再会
†‖:登場人物紹介:‖†
ファントレイユ・・・19歳。ブルー・グレーの瞳。
グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。
王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。
ソルジェニー・・・アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。
少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし
孤独な日々を送っている。
マントレン・・・19歳。ファントレイユ、ギデオンの友達。
近衛連隊、隊長。剣の腕はからっきしだが、
参謀として、ファントレイユやギデオンの窮地を
度々救い、信望を得ている。
フェリシテ・・・ヤンフェスらの後輩。短剣の名手でヤンフェス同様
とても重宝されている。
主に、戦場ではヤンフェスと行動する事が多い。
シャッセル・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。
大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。
無口、高潔な人柄で、剣の腕前もさる事ながら
誠実さで、ギデオンの信望を得ている。
アドルフェス・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。
大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。
体格が良く、押し出し満点。
大貴族だけあって、プライドが高く、傲慢。
だが剛腕をふるう腕の立つ剣士で、
戦場では信頼されている。
アイリス・・・ファントレイユの叔父で、『神聖神殿隊』付き連隊の、長。
大貴族で、軍の実力者。反ドッセルスキ派の最右翼。
参謀、マントレンと、反ドッセルスキ同志で秘かに
交友があり、情報交換を、している。
ギュンター・・・中央護衛連隊の、長。都周辺の警護を一手に引き受け
その信望は厚い。
“どんな激戦でも部下を見捨てない男"として、周囲から
信頼を得ているが、とっても遊び人。
だが誰もが“見事な騎士”と認めるローランデに
ベタ惚れ。して以来、彼には頭が、上がらない。
アデン・・・ギデオンよりうんと年上だが、同じ近衛准将。
ギデオンの叔父で、現右将軍、ドッセルスキに指令を
受けて、ギデオン暗殺を企む。
スターグ・・・ファントレイユの後輩。マントレンの隊所属。
下級貴族で、腕が立つ遊び人。
午前の爽やかな風を感じソルジェニーが軽やか馬に跨ると、その横でアイリスが鐙に足を掛け、ゆったりした動作で馬に乗り、ソルジェニーに微笑を送る。
淡い髪を揺らし優雅そのものの美貌を傾けたファントレイユが、王子を挟みアイリスとは反対側に馬を止めた。
アイリスが後ろに振りくと、アドルフェスとシャッセル、そしてフェリシテらが馬上で手綱を握り、頷く。
その後ろに三人居るアイリスの部下が、出かける用意はとっくに済んでいると、静かにたたずんでいた。
彼らはアイリスを筆頭に、一斉に駆け出す。
アイリスとファントレイユが、彼らのまん中で馬を繰る王子を伺う。
王子はその柔らかそうな金の髪を風にたなびかせ、青の瞳をその晴天の中煌めかせ、少女のように軽やかに馬を操ってアイリスを感心させたが、ソルジェニーは、濃い艶やかな栗毛を馬上で揺らし、ゆったりとした素晴らしい騎士ぶりの叔父と、淡い髪と瞳の色の際だつ美貌の甥に挟まれて、それは嬉しそうに草原を馬で駆けた。
が、ファントレイユがずっと王子の視線を受ける度、安心させるように微笑みかけるのに、アイリスは気づく。
王子は実はそれは気もそぞろな様子で、ギデオンの無事な姿を一刻も早く、目にしたいんだと感じた。
時々、ただ一人の自分を気遣う身内のギデオンの、無事なその姿を思って、泣き出したいくらいの真っ直ぐな感情で慕う思いを、周囲の大人達の手前必死に隠し、抑える様子を見せる。
だが若輩で、とても感情の素直な王子は、その想いを隠しきれずにその表情に、覗かせていた。
