ギデオンとの夕食
†‖:登場人物紹介:‖†
ファントレイユ・・・19歳。ブルー・グレーの瞳。
グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。
王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。
ソルジェニー・・・アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。
少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし
孤独な日々を送っている。
ギデオン・・・19歳。小刻みに波打つ金の長髪。青緑の瞳。
ソルジェニーのいとこ。王家の血を継ぎ、身分が高い。
近衛准将。見かけは美女のような容貌だが、
抜きん出て、強い。筋金入りの、武人。
その翌々日の夕暮れ、護衛の職務に王子の部屋を訪れたファントレイユは、ソルジェニーの自室のソファに掛けるよう勧められ、腰を落ち着かせる間も無く王子の質問責めに合った。
王子は向かいに掛け、手ずからお茶を入れて差し出したものの、ファントレイユに向けて一気に口を開く。
だが矢継ぎ早に尋ねる、頬を紅潮させて興奮の面持ちで返答を催促する王子を尻目に、ファントレイユはソファの向こうにしつらえた、またそっくり手の付けて居ない冷め切った夕食のまるっと残った食卓にその視線を落とし、ぼそりとつぶやいた。
「…王子。また食欲が、おありじゃないんですね…」
出かけた日の翌日、ファントレイユから軍務で護衛に付く事が出来ないとの連絡が入りその翌日…つまり今日。
夕食時にしか来られない。とソルジェニーの元にファントレイユからの使者が訪れた。
じらされ切った王子はその後どうなったか、知りたくてたまらなかったのだ。
ファントレイユは手短に話した。
確かに昨日来られなかったのはかの女性の家を訪問し、今ではすっかり見慣れた妹を溺愛する兄の取り次ぎで、問題の女性に会ったと。
だが彼女はガンとして、スターグの子供を身ごもっていると引かなかった。
そしてどうしてもスターグと会いたいと言い出し、ファントレイユは兄を説得し、自分が立ち会い、席を立たないからと約束し、妹を連れ出した。
彼女がスターグに惚れ込んでいるのは明らかで、スターグの冷たい態度にそれは打ちひしがれていた。
だがファントレイユは彼女に、脈の無い男を追いかけるのはうんと馬鹿げているし、スターグはとうてい夫にも父親にも向かず、彼が責任を取った所で決して幸せにはなれないと言い続けた。
そんな風に必死で説得するファントレイユに、彼女は心惹かれたらしい。
ファントレイユの気が自分にあると勘違いした彼女は、自宅へ送る途中とうとう、自分は身ごもってなんかいないしスターグの事は忘れるから、これからは自分の事だけ見て欲しいとファントレイユに告げ、彼をそれは困らせたらしい。
「…それで、どうしたの?」
ソルジェニーが聞くと、ファントレイユは頭を抱えた。
「どうもこうも、ありませんよ…。
身ごもって無いと証明出来るのかと聞いたら出来ると言い出し、彼女に、兄の前でそれを言ってくれるよう説得したのは良いんですが…。
その後がね…」
「……後?」
「彼女の兄が妹の狂言だと解って胸を撫で下ろした所でその妹は、自分はあんな男は忘れて私と付き合うと言い出すものだから…」
「…それでファントレイユは、彼女と付き合う事に成ったの?」
ファントレイユは優雅な面持ちを少し青冷めさせてつぶやいた。
「冗談でしょう?
出来ない事を出来るだなんて、私は死んだって言いません。
勿論、きっぱりと言いましたよ。付き合えないと」
「………でもその場でそんな事を言ったりしたら、凄く大変な事になるんじゃない?」
「…覚悟は決めていましたからね。
ともかく私には思う相手がとっくの昔にいるし、彼女以外は考えられないから、どうしても付き合う事は出来ない。
とそう言って彼女の兄に、殴るなり蹴るなり、したいなら好きにしろと開き直ってやったんです」
「無事収まった?」
「私はどこか、痛めてますか?」
ファントレイユがようやく微笑むので、ソルジェニーも笑った。
「…ファントレイユの誠意が、お兄さんに通じたんだね?」
「泣き言に、付き合った甲斐があったというものです」
ファントレイユの、その珍しく疲れた様子に、ソルジェニーは心配げに尋ねる。
「…大丈夫ですか…?」
ファントレイユはその王子の伺うような様子に途端、笑うと
「スターグに思い切り、あんな安酒場の夕食なんかじゃ全然割に合わない!
と愚痴ってやりましたからね」
ソルジェニーも釣られて笑った。
でもふと、思い返しささやく。
「…ファントレイユは彼女じゃなきゃダメな程の、想い人が居るの?」
ファントレイユはその美貌で軽やかに微笑む。
「…ああ、それは勿論、嘘です」
ソルジェニーは途端目を、ぱちくりさせた。
その王子の様子を目にし、ファントレイユは少し気まずい笑みを浮かべた。
「…それ位は言わないと、納得しないでしょう?だって」
「…だがそんな嘘はお前の評判を聞けば、すぐバレると、思うがな」
ふいに後ろからギデオンの声がして、二人して振り返る。
そこに居るだけで一気に場が華やぐ程の、鮮やかな波打つブロンド。
一瞬見入ってしまう、綺麗な小顔。
が堂とした態度は明らかに武人のそれだった。
ソルジェニーはギデオンの登場に心が騒いだが、確かに自分の護衛を務めている間、目立ちまくっているファントレイユを思い浮かべ
『ギデオンの、言った通りかもしれない』
と、また心配げにファントレイユを覗き込む。
ファントレイユはだが気に掛ける様子無く、ギデオンのその姿に笑いかける。
「…ご心配ありがとう!
だが彼女は暫くして言い寄る男が出てきたら、すぐに私の事なんか忘れるさ!」
ギデオンはじっと、ソファにかけてそう微笑みかけるファントレイユを見つめると、ぶっきら棒につぶやく。
「…君くらいの美貌の男が、女性に簡単に忘れ去られるとは到底、思えないが」
ファントレイユがその言葉にあんまりまじまじとギデオンの顔を見つめるので、ギデオンは途端、罰が悪そうな顔をし問い正す。
「…私はそんなに、間抜けた事を言っているのか?」
「いや…?君にそんな風に思われてるなんて、知らなくて意外だった」
ファントレイユの返答に、ギデオンはほっとしたように肩をすくめる。
「どうして私だと意外なんだ…!
第一これは、ヤンフェスやマントレンの意見だぞ?
