願い申し上げます」


 彼を深く知らぬロドムスからすれば、その悍ましい顔で何を白々しいと唾を吐きかけたくなる建言だ。

 魔物らしからぬキレイゴトをいくら並べ立てたところで、結局は再び人を狩るための罠であるのだろうと、そんな疑心が引きも切らない。

 だが、同時に、それがあくまで己の先入観による偏った読みであると、国王は理解している。

 ゆえに、彼は口を開き、尋ねた。


「許さぬと言えば、その時は?」

「気の毒なことではありますが、断られれば、そこまでの話。

 今、この地に生きる命を最優先と考えた場合、隔絶こそが何より正しい結論となろうと、私も理解しておりますゆえ」

「では、其方(そなた)の国に残された人間の扱いはどうなる」

「アイダラス殿下もご存知でいらっしゃる専用の保護施設内で、一生を過ごしていただくことになるかと。

 ですが、そうなれば最早、人としての真の幸福は望めぬのではと、私はそれを危惧しているのです」

「……ふ……む」


 話の筋は通っているようだと、ロドムスは更に頭を悩ませる。

 そんじょそこらの悪党如きが、よもや獲物と侮る異種族の生ける意味についてまで思い至るものではないだろうと、そういった推論から、彼はヴェリーネという魔物の善性を信じ始めていた。