アイリスは王子の馬術の腕を観察すると、後ろに居た、アドルフェスとシャッセル、そしてフェリシテに視線を送り、一つ、軽く頷くと拍車をかけた。
突っ走る勢いのアイリスに、皆直ぐに気づくとファントレイユもそれに習ったが、合図を送る迄も無く王子はその心のまま、駆け出した。
先頭の三騎が疾風のように走り出し、後ろの皆も直ぐに、続いた。
ソルジェニーはアイリスを見たが、艶やかな美しい焦げ茶色の巻き毛を風になびかせ、ゆったりとした優雅で端正な面持ちの騎士は、素晴らしく小粋な微笑を彼に返しただけで、更に速度を上げる。
どんどん上がる速度に、軽やかに王子が、心のまま応えるように付いて行く様に、慌てたのはアドルフェスやシャッセル達の方だった。
ソルジェニーはファントレイユを見つめると、ファントレイユもそれは素晴らしい微笑を称えていたので、彼は二人に感謝し、そのはやる心同様、軽やかに馬を走らせながらギデオンに向かって、一直線に駆け抜けた。
要塞に着くと、彼らは交互に並ぶ色とりどりのガラスのはめ込まれた窓から、幾筋もの朝陽差し込む広々とした廷内の玄関広間に、ギデオンとレンフィール、ヤンフェスと幼いカディツ公子息の姿を見つける。
ギデオンは陽を浴び、豪奢な金髪のその輪郭を白く輝かせて、確かにそこに、居た。
その白に包まれた光の中、見慣れた彼の、宝石のような碧緑の瞳がソルジェニーの姿を目に、心から親しみを浮かべた優しい輝きを放ちその両手が、迎え入れるように広げられた途端、ソルジェニーは感激で目頭が熱くなって、思わず駆け寄り、その胸に飛び込んだ。
腕に抱かれるギデオンのその温もりと確かな感触に、安堵が沸き上がるともう、ソルジェニーには自分を抑える事等、出来なかった。
胸に顔を埋め、腕にきつくしがみつき、肩を震わせるソルジェニーに、ギデオンの心迄もが震う。
幾度もそっと耳元に顔を傾け、心配かけてすまなかったと、繰り返し、ささやき続ける。
ソルジェニーは体の震えが止まらず、ギデオンの腕を、それが二度と消えて行かないよう、きつく握り放さなかった。
その小さな体が、彼の無事を目にした喜びにその身を震わせ続けるのを、ギデオンは泣き顔のように顔を歪めながら腕の中でしっかりと抱き包んだ。
ギデオン自身も自分の感情を抑える事が最早出来ず、何度もその背を手でさすり、頭に頬を寄せて彼の身を案ずるその真摯な想いに、深い親愛と、感謝を寄せる。
ファントレイユが光を背に、その情景を微笑んで見つめているその、ブルー・グレーの瞳が、ギデオンの視界に一瞬入り、彼は顔を上げ、その美貌の騎士の柔らかな微笑みを、目に映し出す。
そして腕に抱くソルジェニーに顔を傾け、そっと、耳元でささやいた。
「…私の伝言を、聞いたかい?」
そう問われ、ソルジェニーはようやく顔を上げる。
今では懐かしさすら感じる、ギデオンのその、艶やかな金の髪に囲まれ色白の小さく整った顔が優しく向けられ、ソルジェニーは問う顔をした。
「…伝言?…ギデオンの?」
その返答に、ギデオンは少し言い淀み、ソルジェニーから視線を外してファントレイユを見るが、ファントレイユは思い切り気まずそうに顔を背けた。
ギデオンは眉を寄せてため息を付くと、見つめているソルジェニーに視線を戻し、彼を見つめてささやいた。
「…君の、護衛の事だ…。
どうせ自分の事は詳しく、言ってないんだろう?あの男は。
自分が何をしたのかを」
ソルジェニーはギデオンを、その青い真っ直ぐな眼差しで、見つめた。
「…彼が暗殺者の刃を止め、彼自身が軽い傷を負ったと…そう、聞きました」
ギデオンは真顔でささやいた。
「…正直彼がいなければ私は、重傷を負ったか……死んでいた」
ソルジェニーがそんなひどい危機だったとは知らず、動揺したように目を見開き顔を、揺らす。
その青い瞳が、みるみる間に涙で潤む。
ギデオンはそれを見て、自分の迂闊な失言に唇を噛むと、それを告げなかったファントレイユのソルジェニーへの思いやりに、そっと感謝を向けた。
ソルジェニーは必死でもう一度、無事を確認するようにギデオンの腕をきつく握り、その確かな手応えと温もりに、震えながらも安堵して、ささやいた。
「…良かった……!
