紅蓮の炎が身を焦がすまで
リーチは夢を見た。幼い自分、優しい両親、可愛い妹。優しい世界だ、なんの不安も恐怖もない。十年も昔の記憶。
暗転
視界が炎で埋め尽くされる。燃えていく、あの優しかった世界が、大好きだった家族が、自分の……居場所が燃えていく。
幼い自分には……いや、ちっぽけな人間の力ではどうすることも出来ない。ただ歯を食いしばって目の前の現実を見ることしか……出来ないのだ。
だから力が欲しい。
この胸に燃え続けている紅蓮の炎に負けないように……オレハ……
◇
「気分はどうだ? リーチよ」
「ああ……影久が、最悪な気分だよ。嫌な夢見ちまった」
体調不良のため、ここ数日学校に出られなかったリーチ。そんなリーチの家へお見舞いに来た影久である。
「ふむ、魂に干渉を受けたのだ。精神が不安定になるのはしょうがない。ゆっくり休むが良いぞ」
「そうだな、お言葉に甘えさせて貰うぜ」
そう言って、布団に潜り込むリーチ。影久はふっと表情を緩ませるとおおむろに口を開いた。
「そうだリーチ、昼飯は食ったのか?」
「昼飯? いや、さっきまで寝ていたからな」
そうかそうかと満足げに頷く影久を、リーチはきょとんと見つめる。
「ふむ、ならばこのオレ様が昼飯を作ってやろうではないか!」
どんっ! と効果音がつきそうなほど堂々と言い切った影久に、恐る恐るといった様子で尋ねるリーチ。
「……影久、お前料理出来たっけ?」
「ふははは、心配せずとも良い! オレ様は恐れ多くも万能の魔王であるぞ、料理など恐れるに足らず! キッチンを借りるぞ」
妙に自身満々な様子が逆に不安である。影久は仰々しくキッチンに向かった。
◇
「一応聞いておくが……これは何だ?」
リーチの目の前には、黒く焼け焦げた謎の物体Xが愛用の深皿に入っていた。
「どこからどう見ても『おかゆ』であろうが」
どこからどう見ても食べ物どころか、地球上の物体か疑わしくなるような形状をしているのだが、それを影久は『おかゆ』と言い張った。
「なあ、影久」
「ん? なんだ、感謝のあまり言葉も出ないか?」
「いや、お前はもう帰れ」
「なぜだ!」
本気で驚いた様子の影久。
「美少女が作ったゲロマズ料理ならば、俺は腹を括って食べるだろう。だがな、てめえが作ったこの物体Xを食らう義務はねえ!」
「ぶ……物体Xだと」
驚愕の表情を浮かべる影久を追い出し、リーチは皿の物体Xを廃棄したのだった。
◇
「物体Xだと……何が悪かったのか見当がつかん」
まだ先ほどのリーチが放った物体X発言をしきりに気にしつつ、影久は自宅までの道のりを歩いていた。顎に手を当てて考え事をしているその姿は、まるでモデルのように完璧な立ち振る舞いである。
「おい間宮ぁ! 久しぶりじゃねえかぁ!」
突然、背後から聞き覚えのあるどら声が響いた。振り返るとそこに居たのは……時代遅れのリーゼント頭、筋肉質な巨体を学ランに包んだ大男。
「誰だお前?」
「藤堂だ! いい加減に名前を覚えやがれ!」
「……! ああ、不良Aか。久しいな」
「不良Aじゃねえよ! 藤堂だっつてるだろうがよ!」
「冗談だ、そう怒るな。それで、オレ様に何の用だ?」
影久が問いかけると、藤堂はふんと鼻を鳴らした。
「決まってんだろ、喧嘩だよ」
藤堂の言葉に影久は眉をひそめる。
「しかしお前は最近まで入院していた筈では無かったか?」
「なんだ、心配してんのか? 気持ち悪りい。余計なお世話だっつうの」
ボキボキと首を鳴らして、藤堂はニヤリと笑った。
「俺はバカで不良だからよ、勉強が出来なくても女にモテなくてもしょうがないと思ってる。だがな、喧嘩で負ける事だけは我慢ならねえんだよ」
それだけが俺の取り柄だからな、と藤堂は影久を睨み付ける。