私も彼らに、同感だと思っただけだ」
ヤンフェスとマントレンの名を聞き、ファントレイユが気遣わしげにギデオンを、見つめ尋ねる。
「…彼らと、話したのか?」
ギデオンは二人の斜め横のソファに腰掛けながら、ファントレイユの、自分の顔色を伺う様子に気づいたものの、とぼけた。
「随分な騒ぎだったからな…。
いくら近衛の兵舎だって、抜刀したまま昼日中俳諧する奴は、珍しい」
腰を降ろし様、手を胸の前で組む。
「…そうか………それでその……」
ファントレイユはギデオンがどこに話を持っていくのか、見当がついてそっと彼を伺い見る。
ギデオンは意地悪く笑うと
「…君の、お手柄だ。
さすがに日頃流血は嫌いだと言い張るだけあって、スターグの理不尽な斬り合いを押し止めた事は、誉めてやる」
ソルジェニーはギデオンの言葉を真に受けて、顔を輝かせてファントレイユを見たが、ファントレイユはギデオンの、滅多に口にしない
『誉めてやる』
という言葉に更に警戒を強め、彼が影で“猛獣”と呼ぶその男の言わんとする事柄の落ち着き先を、慎重に見守った。
ソルジェニーがファントレイユの身構えた様子についもう一度ギデオンの顔を、その理由を探るように振り返る。
ギデオンはファントレイユが、もう自分が何を言い出すのか察しがついていると踏んで、彼に向かって笑った。
ソルジェニーが見た事の無いギデオンの笑顔だったが、ファントレイユは良く、知っているようだった。
背筋が、凍り付くような笑顔だ。
「…つまり…二人はしゃべったんだな?酒場にその………」
ギデオンはファントレイユの言葉を、遮って言った。
「少女を伴って来たそうだな。
知り合いの、親戚だそうだが、その知り合いとは私の事だろう?」
ファントレイユは、ヤンフェスとマントレンがギデオンの猛獣振りを熟知していて、裏切るとはどうしても思えなくて、もう一度聞き返した。
「…それも、マントレンとヤンフェスか?」
「いや?別口だ」
ファントレイユはやっぱり…とは思ったが、酒場で連れの少女を王子だと気づかない間抜けが、迂闊にギデオンの前で口を滑らせたのだと解り、心の中で舌打った。
ソルジェニーも、彼を少女と間違えた酔っぱらいの隊員を、思い返してた。
…安酒場に、よりによって厳重警護が必要な、それは国にとっての重要な身の上の王子をお忍びで連れて行った事がギデオンにバレて罰の悪そうなファントレイユの、下を向いて眉を寄せる様子を目にし、ソルジェニーは慌てて庇うように叫ぶ。
「ギデオン!
私が頼んだ。ファントレイユに。
もっと、素朴な物が食べたいって!」
そう、可愛いソルジェニーに必死に言われ、ギデオンはふ、と冷め切った夕食の乗ったテーブルに視線を向ける。
途端、ギデオンの顔が心配げに曇った。
「…食べて、無いのか?」
王子を見つめ、密やかな声音でそう言い、ファントレイユに視線を移す。
ファントレイユは彼の気遣わしげな碧緑の瞳に、そっと肩を、すくめて見せた。
ギデオンはファントレイユに、神妙な表情を見せて静かに侘びた。
「…すまない。君はソルジェニーに、気を使ったんだな?」
ファントレイユはその猛獣が、この小さないとこに弱い事を知ってはいたがこうもあっさりと兜を脱ぐ様に、つい顔を、上げる。
その、彼の気遣いに素直に侘びる表情を向けた、身分の高い尊大な男のその愛情の深さを思んばかると、俯いてささやく。
「…いや…。
私も彼の約束に、うんと遅れたので償いがしたかっただけだ」
ギデオンはファントレイユが、批難する事無く自分の非を理由に上げ、詫びを入れるその誇りを気遣う様子に少し、感謝するように頷くと、一つタメ息を付く。
「…それで今夜も、食欲が無いのか?」
ソルジェニーは答えず俯き、ファントレイユが代わりにつぶやいた。
「…その様だな………」
ギデオンはまた一つ、ため息を付くと
「だが、安酒場は頂けない。
もう少し上品な酔っぱらいの居る店を知っている。
馬鹿高いが、田舎料理も置いてある筈だ。
護衛の他に私も同席すれば、文句も出まい」
ソルジェニーはそれを聞いて一気にはしゃいで顔を輝かせると、出かける支度をしに、部屋を飛び出して行った。
ファントレイユが顔を上げ、ギデオンをまじまじと見る。
「…君、本当に王子には甘いんだな」
ギデオンはファントレイユに見つめられ、更にもう一度、大きなため息を付いた。
「甘くも、なるさ………。
君も様子を見ていたら解るだろう?」
ファントレイユも思わず、同意に頷く。
ギデオンはそんなファントレイユの、少し青冷めてやつれた珍しくしおらしい姿を目にし、椅子から身を乗り出し伺うように見つめ、訊ねる。
「それで?
今日も別件でゴタついて、君は疲れていると言うなら私が引き受けるが」
が、ファントレイユは顔を上げて途端明るく、笑った。
「…君の奢りで夕食にありつける、滅多に無い機会から私を、閉め出す気か?」
ギデオンがその笑顔に、釣られて笑い返した。
ギデオンはソルジェニーが一人で馬に乗る事を許さず、自分の馬の前に乗せてソルジェニーの後ろに跨った。
王子はそれは巧みに馬を操るのに…。
ファントレイユは馬上で手綱を取って二人の様子を眺め内心思ったが、王子はギデオンと同乗するのがそれは嬉しいようで、はしゃいだ様子で幾度もギデオンを振り返っては話かけ、ギデオンもそれは優しい表情を作り、王子の言葉にやっぱり、今まで一度だって聞いた事の無い、柔らかな声音で微笑みながら返答していた。
いとこ同志なだけあり面立ちの良く似た二人は、ギデオンの方が濃い黄金色の長い髪を肩に背に垂らし、ソルジェニーはそれよりは薄い金髪を背に流して、素直そうな青の瞳で、そのくっきりとした碧緑色のギデオンの瞳を、後ろに振り向いては見つめ返す。
…共に小顔で色白で、まるで少女のような王子と、近衛では半端無い睨みを効かすギデオンのそのとても優しげな表情に、普段からあまり男性に見えない美女顔も伴い際立って美しい、男装の姉妹のように目に、映る。
ファントレイユは何度も、自分の見ている光景が信じられなくて目を擦りたい衝動にかられたが、幾度目かでとうとう自分に言い聞かせた。
『そりゃあ、一度もお目にかかった事なんて無い猛獣のくつろいで愛情溢れる姿だが、いい加減見慣れろ!
