帰還。断罪。そして栄光の瞬間。
†‖:登場人物紹介:‖†
ファントレイユ・・・19歳。ブルー・グレーの瞳。
グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。
王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。
ソルジェニー・・・アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。
少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし
孤独な日々を送っている。
ギデオン・・・19歳。小刻みに波打つ金の長髪。青緑の瞳。
ソルジェニーのいとこ。王家の血を継ぎ、身分が高い。
近衛准将。見かけは美女のような容貌だが、
抜きん出て、強い。筋金入りの、武人。
マントレン・・・19歳。ファントレイユ、ギデオンの友達。
近衛連隊、隊長。剣の腕はからっきしだが、
参謀として、ファントレイユやギデオンの窮地を
度々救い、信望を得ている。
ヤンフェス・・・19歳。ファントレイユ、ギデオンの友達。
近衛では珍しい、農民出身だが、弓の達人で
その腕前の素晴らしさから、各隊から引き合いに
出される程。気のいい男で、みんなに好かれている。
フェリシテ・・・ヤンフェスらの後輩。短剣の名手でヤンフェス同様
とても重宝されている。
主に、戦場ではヤンフェスと行動する事が多い。
シャッセル・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。
大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。
無口、高潔な人柄で、剣の腕前もさる事ながら
誠実さで、ギデオンの信望を得ている。
レンフィール・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。
大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。
“狐"の異名を取る、天才剣士。
でも性格は、我が儘で目立ちたがり屋。
アドルフェス・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。
大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。
体格が良く、押し出し満点。
大貴族だけあって、プライドが高く、傲慢。
だが剛腕をふるう腕の立つ剣士で、
戦場では信頼されている。
アイリス・・・ファントレイユの叔父で、『神聖神殿隊』付き連隊の、長。
大貴族で、軍の実力者。反ドッセルスキ派の最右翼。
参謀、マントレンと、反ドッセルスキ同志で秘かに
交友があり、情報交換を、している。
ギュンター・・・中央護衛連隊の、長。都周辺の警護を一手に引き受け
その信望は厚い。
“どんな激戦でも部下を見捨てない男"として、周囲から
信頼を得ているが、とっても遊び人。
だが誰もが“見事な騎士”と認めるローランデに
ベタ惚れ。して以来、彼には頭が、上がらない。
ローランデ・・・アイリスより一級上の、北領地[シェンダー・ラーデン]大公。
地方大公は、剣の腕が抜きんでていないと務まらない。
とされているが、彼はその中でも、更に抜きんでている。
誠実な人柄で、好感を持たれているが、
ギュンターに惚れられて人生が変わった人。
ある意味、かなり、不幸かも。
オーガスタス・・・アイリスより三つ先輩の、地方護衛連隊、会議長。
「死人が出ない地方護衛連隊会議」を仕切れる
ただ一人の人間と、周囲の信望が厚い。
シェイル・・・ギュンターの、部下。都護衛連隊長。ローフィスの、義弟。
美貌でならした人で、外伝になるが、
軍神ディアヴォロスの恋人。
影の実力者ディアヴォロスを動かしたのも、この人。
(二人の会話シーンは省きました・・・・・・。書くべきか?)