本当に…良かっ………!」
言葉は最後、震えて途切れた。
そしてもうこらえきれないように涙を溢れさせ、彼の胸に、顔を突っ伏した。
顔を埋めて肩を震わす王子に、ギデオンは思わずきつく、彼を抱き留めて彼の涙を真心で、受け止める。
心から労るように抱きしめるが、そのか細い幼い体をとても頼りなく感じ胸が、詰まった。
…ソルジェニーは知っていて、一晩中彼の身を案じ、心休まらずにそれは不安だったと、そう、痛感したからだった…。
アドルフェスも、レンフィールもシャッセルも…。
廷内に差す朝日に照らされた光の中、幼い王子を愛おしそうに大切に腕に抱き、切なげに眉を寄せるギデオンの、初めて目にする姿を暫く呆然と見守っていた。
ヤンフェスは心から微笑み、フェリシテは少し瞳を潤ませながら良く頑張ったと、王子を誉めてやりたい気に、なった。
アイリスはそれを見、とても幸福そうに微笑みながら一つ、頷いた。
ファントレイユがすっ、とその場から去ろうとし、アイリスは彼の背にさりげなく声かける。
「…立て役者が、雲隠れかい?」
ファントレイユは困ったように長身のアイリスを、見上げた。
ソルジェニーがその言葉に気づき、そっとギデオンの胸から顔を、上げる。
今だギデオンの腕の中にいる王子の濡れた青の瞳が、自分に真っ直ぐ注がれ、その視線に気づくと途端、ファントレイユは気まずそうに顔を背けた。
皆がその反応に一様におや?という顔を、する。
ギデオンは微笑むと、ソルジェニーの耳元にそっと告げた。
「…心配事からも君を護った、君の護衛は最高の男だと言ってやったんだが、聞かなかったか?」
ソルジェニーはそのギデオンの言葉に顔を上げて彼を見つめると、その豪奢な金の髪に囲まれた、色白の小顔とその宝石のような碧緑の瞳。
そして傷一つ見えない無事な姿をもう一度、その瞳に大切そうに映し出し、心に刻み、涙で溢れそうな瞳で唇を震わせ、思い切り頷いた。
「…私も、そう思う……!」
ソルジェニーに涙で頬を濡らしてそう言われ、ギデオンは沸き上がる感情に潤みかけるその美しい碧緑の瞳を優しく向けて、そっ、と微笑んだ。
王子はギデオンを見つめ返すと、ファントレイユに礼を言おうと、彼の姿を目で追ったが、ファントレイユはアイリスの長身の体の後ろに隠れるように、立っていた。
ギデオンは王子に次いでファントレイユに振り向いたものの、彼の様子を伺い見ると一つ、ため息を付いてつぶやいた。
「……やっぱり私の伝言は無視、したんだな?」
ファントレイユはその言葉に、動揺を隠すように一瞬顔を揺らす。
アドルフェスとシャッセルに挟まれていた小柄なフェリシテがつい、彼を庇うように急いで、か細い声で囁いた。
「あの、おみやげのりんごのパイは、みんなで美味しく頂いたんですが…」
フェリシテの言葉に、隣で彼を見下ろす長身のアドルフェスの眉が思い切り、寄った。
「…一晩アデンを寝ずに見張って、俺達は何も食って無いのに、君らはりんごのパイを食ってたのか?!」
体の大きな強面のアドルフェスに目を剥いて唸られ、フェリシテが思い切り怯えて、思わず優しいシャッセルの方にその身を寄せた。
ソルジェニーはすっ…と、ギデオンの腕を抜け出すと、ファントレイユに歩み寄る。
窓辺の朝日に、照らされるように白く輝く頬をしたファントレイユの美貌の横顔を見上げ、ソルジェニーは少し震える唇を、開く。
「…ギデオンが、貴方は信頼に足る人物だ…って。
マントレンもフェリシテも、心から貴方を信じてた。
凄く不安で怖かったけど、みんなの信頼を貴方は決して裏切ったりはしないと…私も、そう思ってた」
そう言って、その少女のような年若い少年の瞳はまた涙で溢れそうに潤み、ファントレイユはとても困ったように一瞬眉を切なげに寄せたが、微笑みを取り戻すと告げた。
