10 決着
淡々と作業が進められていく中、ふと、早々に目を覚ましたらしい一人の青鬼じみた屈強な魔物が、無様に拘束され地面に転がった状態のままで、高らかに笑い出した。
だが、クォザンもヴェリーネも、男の奇行を歯牙にもかけない。
集団の中では実力の高い部類であったのだろうが、二人にかかれば等しく弱者であり、わざわざ反応してやる意味を見い出せなかったからだ。
しかし、そんなことは関係ないとばかりに、魔物は饒舌に語り始める。
「その様に余裕を保っていられるのも、今の内よ。
そこな人間共の希望が潰えようとしているのも知らずに、随分と滑稽なことだ」
「何だと?」
さすがに聞き流すには不穏すぎる内容だとして、青鬼へ橙の眼球を寄せるヴェリーネ。
それに気を良くしたのか、男は勝ち誇ったような厭らしい笑みを浮かべて、再び舌を滑らせる。
「我らは囮なのだよ。
人間とこの世界を結ぶ唯一のホールを破壊するためのな」
魔物の言葉に、王は瞼を細めた。
クォザンは、横目に青鬼を睨みつけながらも、復帰した警備兵に指示を出しつつ、自身も拘束作業を続けている。
「あと少しもすれば分かるさ。
これがけして嘘やハッタリではないことがな。
この場の比ではない、相当数の仲間が神殿に向かったのだ。
王と唯一の側近であるクォザンがここから離れられない以上、我らを退けられる者など存在しない」
ここまで懇切丁寧に情報を提供されれば、いっそ罠かと疑う心情にもなるが、ヴェリーネが観察する限りでは、勝利を確信しているのと、気に入らぬ者の慌てふためく様を嗤ってやりたいという、それだけであるように思われた。
「くっく……同士を揃えるのは実に簡単だったぞ、生きた人間を多くの前で晒すだけでいいのだからな」
当然、直後には本能に目覚めし者たちを更に惹きつけるデモンストレーションとして、派手な虐殺ショーでも行われたに違いない。
ヴェリーネは、いかにも残酷なその場面を幻視して、身の内より湧き上がる怒りを鎮めるようにカチリと一度奥歯を鳴らす。
「なぜ、そのような浅慮な真似を」
「ホールが使えぬならば、あとは今ここに残る人間を逃さず確保し、繁殖させるしかあるまい。
どうせ、貴様らにアレは殺せんのだから、退路さえ断てばチャンスはいくらでも転がってくる」
「…………愚か者め、本能なぞに踊らされおって」
言ってしまえば、彼は重度の麻薬中毒者なのだ。
しかも、自らの人生が大きく狂わされてしまった事実にすら、気が付いてはいない。
憐憫の眼差しを向ける星王へ、魔物は鼻で笑ってみせる。
「ハッ、何とでも言え。
人間を嬲るは、我々魔物の在るべき姿。
あのグ王だとて、本能を向けるべき真の獲物が世に存在していれば、同種を狙うなどという、やむを得ぬ凶行に手を染めることもなかったろうよ。
……それだけの力を持ちながら本能を忘れ、腑抜けでいられる貴様なんぞに、我らの誇りを理解できようはずもない」
そう吐き捨てる男の声には、嫉妬とも憎悪ともつかぬ、おどろおどろしい負の感情が多分に含まれていた。
ヴェリーネ・ディゴという星王は、誰よりも強大な力を持ちながら、彼らの抱く弱肉強食の価値観の真逆を生きる存在だ。
それが、青鬼には堪らなく悔しかったのだろう。
「そうか。
だが、お前も私のことを何も理解していないようだな」
「あ?」
呆れ混じりのため息を吐いて、肉人形が不敵に男を見下ろしている。
「お前の言う、それだけの力というものを……仮にも王の名を冠する者の実力を、少し教えてやろう」
「っ何をする気だ」
魔物は、間もなく自らの身へと降りかかるであろう非道な暴力行為を妄想し、緊張に唾を飲み込んだ。
しかし、博愛の王を相手に、彼如きの予測など当たろうはずもない。
「なに、簡単だとも。ホールを守る、それだけだ」
「はぁ?」
青鬼の常識からすれば、あまりに突拍子もない答えをぶつけられ、反射で疑惑の声が漏れる。
「クォザン。束の間、離れる。
コレに構わず作業を続けていろ」
「御意」
そのやり取りで、ようやくヴェリーネが別大陸の神殿へ向かおうとしているのだと理解して、男はその浅はかな選択を大きく嘲笑してみせた。
「ハンッ! 何を言うのかと思えば!