それに彼があんな顔を見せるのは、王子に限定されているんだ。
と、肝に命じて置くんだぞ…!』と…。
だんだん建物の少ない外れにやって来て、ファントレイユも確かにこの辺りに上流の連中の使う、馬鹿高い店があった記憶が戻って来た。
が、二股の道の、右にギデオンが馬の首を向け進むのを見
『あれ?こちらだっけ…』とぼんやりと、考えていた。
だが案の定暫く進むと、人っ子一人通らない道の両端を木々が被う、暗く人気の無い道に出る。
が、その少し先の左へ細い枝道の伸びた分かれ際の木の枝に、看板がぶら下がっているのが月明かりで解った。
「…どうやら、ここを入るらしいな…」
ギデオンは言って、馬をそちらに進めたが、ファントレイユは彼に問い正したかった。
本当に、こちらでいいのかを。
なぜならひどい、胸騒ぎがしたからだ。
確か……。自分の記憶が、確かなら………。
だが暗い木立を抜けて少し広い場所に出ると、屋敷が現れる。
あまり立派で無い、どこか寂れた感じのする鉄飾りの門を潜るギデオンに声を掛けようとするが、彼はソルジェニーと楽しげに話し込み、門を目にしたかどうかも、疑わしい。
建物の前にある厩に客達の何頭もの馬が繋がれ、ギデオンはさっさとそこに馬を付けて降り、両手を広げてソルジェニーを受け止める。
ファントレイユは横に馬を入れると、振り向きもしないギデオンを、今度は捕まえようと手早く馬を繋いで後を、追う。
先を歩くギデオンはやはり、ソルジェニーとの話に夢中で、数段ある階段に足を乗せようとしていた。
ファントレイユは、店の入り口を見る。
確かに店のようではある。
が、とうてい上流と言うにはあまりにも質素で、素っ気無い店構えだった。
「…ギデオン、あの……」
ファントレイユがとうとう声を掛けた時には、ギデオンはもう二、三段ある階段を上がりきり、王子の肩を抱いて店の戸を開け中へと、消えて行った。
ファントレイユが一つ吐息を吐き、仕方無しに後に続いて店の戸を開ける。
…彼の予感は的中した。
そこはどう見ても悪党どもの巣窟のような柄の悪い酒場で、人相、目つきの悪い30人も居るかと思うごろつき共が、入ってきたいかにも品の良い三人を、一斉にじろりと見つめたからだった。
ファントレイユがギデオンの肩を掴んで店を出ようと言い出す前に、戸口の横に居た男がファントレイユの後ろでバタンと音を立てて扉を閉め、振り向く彼のやさ男ぶりに、にやにや笑って
『文句があるのか』
と太い腕っぷしを、めくって見せた。
そしてソルジェニーの肩を抱くギデオンとファントレイユの間に別の男が割って入ると、ファントレイユに向き直り、睨め付けて言った。
「…二人も別嬪を連れてるなんざ、流石にお上品な色男は違うな…!」
それを聞き、ファントレイユは心の中で
『この男は終わった』
と、思ったがその通りだった。
「…誰が、別嬪だ……!」
ギデオンがいきなり振り返ると、男の返答を待たず瞬間殴り倒す。
がっ……!どたん…!
床に埃の浮く倒れっぷりを、酒場の男達が黙して見守る。
皆の目が一斉に、殺気でぎらついた。
ギデオンはそれに気づき、咄嗟にファントレイユに視線を投げ、ファントレイユはそれを受け取ると急いでソルジェニーの細い肩を、抱いて引き寄せる。
ソルジェニーは、ギデオンの時は全然何て事が無かったのに、いきなりファントレイユのその密やかで逞しい、引き締まった胸元に抱き寄せられた途端、こんな場合にも関わらずに心臓が高鳴り頬が熱くなって、戸惑った。
ファントレイユはそのまま王子の肩を抱いて店を出ようと急ぐが、戸口に居た男は二人を出すまいと、彼らと戸の間にそのでかい図体で立ち塞がる。
ソルジェニーはファントレイユの、血を見るのも殴り合いも大嫌いと言う言葉を思い出し、ファントレイユよりもうんと逞しい、筋肉で出来たようなごつい面構えのでかい男を見てぞっ、と体が震え、腕に抱かれたファントレイユの面を、そっ。と、見上げる。
ファントレイユはいつもの軽やかさは微塵も無いきつい透けるブルー・グレーの瞳で、相手を睨め付けていた。
とん…。
ソルジェニーを軽く押して自分から離すと途端、飛んできた拳を軽やかにかわして男に、くるりと背を向けるなり、向かってくる男の脇腹に屈んで肘を真後ろに、思い切り突き入れる。
さっと身を翻し、腕を伸ばしてソルジェニーの肩を抱くなり、脇を押えて膝を折る大男の横を素早く通り過ぎ、扉を開け様駆け出す。
戸を蹴立て、階段を飛ぶように二人一緒に駆け下りるが、後ろからはばたばたと後を追う男達の足音が聞こえ、ファントレイユはソルジェニーの肩を抱いたままゆっくり後ろに、振り向く。
追っ手は三人居た。
三人共がどう見ても盗賊のように薄汚い身なりの、下品で卑しい顔をしていた。
一人の、腹のせり出した男が口に長い楊枝を銜えたまま唸る。
「…色男さんよ。その子を置いて行きな…!