「……それが、私にとっての最上の喜びですから、どうか、笑って下さい。
良く、やったと…そう思って下さるんなら……」
少し屈んだファントレイユに優しくそう言われ、ソルジェニーは気づき、慌てて必死で涙をその手で拭うと、急いで顔を上げ、彼に応えるように微笑んだ。
ファントレイユが、王子のその様子を目にし、それは嬉しそうに綺麗なブルー・グレーの瞳をきらきらさせるので、ソルジェニーは思い切りそんな彼に、魅入られるように見つめ返した。
だがアイリスが、これ以上感謝を言われたりしたら、ファントレイユの神経が保たないと感じたようで、ヤンフェスとフェリシテに視線を送り、頷く。
そしてギデオンに告げる。
「…私は王子と共に、子息を城に、送り届けます」
ギデオンはその申し出に一つ、頷いてみせた。
死体は片づけたとは言え、血糊だらけの戦闘の跡の生々しく残るその場所に、若輩の王子と子息を長く置きたくないと、アイリスは告げていた。
その、誰もが信頼出来る人物と名を上げる、大貴族の彼をギデオンはそっと、伺い見る。
自分の側に付いてドッセルスキに睨まれている男達は皆、近衛を抜けアイリスの元に身を寄せて今は安全な事を、いつも心の底で彼に感謝していた。
だがアイリスは
『それが、自分の役目だ』
と、ギデオンの感謝を知っているように彼に優しく微笑みかけ、自分の望みは彼が、父親の跡を立派に受け継ぐ事だと、その心で知らせた。
ギデオンはつい、叔父が居座りとっくに諦めていた地位に就く事の重要性に、少し俯くと、心を決めるように唇を、きつく噛む。
レンフィールがそっとファントレイユの横迄来ると、自分の不手際を、言いにくそうに小声で彼に、告げた。
「…実は………ローゼが口を、割らない……」
ファントレイユは珍しく大人しい、レンフィールの様子に、軽く頷くとささやいた。
「…君とギデオンじゃあ、脅しが上手いとはお世辞にも言えないからな」
レンフィールは怒ったが、口を割らす事の出来ない事実の前に反論出来なくて、顔を高慢に上げて腕を組んだ。
「…なら、君に任せよう。
ファントレイユ」
ファントレイユは思い切り肩をすくめた。
アイリスがそっと王子の背に触れ、その長身で頭上から彼を見つめる。
「…ローゼの口を割らせる間、では王子、私のお供をして頂けますか?」
それはゆったりとした、人好きのする濃い栗毛の優雅な騎士にそう言われ、ソルジェニーは思い切り微笑んだ。
ギデオンを見つめると、ギデオンは笑った。
「ローゼの口を割らせたら、又会えるから」
ソルジェニーは嬉しそうに、ギデオンに、頷いた。
とても頼もしく優しい騎士アイリスはそっと王子の背に手をかけ、カデッツ公子息に並び立つヤンフェスとフェリシテの方へ、出立を促す視線を送る。
が、ローゼの元へ行こうとするファントレイユの背を目にし、彼の後ろに素早くアイリスは近寄ると、その肩をそっと掴んで彼の耳元に顔を寄せた。
「レイファスからの伝言をついでに彼に、伝えて置いてくれないか?」
ファントレイユが長身の彼を少し見上げ、だがその眉は、思い切り、寄った。
「…レイファスの?ローゼにですか?」
アイリスはそれでも微笑んで見せ、そっと屈んで彼の耳元に、その伝言を、ささやく。
ファントレイユはそれを聞いて、アイリスを、暫くの間じっと見つめ、一つため息を付くと腕を、組んだ。
「…貴方はレイファスに、甘すぎます。
こんな伝言を受け取るだなんて…!」
長身のアイリスと並ぶとファントレイユはとても細っそりして見え、いつもどんな事にも平然と対処する冷静な様子とは違い、アイリスに、拗ねた子供のような表情で憮然と言い放った。
ファントレイユの怒る様子にでもアイリスは朗らかに、笑って見せた。
「彼が誰と付き合おうが、私の口出す問題じゃないし、彼を縛る気も、無い。
