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9 襲撃



「一体何をお考えなのです、陛下!」


 翌日、クォザンは憤慨していた。


「なぜ、人間如きをここまで付け上がらせるような真似を!」

「すまん、許せ。これは王としてではなく、私個人の我侭なのだ」

「ぐっ、ゆ、許すなどと……っお止め下さい、私如きにそのような」


 政務の最中、そんなやり取りを交わす二人だったが、当の王の隣には、そこにいるはずのない人間が、どこか決まり悪げに鎮座していた。

 端的に現状を表せば、ヴェリーネが王の間にアイダラスを連れ込んでいたのである。

 とはいえ、いかがわしい行為に及ぶわけでもなく、ただ本当に、日々の業務に勤しむ魔物を姫君が黙って見守っているだけという、至極微笑ましいものなのだが。


 主動はもちろん、ヴェリーネだ。

 共にと、そう口にした王女としては、従来通りの交渉時間でまた他愛無い話でも出来ればと、その程度の考えでしかなかった。

 が、両想いの事実に浮かれていたのか、我慢を続けた反動が出たのか、肉人形は彼女を自らの傍に侍らせようとした。

 そして、別離の時の迫りに心惜しむ彼女もまた、容易にそれを了承してしまう。

 王の間には、唯一の側近であるクォザンを除けば、滅多に来訪者のあるものではないし、例え、招かれざる客が現れたとしても、得意のシールドで対応が可能なので、一応、問題らしい問題はない。


 彼の仕事ぶりは、とかく目まぐるしいものであった。

 机に噛り付いて書類を捌くことが基本だが、時に要請を受けて巨悪を正し、かと思えば、城内を見回って兵や事務官など様々な部下へと直接指導を施し、また、各所公共施設の視察も定期的に行われている。

 民の声を直に聞くことも重視しており、最低でも月に一度は、その身ひとつで惑星中を飛び回っていた。

 処理すべき各種文書についても、国中から集約されるため、あっという間にタタミ二畳はありそうな広い机に山と積まれて、目を通すのも一苦労といった風情である。


 これだけ忙しい中で、ナギタの人々のために時間を割いてくれていたのかと考えると、アイダラスは与えられてばかりの自らを、改めて申し訳なく思った。

 当然のように権利だけを主張し、ひたすら魔物任せに帰国の準備が整うのを待つ。

 そんな現実が、姫君にはたまらなく恥ずかしかった。

 もちろん、勝手を知らぬ世界で無暗に行動を起こしたところで、庇護者の迷惑にしかならないのは、彼女とて百も承知なのだが。

 だからといって、恩を返せる当てもなければ、晴れる心もない。


 こっそり落ち込んでいると、ふと、隣の肉人形が少女へ語り掛けてくる。


「何のお構いも出来ず、申し訳ありません。

 退屈されているでしょう?」


 話しながらも、ヴェリーネの手は作業を続けていた。


「退屈など、とんでもない。

 こうしてヴェリーネ様を見ているだけで、胸がいっぱいで。

 本当にあっという間に時が過ぎてしまって、(わたくし)、驚いているぐらいですのに」

「そ、そうですか」


 魔物の王は少しばかり照れたようで、軽く頭を掻いている。

 それを、可愛いと思う反面、王女は己に疑問を持つようになった。


 本当に自分如きが、この素晴らしき王に愛される資格を持っているのか、また、その価値があるのか、と。


 星王は見目こそ恐ろしいが、有能で思慮深く、されど謙虚で、また、思いやり溢れる、稀有な存在だ。

 比べてアイダラスは、自尊心ばかり高く、出来ることもあまりに限られており、彼にとって迷惑となる存在でしかない。

 それに、いくら互いが互いを望もうと、ナギタへ続くホールの補修点検が終わり、人間たちの意見が纏まれば、すぐにでも永遠の別れが訪れる。

 このまま優しさに甘えることが、彼にとって本当に良いことなのだろうか、とそんな考えが彼女の脳裏を掠めては去っていった。


 一生、自分を忘れないで欲しい、愛していて欲しいと思いながら、同時に、自分のことなどスッパリ忘れて、誰か似合いの魔物と幸せに生きて欲しいと、そう姫君は願っている。

 矛盾しているようだが、それは少女の掛け値なしの本音だった。

 何より、国元に戻れば、アイダラスとて正統なる王の血を引く娘として、ナギティアルーダ復興の一助として、政略結婚は免れない。

 彼女もまた、彼を忘れざるを得ない立場にあるのだ。


 少女のヴェリーネを愛する心が、そのまま苦しみへと反転する。



 数日後、アイダラスは慣れ始めた肉人形の傍ではなく、クォザンを護衛に、辺境の保護施設にいた。

 すでに当然の習慣と認識されている、定期訪問の日だったのだ。


 一刻も早く人々を祖国に連れ帰らなければ、そして、自身の心を占めるヴェリーネの割合が大きくなりすぎぬ内に離れてしまわなければ、と、そう結論を出した王女は、これまで以上に強く彼らに協力を懇願していた。