今から移動して、事が済むまでに間に合うわけもなかろうによ!
それに、ホールを守るために、人間を見捨てるつもりか!?
本末転倒ではないか!
結界さえなければ、我らはこの程度の拘束などモノともせず、目的を果たして見せるぞ!」
「勘違いするな、結界は残していく」
「馬鹿め! そのようなことは理論的に不可能だ!
王ともあろう者が、幼子にすら通じぬハッタリをよくも口に出せたものだな!」
ちなみに、彼らのいう結界とは、ホールを通過する際などに発動する生命エネルギーによる防壁と同様のもので、自らの魔力でソレをコーティングし、力付くで引き延ばして範囲を拡大させる技術をいう。
一定以上の魔力量と、また、かなり高等な魔力操作能力を要するため、ヴェリーネやクォザンのように、一つの施設を丸ごと覆うほどに広げられる者というのは、実際少なかった。
生命エネルギーを使用している以上、肉体と結界は接触状態にあることが必須で、その連結した部分から常に気を循環させ続けなければ、たちまち儚く消え去ってしまう、というのが一般的な認識だ。
故に、男は自信満々に王の主張を戯言と否定しているのだが、だからこそ、彼は目の前の肉人形がわざわざそれを宣言した意味をもっと深く考えるべきであった。
「悪いが、お前の相手をしている暇はない。
真実は己の目で確かめよ」
星王はそう言うなり、静電気の走るようなバチバチという派手な音を立て、己の張る結界から巨体を分離させる。
しかし、そこからいくら時が過ぎようとも、魔物が期待したように、守護の光からエネルギーが雲散していく様子はなかった。
彼の目の前で、ヴェリーネは至極あっさりと不可能を可能としてみせたのだ。
「バカな……っ!」
青鬼が驚愕に震えている最中、王は突き出した手の先から暗黒を生成し、それに吸い込まれるようにして消失する。
この暗黒の正体は、王自身の膨大な魔力で無理やりに作り出した疑似的なホールであり、彼はこれで一足にナバ大陸へと跳んだのだった。
今回、披露された常識外の大技たちは、いくら星王ヴェリーネといえど相応に消耗が激しく、有事の際に備える意味で、普段は敢えて使用を制限している。
特に能力を隠している訳ではないのだが、滅多なことでは行使されないので、必然、あまり周知もされてはいなかった。
青鬼は、現実が信じられず、ただただ唖然と地に転がっている。
この時、彼の背後で、己の手柄でもないのに一人の信者がドヤ顔を晒していたのだが、幸いというべきか、そんなバカバカしい事実に気が付いた者は誰もいなかった。
到着から五分と経たぬ内に、ヴェリーネは神殿を襲っていた魔物達をほぼ単独で鎮圧し終わっていた。
当然ながら、ホールを破壊してしまっては意味がないので、保護施設で放ったような魔力押しの手法は使っていない。
まず、襲撃者の半数近くは、王が姿を現した瞬間、話が違うとばかりに逃走を図っている。
これは、実力差を重々理解しているが故の行動で、弱肉強食の価値観の強き種としては、当たり前とも言える判断だった。
だが、出入り口には先んじて魔力シールドが張られており、誰一人として撤退に成功した者はいない。
もちろん、数の有利もあり、果敢にも正面から挑まんとする敵もあった。
が、その中でも真っ先に飛び出した比較的上位の集団が、瞬き一つの間に全員昏倒させられてしまうという事態が起こる。
それにより、後に続こうとしていた魔物たちは、揃って二の足を踏んでいた。
また、降伏したと見せかけ肉人形を背後から急襲した者は、当たり前に攻撃を躱されカウンターを食らい撃沈。
そもそもの話、彼の動きを目で追える魔物自体が稀であり、有象無象程度がいくら束になったところで、敵う道理もないのだ。
そうなれば、傷を負わせることなど更に有り得ず、結末、ヴェリーネは己の血一滴すら流すことなく、百を超える敵勢力を一方的に制圧せしめたのであった。
星王は、その後、ホールと見張り兵らの無事を確認。
それが済めば、順次、襲撃者たちを地上へと移動させていった。
意識のある者は自らの足で、そうでない者は被害が軽度であった襲撃仲間に運ばせ、未だ反抗的な態度の者、パニックに陥っている者などはヴェリーネが強制的に投げ飛ばしていく。