そしたらあんたは無事、逃がしてやる…」
ソルジェニーはファントレイユを見たが、ファントレイユは聞く気が全然無いような、やはり真剣な表情で腰に帯刀した剣の柄に手を掛け、剣をすらりと抜き去った。
三人は彼の容貌と、自分達より華奢な体格ににやにや笑うと、無駄なあがきをするもんだと、同様剣を、抜いて見せる。
ファントレイユは腕に抱くソルジェニーをそっと、自分の背に回し入れながら囁く。
「私の、背中から出ないようになさい。
いいですね?」
ソルジェニーは頷いたが、ファントレイユの視線は直ぐに正面の三人の男に、注がれた。
男達はファントレイユがかかってくるのを待っているようだったが、ファントレイユが動く気が無いのを知って、右の一人が先に斬りかかる。
ソルジェニーは目を固く閉じたが、ファントレイユの背中は動揺する気配が、無い。
ソルジェニーに左腕を回し後ろ抱きにし、ソルジェニー事さっ、と飛んできた剣を首を傾けて避け様体を屈め、空いた男の腹に素早く剣を突き入れた。
男があまりの早業に、剣で突かれ痛みに呻いて体を折ると、ようやく残りの男達の、顔色が変わる。
「…野郎……!」
もう一人が斬りかかり、カン高い剣を交える音がする。
ファントレイユがソルジェニーを後ろに抱いたまま、チラリと倒れた男がもう立ちあがる様子が無いのを確認し、そしてもう一人、控えている男の様子を伺いながらも片手で相手の振ってくる剣を、少したどたどしく受け止める。
ソルジェニーは彼の背後からその様子を見守る。
が、ファントレイユは斬りかかる男の激しい勢いに圧され、防ぐのが精一杯。のようにぎこちなく、がつんがつん言わせる激しい剣をその、ごろつき共からしたら細く見える腕で必死の形相で防ぐ、ふりをしながら、ぎりぎりの所でしっかと受け止め、巧妙に相手の隙を伺っている様子が、解った。
右が、ガラ空きだ…!
ソルジェニーがそう思った瞬間、ファントレイユの剣が、右にさっと飛んだ。
「うがっ…!」
油断しきっていた男は咄嗟の剣の素早さに対応出来ずに斬り込まれた右胸を抑え、体を前に折って、崩れ落ちる。
最後の一人が
『こんな相手に何やってるんだ…!』
とぎり…!と歯噛みして剣を振り上げ、間髪入れず斬りかかって来る。
ファントレイユはだがその男が襲って来るととっくに気づいていたようで、さっとそちらに向き直るとさっきのたどたどしさを一気に取っ払い、目の醒めるような振りで降りかかる剣に自分の剣を交え、一瞬で相手の剣を絡め、回し跳ね上げる。
男の剣が、ファントレイユの剣に弾かれて頭上高く、跳ね飛んだ。
月明かりに一瞬、飛んだ男の剣の刃がキラリと銀に光る。
が、弾かれた剣が手から抜ける様に驚愕の表情を浮かべた男は次の瞬間、もう向かって来るファントレイユの剣に、胸を突かれうずくまった。
あんまり見事な奇襲でソルジェニーは見とれたが、ファントレイユは男が倒れるのも確認せず、ソルジェニーに振り向きその肩を抱き、厩へと駆け出す。
ソルジェニーは一瞬、そのたっぷりのグレーがかった栗毛を揺らし、月明かりに頬を青白く浮かび上がらせるファントレイユの美貌の横顔を見上げ、彼に併せて走る速度を上げた。
厩に駆け込むなり、ファントレイユは手綱が繋がれている横棒に駆け寄り手早く綱を解く。
ファントレイユのその素早い様子に、ソルジェニーは慌てて繋いであった馬に乗り込む。直ぐ後ろにファントレイユが飛び乗り様手綱を取って馬の首の向きを変え、ほぼ同時に拍車を入れて一気に、厩を飛び出した。
激しく駒音を蹴立て揺れる馬上で、ソルジェニーはチラリと後ろを振り返る。
ふわり…!と。
ファントレイユのグレーがかった栗毛が月明かりの中、艶を帯びて彼の肩の上で揺れ、ファントレイユがこんな時でもその優雅さが決して失われないのを目にし、ソルジェニーは心から感嘆した。
その殴り倒した時から剣を交えている一連の動作中、彼はずっと流れるように優雅で俊敏だった。
ファントレイユは倒した男達がまだ向かって来るかどうかを、馬上でチラリと彼らが倒れている場所に視線を送って確かめ、その男達が今だ刺された場所を押さえてうずくまる事を確認すると、手綱を引いて馬の足を止め、速度を落とし店の入り口に一瞥を、くれた。
…ギデオンはまだ、出て来ない。
が、店の入り口が騒がしくなり、ファントレイユは後を付けられてはと拍車を掛け、馬がいななき前足を跳ね上げ様その首を枝道の方に向けると、もう一度拍車を入れて一気にそちらに走らせた。
ギデオンの、筋肉ではあるが、どこか柔らかな感触とは違い、ファントレイユの胸は密やかで熱く、どこにも余分に贅肉がついて無くて、それは引き締まっていて逞しい感じがし、ソルジェニーは背にそれを感じると途端、どぎまぎした。
彼の、胸も腕も、華やかな感じがするのにとても秘やかで独特の雰囲気があって、抱かれたりするとやんわりと彼に絡め取られたような気分になって、触れるその相手を、それは落ち着かなくさせる。
ソルジェニーは赤らむ顔を俯けて、彼に気づかれないように、した。
そしてファントレイユが説得したというスターグに惚れている女性がこんな風に、彼に後ろから抱かれて馬上で連れだって乗っていたりしたら、つれないスターグなんかよりファントレイユに気が移っても、無理は無いんじゃないのかと思った。
枝道を出て看板のあった本道迄出ると、ファントレイユはいななく馬を静めながら向きを変え、道からやって来る、人影をじっと見守る。
ファントレイユがあんまり真剣にその方角を見つめるので、ソルジェニーもギデオンがとても心配になってそちらを一緒に見つめ、息を飲んで見守った。
幾度か馬が進もうと歩を踏むのを、手綱を引いて静めながら、ファントレイユが来た道を戻ろうかとじりじりしている様子が解って、ソルジェニーも、居ても立ってもいられなくなる。
いつも大抵一緒に居るソルジェニーに、必ず余裕を見せて微笑みかけるファントレイユだったがその時は、その方角を見据えたまま、全く視線を外さない。
それからもう、暫くだった。
ギデオンの豪奢な金髪が、馬の激しい駒音と共に月明かりの中、浮かび上がったのは。
二人は途端安堵する。
ギデオンは突進する早さで駆けて来て、二人の姿を確認するなり叫んだ。
「…行くぞ!」
ファントレイユは馬に拍車を掛けると、疾風のように彼らの横を通り過ぎるギデオンの、後に続いた。
暫く、無言で併走したが、ごろつきが追いかけて来る様子が、無い。
ギデオンはファントレイユに目で合図し、ファントレイユはちらりと視線を向けてそれを受け止め、手綱を引き、速度を落とした。
そして彼らに振り向くギデオンのそれは快活な、いかにもさっぱりしたと言う全開の笑顔を見て、ファントレイユは途端不安げにそっ、と訊ねる。
「……まさか、わざと間違えて、無いよな?
