亡き祖父の日記
駆け足で天音たちが部屋に入ると、二十畳ほどの洋風な部屋の中は、壁を天井近くまである本棚が並んで埋め込まれ、分厚い書籍がぎっしり詰まっていた。
「……スゴい! ドイルの初版本! カーの初版もある!」
数々の価値ある書物に、瞳を爛々とさせる天音の他の子供らは、まるで関心を示さずに天音に好奇な目を向けている。
「あ・ま・ね! 仕事しようね」
麻里佳がジト目で天音を見ながら、豪華なデスクをコンコンとノックする。
「ゴメンゴメン……」
天音はバツ悪そうに頭を掻きながら、デスク周りに集まっている景たちの下に駆け寄る。
「ここに挟まってたの」
景が物々しい本棚の書籍の中から、一冊を取り出して開いてみせた。
「これは……日記ね」
「そうなの……亡くなったお祖父様が書いていた物なんだ……」
牛皮を鞣した仰々しい表紙の日記帳を感慨深げに目を落とす景の瞳には、涙が滲んでいた。
「読ませてもらってもいいかな?」
遠慮がちに景に了解を取る天音に、景は精一杯の笑顔を向けて「うん」と快諾した。
その刹那、景の瞳に留まっていた雫が頬を伝う。
「景ちゃん……」
天音が気遣うように声をかけると、景はこぼれた涙を白い指先でスッと拭い、天音に日記帳を差し出す。
「ありがとう」
日記帳を受け取った天音は、あの手紙が入っていたであろう真っ白な封筒をずらし、開かれたページに目をやる。
六月二十四日――。
私も七十歳を迎えた。
これまで仕事一筋に生きてきた私も、息子に跡を譲り渡し、穏やかに過ごせる時間が出来た。
思えば、私は世界中を忙しなく駆け回り、様々な物を見、聞き、そして手に入れてきた。
人生も終焉が近付いた今になり、とうとう我が念願が叶った。
世界を巡り、ようやく見つけ出したこれを、二度と手放すことはないだろう。
願わくは、我が最愛なる妻子、孫らにも、その手でこれを見つけ出して欲しい――。
日記を一息に読み終えた天音は、ページに栞代わりに挟んであった封筒を摘まみ、光に透かす。
「……中には何もない……か」
天音は封筒を元のページに戻し、日記帳を閉じると景に返した。
「もういいの?」
日記帳が意外に早く返されたことに、きょとんとする景に、天音は静かに頷いた。
「……で、どうなの? 名探偵」
麻里佳が天音を急き立てるように見解を求める。
「そうね……どうやら景ちゃんのお祖父様は何かを手に入れて、それを何処かに隠しているみたい」
「財宝か?」
身を乗り出して詰め寄る塩谷に、天音は首を横に二、三度振って答える。
「それはどうか分からないけど、それを家族に見つけて欲しいようね……」
「……お祖父様」
天音の言葉が景の胸に刺さる。
「そうと決まれば、すぐに捜索開始よ!」
麻里佳が悲しげな空気を吹き飛ばすかように、高々と拳を突き上げる。
「それにはまず、あの暗号を解かなきゃな」
麻里佳の突発的な行動を制するように、塩谷が口を挟む。
「じゃあ、これ」
景が例の紙を麻里佳に渡すと、麻里佳は拡げてデスクに置く。
それを囲みながら、麻里佳、塩谷、景が捜査会議を始めた。
「……死の傍にある場所……か」
「お寺とか墓地かな?」
「ウチの近くにはお寺はないよ? お祖父様のお墓も遠くだし……」
探偵クラブらしく推理を始める麻里佳と塩谷に、羨望の眼差しを送る景の横では、天音が本棚に目を奪われている。
「……天音? 何してるのよ」
真面目な推理に参加しようとしない天音に、少し苛立つ麻里佳が、天音を鋭く睨み付ける。
「いや……」
麻里佳の威圧的な表情に萎縮する天音を見て、塩谷の頭に何かが舞い降りた。
「そうか! 隠し扉か」
