木の葉を隠すには
小難しそうな書物に囲まれた重苦しい空気漂う室内で、天音は独り、至福の時を過ごしていた。
こんな常人ならば息が詰まりそうな空間も、天音に取ってはパラダイスだ。
「えぇ……っと。どれにしようかなぁ」
まるで好きなものだらけの食卓で、何から食べるか迷っているような、嬉々とした顔をして本棚を見上げる天音。
「何だろう……コレ」
見慣れぬタイトルの本に惹かれ手に取った天音は、本をペラペラとめくってみる。
『不安を努力に変えた者のみが、自信を手にすることが出来る』
『人を貶めれば己の価値が下がる。人を憎めば己が醜くなる。人を恨めば己が地獄に墜ちる。人を愛すればこそ、真に己を愛せる人になる』
誰かの名言集のようなものらしく、何処かで聞いたことがあるような格言が並んでいた。
「……なるほど」
その内容に一々共感する天音。
本に記されている一言が強い衝撃を与える。
「誰の本だろう……」
天音は本の表紙に目を戻すと著者の名前を探す。
『小日向 雛子』
その名を見た瞬間、感動が一気に冷めてしまい、パタンと本を閉じて元の場所に返した。
時間を無駄にした。
そんな気分が身体の中に沸々と沸き上がる天音の視線の先に、綺麗に整頓された本棚の中で違和感を放つ一冊の本があった。
その一冊だけが他の本よりも低く、背表紙にタイトルもないのがとても異様に感じた。
「何だろう……」
興味が抑えられず、手を伸ばして取り出す。
何の装飾もない深い緑の表紙で、やはりタイトルはない。
天音はゆっくりとページを捲った。
『長い人生の中で、私が得た教訓は、迷った時は無闇に動かないことだ。
勝機を見極め、逃さないために、頭だけを使い、時を待て。
打開のヒントは必ず近くにある。
答えは目の前にあるものなのだ』
手書きの文字で記された筆跡は、景の祖父のもののようだ。
「答えは目の前に……」
小さく呟いた天音が何か気づいたらしく、片側の口角が上がる。
「面白いこと考えたわね……景ちゃんのお祖父様」
天音は本を元の位置に戻し、部屋を後にした。
* * * * *
「コッチだよ!」
いかにも大事な物がありますと言わんばかりの鉄製の扉の前で、景が二人を手招きする。
「ちょっと待っててね」
二人を待たせて、景は扉の横のカメラに背伸びして顔を近付けると、ピピピッと電子音が鳴った。
「顔認証?」
「家の中に?」
麻里佳と塩谷が呆気に取られた間抜けな顔を向けあっていると、景がドアノブ横の黒い板に右手を合わせる。
プシュッ……。
扉の中から空気が撃ち出されるような音がした後、扉が少しだけ手前に出てくる。
「……ルパンでも来るのかしら」
「月影財閥なら来るかも知れないな……」
自分たちとの世界の違いに、もはや感覚が麻痺し始めた麻里佳と塩谷は、景が開けてくれた扉から中へと入る。
「「うわぁ……」」
庶民の子の二人の感嘆の声がシンクロする。
鮮やかな黄色の床を囲むように、目に優しい緑色の壁があり、そこに飾られた絵画をはじめ、彫刻、陶磁器など美術品の数々が所狭しと並んでいる。
その骨董の価値が分からない子供にも、それが美しいものだと分かる。
「これはくるわ」
「これはくるな」
小さな美術館に来たような気分の二人が、ゆったりと観賞していると、
「コッチだよ!」
稀少な芸術品には目もくれず、景が激しく手招きする。
庶民代表児童の二人が景の下へと着くと、目の前に小さなテーブルのような彫刻があった。
「景ちゃん、何コレ?」
表面は艶々と光沢があるものの、テーブルとしては形が歪で使い勝手が悪そうだ。
「さるのこしかけだよ」
そう紹介する景に、塩谷が異を唱える。
「月影、さるのこしかけはキノコだろう? これは欅で出来てるじゃないか」
「塩谷くん、よくコレが欅だって分かったね」
景は不敵な笑みを浮かべて塩谷を見る。
「そう。これはお祖父様が昔に採ったさるのこしかけのレプリカなんだよ」
「レプリカ?」
塩谷が不思議そうに欅の塊を見る。
「さるのこしかけは木を腐らせて成長するから、本物は置いておけないから」
「それにしてもわざわざレプリカ作らなくてもいいんじゃない?」
麻里佳が尤もな意見を言うと、景は影のある笑顔を浮かべた。
「珍しいサイズで嬉しかったみたいだよ。なかなか見つからないし」
「お金持ちってお金の使い方が独特なのねぇ……」
富豪と平民の感覚の違いを改めて感じる麻里佳に、塩谷が囁く。
「佐藤、ここ怪しいぞ」
塩谷の指差す方を見て首を傾げる麻里佳に、痺れを切らせて塩谷が言う。
「よく見てみろ、この部屋の中を」
塩谷に言われ、周囲を見渡す麻里佳と景。
美しい絵画や彫刻に、ウサギのぬいぐるみ、雉の剥製、龍の彫刻、蛇の標本……ガラクタが混じるのを見て、麻里佳がハッとする。
「……何かおかしい」
「そうか! 分かった」
景が手を叩いて叫ぶ。
「干支だね? 塩谷くん、干支が混じってる」
「気づいたか、月影」
塩谷が景に微笑むと、麻里佳もそれに乗じる。
「よく気づいたわね! 景ちゃん」
飽く迄も自分も気づいてましたと装いながら、麻里佳が景の肩を叩く。
「このヒヒがさるのこしかけだとして、死の傍にある場所と繋がるのは……」
「死って言うのが死ぬの死じゃないんだとしたらどうだろう?」
「しを言い換えると、四、詩、師、士……」
「それだ!」
塩谷が目を見開いて、景を指差す。
「分かったぞ! 宝の在処が!」
塩谷の言葉に、麻里佳と景が驚く。
「何よ、突然……びっくりするじゃない」
「塩谷くん、本当に分かったの?」
訝しげな麻里佳とは対照的に、景は塩谷に憧憬の眼差しを送る。
「でも、伊織川の意見も訊きたい。呼んで来よう」
「面倒だけど、大樹も呼ぶか」
「お祖母様にも教えてあげたいな」
いよいよ大富豪が隠した財宝が近いと感じ、三人の興奮は抑えきれないほどに高まっていた。
「じゃあ、ここに皆を集めよう! 話はそれからだな」
三人は部屋を駆け出して行った。
謎という霧に包まれた大いなる遺産をつまびらかにするために。