 望みは一同等しく抱いているが、話し合いはやはり難航。

 人の数が増える程、大小いざこざも起こりやすくなるものである。

 一時、危うく殴り合いの騒動になるところを、アイダラスが身を挺して止めるというような、冷や汗ものの場面も展開された。


 結局、太陽が沈んでも決着はつかず、王女は内心の焦りを隠し、自国の民一人ひとりに慰めの言葉を残して、王城へ戻ることとなる。



 明けて翌朝、時刻通りに部屋を訪れたヴェリーネに、姫君は俯き加減にこう告げた。


「こちらから申し出ておきながら、ほんの数日で前言を撤回する無礼をどうかお許し下さい。

 もう、ヴェリーネ様の隣にはいられません。

 ホールの点検作業も終わろうとしている今、個人的感情を優先し、帰国を先延ばしにする訳にはいかないのです。

 (わたくし)は、私を必要とする民の元へ参ります」


 重ねた両手を強く握り込んで、それきり沈黙するアイダラスへ、魔物の王が視線を合わせるように跪き、醜くしゃがれた声を吐き出す。


「人を想ってのことに、何の無礼がありましょうか。

 むしろ、至らぬ我が身を恥ずかしく思います。

 私などと交わした小さな約束のせいで、板挟みとなってしまった貴方の苦しみを察せずに、ここまで悩ませてしまった。

 本音として、寂しくはありますが……あまり長く共にいすぎると、手放す決心が鈍ってしまうかもしれない。

 ならば、これが我らの進むべき、正しい道であったのでしょう」


 相も変わらず動かぬ顔面ではあるが、橙の眼球に浮かぶ深緑の光彩は、穏やかに揺れていた。


「そ、う……ですね。

 傍にいればいるほど、独りの隙の恋しさが増すばかりで……。

 夢、幻のような今この時に浸りすぎては、現実に戻れなくなってしまうかもしれません。

 私にとっても、ヴェリーネ様にとっても、それは好ましい未来ではない」


 黙って頷く魔物の王。

 見つめ合えば、少女の瞳が切なく潤った。


「もう、行かなければ……」





 施設へ向かえば、人々が笑顔で彼女を迎えた。

 なんでも、昨夜、王女がいない間に、彼らで自主的に話を進めていたらしい。

 それが余程上手くいったのか、皆の目には生気が満ちていた。

 逆に、妙に拍子抜けしたような気分に陥りつつも、じっくりと彼らの答えを吟味したアイダラスが、最終的に出した結論はこうだ。


「おそらく、この配分で可能だと思います。

 早速、案を持ち帰り、魔物の(かた)にも伺ってみましょう」


 途端、施設中に響く大きな歓声が上がった。

 少女の視界の先では、喜びに抱き合う者、涙を流す者などの姿が多く見られる。

 姫君はそんな彼らに水を差すまいと、いよいよの別れに軋む心と裏腹に、必死に笑顔を作り続けるのだった。



 その夕刻。

 クォザンから正式に報告が渡れば、即座に検討会が開かれ、細かな調整が施されていく。

 そして、ついに、保護施設よりホールのある別大陸への……隠された神殿への移動日が決定。

 現在より数えて七日後には、ナギティアルーダへの帰還が果たされることとなった。



 星が廻れば、別れが迫る。

 アイダラスも、ヴェリーネも、もうこれ以上、心を残すようなことをすべきではないと、互いの姿を求めることはしなかった。



 さて、大陸移動日。

 妙な胸騒ぎに、王女はまだ太陽がようやく顔を出し始めたかという早朝に目を覚ました。

 二度寝をする心情にもなれず、(とこ)から()でて身なりを整えると、まるで計ったかのようなタイミングで、ドアを激しく叩かれる。

 直後、慌てた様子のヴェリーネの声が外から室内に響いてきて、尋常でない空気を感じ取った少女は、喉を震わせる間も惜しんで、急ぎ扉を開け放った。


「っ何事ですか」

「あぁ、アイダラス様! 非常事態です、すぐに私と共に保護施設へ!」

「きゃあっ!?」


 言うなり、肉人形はアイダラスを抱え上げていた。


「いつものように魔走機で移動していたのでは間に合わない!

 飛びます、しっかり掴まって下さい!」


 理解が追い付かず、ひたすら混乱する王女を他所に、体内から球形の光を放出しながら、魔物の王は窓を突き破り飛翔する。

 十と数年の人生で一度たりと経験したことのない衝撃に、姫君はまともに呼吸することさえままならなかった。


 本気を出したヴェリーネの飛行速度は、現代世界の戦闘機をも軽く上回る。

 二人を包む円光が、風や重力といった本来身体の負担となるものを完全に防いではいたが、そもそも空を移動するなど想像だにしないアイダラスには、当然ながら周囲の景色を伺う余裕すらなかった。