君の言った店はあの二股の、左側の道の先だろう…?」
その言葉に、ギデオンの眉が寄る。
「…知っていたんならその時なぜ、そう言わない?
わざわざ私がソルジェニーを危険な目に、合わせる訳無いだろう…?!」
ファントレイユは肩を、すくめた。
「君を、信用したんだ」
ギデオンはその言い用に、きっちりむくれた。
「…私が信頼を、裏切ったと?」
ソルジェニーが見るとファントレイユは素知らぬ様子で、取り澄ました顔をする。
ギデオンはその男の様子に、仕方なしに続けた。
「…つまり私に、謝罪しろと言いたいんだな?」
ファントレイユはギデオンに向くと、急いで言葉を返した。
「そうは言っていない!
…だが君は暫く殴る相手が居なくて、ストレスが溜まっていたようじゃないのか?」
ギデオンの、眉が更に寄った。
「…ストレス発散で私があの店に、わざと足を向けたと、そう言いたいのか?」
ソルジェニーは思わず振り返り、ファントレイユの顔を見上げた。
彼は心底心配げに、そっと訊ねた。
「……違うのか……?」
ギデオンは即答した。
「勿論、違うに決まってる!」
きっぱり言い切るギデオンだったが、余程楽しかったのか、直ぐに思い返してつぶやく。
「…だが、いい場所を見つけたのは確かだ。
今度からストレスが溜まったら、あそこに行けばいいからな…!」
あれだけの数のごろつき相手にたった一人だったにも関わらず、掠り傷すら負っていないギデオンのその晴れやかな笑顔に、ファントレイユは一つ大きなため息を付いて、心の底からあのごろつき達に同情し、囁く。
「…君の訪問の何度目かで、全員夜逃げしてるさ…」
それは小声だったが、ギデオンは振り向いた。
「何か、言ったか?」
ファントレイユは慌てて笑顔を作ってギデオンに向ける。
「いや…!
君の為にもあの店が、潰れないといいなと、言っただけだ」
ソルジェニーが見守るファントレイユは少し青冷めて俯き加減だったが、ギデオンはその言葉を真に受け、意気揚々と笑った。
金のさざ波のような美しい髪は月明かりの中青味を帯びて輝いていたし、小顔の色白な顔立ちはそのくっきりとした碧緑の瞳と、華奢に見える細く形の良い鼻筋と、少し下唇が肉厚な小さく見る唇がたった今の戦闘で赤く染まり、美女顔が更に際立ち素晴らしく美しく見えた。
「そう思うか?せいぜい祈っててくれ…!」
その、心底楽しそうなギデオンの様子に、ファントレイユはその容姿との凄まじいギャップに顔を思い切り下げると、内心
『やっぱりこいつは、猛獣だ』
と心の中で唸った。
その店はファントレイユの記憶通り左の道の、先に有った。
さっきのうらぶれた玄関とは全く違い、庭にも噴水と彫刻が配されて美しく整えられ、厩には飾りの付いた屋根があり、店の門構えときたらそれは豪華な彫刻が施され、所々金で出来た造りの大変豪奢な玄関扉で、この店の玄関とあの酒場の玄関をどうやったら見間違える事が出来るのか、ファントレイユには謎だった。
…が、ギデオンの様子を目にした時、彼がソルジェニーに話しかけるのに夢中で、扉を開いてくれた侍従にすら気づかぬ様子に合点が行く。
ギデオンは周囲なんて、全然見てはいないのだった。
三人はいかにも品の良い調度品に囲まれた、落ち着いた雰囲気の、座り心地の良い椅子にくつろぐと、注文を取った。
「…それと…この店で一番高い食事と、一番高い酒を頼む」
ファントレイユの注文の仕方にギデオンがテーブルに付いた手の上に顎を乗せ、沈黙し、そして口を開く。
「…私に、奢られたいのは解るが、どういう注文の仕方なんだ?」
ファントレイユはすました顔で口を開く。
「…滅多に来られない店なんだから、それくらいしたっていいだろう?」
ギデオンの、眉が密やかに寄った。
「…さっきの事を根に持って無いか?」
ファントレイユは直ぐ様言い返す。
「持って無いと言えば嘘になる」
ギデオンは、そうだろうよ。と俯くと、途端ソルジェニーが、くすくすと笑った。
ソルジェニーはファントレイユと並んで横に掛け、向かいに座るギデオンを店のランプの灯りの中で見ても、その綺麗な顔に一つも傷を、作ってなんかいなくて随分ほっとした。が、直ぐに隣のファントレイユをチラリと見ると、彼の隙の無いスマートで引き締まったしなやかな胸元や腕を思い出し、つい頬を赤らめる。
ギデオンは珍しい物を見るようにそんなソルジェニーの様子を見つめたが、ファントレイユの方に、顔を思い切り傾けて告げた。
「ヤンフェスとマントレンが、言っていたが…」
ファントレイユは素で、尋ねた。
「何を…?」
「ソルジェニーに君は、刺激が強すぎると………」
「………………」
二人して思わず王子を見るが、さっきのどさくさでさんざん、ファントレイユと密着していたソルジェニーは、思い出す度顔が赤らむ。
その王子の様子に、ギデオンは短い吐息を吐く。
ファントレイユは表情を変えずその視線を、自分から顔を隠すように俯く王子に向けたまま、ぼそりとつぶやいた。
「…確かに、ヤンフェスは免疫が無いとは、言っていたな…」
それを聞いてギデオンが、思い切りぼやく。
「君の弊害は、女性だけじゃ無いんだな」
今度はファントレイユの、眉が寄った。
「…そんな筈は無い…!
王子。ギデオンの時だって、どきどきしませんか?」
ソルジェニーはファントレイユに覗き込まれてそう聞かれ、必死で思い出してはみたが、ギデオンの時には親しみと安堵しか感じなかった。
ギデオンがソルジェニーの様子に笑う。
「返事が無くとも明白だな」
ファントレイユはギデオンを睨むと、グラスの水を取る。
「…まあそりゃ、君と一緒じゃ色事はさぞ、縁遠いだろうしな…!」
ギデオンは途端むっとする。
「…それが悪いか…?
私は君と違って、女性と遊ぶよりも殴り合いが好きなだけだ…!
…ほらまただ…!
