4.
「情が移ったんだな」
とても安くて美味しいイタリアンレストランで、多少酒が入ったヴァルディエルはおかしそうにそう言った。
食事メインだがワインの品揃えが豊富で、ドリンクバーも味がいいので、下手な居酒屋へいくよりもいいと一部で評判のチェーン店である。耕治が今日はどちらかというとがっつり食べたいと希望したので、この店で一緒に夕食ということになった。
今日も今日とて、ヴァルディエルはサングラスをしている。モデルだから顔が知られていて、迂闊に外せないのだそうだ。しかし耕治の目にはどうひいき目に見ても完全に身バレしているようにしか映らなかった。グラサン一つで覆い隠せるような派手派手しさではないのだ。本人はまったく自覚していないようだが。
ちらちらと送られる好奇の視線と興奮したひそひそ話の声を完全にスルーして、当の本人は赤ワインをかっぱかっぱと空けている。つまみはモッツァレラチーズとトマトの前菜だ。オリーブオイルをかけただけのシンプルなものだが、チーズの濃厚さとトマトの爽やかさが互いを引き立て合ってすっきりと美味しい。
耕治はプロシュートを肴に、ワインをちびりと一口飲んだ。
「移ったんですかねぇ」
「移ってんだろ。完全に」
「……そうですか」
物憂い気持ちでフォークを回し、パスタを絡める。男二人なので、遠慮せずペペロンチーノを注文した。疲れたときはニンニクに限る。
「別に悪いことじゃない。過剰な思い入れはどうかと思うがな」
「そこまではいってないと思います」
ヴィラニカは、何となく放っておけない。だから気が向いたら世話を焼く。その程度の認識だ。たとえるならば、近所でよく見掛けるよその子犬みたいな感じだろうか。
「詳しい事情はよく知らないが、ずっと一人で傾きかけた国を守ってきたそうだ。腹違いの兄二人は無能で権力争いばかりやっていて、家臣もそんな二人に阿る奴が多かったとか。異母弟二人は協力的で仲がいいが、それぞれ事情で離れて過ごしていたらしい。あ、あと父親が魔王だったな」
「魔王」
「うん、魔王」
何だかすごい話を聞いた気がするが、今は詳しく知りたいとは思わなかった。今日は木曜日で仕事帰りだからだ。金曜日ならばそんな気も起きたかもしれない。
「あそこがまともに国としての機能を取り戻したのは、そういうわけでつい最近だ。部下もまだまだ人手不足。耕治みたいなオールマイティの人材は貴重ってわけだな」
「ありがたいですね」
「……魔王には突っ込まないのか?」
「長くなりそうなので」
「ドライだな」
「だってまだ週末まであと一日ありますから」
一週間のうち一番気持ちがしんどいのは、たっぷり休んだ月曜日よりもむしろ木曜日だと耕治は思う。ついでに火曜日と水曜日も場合によっては辛い。
「ああ、このエスカルゴ美味しいですね」
「真いかもなかなかだぞ」
ヴァルディエルもあっさり話題の転換に乗ってきたから、特に急いで話さなければならないようなことでもなかったのだろう。耕治はそう考えることにした。
深入りはしない。職場における人間関係では、それが一番大事。耕治がこれまでの仕事の経験で学んだことだ。
今の上司は、律儀に何にでも礼を言う人。安い品物でも、心から喜ぶ人。
でも、それだけだ。
それだけ、なのだ。




