その男、魔王
「オラァ!死ね!」
バットを振りかぶった不良風の男が、学ランを身にまとった同じ高校生らしい男に襲いかかった。間宮と呼ばれた男はやれやれとばかりに首を横に振る。
「馬鹿めが、このオレ様が時代錯誤の不良野郎に殺される訳なかろう?」
上から目線で言い放ったこの男。天上天下唯我独尊、この世でオレ様が一番偉いんだとばかりの態度には理由がある。
「おりゃあ!」
不良風の男が振り下ろしたバットを片手でいとも容易く受け止める。驚愕の表情を浮かべる不良。
その間抜け面を思い切り蹴り上げる。
その衝撃で崩れ落ちた不良。よく見ると周りにはたくさんの人間が気絶状態で積み重なっていた。
「ふん、雑魚の分際で恐れ多くもこのオレ様に歯向かうからだ」
名は間宮影久、野望は世界征服、スラリとしたモデル体系、ジャニーズ顔負けのイケメンフェイスに黒縁眼鏡を装着したこの男……魔王。
「へえ、また藤堂に絡まれたんだ?」
「む?リーチ、藤堂とは誰だ?」
「おいおい、いい加減クラスメートの名前を覚えろ。いつも影久に絡んでくる時代錯誤のリーゼント&釘バット野郎だよ」
茶髪ピアスのチャラ男、金田利一幼馴染である彼の説明で影久は思い出した。
「ああ、アイツか。だがあんな奴の名前など覚えるに値しない。不良Aで十分だ」
「カッカッカ、不良Aか!そりゃあ良い!」
不良Aという単語が気に入ったらしくリーチはケラケラと笑い出した。影久は気だるげな動作で眼鏡をクイっと上げる。
「しかしお前も大変だな。藤堂・・・もとい不良A君が絡んできたせいで今日も昼休みに登校とは。先公の間じゃあ間宮影久はサボり常習犯だぜ」
あまりに不名誉な称号、しかし影久は気にもとめない。
「ふん、他人の評価なんかどうでもいい。オレ様は魔王だ、反乱分子の粛清も王の仕事なのだからな。オレ様は自分の成すべき事をするだけさ」
影久の痛い発言にリーチはやれやれと溜息をつく。
「うわぁ、出たよ厨二病。なんでお前、テストでは学年トップのくせに世界征服だの魔王だの真剣に言うかな?」
実は影久。漫画などでありがちな、自分の正体を隠すような事がまったく無いのだ。事あるごとに自分は魔王であると言い続けてきたので、逆に誰にも魔王だと思われていない。ただ単に、頭が良くてカッコイイのに厨二病を煩っている残念な男だと認識されている。
「ん?オレ様は真実を言っているだけだ」
「じゃあ、魔王のくせになんで必死に勉強やってんだよ?」
普段から魔王などと言っている割には変に悪ぶる事もなく、なんだかんだで授業はまじめに受けるし、何故か学校で習う以外の勉強もしている影久。
「ふむ、過去の経験から考察するに世界を征服するには力だけでは駄目だとわかったからな。手始めに、この世界を完全に理解しようと思うのだ」
「まじでか……。まさか学年トップがこんな理由で勉強してたとは……正直知りたくなかったぞ」
軽く引き気味のリーチに影久はふと提案する。
「……そういえば飯を食っていなかったな。リーチ、食堂に行くぞ!」
「え?俺はもう食ったけど?」
「お前は馬鹿か?誰がお前の意見を聞いたんだ?昼飯を食っていようが無かろうが主人に黙って付き従うのが下僕の役目だろう」
衝撃の事実! リーチは影久の下僕だった!