ローフィス・・・アイリスの部下。『神聖神殿隊』付き連隊、顧問長。
シェイルの、義兄。オーガスタスの親友。
ディングレー・・・大貴族で、王家の血を継いでいる。
腐った貴族が嫌いで、彼らとつるんでいる。
王家の血で顔がきくので、重宝されているが、本人は
面倒くさがり屋。一応、ギュンターの部下に当たる
宮中護衛連隊の、長。
レイファス・・・19歳。『神聖神殿隊』付き連隊所属。
ファントレイユのいとこ。ファントレイユ同様
小柄で目立つ美青年だが、性格はきつい。
理路整然と、口で相手を言い負かすのを得意とし
周囲からは“無敵"と思われている。
テテュス・・・19歳。『光の塔』付き連隊所属。
ファントレイユの、もう一人のいとこで、アイリスの息子。
大貴族で有りながら、大柄で、ゆったりとして
頼れる性格で皆に、好かれている。
教練校では、ギデオンに次いでの、剣士だった。
‡会議出席者‡
アーシュラス・・・南領地ノンアクタルの護衛連隊長。
傲慢。我が儘。俺様。
彼を怒らせると、報復がそれは怖いと言われる
南領地ノンアクタルの大公子息で実力者。
ダーディアン・・・東領地ギルムダーゼンの護衛連隊長。
野獣だらけ、と言われるこの地を治める、
野獣の親玉。ファントレイユらの
一級先輩、グエン=ドルフの父親。
ウェラハス・・・西領地[シャノスゲイン]の地方護衛連隊長。
野獣だらけのこの会議の、唯一の、良心。
王家の血筋と『光の王』の血を受け継ぐ、
誇り高い騎士団を治める、長。
人外の力で西領地[シャノスゲイン]を
影の障気から護っている。
マリーエル・・・北領地[シェンダー・ラーデン]の地方護衛連隊長。
やはり、野獣の多い(東領地程では無いが)地の
治安を護るだけあって、彼も、中味は猛獣。
ギュンターの恋人、ローランデの息子。
ファントレイユ、ギデオンの教練校時の、剣の
臨時講師も務めた。
ソルジェニーは帰還の馬車の中から、近衛軍中央補佐宿舎に向かう兵達が行きとはうって代わって解放と歓喜に沸き立つ様子を目にする。
そこいら中でアデンとローゼ逮捕の話で持ちきりで、アイリスとギュンターの来訪がどういう結末を迎えるのかを、心待ちにする様子だった。
ソルジェニーは馬車の中から、ギデオンが素晴らしく豪奢な金髪をなびかせ、堂に入った晴れがましい姿で馬上に跨る姿を、いつ迄もいつ迄も飽きる事無く見つめていた。
時折ギデオンが視線をソルジェニーに送って微笑むと、彼はとても幸せそうに微笑み返し、ギデオンの胸を熱くさせた。
ギデオンは馬車の暗がりに身を沈めるファントレイユにも視線を送ろうとしたが、彼はどうやら疲労している様子で、目を閉じていた。
ソルジェニーは気づいて馬車に同乗する隣のファントレイユをそっ、と伺ったが、淡いグレーに見える栗毛が風に柔らかに揺れるものの、その色白で整った美貌のそのなだらかな曲線を描く頬はひどく青冷めて見え、閉じた長い睫毛は影を落とし、彼がどれ程気を張って職務を遂行したのかが見て取れる。
ソルジェニーはギデオンが言った通り、彼がいざとなれば危険も省みずに肝が座り、誰よりも強い意志と決意を持って行動に移し、決して逃げ出す事はしない様子に、感謝の言葉を心の中でそっと告げる。
ファントレイユにどれ程労りの言葉を投げかけても足りないような気がし、彼がいつもは手抜きをしている。と言っていたけど、いざと言う時誰も出来ない働きをするんだから、それは許されてもいいんじゃないかと思った。
白碧の騎士シャッセルが白金の長い髪をなびかせ、素晴らしい堂とした体格で馬を操りながら時折、馬車の中を盗み見る。
ソルジェニーと目が合うと、彼はそのくっきりとした碧い瞳を伏せ、そっと軽く頭を下げて、王子に礼を取った。