それに…私が知って傷ついたりはしないと、レイファスも解っての伝言だろう?」
ファントレイユはまだ険しく眉間に皺を寄せてつぶやいた。
アイリスの前に居る彼は子供の様で、それは綺麗な子供で、そしてアイリスに少し、甘えるような表情さえ、見せた。
見ていた全員が、それは珍しい物を見たと、ついそんな彼に視線が、吸い付いた。
だがファントレイユは拗ねたような表情のまま、言った。
「…テテュスに聞いてご覧なさい。
いくら温厚な彼だってきっと、私と同意見でレイファスを締め上げるに決まっている!」
だがアイリスは、ファントレイユにとっては自分の息子テテュス同様、もう一人のいとこに当たるレイファスに、それは厳しい意見を言い放つファントレイユの言葉を聞いて、困ったように微笑んだ。
「…どうかな。
私達親子はそれは、レイファスに甘いからな」
ファントレイユの眉が余計に、寄った。
「…レイファスがその上に、あぐらをかいていると知ってるんですか?」
アイリスは、ちょっと眉を上げて、優雅に首を傾げた。
「…やっぱり?
そうかも。とは思ってはいたが」
ファントレイユはどこ迄も甘い、アイリスを見つめてつい、レイファスへの怒りを爆発させた。
「レイファスの、あの我が儘者に、王子の爪の垢でも飲ませてやりたい…!
貴方のような最上の相手の恋人だったのに、それを振って浮気するだなんて!
よりによって、ローゼなんて最悪な馬鹿と!!!」
滅多に感情を出さないファントレイユのその、激しい言葉に、ギデオンはつい、彼を呆然と見つめて黙り込んだ。
勿論、彼の怒りにびっくりしたのはギデオンだけで無かった。
他の全員もが、それぞれ突然の彼の爆発に、思いきり、引いた。
だがアイリスは微笑んだまま、ファントレイユに告げた。
「…けれどレイファスの考えでは、ローゼの口を割らせるのに効果的な伝言だと、言っていたんだ」
が、ファントレイユはまだ怒ってた。
きつく眉間を寄せたまま、組んだ腕も、解かない。
アイリスは優しく彼に屈むと、ふくれた子供の機嫌を取るようにそっと、つぶやいた。
「…君が私を気遣って味方してくれているのは、ちゃんと、解っているから。
でも、どうしても彼に厳しく出来ない私が悪いんだし、私を悪い見本だと思って、君が心を捧げる相手にはせいぜいちゃんと、君の事を想い返してくれる相手を、選ぶようにしなさい」
ファントレイユは即座に鋭く返した。
「私は絶対、レイファスみたいな相手は選びませんから…!」
アイリスは、微笑んで頷いた。
全員がそれぞれ離れた場所から、ファントレイユのひどく怒っている様子を見、思い切り心配げに、彼を伺った。
ギデオンですらファントレイユの怒りを怖れるように、そっと近寄ると、小声で訊ねる。
「…君が怒るんだから、余程の伝言の、ようだな…」
ファントレイユは彼に振り向くと顔を傾け
「…自分が尊敬している相手を、思い切り馬鹿にされたりしたら君だって、腹が立つんじゃないのか?!」
と怒鳴った。
ヤンフェスもフェリシテも、ギデオン相手に怒鳴る人間を初めて目にして、ぎょっとした。
が、ギデオンが、冷静に腕組みして尋ねた。
「…誰を尊敬している?」
ファントレイユはまだ側に立っている、そのゆったりと優雅この上無い、大人の男の風情漂う濃い栗毛の、柔らかな微笑を称えた美男の騎士を、目で指しつぶやいた。
「アイリスだ」
ギデオンは、テテュス以外には見せない、心から気を許し、拗ねたような彼のそんな様子を目に、つい続けた。
「……その伝言は、つまり君の大事なアイリスを、馬鹿にしたような内容なのか?」
ファントレイユは心から敬愛し、尊敬する騎士の誇りを傷つけられて、もの凄く怒ってる様子でまた、吐き捨てるように言った。
「…そうだ!馬鹿に、仕切っている!