「誰が下僕だ! 俺はお前の下僕になった覚えはねえ!」
リーチが勢いよく突っ込みを入れるが影久はニヤリと唇を歪めて眼鏡をクイっと上げる。
「ほう、これを見てもまだ同じことが言えるかな?」
影久はドヤ顔で一枚の紙片を掲げる。そこには稚拙な文字でこう書かれていた。
けいやくしょ
ぼく、かねだりいちは まみやかげひさの げぼくに なることを ちかいます
「……。何じゃこりゃあああああああああ!」
リーチの絶叫が響き渡る。
「うるさいぞリーチ、みんなが注目しているではないか」
「んなこたあどうでも良いんだよ! なんだこれは?」
鬼気迫る勢いで問い詰めるリーチだが、影久は涼しい表情で答える。
「ん? お前が幼稚園の頃にオレ様が書かせた契約書だが?」
「テメエは幼稚園児に何させてんだよ! ってか何でこんなん書いたんだよ幼稚園児の俺!」
鬼気迫る勢いで問い詰めるリーチに、影久は涼しい顔で答える。
「アメちゃんあげるって言ったら喜んで書いてたぞ。意味もわからずに」
「ちくしょおぉぉ!」
幼い頃のリーチは少々おつむが足りなかったようだ。
なんだかんだで食堂に到着する二人。影久は空いている席に腰掛けると足を組む。不遜な態度でリーチに小銭を投げてよこす。
「ハンバーグ定食だ! おつりはくれてやる」
「何様だテメエ! 第一俺はもう飯食ったからついででもなんでもねえぞ! しかも料金きっちりだがらおつりなんてねえよ!」
「ふん、誰がついでに買ってこいなどと言った? 貴様をオレ様の為に働かせてやろうと言っているのだ。光栄だろう?」
その後もぶつぶつと文句を言っていたが結局ハンバーグ定食を買ってきたリーチ。なんだかんだで下僕体質である。
影久は黒縁眼鏡をくいっと掛けなおすと目の前の熱々ハンバーグ定食にとりかかる。備えつけの小さなナイフでハンバーグを切り分けて口に運ぶ。国産牛百パーセントのこだわりハンバーグと食堂のおばちゃん特性のデミグラスソースが絡まりあい、絶妙のハーモニーも醸し出していた。基本無表情な影久も思わず笑みを浮かべる。
「ふむ、流石だな食堂のおばちゃん。我が高校はつまらん学校だが、唯一この食堂だけは誇ってもいいな」
影久が食堂の料理を絶賛する中、リーチは頬杖をついて「はいはいそーですねー」と適当に相槌をうっていた。
「ふう、ごちそうさま。堪能した」
両手を合わせて合掌。リーチと共に席を立つ。
「まだ昼休みは残ってるけど、どうする?」
リーチが腕時計を確認する。残り二十分と少し。なんとも中途半端な時間だ。
「リーチ、午後の授業はなんだ?」
「体育だけど?」
リーチの答えを聞いた影久は「ふむ」と頷き、
「そうか、ではいつもの如くサボタージュといくか。屋上で昼寝するぞ、ついて来い」
「俺も巻き添えか?」
じと目で影久を見るリーチに対し影久は
「常識だろ?」
そんな常識は聞いたことが無い。
「まあ良いけどよ。影久は他の授業はまじめに受けるのになんで体育だけは毎回サボるんだ?男子は普通、体育を楽しむもんだぜ」
リーチの問いに対して影久は馬鹿にしたような顔をした。
「試しに問うがリーチ」
「おう、なんだ?」
「貴様は幼稚園生と混じってサッカーやら野球やらをやっていて楽しいか?」
突然の質問、リーチはしばらく考えた後に答える。
「……いや、たぶん体力が違いすぎて楽しめねえな」
「そういうことだ。オレ様が貴様らと体育をしてもレベルが違いすぎて楽しくない。屋上で昼寝でもしていたほうが有意義というものだ」
大真面目にこんな事を言う影久があまりにイタイ人過ぎてリーチは無言で目を逸らした。