がその騎士の馬車の中を探るような視線に、思わずソルジェニーは隣のファントレイユを見つめると、その騎士もチラリと伺い見える、目を閉じ馬車に揺られるファントレイユの青冷めた顔色を目に映し、疲労を労るような暖かな瞳を向ける。
…ああ彼もギデオンの命を救ったファントレイユに、感謝しているんだ。
そう、ソルジェニーは気づいた。
通り過ぎるヤンフェスは少し眠そうだったが、ソルジェニーの視線に気づくと途端、風に煽られた茶色の肩迄の短髪を振り、親しみの溢れる茶色の瞳を向け、人のいい笑顔を見せて朗らかに、笑う。
ソルジェニーはその笑顔がとても嬉しくって、つい彼に思い切り手を振った。
馬車の窓から手を振る、その細っそりとした幼い少年は少女のように可憐に見えた。
だが兵達は国で一番身分の高い王子が、農民のヤンフェスにそれは親しげに手を振る姿に、心の底から安堵する。
帰還の行軍の兵達全員の心の中に、身分差別の暗黒時代が過ぎ去る予感が、走り抜けて行った。
補佐官舎に一同が着き、その中庭に歩を進め行く。
官舎の前にはずらりと補佐官達が並び、ギデオンが子供の頃から知っている、彼の父親の親友だった男達が数人居て、ギデオンに頷きかける。
ギデオンはその横に立つ、アイリスとギュンターをも見、そして……。
兵に両側を押さえられた彼の叔父、ドッセルスキの姿も見つけた。
その細面に威厳を持たせようと鼻髭を蓄え、だがやっぱりどこかひょろりとした感じの栗毛のやさ男は、とうてい父アルフォロイスの弟には思えない、背ばかり伸びた頼りない体格をし、だがその蒼の瞳はぎらつくようにギデオンの姿に注がれていた。
ギデオンは幼少の頃彼に会った時の事を、ふと思い出した。
母親そっくりな幼いギデオンの容姿を目にし、一目で兄の子だと解ったにも関わらず、それでもロクに声も掛けない有様を見、困惑の吐息混じりに祖母がつぶやいてた。
『軍神の家系に産まれるべき子じゃ無かったわ。あの子は…』
説明が無くても、解った。
叔父は軍務等、好きじゃない…どころか、兄アルフォロイスと違って大嫌いだという事が。
「……………」
ギデオンは馬を降りると、彼らに近寄った。
ギュンターが素早く部下に、アデンとローゼを連れて来い、と顎をしゃくり合図を出す。
ギデオンは振り向き、ソルジェニーとファントレイユとを促し、迎え入れる補佐官らと共に官舎に入った。
ギデオンの取り巻き三人は引き立てられるアデンとローゼを、ギュンターのその部下から引き継ぐ。
ギュンターは広場に整列してたたずむ兵達に向き直ると、叫んだ。
「…解散!」
だが騎士達はその場から、動こうとはしなかった。
ギュンターはその様子に肩をすくめたが、マントレンとヤンフェス、フェリシテの姿を見つけると、こっそり招いて彼らを中へと入れた。
重々しい焦げ茶色の広々とした室内の、官舎の大広間で補佐官全員が、ドッセルスキとアデン。
そしてローゼを罪人と迎え、審議が始まる。
ドッセルスキに組みする大貴族達は両側にしつらえられた座席に半数以上居て、やさ男の現右将軍をほっとさせた。
が、まずローゼが引き出されて、中央の証言台に立たされた。
ファントレイユは王子とギデオンと共に、その証言台の真横に座っていた。
が、金の髪のその表情の無い冷たく見える整った顔立ちを、少しやつれさせたローゼの長身の背に、ファントレイユがぼそりとつぶやく。
「…今からでも遅くない。
初志貫徹して口をつぐめ」
ソルジェニーはその言葉にびっくりして横で腕組むギデオンを見上げたが、ギデオンも処置無し。と投げやりな表情で、ソルジェニーを見つめ返した。
ローゼの背後に警護として立っていたシャッセル、アドルフェス、レンフィールの三人は、そのファントレイユの脅しのような秘やかな声を耳に思い切り呆れたが、当然ローゼは、ファントレイユの言う事等聞かなかった。