何人、女性の知り合いが居るんだ?」
横を通り過ぎるご婦人が、ギデオンにはほんの軽く頭を下げただけなのに、ファントレイユにはそれは丁寧に、にこやかに会釈して行く。
ファントレイユもそれに気づくと、とても優雅に微笑み返し、頭を軽く下げる。
ギデオンが、周囲のテーブルに顔を振って視線を向け、ファントレイユの視線を促す。
「…みんな、君に来て欲しそうだ」
あちこちのテーブルのご婦人達が、自分の所へファントレイユが、挨拶に出向いて来ないかと待ちわび、そわそわとファントレイユに、しきりに視線を送る様子が、ソルジェニーにも解ってつい、呆然と店内を見渡す。
20もある座席の、あちらからもこちらからも、一様にご婦人の視線がファントレイユに集まっている様はなかなか壮観だった。
ファントレイユはギデオンに振り向くと、笑った。
「君が盾代わりになって、どのご婦人もこのテーブルには来られないようだな…。
君の様な大物と一緒じゃ、気軽に声は掛けて来られないだろうし。
…日頃色事を閉め出す君の堅物ぶりが、功を奏しているようだ」
ファントレイユの、その輝くような美貌の笑顔に、ギデオンの眉間が寄った。
不快そうに俯くと、ぼそりとささやく。
「…君にとってその大物の盾は、さぞかし邪魔なんだろうな」
ギデオンの皮肉に、ファントレイユはすました顔をして届いた料理を前に、ナイフとフォークを振り上げる。
切り分けた肉を口に運び様、口開く。
「いや…?
お付き合いしたいような女性が、今夜は来ていないから大変助かってる」
そして肉を、頬張る。
ギデオンは思い切り肩を、すくめた。
そして足を組むと尚も、周囲を見回す。
「…あっちの女性は結構、美人だぞ…?
さっきから食事も取らずに君に視線が、釘付けだ」
濃い赤毛を結い上げた口元にほくろのある美人が、しなを作って仕切りにファントレイユの関心を引こうと努力する様に、ギデオンは目を止め、そう尋ねる。
が、ファントレイユはチラリと相手に気づかれない様、視線をくべて確認すると、素っ気なく言った。
「…残念だが私を寝取って、自分の株を上げたいだけだ。
連れ歩いて自慢の種に、したいんだろうな。
…そういうのが、君のタイプなのか?」
ギデオンは途端気を、悪くし、すまして食事するファントレイユの美貌を睨んだ。
が更に別のテーブルにその豪奢な金髪を振り、綺麗な面を向けてつぶやく。
「…じゃあ、あっちはどうだ?
それは豊満な、胸をしている。
色白で小柄で顔も可愛い。
それはうっとりと君を見つめている様子だが」
ファントレイユはチラリと見ると
「…駄目だ…。情が深すぎる。
彼女と付き合ったりしたらもう、他と付き合えない」
ギデオンは途端、憤慨した。
「贅沢な奴だな…!」
ファントレイユは肩をすくめると、すました表情を向けて告げる。
「君も、人の世話を焼いてないでとっとと食べたらどうだ?
…それとも誰か私に、紹介して欲しいご婦人が居るのか?」
ソルジェニーが途端、くすくすくす笑った。
王子に笑われて、ギデオンは仕方無くナイフとフォークを手に取る。
「…君にぞっこんの女性を、誰が紹介してくれだなんて頼むんだ!」
ギデオンは慣れた手つきで肉を切り分けると、フォークで刺してそれは優雅な仕草で口へと運ぶ。
ファントレイユはその、とても育ち良さげな、それは品良く食事する綺麗な容姿のギデオンを見つめつい、本音を覗かせ言い放つ。
「………そうしていると、本当に、上品なのにな………」
ギデオンは切った肉を口へと運び、眉根を寄せて睨みながらファントレイユに尋ねる。
「で、その後何て続くんだ?」
ギデオンの疑問に、ファントレイユは慌てて本音を後ろに押しやると、言った。
「いや…?
君位身分が最高に高くて腕っぷしも申し分無くて、容姿にも恵まれているというのに、どうして女性と遊ぶ気にならないのか、とても不思議だ…」
「私は逆だ。
これだけ選びたい放題でどうして、全うに一人に絞れないのか解らない!」
ファントレイユは肩を、思い切りすくめる。
「どうして一人に絞れるのか、解らない」
それを聞いたギデオンは、もうこの男とは話せないと言うように、軽くファントレイユを睨む。
ソルジェニーがもうずっと二人の会話に、くすくすと笑い続けていた。
が、ギデオンはムキになってソルジェニーに告げる。
「…ソルジェニー。
ファントレイユの事を随分気に入ってる様子だが、この趣味だけはマネしないようにしなさい…!
どう考えても不道徳だし、うんと評判を落とすから…!」
ソルジェニーはその言葉に、つい尋ねる。
「…軍の中でも、ファントレイユはみんなにそう、思われているの?」
ギデオンは肩を、すくめた。
「男ばかりだからな…。
羨ましがられてると思うが」
「…そう…なんだ」
「だが一般の場所ではファントレイユはヘタをすれば、鼻摘み者だ」
ファントレイユはギデオンの言葉に、まるで同調するように頷く。
「そう…。
大抵男達は自分に振り向かず、女性が私に振り向くと、こぞって嫉妬するものだ。
…その男の、身分が高ければ高い程」
ギデオンはてっきりファントレイユが自分の事を指して皮肉っている思い込んで、目を剥く。
「…私は別に、君に嫉妬していないぞ…!」
ファントレイユが首をすくめ、情けない表情を作り、すかさずつぶやく。
「君の事だなんて誰も、言ってやしない…。
大体、君は嫉妬される側だろう?」
この、自分の怒りを見事にかわす返答に、ギデオンは思わず素で問い返す。
「………どうして?」
ファントレイユはギデオンこそ自分の言った事を、まるで心に留めていやしない様子にがっかりし、呻く。
「さっき、言ったじゃないか……。
身分も容姿も何もかもが、恵まれてるって……」
ギデオンはそんなファントレイユの表情に『そうか』と軽く頷いた。
が、ファントレイユは思い返し尋ねる。
「…ああ、だからこれ以上の嫉妬を買わない為に、わざと女性と遊ぶのを控えているのか?」
ファントレイユは、ほぼ本音で訊ねたが、ギデオンはその言い様に思わず怒鳴った。
「…そんな思惑は無い…!」
「…そう言えば君も君の取り巻き達も、どちらかと言えばあまり女性に対しての、武勇伝は聞かないな…」
ファントレイユの方は素朴な疑問を口にしただけだったが、口先で弄ぶかのようなファントレイユのその言動に、ギデオンは降参するように下を向いた。
「………ファントレイユ。頼むから自分を基準にしないでくれ。
大抵の男は君程女性とは、遊ばないものだ」
ソルジェニーはまた、大いにくすくす笑った。
が、ソルジェニーは、いつものように余裕いっぱいでそれは優雅な隣のファントレイユを見た途端、ふと先程、ギデオンがあの酒場から無事出てくるかをそれは心配そうな、喰い入るような真剣な瞳で道を見つめていたのを思い出し、ギデオンに向かってそっと囁く。
「…さっき……待っている時間が長かった…」
ギデオンがフォークを止めると、尋ねる。
「いつ…?」
「…店から出た後…。
ギデオン、なかなか来なかったでしょう?」
ギデオンは途端、すまなそうに表情をする。
ファントレイユの視線がまた、思わず見慣れぬギデオンのその気弱な表情に、釘付く。
ギデオンが声を落とし、ソルジェニーに労るように告げる。
「心配かけて、悪かったな……」
素直に謝るギデオンのその様子に、ますますファントレイユはギデオンから目が離せなかったが、王子は首を横に、振った。
「でも、私よりファントレイユが…」
言ってソルジェニーはファントレイユを見るが、ファントレイユの方はギデオンを凝視していたのを気づかれない様、視線をそっと下に移し、素知らぬ顔をした。
だがギデオンは王子を見つめたまま、つぶやく。
「…ファントレイユ?