「む? 先客がいたようだ」
屋上の扉を開くと男女がなにやら良い雰囲気で話し合っていた。
「おっ? なんか面白そうだな、このまま様子見てようぜ影久!」
男女の恋愛話となれば黙っては居れぬ男子高校生の性である。
「あきれた男だな。だが貴様のそういうとこは嫌いじゃない」
悪い顔でニヤリと笑うリーチ。
事の成り行きをこっそりと見守ることに決めた二人。つまるとこ野次馬根性だ。
「おんや、よく見たら二年の宮本小次郎先輩と同じクラスの坂本龍子さんじゃないか」
「ふむ、坂本はともかく二年の生徒などよく知っているなリーチ。知り合いか?」
影久は何気なく尋ねたのだがリーチは、うわぁマジで聞いてんのコイツ的な視線を影久に向ける。
「不愉快だ、リーチのくせに何だその視線は。殺すぞ?」
「おいおい、お前が言うと冗談に聞こえないって」
「冗談などではない。さっさと先ほどの視線の意味を説明しないと、貴様のプライベート情報をネットに晒して社会的に死んでもらう」
「鬼かテメエ!」
「魔王だ」
現実的かつ最悪な脅しに恐怖を覚えたリーチであった。
「ったくテメエは……まあいいや。あの人は、黒凪高校剣道部の主将にしてその実力は個人戦で全国大会三位入賞を果たしたって所だ。何度も全校集会で表彰されてるから見覚えくらいあるだろ?」
補足説明としては、身長百八十センチ。体重六十七キロの筋肉質。短く刈り込まれた黒髪にさわやかな笑顔が印象のスポーツマンだ。
「いや、全く」
「オーケイ、すまん。お前に聞いた俺が馬鹿だった」
長々とため息をつくリーチ。見た目によらず苦労人である。
影久とリーチがこんな馬鹿な会話をしていると良い雰囲気で話し合っていた二人に変化があった。いつも嘘臭いくらいにさわやかスマイルを浮かべている宮本の顔がだんだんと険悪になっていく。そしてオロオロしだす坂本。
バシィッ!
屋上に乾いた音が響いた。鬼のような宮本の表情、赤く腫れた坂本の頬。宮本が坂本にビンタをしたのだ。今にも泣きそうな表情の坂本。しかし宮本は坂本の腕をつかみ、引き寄せてもう一度頬を張った。
「ちっ、やりすぎだろ!」
自称フェミニストのリーチが状況に耐えかねて飛び出す。風のように駆けたリーチは二人の間に割って入った。
「そこまでだぜ先輩よお!事情は知らんが女の子に手をあげるのは駄目だぜ!」
しかし宮本は尋常じゃない様子で目を血走らせてリーチを威嚇した。
「……お前には関係ない。どけよ一年」
「俺は女性に優しくが信条でね、このまま引き下がる訳にはいかないなあ」
上級生相手にも怯まないリーチ。宮本はイライラと一歩詰め寄って来た。
「どけって言ってんだよぉ!」
硬く握り締められた大きな拳がリーチに迫る。リーチは二、三発殴られる覚悟で歯を食いしばり、ギュッと目をつぶって衝撃に備えた。
一秒、二秒。しかしいつまでたっても身構えていた衝撃は襲ってこない。リーチは訝しげに薄く目を開いた。目の前では、すかした面をした影久が宮本の拳を手のひらで受け止めている姿があった。
「宮本とやら、仮にもコレはオレ様の下僕……つまりはオレ様の所有物だ。誰であろうとオレ様の物を許可無く傷つける事は許さん」
「所有物ってお前……まあ、いちおうサンキュー」
影久の口調は軽いものだったが宮本の拳をかなり強く握り締めているらしく、宮本は顔を歪めて間宮の拘束を振りほどいた。
拳を擦り、憎々しげに呟く。
「……テメエ」
「なんだ?喧嘩なら受けてたつが、はっきり言ってオレ様はかなり強いぞ? 止めといた方が利口だと思うがな」
