勇者現る
宮本小次郎を倒してから数日後。影久は学校の図書室にいた。時間帯的には授業中の筈だが、この授業は受けるに値しないと判断し、サボったのだ。
一心不乱に本を読みふける影久。時折くいっと眼鏡をかけなおす様は、まるで映画のワンシーンを切り取ったような非現実的な美しさがあった。
この世界の本は興味深い。前に魔王をやっていた世界では、あまり文学が発達していなかったのだ。初めてこの世界の本を読んだ時は、この世にこんなおもしろいものがあるのかと驚いたものだ。
ふと、人の気配を感じて顔を上げる。目の前に見たことの無い女子が立っていた。
おかしい、自分ががここまで存在に気づかなかったなんてと、影久はしげしげと女子を眺める。何処かで見たことのある、濃い赤色の髪、気の強さがうかがえるアーモンド形の釣り目には、髪の毛と同色の瞳が輝いていた。
「お前が間宮影久?」
女子にしてはずいぶん乱暴な口調であった。一人称で「オレ」とか使いそうな逸材だ。
「いかにも、オレ様が間宮影久だが?」
「そっか、オレは日野火藍。よろしく」
本当にオレっ娘だった。日野火藍恐るべし。
「オレ様になんの用だ?日野とやら」
いや、用って程でも無いんだが、火藍はぼりぼりと頭を掻き、ぐっと身を乗り出した。
「間宮影久。お前、魔王ってのは本当か?」
凄まじい迫力。歴然の戦士にも勝るとも劣らないそれに、影久は関心したように火藍を見つめた。
「ああ、オレ様が魔王だ」
その答えを聞いた火藍は、なにやら考え込んだ後、いきなり拳を繰り出した。
速い。否、速すぎる。明らかに女子高生ではありえないような威力を秘めた拳を、影久は余裕の表情で回避する。
「とんだ挨拶だな、日野よ」
冷たい声の影久に対し、火藍は臆することなく飄々としていた。
「いやいや、ごめんな。少し試したかったんだ。これを避けられるって事は、魔王ってのもまんざら嘘でも無さそうだな」
火藍はチラリと周りを見回し、先ほどの事が気づかれていないのを確認すると、そっと影久に耳打ちした。
「ちょっとツラ貸しな間宮」
「悪りぃな、手間取らせちまって」
火藍は見ているだけで元気になるような輝く笑顔を浮かべながら両手を合わせた。先ほどまでの剣呑な雰囲気は微塵も感じられない。おそらくこれが火藍の素なのだろう。
「いや……別に構わんが、意外だな。まさかさっきのがデートの誘いだとは思わなかった」
火藍に連れられて来たのは洒落た喫茶店。先ほどの攻撃から、どうせ因縁をつけられてバトル的な展開になるだろうと予測していただけに、なにやら拍子抜けした影久だった。
「デートじゃねえよ! まあ、ちょっと話したいことがあるからな。すまんが少し付き合ってくれるとありがたい」
そしてイチゴのショートケーキとアップルティーを注文する火藍。影久はアイスコーヒーを注文した。
「さて、改めて自己紹介といこうか。オレは火藍。趣味はスポーツ、十六歳の乙女兼勇者だ」
勇者
なんでもない事のようにさらっと言ったが、詰まるところ影久の対極に値する存在である。
「そうか、オレ様は間宮影久。偉大なる不滅の魔王だ」
一方の影久も優雅にコーヒーを啜りながら簡単に答える。
しかし、一見和やかに見えるこの会話だが、その実、お互いに相手を探り合っていた。
「勇者は魔王となると見境無く襲ってくるイメージがあったが……オレ様の認識違いだったかな?」
「間違いじゃねえよ。本来勇者なんてそんなもんだ」
火藍はぶっきらぼうに言いながら、ショートケーキを一口食べる。口いっぱいに広がる素敵な味に頬を緩め、アップルティーを啜る。
「では、なぜ?」
影久の問いに、火藍は何かを確かめるかのようにアップルティーのカップをじっと見つめ、ため息をついてから顔を上げた。
「なに、単純にオレの個人的なポリシーでよ、とりあえず悪人かどうかは会って話してから決める事にしてるんだ。周りの評価とかソイツの立場なんてのは当てになんねえ。オレは自分で判断して自分の信念を貫く」
「ほう、では貴様の信念とはなんだ?」
火藍は迷うことなく答える。
「自分の信じる正義であることだ」
その力強い眼差しには一点の曇りもない。影久はもう一度、ほうっと感心して息を吐いた。実にシンプルで小気味のいい信念だ。敵対する立場とはいえ、こんな馬鹿は嫌いじゃない。