彼は自分が殺そうとした男の保証をそれは、信頼し頼ったので。
…その男とは王子の横に座る、金髪の素晴らしく目立つ綺麗な男で、腕組んだまま今だ続くファントレイユの声を顰めた脅し文句を、聞こえぬフリして無視していた。
ローゼは真っ直ぐ前を見つめると、質問に対してはっきりとした口調で告げる。
…つまり断固として
「命じたのはアデン准将だ!」
と言い張ったのである。
だがファントレイユが補佐官らが聞こえない様、さんざんローゼに小声で
「根性無し」
と、見た目では解らない、それは優雅な様子で罵倒し続け、レンフィールとアドルフェスを呆れ返らせた。
次に引き出されたアデンも当然、ドッセルスキに命じられたと証言する。
ソルジェニーは思わず広間の後ろを探したが、金髪美丈夫の功労者は、広間の後ろの壁に背を持たせ掛けて腕組みし、表情無く立っていた。
ソルジェニーの視線に気づくと、その素晴らしい美貌の主は紫の瞳を煌めかせ、無表情を笑顔に変えた。
だが証人控え席に座っているドッセルスキに、それ程焦る様子も無く時折、ギデオンの生きてそこに座る姿と、失敗した部下が寝返る様子に心から憤りを感じる激しい蒼い瞳を向け、ソルジェニーの胸を不安でどす黒くした。
王子はどうしてもその不安を拭えなくて、ついドッセルスキの様子に視線を戻す。
けれどドッセルスキが自分の斜め後ろに目を向けた時、激しく鋭い蒼の瞳が睨むように注がれ、ソルジェニーは誘われるようにふ…。とそちらに、振り向いた。
そこにはアイリスが立っていて、手入れの良く行き届いた焦げ茶の長い巻毛を品良く胸に垂らし、素晴らしく優雅な余裕の微笑みを湛えていた。
ドッセルスキの眉が、険しく寄る。
見てると二人は暫く睨み合っていたが、激しいドッセルスキの視線は終いに、床へと落ちる。
ソルジェニーが敗北者のように目を伏せたドッセルスキが理解出来なくて、アイリスに振り向く。
気づいたアイリスは軽く頭を下げ、優美そのものの素晴らしい礼を、王子に取った。
そして上げた顔で悪戯っぽく、それはチャーミングに微笑んで見せる。
ソルジェニーはついその頼もしさに、胸が熱くなるのを感じた。
…大丈夫なんだ…。
きっと…。いや、絶対に!
隣のギデオンが気づき、ソルジェニーにその綺麗な顔を俯け、金の波打つ髪をさらりと肩から滑らせてその碧緑色の、気遣う瞳を向ける。
が、ソルジェニーはギデオンに
『大丈夫』
と屈託の無い青い瞳で、微笑んで見せた。
二人の証言が済むと、今度はドッセルスキが証言台に立つ。
亡き金髪の兄とは違い栗色の長髪で、ひょろりとした長身のひ弱に見える男だったが、でもその態度は胸を張り、他人を見下す傲慢な風情だった。
当然ながら前の二人の言葉を激しく冷たい声で打ち消し、そんな覚えは無い。
と言い張り続けアデンの虚言だ!と怒鳴り続けた。
彼は憮然と、濡れ衣を着せられた被害者のような顔で再び席に戻ると、自分を不当逮捕した男達とその一味を、今度は絶対許さず闇に葬ってやる!とその冷酷な蒼の瞳で見回す。
…だが自分の身内のような左将軍のナイアステンが証言台に立ち、ドッセルスキの企みを知っていたと証言し、ドッセルスキの瞳は驚愕に、見開かれた。
更に補佐官のドッセルスキ派の二人迄もが、彼からギデオン暗殺を聞かされた。と証言し出した。
周囲はざわめき立ち、ドッセルスキは顔色を無くす。
そして…その後も、ドッセルスキから聞かされたと言う証人が続々と出てきて、ドッセルスキは今まで味方だった男達が手の平を返す様子を見、とうとう顔を下げ、膝の上で握る拳を、震わせた。
ソルジェニーは再び、アイリスを見た。
だがもうアイリスは、笑っていなかった。