塩谷が天音の態度に合点がいったように膝を打つ。
「ファッ?!」
あまりの突拍子のなさに天音も思わず変な声を上げた。
「そう言えば、何かの小説で読んだことある! 本を動かすと、本棚が動き出して隠し部屋の入口が現れるって話!」
「盲点だったわー。流石は天音ね」
塩谷の突飛な発想に景や麻里佳も乗ってくる。
「ちょ……違っ……」
天音が慌てて止めるが、三人は取り憑かれたように本棚に群がり、次々に本を取り出し始める。
「止めなさいっ!」
天音が貴重な書籍を乱雑に扱う三人に雷を落とす。
「思い出しなよ! あの文面の中に『本』を匂わせるワードがあった?」
「ありませんでした!」
こめかみに血管を浮き出させて叱り飛ばす天音の剣幕に、麻里佳も塩谷もいつものことながら、畏怖の念を抱く。
その横にいた景もクールな天音しか知らなかった故に、そのギャップに恐怖を覚えた。
「そもそも、隠し場所に答えが書いてある暗号を置いておく人なんか、いると思うの?」
「思いません! すみませんでした!」
腕組みして仁王立ちする天音に、整列して頭を下げる三人。
「まったくもう……」
ぷりぷり怒る天音が散らばった本たちを丁重に拾い上げながら、本棚の中に戻していく。
「はぁ……」
溜め息を吐きながら黙々と作業する天音を眺める三人を、天音はキッと睨み付けて言う。
「恐らく、景ちゃんのお祖父様が隠したものは、この屋敷の中にあるはずだから、アンタたちは景ちゃんと一緒に探して来なさい! ここは私がやっておくから」
シュンと意気消沈する麻里佳と塩谷とは対照的に、切り替えの早い景は、天音の推論に根拠を求めた。
「お祖父様の宝物がこの屋敷あるって本当?」
景の素朴な疑問に快活に答える。
「景ちゃんのお祖父様の意図から察するに、家族に見つけてもらいたいなら、いつも見ている光景の中にヒントがあるはずよ」
「いつも見ている光景?……」
「そう考えると一番馴染みのある場所……つまり、自分たちの家である可能性が高いのよ」
天音の理知的な理論に説得力を感じた景は、ポンと手を打った。
「なるほど! じゃあ、家の中の何処かに文面と合致する場所があるってことなんだね!」
「恐らく……ね」
謎解きの取っ掛かりができてモチベーションが上がった景を含む、三人の子供探偵は暗号が書かれた紙を手に、意気揚々と部屋を出ていく。
それを見送った天音は、床に落とされた哀れな本たちを拾う作業に戻った。
「天音」
背後からの突然の声に、ビクッと身を跳ねさせた天音が振り返ると、麻里佳が腰に手を当てて訝しそうに立っていた。
「何? 麻里佳……」
麻里佳の異様な雰囲気に怖じ気づく天音が、暗黒のオーラを発している麻里佳に訊ねる。
「天音! ホントはもう分かってるんじゃないでしょうね!?」
「分かんないよ!」
「本当に?」
やけに食い下がる麻里佳にタジタジになる天音。
「景ちゃん家に来たのは私も初めてなんだよ? しかも、入った部屋はここだけだし、ここならもう私が見つけてるよ?」
天音の言葉を信用したのか、麻里佳は渋い顔をしながらも頷いて、景たちの後を追う。
「何なのよもう!」
麻里佳の態度が腑に落ちない天音は、気を取り直して片付けに入る。
「……手柄を独り占めしたら、マジで怒るからね」
部屋の出入口からひょっこり顔を出している麻里佳に気づき、怒りが頂点に達した天音がクワッと目を見開いて怒鳴りつける。
「さっさと行きなさい! 私もマジで怒るわよ!」
「はい~ぃ!」
一目散に逃げ出す麻里佳を確認した天音は、ニヤリとほくそ笑んだ。
「さて……んじゃ始めますか!」
天音はウキウキしながら本棚を見上げた。