ギデオン
†‖:登場人物紹介:‖†
ファントレイユ・・・19歳。ブルー・グレーの瞳。
グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。
王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。
ソルジェニー・・・アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。
少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし、
孤独な日々を送っている。
ギデオン・・・19歳。小刻みに波打つ金の長髪。青緑の瞳。
ソルジェニーのいとこ。王家の血を継ぎ、身分が高い。
近衛准将。見かけは美女のような容貌だが、
抜きん出て、強い。筋金入りの、武人。
数日ファントレイユを続けて召して城内を歩いたが、この素晴らしい美貌の護衛は行く先々で女性の熱烈な歓迎を受け続け、ソルジェニーはすっかりその様子に慣れた。
ある時大変身分高い大公爵夫人が、滅多に顔を出さない城の大広間に顔を出した。
その、煌びやかで豪華な衣装を身に纏い、尊厳を示そうとする少しいかつい顔のご婦人はソルジェニーにとっても記憶のある姿だったが、以前会った時はそれは丁重に挨拶され、しかしソルジェニーが口を開こうとすると途端、きびすを返して彼の目前を去った。
…けれどファントレイユと一緒だと、彼女の態度は違ってた。
ソルジェニーに、やはり丁重にご機嫌伺いの言葉を述べ、しかし視線は後ろに控えるファントレイユに釘付けだったからだ。
「護衛の方も大変ですわね。お相手が、王子ともなると。
…ところで護衛の仕事の、空き時間は何をしていらっしゃるの?」
ファントレイユはいかにも臣下と言う態度で、それは静かにソルジェニーの後ろで目を伏せていたが、婦人に話しかけられてその面を、上げる。
ファントレイユが面を上げると聡明そうで隙が無く、文句のつけ所の無い美貌のそのブルー・グレーの瞳が一瞬煌めくような輝きを放って見え、あんまり綺麗でソルジェニーですら呆けた程だったが、ご婦人にとっては尚更だった。
大公爵夫人の、タメ息が漏れる。
が、ファントレイユは臆する事無く、密やかだが力のある声でこう告げた。
「…これでも近衛で隊長を努めておりますので、お召しが無い場合は部下の世話や軍務がございます」
婦人の頬がファントレイユに見つめられて染まる様子に、ついソルジェニーは目を、まん丸にした。
それ程年輩では無いにしろ充分熟年で、身分を武器のように纏った威厳の塊のようなご婦人のそんな様子は、初めて見たからだった。
彼女は少し、感動で震えるように掠れて狼狽えたような声音で囁く。
「…まあ…。
そんな危険なお仕事で無ければならないの?ご身分は?」
この明け透けな言葉にしかし、ファントレイユは眉をしかめる様子も無く、淡々と返した。
「…候爵でございます」
この時アースルーリンドの宮廷では公爵以下の身分は皆下等で、虫けらのように思われていたから、ファントレイユはこの大公爵夫人の同情を、いたく買った。
「…ああ、それで……。
危険なお仕事に、付かなければならなかったのね?
でもご努力が報いられて、王子の護衛に付かれた事、本当にようございましたわ。
そうね。
お望みなら、もっと危険も少なくてそれは貴方にふさわしい役職を、私ならご紹介出来るのだけれど…」
そして途端、ファントレイユに色目を送る。
ソルジェニーはそのご婦人の様子に目を、ぱちくりさせたがファントレイユは慣れているのか、丁重に頭を下げて返答をしようと、口を開いた。
「…こんな男だが、近衛では大変役に立つのでね。
出来れば職を、変わって欲しくないのだが…」
横から口を挟んだその声の主に、皆が振り返った。
勇敢で、爽やかな意思の強い声色は、ソルジェニーは聞き覚えが、あった。
そこに居たのは、やはりギデオンだった。
見慣れた彼だったが、その登場は、大公爵夫人を、たじろがせた。
ギデオンはいつも通り、それは人目を引く見事な波打つ金髪を背迄たらし、色白の小造りの小顔の上の、その宝石のような青緑の瞳を煌めかせ、瞳の色と同じ青緑色のビロードに金の豪奢な刺繍の入った上着をその身に付け、美女のような女性的な顔立ちとは裏腹の、尊厳溢れる堂とした態度でそこに立っていた。
ギデオンはソルジェニーのいとこで、その母親は以前王位継承者だった。