出入り口すぐの開けた草原で、新たに展開していた魔力シールドのドーム内へ罪人らを閉じ込め、全員の起床を促してから、王は天高くより蠢く魔物の群れへと尊大に語りかけた。
「聞け、古の本能に踊らされし愚かな者共よ!」
威圧を含めたその音に、襲撃者らは根源的な死への恐怖を抱いて、血の通わぬ顔で震える身を寄せ合う
「此度の大罪は、元来であれば、其の方ら全員の死を持ってして治められるべきものである。
……だが、罪は、其の方らの悲願は、達成されることなく、ここに潰えた。
よって、今一度、私はその愚かな命に生を許そうと思う」
途端、地上にどよめきが広がった。
それはそうだろう。
彼らは、国で最も尊き王の意に背いた造反者だ。
本人といわず、一族郎党皆殺しと処されても文句は言えぬ立場である。
「静まれ。
私が慈悲を与えるのは一度きりだ。
これより先、犯した罪の大小によらず、全ては極刑をもって其の方らの贖罪とする。
命惜しむ心あらば、以後、清く生きよ」
宣言直後、彼は眼下の魔物全てに自らの魔力を浴びせ、死の呪いを植え付けた。
百以上の者に同時に複雑かつ大がかりな術式を施すなど、常識からすれば、まず有り得ぬ行為だ。
改めて、彼らは王の実力に慄き、そして、絶望する。
「努々忘れるな、生涯、この私の監視下にあるという事実を。
……理解したら、散れ」
ヴェリーネがシールドを解除すると、襲撃者達は血の気の引いた顔をして、我先にと草原から去っていった。
もはや一秒とて、この恐ろしき王の前に己の姿を晒していたくはなかったからだ。
道中、邪魔だと仲間であった者を殴り飛ばして、早速、体の内側から破裂してみせた罪人があったが、それは図らずも、呪いに疑心を抱いていた者などへの良い見せしめとなったようだった。
やがて、全ての魔物が四方八方に散り散り消えると、肉人形は再び地下神殿内へと下降してゆく。
目指した広間には、戦闘行為で負傷した兵たちが各々治療を終えた姿で、ズラリと並び立っていた。
「……お前たち、傷の手当ては済んだのか?」
「ハッ! 総員完了しております!」
「そうか。
すまないが、私は早急にメリダの保護施設へ戻らねばならん。
各所の詳細な点検作業については、本日中に専門職員を派遣するので対応してやってくれ。
負傷の身に無理をさせるようで悪いが、可能な限り、予定の期日に人間たちの帰還が適うよう尽力して欲しい。
事が終わった際には、相応な労いを果たすと約束しよう」
「ハッ! 委細お任せください!」
「では、後を頼む」
「総員、敬礼ーーっ!」
「此度の助力、心より感謝致します、ヴェリーネ陛下!」
ちなみに、ヴェリーネがここまでに要した時間は僅か十五分である。
完全同時強襲ではなく、少々開始の差をつけることで、一方に戦力を集中させ対応を遅らせようという、そんな作戦であったのだが、気の逸った青鬼の暴露話のせいで、むしろ、最小限の犠牲で決着がついてしまうという皮肉な展開となっていた。
まぁ、例えそれが上手くいったところで、神殿を守る兵から連絡が飛べば、被害は多少大きくなろうが、結末に変わりはなかっただろう。
星王が疑似ホールと飛翔の併用で早々に施設へ至ると、そこでは、魔物たちの拘束がすっかり完了していた。
「お帰りなさいませ、星王陛下」
「あぁ。何か問題などは?」
「万事差し支えなく」
「…………そうか、ならば良い」
自身の結界と再接触した際、それに対し攻撃があった事実を感知したが、クォザンが敢えて何も語らなかったことから、報告するまでもない出来事であったのだろうと、ヴェリーネは彼を問い詰めることはしなかった。
間もなく、神殿と同様の処遇を施設襲撃者らへと言い渡せば、事の終わりに銀の部下がポツリと呟く。
「相も変わらず寛大なご処置で」
「被害の規模を考えれば、重過ぎるぐらいだろう」
「ですが、それも王が在ればこそではございませんか」
「また、そのような……。
そもそも、此度の騒動は私の不徳が招いたようなものだ。
あまり過剰に持ち上げてくれるな」
彼のセリフに対し、不満そうに反論の口刃を開こうとする信者だったが、ヴェリーネはそれを遮るようにして、遥か上空へと飛び立った。