「それで?貴様から見て、オレ様は悪か?」
「んー、まだわかんね。なんかお前は掴みどころが無いんだよな」
火藍は頭をポリポリと掻いた。
「おもしろい女だ。例えばオレ様が善人だったなら、貴様はオレ様と敵対しないのか?」
「もちろんだ」
「魔王でも?」
「関係ねえよ。魔王だろうが善人なら争わねえし、神様だろうと悪人なら殺す」
影久の顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
「とんでもないな。とても勇者の考えとは思えない」
「自覚してるさ、オレは勇者向きの女じゃねえ。でも、オレは物心ついたときから勇者だった。妙な話だけどよ、それを自覚したガキの自分に悟ったんだ。無数の人間から何故かオレが選ばれた、それには意味がある筈だ。だからオレは誰にも影響されず、自分の信念を貫こうってな」
「……すばらしい」
影久は、火藍をいたく気に入った。
信念を貫く者は美しい。例えそれが間違っていようが正しかろうが、信念を貫く者にはある種の美がある。
そして影久はその美しさを愛している。もちろん勇者は憎むべき存在だ。影久は勇者を嫌っているが……同時に愛している。この世に勇者ほど己の信念を貫く人種は存在しない。憎しみと愛情は相反することなく混ざり合い、愛憎入り混じった、甘くしびれるような感情が影久の心を満たす。
影久はコーヒーを啜り、慈しむように微笑んだ。
「さて、貴様の考えはわかった。まあ、オレ様の方から勇者と対立することは無いと言っておこう。勇者は気に食わんが、全ての民はいずれオレ様のものだからな、勇者とて例外ではない。反逆しなければ大切に保護してやるさ」
「いくつか質問していいか間宮?」
「ふむ、許可しよう」
「そっか、じゃあ質問なんだが、お前はやっぱり世界征服を望んでいるのか?」
「もちろんだ」
「魔王の圧倒的な力で……か?」
火藍の目力がキッと強まった。しかし影久は平然とそれを受け流す。
「なにか勘違いされているようだから言っておくが、別にオレ様はRPGに出てくる魔王のように、虐殺の限りを尽くすなんて事は望んでいない。そんなことをして荒れ果てた世界を支配してもおもしろくないじゃないか」
自分の物になる世界を壊しても意味が無いじゃないかということだ。
「……なるほどな」
そう言って火藍は立ち上がった。
「なんだ。もういいのか?」
「うん、今回はこれくらいにしておく。少し時間を置いて、頭の中を整理したいからな」
「賢明なことだ。では、近いうちにまた会おう」
「ああ、またな」
立ち去る勇者の背中を見て、影久は優雅にコーヒーを飲み干す。そして、テーブルの上に置かれた伝票を発見。
「……オレ様が払うのか?」
なにか負けた気がした影久であった。
「おいリーチ」
「ん? ああ影久か、さっきはどこ行ってたんだ? 簡単に授業サボりやがって」
学校に戻った影久は、親友であるリーチのもとへ向かった。というよりリーチしか話し相手がいない影久である。
「ちょっと喫茶店でな。まあ、オレ様のことはいいんだ。貴様に聞きたいことがあるんだが、自称フェミニストで女子の情報にやたら詳しいリーチよ」
「なんかお前の言葉に悪意を感じるんだが?」
「気のせいだ」
気のせいらしい。
「……はあ。んで、なにが聞きたい?」
いろいろ諦めたような顔で質問を促すリーチ。影久はくいっと眼鏡を掛けなおし、質問をした。
「日野火藍という女子について、知っている情報を教えてくれ」
無知は罪だ。何も情報がない相手ほど厄介なものは無い。敵となりうる可能性がある者ならば、とりあえずソイツを調べるのが魔王時代からの影久のやり方だ。
「日野?なんでまた……」
「うるさいぞリーチ、貴様は何も考えずにオレ様の言うことに従っていればいいんだ」
「はいはい、わかりましたよ魔王様っと。んで、日野火藍だったな? 日野は希少種であるオレっ娘だ」
「それはどうでもいい」
「どうでもよくねえよ!」
何故かいきなりキレたリーチが、ドンと机をグーで叩く。
「オレっ娘だぞ、オレっ娘! 今現在、オレを一人称に使う女子が激減しているなかであえてそれを使う勇気! そもそも「オレ」は「己」が転じた語だといわれている。江戸時代においては男女分けなく使われており、現在でも方言として一人称を用いる地方もあるが、そんなことはどうでもいい! オレっ娘は萌える! オレという男らしい一人称を使うあたりがなんともいえない凛々しがあり、さらにデレた時のギャップが凄まじい! オレっ娘最高!」