それに、彼の母親が継承権を放棄しなければ、ソルジェニーに代わって王子で次期国王たる地位の、それこそ大貴族ですらひれ伏す、それは身分の高い王族だ。
婦人は『軍神』と呼ばれる代々右将軍を継いで来た家系の、その厳しい武人の前から慌てて罰が悪そうに色気を隠し、軽く礼を取ると、用があるので…と、そそくさとその場を、立ち去って行った。
ソルジェニーは暫く呆けたように、その劇の一部のような展開に言葉を無くして、ギデオンを見つめた。
ギデオンは困惑した表情を浮かべてその、小さないとこをそっと見つめ、ファントレイユに告げる。
「…君といるとソルジェニーは、いつもこんな事に巻き込まれているのか?」
ギデオンが言うとファントレイユは素っ気なく返答する。
「…巻き込んではいないつもりだが」
ギデオンはその大広間の周囲を見回し、女性達が、群れては遠巻きにファントレイユに注ぐ熱い視線を呆れるように見つめ、ため息をつかんばかりにファントレイユに向き直った。
「…君がここに顔を出すようになってから、随分浮ついたな」
ファントレイユはその美貌で、明るく微笑む。
「それは光栄だ」
ギデオンの、眉が寄った。
「…誉めて、無い」
だがファントレイユは肩をすくめて言った。
「…それは、残念だ」
ギデオンに対して宮廷内では、大抵の者が大公爵夫人のような態度を取るのに、ファントレイユのその、全然臆する様子無い同等の口の利きように、ソルジェニーはなんだかとてもほっとした。
ギデオンは全然身分を気にしない男だったけど、周囲はそうでは無かった。
大抵、とても丁重に彼に相対していた。
ギデオンはそれに何も言わなかったけれど、もどかしく感じているのをソルジェニーは知っていた。
だから対等の口を聞くこの護衛には、ギデオンも軽口を叩くみたいだった。
「…何しろ、君を推薦したのは私だからな」
「…やっぱり?君のご指名だとは思ってはいたよ」
ファントレイユは、それは身分の高い王族にそう、告げた。
が、ギデオンは身分等相変わらず構う様子無く口を開く。
「…君は女性にはそれは念入りに親切だが、部下に対しても評判が良い…。
態度が柔らかく気が利くしで押したが、ここで君の本領が発揮され過ぎて、ソルジェニーに悪影響が無いか心配だ」
ファントレイユはその彼の様子に、つい本音を覗かせて尋ねる。
「…ほう。どんな?」
「…君を一人占めしていると、ご婦人に恨まれないか?」
ギデオンの、その本心から心配げな声音に、ファントレイユはつい、くすくす笑った。
「…冗談だろう?
この職務じゃなきゃ、私はここには顔は出せないと言えば皆、納得するさ」
ギデオンの、眉が途端にまた、寄った。
「…君はソルジェニーの後ろから巧妙にお気に入りのご婦人の気を引いて、気のないご婦人の興味が自分に向いて都合が悪くなった途端、職務だとか言ってソルジェニーの後ろに、隠れて逃げるつもりなんじゃないか?」
ファントレイユはギデオンの疑問に、呆れながら言い返した。
「…それをするのは当たり前じゃないか。
気の無いご婦人の、相手をする義理なんて私には無いし、第一その気も無いのに気を持たせるのは相手に対して失礼だ」
ギデオンはファントレイユのこの隙の無い返答に、それは不満そうに腕を組んだ。
ファントレイユはふと、思い出してギデオンに微笑みかける。
「…ああ。
君に礼がまだだったな。助かったよ。
…さすがの私も、彼女くらい大御所で身分の高い女性だとあしらいかねる」
「…そうだろうな。
どう見ても、君のタイプなんかじゃないし。
…だが軍に関して私の言った事は事実だ」
この言葉に、ファントレイユの瞳が急に輝く。
「へえ…!
君にそんなに買われる程、私は軍に必要とされているとは思って無かった」
ソルジェニーが見つめていると、ギデオンは少し声を落とし囁く。
「…現右将軍の叔父達はそう思ってないだろうが、私は身分等気にしない。
腕が立ち、頭の回転の早いお前のような男は戦場で必要だ」
がこれを聞いてファントレイユは慎重に、言葉を選んだ。
まるでギデオンの誉め言葉を鵜呑みにして、有頂天に成る気なんて無いように。
「…そうだな。私の身分では、君の取り巻きはとうてい務まらない。
最前線で、いつ命を落としても構わない実戦型のようだ」
ソルジェニーは軍の中では身分の低い者達が身分の高い者達に代わって、捨て駒のように使われて命を落としている話を、聞いた事を思い出す。
だがギデオンはそんな男なんかじゃない。
彼の知っているギデオンは断じて自分の盾に、身分の低い者達の命を使うような卑劣な男なんかじゃない筈だ!