広域に薄く魔力を伸ばして、一帯に敵対勢力が隠れてはいないかを探るためだ。
数秒後、少なくとも半径二キロメートル内には、すでに解き放った魔物すら残っていない事実が確認される。
事件の発生から、まだ一時間と経過していないのは、未だ昇りきらぬ太陽の位置より明らかだった。
今日という日は始まったばかりであり、現状によっては、これから人間の大陸間移動が始まる。
自覚なく、ため息を一つ零してから、彼は地上へと重力に逆らわず落ちていった。
確実に百キログラムは超えているであろう巨体を、星王は音もなく着地させ、そのままの体で部下へと問いを投げかける。
「人間の様子はどうだ」
「少なくとも、気配に乱れはありません」
「そうか。
では、ここはもういい。神殿の方へ、必要な者を手配しておいてくれ」
「御意」
傍目に言葉が足りぬようだが、優秀な側近は正確に上役の意を汲み取り、了承の返事と同時にその場から掻き消えた。
これも長年の付き合いが成せる、阿吽の妙技である。
ヴェリーネが保護施設内へ足を踏み入れれば、遠くより、いつかの歌が耳に届いてきた。
王女が人々の心を落ち着かせるために奏でているのだろう。
それからすぐに現場へ到着した肉人形は、扉を軽く叩き、そのままドア越しにアイダラスの名を呼んだ。
途端に中からいくつもの悲鳴が湧き上がる。
無修正グロ画像が裸で歩いているような魔物の王を平気な顔で相手取れるのは、精神力逞しい姫君くらいのものだ。
例え、彼自身がどんなに穏やかな人物であろうと、生まれ持った肉体そのものが、人間の視覚や聴覚に対し、あまりに攻撃的かつ刺激的過ぎた。
実際、ヴェリーネを直視する想像だけで、吐き気を催す者もいる程なのだ。
間もなく、王女のものらしき声が二言三言、扉から漏れ聞こえると、徐々に内部に静寂が戻った。
そして、その数秒後、開く途中のドアの僅かな隙間から滑り出るようにして、ようやく姿を現すアイダラス。
常の姫君であれば、この様な場面で正体の確証なき相手の前に身を晒すことはないのだが、周囲の状況が彼女に誰何の時を与えてはくれなかった。
二人は互いに互いが本物であることに安堵して、その場から少し離れた場所へと移動し、密やかに会話を始める。
「騒ぎは完全に収まったようですね」
「はい。
現在、施設周辺に敵対者はおりません。
また、目的地の神殿においても同様の事態が発生しましたが、そちらもすでに解決しております。
専門の技術者を向かわせるのはこれからとなりますが、私見では、ホールに特段の異常もなく。
人側の心身の健康状態にもよるでしょうが、おそらく、事前の予定通りにご帰国いただけるかと」
王女は彼の報告を咀嚼するように沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「ヴェリーネ様。
我ら人間のための常々の骨折り、代表として、深く感謝致します。
只今お教えいただいたことは、中の者達とさっそく共有致します」
そう言うと、少女は真っ直ぐと肉人形の瞳を見上げた。
すでに、彼女の表情は姫君としてのソレではなく、恋をする一人の娘としての憂いに揺れている。
碧い虹彩が潤み、ほどなくして穢れなき頬を雫が伝った。
ヴェリーネは、そんな彼女を複雑な心持ちで眺めていた。
やがて、彼は泣き濡れるアイダラスと視線の高さを揃えるように緩やかに跪き、そして、小さな顔に手を伸ばしかけて、寸前で止める。
王女は、すぐ傍らで躊躇いに震える歪な指先に、両の手でそっと触れた。
人間のものと異なり鋼のように硬く、少しばかり冷たく、それでいて蠢くように脈動しており、彼女は今更ながら、人と魔物との存在の遠さを意識させられる。
あるいは絶望にも似た虚しさのような感情が、少女の体の中心を吹き抜けていった。
涙は、いつの間にか止まっていた。
「……戻ります、ナギタの民の元へ」
淡々と告げるアイダラス。
ヴェリーネは無言で彼女を見つめ続けている。
どんなに求め執着したところで、互いの立場も、状況も、何も変わりはしない。
姫君は、醜い指肉を導いて、零れ落ちる一滴の心でそれを濡らした。
乾けば消えゆく、儚き愛を、星王は強く強く握り締める。
永遠の別離は、すぐそこまで迫っていた。