ドッセルスキの敗北する姿を、あの優雅な彼とは想像出来ない程かけ離れた、きつく輝く濃紺の瞳を向け、まるでドッセルスキに死地に追いやられた亡き騎士達に成り代わり、断罪し止めを刺すかのように、鋭く見つめていたからだ。
が、最後のドッセルスキが頼りとしていた男に迄手の平を返されたと知り、それでもかっ!と目を剥くと、再び宿敵アイリスのその整った顔を睨め付ける。
ソルジェニーが見ているとアイリスはさっき迄のきつい瞳をどこかに置き忘れたかのように、ドッセルスキの向ける激しい憎しみの瞳に、それは優雅な微笑を浮かべ、そしてからかうように、ドッセルスキにわざと丁重に、頭を軽く下げて礼を、取って見せた。
今や職を追われようとしている右将軍に対するそのひどい侮辱は、ドッセルスキをぶるぶる震わせる程、怒らせた。
がアイリスは顔を上げると怒り狂うドッセルスキを見つめ、ますます楽しそうに、朗らかに笑って見せる。
ドッセルスキは怒りで体を震わせ切っていたが、さっ!とその顔を審議の聴聞席に姿の見えるダーフス大公に向け、気づきドッセルスキを見つめるダーフスを、追い縋るように見ては微笑みかける。
が、ダーフスは途端、ドッセルスキの視線に顔を、背けた。
ドッセルスキは暫く呆然と、ダーフスのその、厳格で気品溢れる横顔を凝視していたが、ダーフスの視線が自分に注がれる事がもう無いと知ると、もう一度凄まじい憎悪の籠もる視線をアイリスに向ける。
蛇のように、邪悪な瞳だった…。
ソルジェニーはドッセルスキのその瞳に、ぞっ!と背筋を凍らせたし、ギデオンも、気づいて眉を、激しく寄せた。
が、アイリスはその瞳を真っ向から受け、見据え返すと、彼の方こそもっと物騒な、底冷えする氷のように冷酷で優雅な微笑を、その顔に浮かべる。
途端、その背筋を断ち切るような冷え切ったアイリスの微笑みに、ドッセルスキは一瞬たじろぐ。
が、補佐官長のドッセルスキの名を呼ぶ声に、彼は再びその証言台に歩み寄る。
そして、ドッセルスキが自分を弁護すべく口を開く、その前に、補佐官は彼に告げた。
「…これだけの証言がある以上貴方に、右将軍の地位に留まって頂く訳には参りません」
ドッセルスキは暫くそう言った男を、呪うように見つめたが、頭を垂れ、俯いて微かに、頷いた。
証言台を降りる時、ドッセルスキは三度それは凄まじくアイリスを睨んだが、アイリスはそれは優雅に、そして軽やかに微笑み返す。
が、ドッセルスキはその優雅な微笑のその瞳が、脅すように強い意志の籠もった氷のような瞳なのに気づき、今度こそその真意が解り、思わずぞっと背筋を凍らせた。
絶対報復してやるぞ!と言いたいのはこっちだったが奴は
“命を無くすような事故には、くれぐれも気を付けたまえ"
そう、その優雅な微笑の影で本気で、脅したからだった。
ドッセルスキはアイリスの物騒な微笑に、初めて狼狽え、俯く。
考えてみれば近衛に居た時、語り継がれる伝説を残す、勇者の一人だったアイリス。
こちらの刺客同様、相手を殺す事等屁でも無いだろう。
なぜあの男が今まで自分を殺しに来ないのか、不思議だった。
アイリスの腕ならその気に成れば、いつでだって自分を殺せた筈だ。
…右将軍の地位に付いていたからこそ、危険だと思っていた。
が、アイリスは右将軍の彼が不審な事故死等したら、いかにも
『自分の仕業です』
と告げるも同然な馬鹿な真似はせず、堂々と真正面から渡り合って見せ、将軍の座を降りた彼にゆっくり報復する腹だ。と、その時ようやく、気づいたからだ。
ドッセルスキはもう一度、アイリスを、見た。
やはり柔らかで優美な微笑みで、がその濃紺の瞳は氷よりも冷たく刺すように鋭く、ドッセルスキはその優雅な仮面に隠された“殺気”に冷や汗を隠し、顔を背ける。