 だが、そんな状態の彼女であっても、現地に到着した一瞬で、異変は見て取れた。


 保護施設が、魔物の群れに襲われていたのだ。


 先に到着していたらしいクォザンが入り口付近に立ち、施設全体を覆う結界を張っている。

 その外周りで、警備の魔物達が多勢に無勢といった様子で、押されぎみに襲撃者たちと交戦していた。


「クォザぁーーーーン!」


 星王は少女を腕に収めたまま、遥か上空から側近の名を叫ぶと同時に、戦場全てに己が魔力の一部を解き放った。

 途端、激しい轟音と共に爆風が吹き荒れ、大地が上下に振動する。

 今更の話ではあるが、星を統べる王という存在は、たった一人で天変地異すら起こし得る、正真正銘の化け物なのだ。

 すっかり事が治まった頃には、クォザンを除く全ての魔物がその場に倒れ伏していた。


 姫君、絶句。

 相容れぬ銀の魔物が、彼を盲目に崇める理由の一端を、彼女はここに来て初めて垣間見た気がした。

 これだけの力を持ちながら、当人がけして傲らぬ高潔な精神性を有する事実には、ひたすら感謝するしかない。


 安全を十分に確認してから、ヴェリーネは部下の眼前へと静かに降り立つ。

 神の意を酌むことに長けた以心伝心の信者は、攻撃が落ちる一瞬に限定して、自らの全魔力を結界に込め、これに耐えたのだった。

 流石に消耗が激しかったようで、肩で息をする側近に、星王は労いの言葉をかける。


「すまない、無理をさせたな」

「とんでもないことです。

 偉大なる陛下の御力を卑しき我が身に浴びまするは、この上なき名誉。

 幸甚の至りに存じます」

「……今は皆、気を失っているが、直に目覚める者もあるだろう。

 結界は私が変わる。その間に、拘束を急げ」

「ハッ」


 とても常人の理解及ばぬ狂信の応えに僅かに(ひる)みつつも、ヴェリーネは今唯一動くことが可能な彼に素早く指示を与えた。

 次いで、己の腕からアイダラスを開放した肉人形は、彼女にも同様に、自身の意向を口で伝える。


「アイダラス様は、このまま施設内へ。

 中の人間達を頼みます。

 もしも、集団での恐慌状態に陥っているようなら……可能であれば、沈静化を。

 身の危険を感じられた場合は、即座に引き返し、以前にお教えした防壁を閉じて、闇雲に外へ飛び出そうとする者だけでも抑えていただけると助かります」


 ここで、争いの場において足手まといにしかならぬ非力な娘を、わざわざ訪ねて連れ立った理由を、王女はようやく理解した。

 今この状況で、人間以外の誰が姿を現しても、ナギタの民は怯え惑う以外の反応を示さないだろう。

 帰還のため、魔物との接触に努めはしたが、根強い恐怖の感情が未だ彼らの心の底に巣食っている。


 神妙な顔でヴェリーネの要請に頷き、施設の出入り口へ体を向けながら、彼女は問うた。


「……移動は延期でしょうか」

「人間の方々のご存意と、心身の状態次第であるかと」

「畏まりました」


 小さな少女の背が建物内部へと消えゆくのを見届けて、星王は改めて施設全体を囲う結界を張り直す。



 緊張と共にアイダラスが最奥の扉をくぐれば、その先で、人間たちが一塊に身を寄せ合って震えていた。

 元より不足ぎみの警備体制では仕方のないことであったとはいえ、彼らは魔物の側から何の情報も与えられずに放置されていたのだ。

 外部から僅かに届く喧噪や地響きが、どれほどか弱い心を追い詰めたことか、想像に難くない。

 救いの日が目前に迫ってからのこの不穏な出来事について、再び魔物への信頼が失墜するには充分すぎる。


 自国の姫君の登場に、彼らは揃って彼女の名を呼びながら、我先にと駆け寄って来た。

 想定していた最悪より随分と大人しい民草の様子に、密かに内心で安堵しながら、アイダラスは青褪める人々を落ち着かせようと、努めて優しく語りかける。


「皆さん、頑張りましたね。もう、大丈夫です。

 悪しき魔物が人間である我らを狙っていたようでしたが、善き魔物の王ヴェリーネ様が彼らをすっかり退治してくださいました。

 今、彼はその後片付けをなさっています。

 それが済めば、予定通り、ナギタへ通ずる道へ向けての出立も可能でしょう」


 導きの姫の詳細な説明に、人々は心より安堵した。

 一時は味方側の魔物の心変わりすら疑っていた者も、それを知った今では、全てがなかったかのように希望だけを胸に抱いている。


「不安に思うことなど何もありません。

 私たちは、もうすぐ祖国へ帰ることができるのだもの。

 そうでしょう」


 アイダラスは民のため己のため、そして、異種族に慈悲を尽くす博愛の王のため、懸命に笑顔を作った。



 同時刻、ヴェリーネは結界内の気の乱れが覿面に治まりゆくのを身に感じ取り、中で尽力しているであろう愛しい娘の、その健気過ぎる在りように僅かな憂慮を抱くのだった。



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