ギデオンが途端、侮辱されたように鋭い声で声落とし怒鳴る。
「…皮肉なんかじゃ、ないぞ!」
その真剣な言いようにファントレイユは真顔になると、常に身分の低い者達に成り代わり、危険な場所へと志願し続けるそれは身分の高いこの男に、軽口叩き真意を探った事を心の中で謝罪した。
「…解った」
勿論言葉にはしなかったものの、滅多に地顔を見せないファントレイユの神妙な顔に、ギデオンは納得したようだった。
軽く、了承したと頷く。
ソルジェニーは途端、ほっとした。
軍の中ではギデオンは、自分の知らない男になってやしないかと、それは心配だったので。
だがギデオンはソルジェニーに振り返ると厳しい態度を一変させ、それは優しげな笑顔で、少し屈んで優しく囁く。
「やあ…。
挨拶すら、まだだったね」
ソルジェニーの表情が、ギデオンの声で輝く。
「…会えて、嬉しいよギデオン!」
「…相変わらずかい?
みんな、君には素っ気ないようだな。
…ファントレイユはどうだ?
見た所、君の世話より女性の相手で、忙しいようだが」
「…凄く、刺激的で毎日が楽しい!」
この言葉にギデオンの目が丸くなり、すかさずファントレイユは横を、向いた。
ギデオンはチラリとその美貌の色男を盗み見ると、ソルジェニーに囁く。
「…それは…良かった。
じゃ、君は気に入ったんだな?」
「とても!…凄く!」
ギデオンの表情が、途端にほぐれる。
ファントレイユの視線が、今度はギデオンに吸い付いた。
その派手で素晴らしく綺麗な外観とは違い、ギデオンは軍では剣の腕が立つだけで無くそれは勇猛な猛者だったし、気に入らない相手はすぐ殴る乱暴者だ。
…その上身分迄最高に高かったから、彼に逆らう相手は
『命知らず』
と、呼ばれる程だった。
…だがギデオンは不正は大嫌いで身分の差別などしなかったから、身分が高いと言うだけで実力無く威張る貴族達をそれはとことんやり込めて、身分の低い者達にとってギデオンはまるで英雄だった。
それに戦場でギデオンは誰よりもまっ先に敵陣に切り込み、その勇敢さで熱狂的な人気の持ち主でもあった。
…その彼が、王子相手だと見た事も無い程優しげな表情を作る。
つい、ファントレイユが喰い入るようにその、珍しい物を見つめている自分に気付く。
「…君は、王子相手だと随分優しそうなんだな」
ギデオンは顔を上げると、それは意外そうにそうつぶやくファントレイユの、美貌の面を見つめた。
「…そうか?」
ファントレイユは苦笑する。
「自覚が、無いのか?」
ギデオンの、眉が寄った。
「…ソルジェニーを見ているというのに、どうやったら自分の表情が見える。
鏡を使ったって無理だぞ」
ファントレイユは、それもそうだな。と肩をすくめる。
ギデオンは王子に向き直ると、言った。
「…気に入ったんなら良かったが、彼で困った事があればいつでも言いにおいで」
ソルジェニーの、表情が一瞬で曇る。
ギデオンと良く似た面差しの、少女のように可憐な出で立ちで、薄い金の髪を肩に垂らし、それは綺麗な青い瞳をした王子はいつもどこか心細げで、そんな彼の悲しげな表情に、ギデオンの胸がそれは痛む様子がファントレイユの瞳に映った。
「…でもギデオンはいつも、忙しいでしょう?」
だがギデオンは、それは優しげに微笑むと告げた。
「君が来ればいつでも時間を、作るさ」
そして思い直したように、付け足す。
「まあ…そりゃ、十分な時間は、取れないかも知れないが」
だがソルジェニーはそれは嬉しそうにギデオンに微笑みかけ、ギデオンは満足げにその顔を見守る。
だがギデオンは、さて…!と腰を伸ばすと
「狸共と、ちょっとした会合が、あるんだ」
その言葉に、ソルジェニーの頭の中が疑問付の洪水になったが、ファントレイユは訳知り顔で頷く。
「…大臣達か?