今や彼の念頭にあるのはどうしたらアイリスに命乞いするかで、その橋渡しの出来そうな男の顔を必死で次々と、思い描いてた。
「…さて。右将軍の地位を明けたままにしておく訳にはいかない」
その言葉でギデオンの顔が一瞬、揺れる。
叔父が居る以上、自分がその地位に着く事等無いと、とっくに諦めていた地位だった。
代々、祖父も父も右将軍だった。
彼が産まれた時父が、跡継ぎが出来た!と、どれ程喜んだ事か…。
そして幼い彼に、右将軍の地位の、重責と誉れをいつだって延々と、語り続けてきた。
だがその父が命を落とし叔父が居座り、今のギデオンに出来たのはその誉れ高い彼らの顔に泥を塗る、叔父の汚いやり方を、体を張って止める事だけ………。
「…ギデオン。君の、役職だ」
ソルジェニーはそっ、と席を立つギデオンを、見つめた。
彼は静かだったが、感情を、抑えているのが解った。
ソルジェニーは視線をファントレイユに向けると、彼は平静そのもの。
落ち着き払って見守っていて、ソルジェニーのざわくつ気持ちを鎮めた。
席を立ったギデオンは、補佐官長の前に立つ。
補佐官長は虎の紋章の入った、金の肩当てを、厳かにギデオンに手渡して、言った。
「…就任式の日取りはこれから決めるが、これをつけて出席して欲しい」
アイリスが、真っ先に立ち上がると拍手を送り、次々に拍手が沸いて起こり、広間は拍手で埋め尽くされた。
ギデオンの父の親友だった補佐官達が、感極まってギデオンを抱擁すると次々に、勇猛だった彼の父親の面影を忍び、彼に心を寄せる者達が寄り来ては、ギデオンに心からの、祝福の抱擁をする。
ギデオンは少し涙目で俯き加減だったが、どの相手にも気丈に微笑み、抱擁と握手を返していた。
ひとしきり彼らの抱擁を受けるとソルジェニーに振り向き、微笑みかけ、王子の青い瞳が涙で潤むのを見、優しく頷いてみせる。
だがソルジェニーは今にも涙が滴り落ちて止まらなくなりそうで、両手で口を覆ってその輝かしい彼の優しい姿を、見つめ返した。
ギデオンの瞳にも涙が光ったように見えたが、彼は微笑んだまま視線をゆっくり、ソルジェニーのずっと後ろの、壁際にひっそりとたたずむマントレンとヤンフェスとフェリシテ。
そして、王子の横に座る護衛のファントレイユに、送る。
マントレンの瞳は濡れていたし、ヤンフェスはそれは嬉しそうな輝くような微笑みを浮かべ、フェリシテは心から安堵した表情で、ギデオンを見つめ返した。
ファントレイユは視線を受け止め、静かに微笑むと、頷いて見せた。
ギデオンはすっと顔を上げ、どれ程感謝しても足りない。という表情を一瞬浮かべ、彼らに向かってゆっくり、片膝を折って床に付け、手を胸元に当て、深々と頭を垂れて一礼する。
ギデオンのその挙動に、周囲の注目が一斉に集まる。
その場の全員が、右将軍と成ったギデオンがまるで王に礼を取るかのような“高等の礼"を、深く頭を垂れ送る姿に目を止め、続いてその礼を捧げた相手を探し見回す。
対象の筈の王子とアイリスが、ギデオンの礼に気づいて、拍手を始める。
皆が、二人へじゃないのか?といぶかり、視線を彷徨わせるが、アイリスが自分の後ろのマントレン、ヤンフェス、フェリシテに視線を向け、王子が隣のファントレイユに微笑んで拍手を送っているのに、皆気づく。
彼らは注目と視線を浴び始め、慌てた。
ギュンターは、マントレンらがどうしてここに居るのか問い正されるとやっかいなので、顎をしゃくり合図を送って促すと、マントレンとヤンフェスは直ぐに察し、フェリシテも慌てて彼らに続きその場から、急いで姿を消す。
ソルジェニーは隣のファントレイユに拍手を送り続けるが、ファントレイユは慌てた様子で椅子を蹴立てギデオンの元へと駆けつけると、ギデオンに屈んでその腕を掴み、頭を上げさせ小声で囁く。
「…頼むから………!