彼は心配したりはしないさ。
私の事を良く、知ってる。
…そうだろう?」
ギデオンの視線がようやくファントレイユに、移る。
視線を感じたもののファントレイユは相変わらず素知らぬ表情を、作り続けた。
ソルジェニーはファントレイユの横顔を伺ったが、ファントレイユはとりすました表情を崩さず、素っ気なくつぶやき返す。
「君の心配なんて無駄な事をして、何になる?」
ギデオンが、そうだろうと笑う。
が、ソルジェニーは、ファントレイユが真剣な表情であの道からいつギデオンが姿を見せるかと、じりじり居てもたってもいられない様子で伺うのを、思い返していた。
だって、でも、…それは心配していた。
だがファントレイユがギデオンにそれを言わない理由も、なんとなく解った。
…心配する必要が確かに、ギデオンには無かったからだ。
食事を終えるとソルジェニーは、いかにもくつろいだ様子を、見せた。
ギデオンはそんな王子の様子に微笑むと、やはりとても優しい声色で訊ねる。
「…怖く、無かったか?」
ソルジェニーは途端弾けるように笑うと
「…だって、ギデオンとファントレイユと一緒なのに?
こんな事を言うと、一生懸命護ってくれたファントレイユに怒られそうだけど…」
ソルジェニーがそっと彼を伺うので、ファントレイユは微笑んだ。
「…怒らないから、どうぞ言ってご覧なさい」
「本当は、もの凄くわくわくした…」
二人は途端、ソルジェニーを凝視した。
が、ファントレイユが気を取り直してナプキンで口元を拭うと、口を開く。
「…血筋ですかね…。
ギデオンもそれは、楽しそうだった」
ギデオンの、明らかに困惑した様子が伺えたが、彼はぼそり。とつぶやく。
「まあ…。気晴らしには、成ったな。
軍の部下はやはり、思い切り殴れない…」
ファントレイユの目がこのセリフにいきなりまん丸に成り、ナプキンを扱う手が、止まった。
「………あれで……?
じゃあさっきは一体、何人殴って来たんだ?」
ギデオンは不平を言うように唸る。
「…数なんて、数えてられるか…!
次々に沸いて出て、それはわくわくしたが」
ソルジェニーが、やはり驚いた顔で尋ねる。
「次々に出て来て、拳だけで戦ったの?」
「…最後は剣を抜いて来たな…!
でかい図体して、情けないったら…!
あれだけの体格だ。
さぞ殴り甲斐があったのに剣を抜くなんて、卑劣だと思わないか?」
ギデオンの、その真剣に怒る見慣れた様子にファントレイユは一つ、頷くと、ギデオンの言いたい事を察し、代弁した。
「…つまり、剣だとものの数秒で殺してしまえて、さぞかしつまらなかったんだろう…?」
ギデオンは頷くと、落胆をその言葉に滲ませ、つぶやく。
「…そんなに、死にたかったのかな…」
ソルジェニーは目を、まん丸にした。
ソルジェニーはギデオンを、それは見慣れて意識していなかったけれど、これ程容姿に恵まれているファントレイユに
『彼に比べたら、私の容姿等どれ程のものです?』
と言わしめただけあって、正直ファントレイユに視線を送る、どのご婦人方よりもギデオンは、目立って綺麗だと思った。
金の髪に囲まれた色白の整った小顔に宝石のような碧緑の瞳が、誰よりも一際、人目を引く。
ファントレイユと居ると彼のそんな様子が時々、輝きを放って綺麗に見えたりするけれど、ギデオンが口を開く度彼がどれ程その容姿に反して勇猛なのかも、伺えた。
ファントレイユは向かいに座るギデオンの方へ身を乗り出すと、言い諭す。
「君、ちゃんと警告したか?」
途端、ギデオンが眉を寄せて異論を唱えた。
「したさ…!私は卑怯者なんかじゃ、無い…!」
「でも、名乗らなかったろう…?」
ファントレイユの言葉に、ギデオンは大人しく俯いた。
「………まあ、確かに。
お前はどうなんだ?剣を抜いたんだろう…?」
ファントレイユは肩を、すくめる。
「私はちゃんと、急所を外してやった」
ギデオンは、肩揺すり笑う。
「相手が解ってやってるのか?
ありゃ、間違いなくお尋ね者共だ。
親切が仇にならなきゃいいがな…!」
が、ファントレイユはギデオンに向き直ると、彼をじっ。と見つめつぶやく。
「あれが、私にとっての警告だ…。
懲りずに今度又襲って来たら、ご希望道理今度はきっちりカタを付けるさ」
ファントレイユの、自分を見据えるブルー・グレーの瞳の輝きに、ギデオンは思わずファントレイユの顔を見つめ直す。
ギデオンのその、真剣にファントレイユを見入る様子につい、ソルジェニーは小声でそっと尋ねた。
「…ファントレイユは、本気じゃ無かったの…?」
ギデオンはその碧緑の瞳で、余裕を溢れさせたファントレイユのブルー・グレーの瞳を見据え、言い返す。
「全然、本気なんかじゃ無かったさ…」
ソルジェニーは尚も、ギデオンに尋ねる。
「…本気だと、どうなるの?」
ギデオンの声が、ファントレイユを見つめたまま低くなった。
「…そりゃ思い切り隙を見せて相手を誘い、数秒で仕留める。
私に言わせりゃ真剣にさせると誰よりもよっぽど怖い男だ」
その評価に、ソルジェニーが思わず隣のファントレイユを見上げる。
が、ファントレイユの顔が途端、笑顔で輝く。
「…冗談だろう…?