それは大変だな」
「…奴ら、黒い腹を抱えて本音を隠しやがるから、話をするのに気骨が折れる」
「…君のように、人の顔の裏を読むのが不得意な人間には尚更だ。
…大臣相手じゃさすがの君でも、殴れないんだろう?」
ファントレイユが、心から気遣う様子で尋ねるが、ギデオンは俯いてつぶやいた。
「…拳を震わせて威嚇する事はあるが…。
殴れないと、ストレスが溜まる…」
途端、ファントレイユが困惑したように告げる。
「…頼むから軍で、発散しないでくれ」
ギデオンは、タメ息混じりにつぶやいた。
「…極力、そうはしているが…こう毎日が平和だとな」
ファントレイユはそっと、尋ねた。
「戦が起こって欲しいとか、思ってないよな?」
「…それは勿論、望んでいないが、私に突っかかってくる奴がまるで居ない」
ギデオンががっかりしたように俯くので、ファントレイユは呆れて肩をすくめた。
「…そりゃ、あれだけ殴れば、無理も無いだろう?」
ソルジェニーはそのとても綺麗な顔をしたギデオンの、軍での有様を聞いて思わず口をあんぐり開けた。
が、ギデオンはいかにも不本意そうに腕組んで怒鳴る。
「…そんなに殴った記憶は無いぞ!」
ファントレイユは、タメ息混じりに言い諭す。
「…普通、数人腕自慢の男を殴り倒して顎の骨を折ったりしたら、たいして腕の無い男はみんな、君に対して用心するものだ」
ギデオンが、心底意外そうな顔をファントレイユに向ける。
「…まさか君もそうなのか?」
ファントレイユは思い切り、肩をすくめた。
「好んで顎の骨を折られる、馬鹿に見えるか?」
ギデオンは首を横に振る。
…そして思い直したようにファントレイユの耳元に顔を寄せて、ささやいた。
「…つまり私に突っかかる相手は、馬鹿なのか?」
ファントレイユは“今更何を言ってるんだ?"という呆れ顔を見せる。
「みんなそう思ってるぞ?」
「…それで私の前だと、みんな大人しいんだな」
ギデオンの落胆仕切った様子に、ファントレイユが心から怯えて、そっと囁く。
「…つまらなそうだな」
「楽しい、訳が無い」
ソルジェニーが二人の様子に、つい吹き出す。
「…二人共、とても仲が良いんだね?」
ギデオンが眉をしかめた。
「…そうか?」
ファントレイユは肩すくめ、言い返す。
「…そう見えるんなら、そうなんだろう?」
今度はギデオンが、肩をすくめる番だった。
がソルジェニーに笑顔を向けると、また今度、と手を振り上げてその場を立ち去った。
「ギデオンは、貴方の事をとても気にかけている様子だ」
その後ろ姿を見送った後、ファントレイユが王子に屈んでそう優しく話かける。
ソルジェニーは微笑んで告げた。
「…いつも、とても気遣ってくれるから、お会い出来るのが楽しみなんです」
その笑顔がまるで五歳の子供のように邪気が無く頼り無げで、ファントレイユはギデオンの気持ちが痛い程解って頷いた。
王子ソルジェニーが皆から避けられているのは、訳があった。
アースルーリンドには『影の民』と呼ばれる人外の者達を封じている場所が多数あって、この封印が破られて彼らがこの地に、這い出たりしたら、人間はたちまちその魔物に命を取られて、滅びてしまう。
封印をし、『影の民』を追い払う事の出来る者はやはり人外の『光の国』の王だが、彼は王家の者と婚姻を条件に光臨を果たす。
が、今世では直系に女性が産まれず、王子がその相手に選ばれたりしたものだから、皆は彼をどう扱っていいか解らず、ひたすら避け続けていたのだった。
また、迂闊にソルジェニーに色々聞かれたりして万が一王子が
「『光の王』の花嫁なんて嫌だ」
と家出なんてされたりしたら、国が滅びるのである…。
故に皆、王子と口をきく事をそれは恐がり、心を注ぎ、迂闊に物事を教える輩はことごとく王子の側から離されたりしたから、ソルジェニーがいつも孤独でいるのは仕方無かったかもしれない。
だが、まだ幼い王子の、身の置き場の無い心細げな様子や不安そうな表情に、心ある者ならば気にかけない者は居ない。
ファントレイユはギデオンの事を影でこっそり“猛獣”と、呼んでいた。
宮廷内では確かに、それは上品な大貴族に見えるもののその中味は間違いなく野獣だったし、今や軍の中では彼の外観に騙される者は既に、皆無だった。
が、王子に見せる気遣いに、ファントレイユは大いにギデオンを見直した。
「まだ、出向きたい場所は、ありますか?」
ファントレイユは、そっとささやくように王子を促した。
王子は少し嬉しそうに微笑んで、ファントレイユにこう告げた。
「南の庭園を、歩きたいんです…。
あの、もし、貴方が良ければ」
臣下の自分に迄、それは気を使う王子を、ファントレイユは心から不憫に思った。
それに王子は自分の言う一言で相手に嫌われないか、それは恐れていたので、ファントレイユは何を言っても嫌ったりはしないんだと、王子に教えようと心を砕いた。
そして出来るだけ優しく、どれだけ我が儘を言っても何でも無いんだ。
と、諭すようにささやく。
「…勿論、お望みの場所に、いつでもご一緒します」
王子がその美貌の騎士の心からの申し出に、満面の笑みで応えたのは言う迄も無かった…。