後で、幾らでも感謝を受ける!
君はたった今!右将軍に成ったんだぞ?!
右将軍が深礼を取る相手は王と、相場が決まってる!
お願いだから…!
膝を、上げてくれ……!」
だがギデオンは自制心を忘れて慌てる、珍しいファントレイユのその美貌を見つめ、静かに告げた。
「…本当に、感謝を受けるんだな?」
ファントレイユは周囲の視線が自分に集まり来、慌てて即答した。
「…受けるさ!勿論!」
だがギデオンはきっぱり言った。
「君の言う事は宛てにならない!」
ファントレイユは焦りまくった。
「…約束する!」
「…その約束は、守るんだな?」
「約束だから当然守るさ!」
「誓うか?」
「私の命に掛けて!
頼むからいい加減、膝を上げてくれ!
君は誰よりも高貴な身分だろう?!」
ギデオンはようやく笑うと、折った膝を伸ばして立ち上がり、ファントレイユを心の底から安堵させた。
ギデオンが官舎前の広場に姿を現す。
解散している筈の兵達は身じろぎもせずその場でたたずみ、静まり返ってまるでギデオンの言葉を待つように、その視線を一斉に向けていた。
ギデオンは一瞬、熱い彼らの数百の眼差しに、涙が零れそうになったがぐっとこらえ、渡された、虎の紋章入り金の肩当てを高々と振り上げた。
途端、わっと、そこら中に轟く津波のような歓声が湧き上がり、大地を揺るがす程のその歓声を、兵達は歓喜に満ちて叫び続け、拳を振り上げ飛び跳ね、お互いを堅く、抱き合った。
皆の目に涙が光り、ギデオンですらとうとうその頬に、一筋の涙を、伝わせた。
ファントレイユは、素晴らしく豪奢な金の波打つ髪を散らし、その手に、栄光の印を高々と掲げるその色白の小顔に浮かぶ、素晴らしく綺麗な碧緑の瞳が、涙に濡れて煌めく様子に目頭が熱くなった。
その時ふいに、今回ばかりじゃなく今まで幾度もギデオンが、絶体絶命の危機に瀕した時胸の潰れる思いで彼の背に飛び込み、彼が背に、受ける筈だった刃を受け止めたその手の感触が突如蘇り、震え出すのを感じ、慌てて震える右手を左の手で押さえ付け、その震えを止めようとする。
同時に目前のギデオンの、生きて素晴らしい栄光の姿を見つけた時、心の底から感激の震えが、体中に湧き上がった。
アドルフェスもレンフィールも、シャッセルも同様、ギデオンのその素晴らしい姿を、感激の面持ちで瞳を潤ませながら、言葉も無く見守る。
シャッセルは、幾度も命を落としかけたその彼が今、ここにこうして兵の祝福を受ける様はどんなものにも代え難く、今日のこの、彼の栄光に包まれた姿は一生忘れられないだろう。
と、深く胸に刻み付ける。
そして……ギデオンの、危機を救い続けたファントレイユに感謝の一瞥を、くべる。
がその一瞥を受けたのは王子ソルジェニーで、王子はもうとっくの昔に頬を涙で濡らしていたが、隣に立つ護衛のファントレイユにシャッセルが見つめている事を知らせようと、そっと伺い見上げた。
だがファントレイユは俯いたまま顔を上げない。
「…ファントレイユ。
……シャッセルが……。
みんな、感謝している……。
貴方の働きに」