君に怖がられる程の腕じゃ無い」
だがギデオンは、ファントレイユを見据えたまま低い声で唸る。
「…ソルジェニー。
この男の、こういう軽口は絶対信用するな!
こうやって相手を油断させて隙を作らせ、一旦攻撃に出れば一撃で相手の息の根を止める…!
こいつの、いかにも優雅なやさ男風の外観に騙され負けて、何人の男が歯噛みして口惜しがっていると思う…?」
ファントレイユはギデオンの、その真剣な表情を見た。
そして
『何を言ってるんだ?』
とばかりに肩をすくめる。
「…殺るとなったら、ためらったりしたら相手が苦しむだけだろう…?
急所を、思い切り突かれた方が相手にとっても親切と言うものだ。
それに…ご覧の通り、私はやさ男だし…。
色々な手を使って隙を狙うのは、私にとっては定石だ。
第一君相手に、剣を抜こうとは一瞬たりとも思わない」
ギデオンが途端、笑う。
「命が、惜しいからか…?」
ファントレイユは顔色も変えずに言い放った。
「当たり前だ。
私に言わせれば君に剣を向けるなんて、自殺願望としか思えないね。
…まあ、死にたくなったら君に、頼むとするか…。
何しろ君の切り口と言ったらそれは見事で躊躇い一つないから、それは安心して一瞬で天国に行ける事、請け合いだ」
ギデオンは、良く言うなとせせら笑う。
「…貴様も、そうだろう?」
だがソルジェニーがそんな二人を見回し、朗らかに笑った。
「…じゃあ二人が一緒なら、もっと危険な場所に行っても大丈夫なんだね?」
これには、さすがのギデオンも慌てる。
「ソルジェニー…冗談だろう…?
君を危険な目に合わせたと狸共に知られたら、奴らどれだけしつこくねちっこく、嫌味を言ってくるか解ったもんじゃない…!
こちらが殴れないのを承知で、いつまでもねちねちやられるんだぞ…!」
ファントレイユが、思い切り肩を、すくめる。
「…君、少しは言葉での応酬も、覚えた方がいい」
だがギデオンがその綺麗な顔を歪め、直ぐに反論した。
「…あれは覚えたからって、簡単に出来る物じゃ無い…!
第一かっと成ったら、気づいたら殴ってるし…」
ファントレイユが、俯いて青冷める。
「………やっぱり、そうだったのか…。
君の沸点は結構低いから、ほんの少しからかうだけでもかっと成って殴って無いか?
結構バリエーションに飛んでいるから、君に対する禁止ワードを探るのは大変だ…」
その、思わず覗かせるファントレイユの本音に、ギデオンは笑うと
「…なる程…。
一つの言葉を発見すると、みんなにこっそり回すんだろう…?」
ファントレイユは隙を作らず、にこやかに笑い返す。
「そりゃみんな、殴られまいとそれは必死だからな」
ギデオンはだが、それを聞いて思い切りタメ息を付くと
「…お陰で殴る機会が、減る一方だ………!」
そう思わず、同情を集める程肩を落として見せた。
店を出る時、ソルジェニーがそれは嬉しそうな微笑みを、ファントレイユに向けるのを目にして、ギデオンはつぶやく。
「…良く、眠れそうか?」
ソルジェニーは輝くような笑顔で、頷いた。
ギデオンはそんな可愛いソルジェニーの笑顔に、心から安堵して微笑みを返した。
王子を自室に送り扉を閉めると、ファントレイユがギデオンに振り向いてこっそり尋ねる。
「…安酒場の件、大臣達の耳に入りそうか?」
ギデオンは伺う彼に目をやり
「…私の耳にも、入ったしな。
だが君が伴って来たのは、少女だと言い張ってやる」
ファントレイユはそれを聞いて少し、俯くとささやいた。
「…今の内に王子の護衛を、シャッセル辺りに変更した方が良くはないか?
彼なら公爵で大貴族だし、周囲の反発も少ない…。
たかが侯爵の私を押して、君だって随分、反発を受けているんじゃないのか?」
が、ギデオンはそう言って職を辞そうと考えるファントレイユの、その美貌の横顔を見つめる。
「…シャッセルにあんな風に、ソルジェニーの笑顔が引き出せるか?
私の人選は間違っていないと確信してる。
そっちは心配するな。
君にはこれからもソルジェニーを頼みたい」
ファントレイユが、それは切なげな表情をするので、ギデオンは思い切り眉を、寄せた。
「…そんなに嫌か?この職務は」
ファントレイユは困った。
そして、どう言えばいいのかと、言葉を探す。
が、ギデオンは笑った。
「…どう言いつくろったって、無駄だ…!
宮廷中のご婦人の様子で、君がこの職務を心から楽しんでいるのはバレバレだ。
ソルジェニー迄あんなになついてるんだ…。
君に気遣う気持ちが無けりゃ、ああなったりはしないだろう?
…さあ、どう私を言いくるめるつもりなのかを、聞こうか?」
部下の中でもその気になれば一番言の立つファントレイユの逃げ場を無くし、ギデオンは少し、嬉しそうだった。
だがファントレイユは真顔で言った。
「…私を推薦した君に世話をかけ、君に借りを作るのが嫌だと言えば、納得するか?」
が、ギデオンはますます楽しげに笑う。
「借り…?!
そんなものはソルジェニーの笑顔で、チャラだ!
あそこ迄楽しそうなあの子を見たのは、初めてだ!
杯があったら君に上げて乾杯したいくらいだ!」
ファントレイユはその快活な様子のギデオンに、一つため息を付いてぼやく。
「…弊害だとか、言っていた癖に…!」
ギデオンは肩をすくめて見せたが、それ以上は聞く気が無いように、さっさとその場を後にした。
ファントレイユは少しも動揺を見せない、堂としたその背を見送り、また一つ、ため息を付いた。