「ふむ、つまり喧嘩とは貴様のアイデンティティである訳だな。それはすまないことをしたものだ。考えてみればオレ様はまだ、貴様と真剣に喧嘩をした事が無いな」
そして、制服の上着を脱ぎ捨てる影久。
「ひとつ良いか? 藤堂」
「なんだよ?」
「オレ様は今、貴様と『友だち』になりたいと思っている」
「はあ?」
「友となるには貴様の事を知らなすぎる。だから藤堂よ、全力でかかってこい。オレ様に貴様の全てを見せてみろ!」
「なんだかよくわからねえが、まあ良い。全力で行くぜ間宮ぁ!」
藤堂凶志郎と間宮影久。男と男の真剣勝負が始まった。
初動は藤堂だった。決して俊敏とは言えない動きではあるが、右拳を固く握りしめて影久との距離を一気に詰める。勢いよく振り抜かれたその巨大な拳を、影久はなんなく回避した。
「少し強く殴るぞ、耐えろよ藤堂」
がら空きの鳩尾に強力な右ひじを叩き込む影久。下手したら内臓破裂ものの一撃なのだが、
藤堂は鍛え抜かれた腹筋でなんとか持ちこたえる。
「ぐはっ、ちきしょうエグイ攻撃しやがる」
「当たり前だ。真剣勝負なのだからな」
激痛を必死に耐える藤堂に対し、影久は涼しげな表情で詰め寄ってくる。
強い。圧倒的に。素人とはいえ藤堂は自分の腕っぷしに絶対の自信を持っていた。格闘技をやっている奴らとの喧嘩も数えきれないほどしてきたし、そんな奴らにも負けはしなかったのだから。
違う。
この男は、俺たちとは次元が違う。
藤堂は本能的に感じた恐怖を必死で振り払う。ダメだ。それだけは認めちゃいけない。勉強で負けてもいい。顔面の作りで負けるのも許容できる。だが、喧嘩で負ける事だけは認めちゃいけない。どんなに惨めに打ちのめされても、藤堂は負けを認めはしない。自分が自分であるために、藤堂は……
「オルァアァァアァ!」
自分を奮い立たせてあらん限りの声量で雄叫びを上げる。巨大な拳を握りしめ、大きく振り上げた。
「そんな大きなモーションで、このオレ様を捕えられる訳がなかろう」
ああ、なんとでも言うがいい。藤堂は薄く笑った。どんな相手と喧嘩するときも、自分はこの拳一つで戦ってきた。これしか喧嘩のしかたを知らないから、自分にはこの拳しか無いのだから、だから全力を込められる。
影久は素早い動きで藤堂の懐に入り込む。藤堂の拳が振り下ろされる前に、勢いをつけた掌底が藤堂の顎に叩き付けられた。
衝撃。同時に藤堂の視界がどろどろに溶けていく。平衡感覚は失われ、立っていることすらままならない。だが、
「甘えんだよ間宮ぁ!」
藤堂は精神力でその場に踏みとどまり、その巨大な拳を振り下ろした。全力を込めたその右拳は、驚いた表情を浮かべる影久の顔面に叩き込まれる。
藤堂の剛拳は、軽々と影久を吹き飛ばした。この馬鹿力こそが藤堂の本気。この力だけで藤堂はいくつもの修羅場を潜り抜けてきた。
「どうだ……くそったれ」
しかし、流石の藤堂の精神力もそこまでが限界であった。顎を打ち抜かれたダメージがじわりじわりと藤堂を襲い、藤堂はその場に倒れこむ。
ゆっくりと起き上がった影久。先ほど殴られたダメージなど無いかのように、しっかりとした足取りで藤堂の元へ歩み寄る。
「それが貴様の全力か。まさかこのオレ様に一撃入れるとは思わなかったぞ」
感服した様子でそう言った影久は、倒れている藤堂にスッと手を差し伸べた。
「藤堂よ、貴様はすごい男だ。この間宮影久、いたく感動した。どうかオレ様と友だちになってくれないだろうか?」
今までの影久との言動のギャップに、暫し言葉を無くした藤堂だが、やがてふっと口元を緩めた。
「ったく、ズレた野郎だぜ。俺たちは全力で殴り合ったんだ。男同士、全力で殴り合ったらもうフレンドだろ?」
差し出された手を力強く握りしめる。
「だがな間宮、俺はまだ負けてねえからな」
二人は再戦を誓い、友となった。