「……なんかすまん」
問答無用で影久に謝罪させるほどの勢いでオレっ娘について語るリーチ。常識人ぶっているが、普通に変人であった。
「とりあえずリーチ、オレっ娘についてはわかったから他の情報をくれ」
「あいよ」
日野火藍
十六歳、女。男勝りな性格で、周りの生徒からの人望も厚く、クラス委員長を務めている。部活動には所属しておらず、放課後は一人でそそくさと帰ってしまうらしい。
「ってとこだが、どうだ? 役に立つ情報はあったか?」
「ふむ」
影久はあごに手を当て、リーチに向き直る。
「この無能め、特に有益な情報が無いじゃないか」
「さすがにひどくないか! 情報教えたのに無能とか!」
「オレ様が知りたいのは、日野火藍の弱みとか住所とか、こちらの有利になるような情報だ。人望があるだの部活に入って無いだのの情報など、なんの価値があるというのだ」
「女子のそんなプライベート情報知ってたら、逆に俺が危ない人だろうがぁ!」
「安心しろリーチ、貴様はすでに危ない人だ」
「そんな認識なのはお前だけだよ!」
先ほどのやり取りで体力を使い尽くしたリーチは、机に突っ伏した。
一通りリーチをいじって満足した影久は自分の席に座った。休み時間独特のたるんだ空気。次の授業はなんだったかな?と、脳内で時間割を思い出していると、背後に人の気配を感じた。
「オレ様になにか用か? 坂本」
振り返らずに背後の生徒・・・坂本竜子に話しかける。
「見てないのに、なんでわかったんですか?」
坂本は驚いた様子で問いかけた。
「オレ様が魔王だからだ」
「魔王……ですか」
「その通り。で? 何か用かな?」
振り返って坂本を見る影久。
「用が無かったら、話しかけちゃいけませんか?」
坂本は可憐に微笑み、影久の隣の席に腰を下ろした。この前の一件以来、坂本は影久とリーチに親しみを感じているようだ。
美少女である坂本が近づいた瞬間、机に伏していたリーチが跳ね起きた。
「話しかけちゃいけないなんて、そんなことあるわけ無いじゃないか! 坂本さんならいつだって大歓迎さ!」
坂本は上品に「ありがとうございます」、と礼を言ったが、影久は突然ハイテンションになった親友の姿に、若干引いていた。
「先ほど日野さんのお話をしていたようですが、間宮くんは日野さんとどういう仲なんでしょうか?」
「それは俺も気になるな、どうなんだ影久?」
二人の興味の視線にさらされながらも、影久は余裕の表情でさらりと言った。
「なに、先ほど少しデートしたのでな、相手のことを知りたいと思うのは当然のことであろう?」
一瞬の静寂。そして、
「「え、えぇぇえぇえええぇぇぇえええ!」」
驚愕の叫びが教室を満たした。教室にいた生徒が何事かと見つめるが、坂本とリーチはそれどころじゃないし、そもそも影久はそんなことを気にしない。
「どういうことですか! 間宮くん、日野さんと付き合ってるんですか?」
「影久テメェ! この裏切り者めがぁ! 授業をサボって喫茶店でデートだと? リア充は爆発しろ!」
結構な大音量だった為、教室にいた他の生徒にもばっちり伝わったであろう。
「何を騒いでいるのだ? ただのデートだろう」
もちろんデートではないのだが、そんなことリーチ達にはわかる筈もなく、完全に影久と日野火藍は付き合っていると誤解をしてしまった。そして、周りで聞いていた生徒も。
「どどど、どっちからデートに誘ったんですか? 詳しく聞きたいです!」
普段はおとなしい坂本だが、予想外に始まった恋バナに、テンションマックスだった。
「ふむ、オレ様が図書館で読書しているとき、日野から声をかけてきてな」
…………嘘はついていない
「うひゃ~! 日野さん積極的ですね!」
恋バナは女子のテンションを際限なく引き上げる、ある意味恐ろしいものである。いつのまにか周囲で遠巻きで見ていた女子たちも参加し、自然とリーチは会話から締め出された。他人の恋愛話を僻む一般的な男子高校生は、女子の恋バナには参加できないのが世の理だ。
この日影久はある事ない事を散々言いふらし、大満足で帰宅したのであった。