 と、ここで、父の葛藤(かっとう)を見て取った娘アイダラスが、とんでもない暴走球を投げ入れてくる。


「お父様。

 もし、お父様が道を閉じておしまいになるのでしたら、その時は(わたくし)、魔物の国へ我が身を捧げようと考えております」


 この姫君の突然の告白には、人の王も魔物の王も揃って仰天した。


「何を言う!」

「何ということをおっしゃるのです!」


 男二人から厳しい視線を送られながらも、王女は、(ひる)む様子を見せない。

 年齢にそぐわぬ堂々とした態度で、アイダラスは自らの決意を語る。


「実際に魔物の世界を知る(わたくし)だからこそ、必要な措置であると断言できるのです。

 どこに在ろうが、等しく守り導くべき我がナギティアルーダの民であることに変わりはありません。

 それが例え、すでに命の灯の失われた者であっても、切り捨てるような真似は、私はしたくない。

 ですから、これからの王族としての責務は、()の地で果たして参ります。

 先のことは、私の優秀な弟ゼフォンスがどうとでもしてくれるでしょう」


 救助活動や保護施設運用の場において、彼女が大いに貢献したことは事実である。

 無駄な死傷者が減り、正しく異種間での意思の疎通が図れるようになった。

 だが、いるかどうかも定かではない、未だ発見に至らぬ誰かのために切る手札としては、あまりにも過剰。

 常識で考えれば、到底頷ける話ではない。

 それが、少女を心から大切に思う父と魔物であれば、尚更であったろう。


「アイ、お前はまだ若い。

 その行動が何を招くか、真実理解しておらんのだ。

 短慮を起こすものではない、すぐに撤回しなさい」

「あちらがどれだけ人間にとって危険な世界か、貴方は身をもって知っているでしょう。

 私は断固として反対です」


 左右から強く否定の言葉を受けるも、姫君はけして揺るがず、むしろ、笑みすら浮かべていた。


「全ては道が失われれば、の話です。

 ヴェリーネ様。

 その危険な場所に大切な国民を残して、己だけ平和を享受しようなど、(わたくし)にはとても出来ませんわ。

 さあ、お父様。

 娘に短慮だ何だと語る前に、まずはそちらの結論をお出しになって?」

「っむ」

「ぐぅっ……」


 彼女の返しに、王二人が唸る。

 アイダラスのソレが伊達や酔狂での発言ではないことを、もはや外野が何を喚いたところでその心が動かぬことを、彼らはよくよく知っているのだ。

 愛する少女の未来を質に取られては、出せる答えなど決まったようなもの。

 男たちは互いの顔を見合わせて、ため息交じりに交渉を再開した。


「ヴェリーネ殿、貴公の望みは理解した。

 しかし、私は現在の平穏を、健気な国民がようやく取り戻した安寧の日々を、無常な手に壊されたくはない。

 ……故に問う。

 二度とあの惨劇を繰り返さぬと、其の方の全てを懸けて誓えるか、否か?」


 巨体を見上げるロドムスの両の(まなこ)は、一切の虚偽も許さぬとばかりに強く鋭い光を放っている。

 対して、肉人形は、その表情を無に保ったまま、小さく頷いた。


「元より、そのつもりです。

 もしも再び、この地にて愚行を働く輩あらば、取るに足らぬ私の命、いつでも捧げる所存にございます」


 静寂の訪れる中、しばし、互いの目を見つめ合う王たち。

 王女は王女で、自責の念から人間に贖罪を果たそうとしているヴェリーネを、複雑な面持ちで眺めている。


「……あい、分かった。

 貴公にそれほどの覚悟があるならば、今しばらくの時、ホールとやらの存在を許容しよう」

「厚き御温情、心より感謝致します」

「だが、人間の引き取りはあくまで、内密に行うものとする。

 我が民の目に、二度と魔物の身を晒すこと無きよう、くれぐれも留意されたし。

 長きに渡り負わされた心の傷は、早々癒えるものではない。

 これ以上、眠れぬ夜を、どうか彼らに過ごさせてくれるな」

「はい。心得てございます」


 この結末に、ホッと安堵の息を吐いたのは、アイダラスだ。

 信者のクォザン程ではないが、彼女もまた、常々慎ましい魔物の王が口にする望みは、可能な限り叶えてやりたいと考えている。

 実質、ヴェリーネにとっては損しかない取り決めだが、彼本人がそうしたいと言うのなら、姫君が後押しに動くのは必然だった。

 そもそものところ、王女にとってだけは、どちらに転んでも悪い話ではないのだ。

 愛した男との繋がりを保てる意味でも、王の血を継ぐ娘として民のため殉ずる意味でも。

 また、どちらに転んでも、その道程が未成熟な少女にとって、過酷であることに変わりはない。


 早速、詳細を詰める王たちを見守りながら、アイダラスは凪いだ心で、己の生きるべき未来に光あらんことを祈った。





「あぁ、ヴェリーネ様。

 今日(こんにち)に至るまでの何から何までの御心遣い、いくら感謝の念を捧げても足りません」


 父の隣に控え、いよいよの別れに眉尻を下げる姫君。


「いいえ、アイダラス殿下。

 以前にお伝えした通り、元よりこちらの不始末が招いたこと。

 どうか、お気に留められませんよう、お願い申し上げます」


 つれない肉人形に、けれど、その内心を察して、王女は苦く笑う。


「……どうか、お元気で」

「えぇ、貴方も」


 そう告げてすぐ、彼は外へと繋がる大窓に向かい、迷いなく踵を返した。


「ヴェ……っ」


 瞬間、アイダラスは思わず大きなその背を追おうと、足を踏み出しかける。

 が、即座に傍らの国王の存在を思い出し、慌てて己を律した。


 例のシールドを発動させたのか、魔物の姿がテラスに至る直前で忽然と掻き消える。

 すると、間もなくロドムスは今までの固い表情を一変、顔面を喜びに綻ばせた。


「あぁ、アイ。よくぞ……よくぞ、無事で戻った」


 そう言って、涙ながらに娘を抱きしめる父。

 久方ぶりに交わす親子の抱擁に、少女もまた、その大きな腕の中で目頭を熱くさせた。


 しばらくの後、二人は弟王子ゼフォンスの部屋を訪ね、そこでもまた、再会の奇跡を喜び合う。


 束の間、親子水入らずの団欒と過ごしていたのだが、そう時が経たぬ内に、大臣の一人が駆け足でアイダラスを訪ねて来た。

 何でも、姫君帰国の噂を聞きつけた民たちが、宮殿の前へ詰めかけているのだという。

 特に、(おぞ)ましき肉人形との姿を目撃した者などが激しく騒ぎ立てているらしく、ぜひ彼らに王女の無事な様子を見せてやって欲しいと、大臣は彼女の父であり国王であるロドムスに上奏していた。



 食糧配給の場などに携わってきた彼女の人望は王族の中でも特に厚く、民衆は、宮殿の舞台上から手を振るアイダラスを、大地を揺るがす程の大きな歓声と共に迎え入れる。

 魔物に関しては、麗しの姫君が英知と慈愛でもってソレを懐柔し、その強大な力を利用してナギティアルーダを救ったのだという、一概に虚偽とも真ともいえぬ創作話が、翌日以降、国王の命により流布され、いきり立つ空気は一応の収束をみせたようだった。


 多くの民草は疑うことを知らず、我らが救国の王女、と素直に信仰心を高めており、魔物の王であるヴェリーネを心から愛した少女としては、そんな盛大な皮肉を、孤独の中で笑うことしか出来なかった。





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