なのにアイリスは伝言を頼まれたその相手に、考えられないくらいに甘いから、馬鹿にされてもそいつを許してしまう!
…彼のように素晴らしく、誇り高い騎士がだ!」
ギデオンが、頷くと素っ気なく聞く。
「本人が許しているのに、なぜ君が怒るんだ?」
ファントレイユがその疑問にかっ!と目を剥いた。
「その伝言を頼んだ相手の性格を、知り尽くしているからに決まっている!
相手から反撃が無ければこれ幸いと、どこ迄もつけ上がる奴なんだ!」
アイリスが、外見こそは可憐な美青年だが、ファントレイユが女性と浮き名を流していると同様、その可憐な外観に惹かれて寄り来る男性をやっぱり思い切り弄び、浮き名轟かす元恋人のレイファスを思い浮かべ、つい笑った。
「でも私と違って君は、それはきっぱり、彼に物を言うだろう?
あれでレイファスは君の事を本当の兄弟のように思っているから、君に軽蔑されはしないかと、それは気にしている」
ファントレイユの、ブルー・グレーの瞳が、射るようにきつくなった。
「………アイリス。
彼の言った事を鵜呑みにするだなんて!
彼のあの、華やかで可愛らしい外観に、絶対騙されてはいけません…!
貴方の前ではそれは可愛い子を演じているに、決まっている!
影で舌を出してる姿なんて、知らないでしょう?
…私は幼い頃からずっと彼と一緒に過ごして来たから、彼が大人の前では大層いい子ぶりっ子して相手を騙して、裏では、騙されるなんて馬鹿な奴だと笑う姿を、嫌という程見ていますからね!!!
…彼が心配しているのは軽蔑なんかじゃなく、私の反撃だ!
彼の事を知り尽くしているから、私が怖いだけだ!
だいたい、軽蔑なんて彼が恐れると、本当にお思いですか?
軽蔑なんてものは、価値観の差から産まれる極めて視野の狭い、個人的な感情だと彼は思っている!
そんな個人的な価値観に彼が、振り回されるだなんて断じて、ありえない!」
シャッセルとレンフィールは顔を思わず下げたし、アドルフェスですら同様で、これからの尋問が心から、思いやられた。
ファントレイユは滅多に怒らないが、腹の底から本気で怒ると、誰も勝てない程の凄まじさを発揮するのを、彼らは一度、見ている。
そしてそんな時の彼は、身分年齢等、綺麗さっぱり無くなる。
ギデオンに向かって怒鳴るのはその前兆だと、その場に残る三人は、経験から知っていた。
彼らはその、レイファスという人物を知らなかったが、そういう相手といつも張り合っているからファントレイユがこれ程弁が立つようになったのだと言う事だけは、解った。
…なんにしろ彼らは、ギデオンも含めて、こう言った手合いと、口で争いたくないものだと、心の底から、思った。
アイリスが玄関扉に戻ってきて、その場で待っていた皆を、視線で促す。
ソルジェニーはヤンフェスを見上げたが、彼は肩を、すくめた。
そしてやれやれと首を横に振り、その場を逃げ出す事が出来るのはとても幸いな事だと、ソルジェニーに告げるような顔を向けて、王子の瞳をぱちくりさせた。