影久の言葉に怒りの表情を見せた宮本だったが何とか自分を抑え込んだ。影久の武勇伝は二年の間にも広まっているのだ。
「チッ、覚えてやがれ!」
捨てゼリフを吐いて屋上を後にする宮本。屋上には静寂が残った。
「ったく、なんだアイツ。まあいいいや、大丈夫坂本さん?」
リーチの問いにビクッと肩を震わせた坂本。サラサラの黒髪をロングにして、思わず守ってやりたくなるような幼い顔の作り。間違いなく美少女に入る容姿の坂本だが、宮本にビンタされ、赤く腫れ上がった右頬が痛々しい。
「……大丈夫です。あの、ありがとうございました」
大丈夫とは言うもののやはりつらいのだろう。坂本の声は今にも消え入りそうな小さな音量であった。
「ふん、大丈夫で無いのは見え見えだ。まったく、なぜ貴様らはそうなのだ? 痛いなら痛いとはっきり言えばよいではないか。どうせ人間など下らぬ矮小な存在なのだ。つまらない意地を張るな、聞いていてイライラする」
容赦ない影久の言葉。そんな事を言われると思っていなかった坂本は目を丸くして「すいません」と反射的にあやまった。
「おい影久! 厨二病もTPOをわきまえろ! 坂本さんビックリしているじゃないか」
「だまれ無能。オレ様がいなかったら宮本にボコられてたくせに態度がでかいぞ。下僕は下僕らしく主人のやることに黙ってしたがえ」
影久はグイッとリーチを押しのけると坂本に近寄った。
「おい、オレ様の質問に答えろ」
「あ、はい。なんでしょうか?」
ズイッと顔を寄せてきた影久に、坂本は顔を真っ赤にした。黙ってさえいれば影久の顔面はそこいらのアイドルにも劣らないのだ。
「なぜ宮本にぶたれたのだ?オレ様の見間違いでなければ最初は良い雰囲気だったと思うのだがな」
オレ様に見間違いなどあろうはずは無いがな。とでも付け加えそうな高圧的な声音で質問する影久。
「……告白されたんです」
坂本の顔は羞恥で真っ赤になった。
「主将に屋上に呼ばれて。なんだろうって行ってみたら、いきなり好きだ付き合って欲しいって……別に主将が嫌いなわけじゃないんです。カッコイイし、強くて人当たりもいいし。でもいきなりだったんでビックリしちゃって、反射的に断ったんです」
「それでビンタされたと?」
「……はい」
それを聞いたリーチは憤慨した。彼の価値観からすれば女性は何よりも大切にすべき存在である。ふられたから女性に手を上げるなんて許しがたい行為だ。
「ちくしょうあの野郎! 今から追いかけて行ってぶん殴ってやる!」
「止めておけリーチ。お前が行ったところで返り討ちにあうだけだ」
いきり立つリーチを制して影久は坂本に向き直った。
「ひとつ聞くが、宮本は普段から怒ったら見境が無くなる短気な性格なのか?」
影久の問いに対して坂本はしばらく考えてから首を横に振った。
「いえ、普段の宮本先輩は怒りで我を忘れるような事は無かったです」
「……ふむ、なるほどな」
影久は一人で頷くと時計をチラリと確認する。
「協力感謝する。それはそうと坂本よ、そろそろ午後の授業が始まる。オレ様とリーチはサボるから問題ないが貴様は保健室に行くなり何なりしたほうがいいぞ」
「そうですね。では失礼します」
パタパタと走り去っていく坂本を見送りながら影久は思案顔で屋上の縁に腰掛けた。
「どうしたんだ影久?なんか考え込んでるみたいだが」
「ああ、なに、少し面白いことになりそうな気がするんでな」
ゾッとするような微笑を浮かべる影久。心なしかその場の気温が何度か下がったように感じられた。
黒凪高校の生徒を次々と襲う暴漢が現れたのはそれから数日後の事だった。