ソルジェニーがそっと告げるが、ファントレイユは首を横に、振っただけだった。
「…ファントレイユ」
が、ファントレイユは声を詰まらせ、ようやくささやき返す。
「……どうか……王子。
どうか…今…だけは………」
ソルジェニーは、いつもそれはとても優雅で滅多な事ではその優雅さも余裕のある表情も崩したりはしない彼の護衛が、俯いて肩を震わせている姿を、静かに見つめた。
…あの夜、ファントレイユはごろつきの安酒場ですら、あれ程真剣にギデオンの身を心配していた。
本当に、見た事の無い様子を、見せて。
その彼が感激で肩を小刻みに震わせ、どうしたって顔を上げられない様子を、労るようにソルジェニーは見つめ続ける。
ギデオンはだが、その時叫んだ。
「聞いてくれ……!
この暗殺計画撲滅の、一番の立て役者だ……!
私の命を、救ってくれた男が居る…!」
その功労者の素晴らしい行動に、騎士達がその目の中にギデオン同様、一瞬感謝の煌めきを浮かび上がらせた。
ギデオンがファントレイユを見つめ、ソルジェニーも彼を見たが、ファントレイユはその場を動けなかった。
ギデオンが尚も彼を伺うが、ファントレイユは足を運ぶどころか顔を上げる様子すら無い。
業を煮やしたシャッセルが進み、ファントレイユのその腕を掴むと、マントレンが拍手をし、ヤンフェスがそれは嬉しそうにそれに同調し、兵達もが、シャッセルに腕を引かれてギデオンの元へ進むファントレイユに、割れんばかりの拍手を送り始める。
が、ギデオンの隣に、シャッセルに引き出されたファントレイユはやっぱり顔が上げられない様子で、ソルジェニーはだんだん彼の事が心配になって、ファントレイユを喰い入るように見つめた。
拍手を送っていた騎士達も、顔を上げないファントレイユをギデオンが心配そうに、そっと伺い覗き込む姿を目にし、その手を、止め始める。
マントレンが、どうしたものかな。と心配げにヤンフェスを見上げるが、ヤンフェスは笑って腕を、組んだ。
ファントレイユは拍手が、収まっていくのを、感じた。
その肩は今だ震えていたが、一瞬ぐっ…。とその震えを飲み込む様子を見せる。
次に彼がその面を上げた時、彼はいつものようにそれは優雅な微笑を、その面の上に湛えていた。
ソルジェニーは途端、手が痛くなる程の拍手をし、ヤンフェスはマントレンに、大丈夫だろ?という顔を向け拍手を始め、マントレンも
『やれやれ』
と肩をすくめ、拍手に参加した。
やがて割れんばかりの拍手の嵐の中、それでもファントレイユは感激の涙を心の底に押しやり、その微笑を、保ち続けた。
ギデオンも、横に立つシャッセルも、彼の潤んだ瞳を知っていたし、滅多に感情を現さないファントレイユの胸が感激で熱く、その涙を必死でこらえている様を痛い程感じる。
が、ファントレイユの心とは裏腹に、歓声は全く止む様子を見せず、どころかますます盛り上がり、素晴らしく見事な豪奢な金髪の新しい右将軍と共に、その横の優雅な美貌の功労者に、何時までも何時までも誉れと感謝の拍手の嵐を送り続け、ファントレイユをそれは、困らせたのだった………。