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アデンへの尋問

†‖:登場人物紹介:‖†


ファントレイユ・・・19歳。ブルー・グレーの瞳。


        グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。


        王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。


ソルジェニー・・・アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。


        少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし


        孤独な日々を送っている。


ギデオン・・・19歳。小刻みに波打つ金の長髪。青緑の瞳。


        ソルジェニーのいとこ。王家の血を継ぎ、身分が高い。


        近衛准将。見かけは美女のような容貌だが、


        抜きん出て、強い。筋金入りの、武人。 


マントレン・・・19歳。ファントレイユ、ギデオンの友達。


       近衛連隊、隊長。剣の腕はからっきしだが、


       参謀として、ファントレイユやギデオンの窮地を


       度々救い、信望を得ている。


ヤンフェス・・・19歳。ファントレイユ、ギデオンの友達。


       近衛では珍しい、農民出身だが、弓の達人で


       その腕前の素晴らしさから、各隊から引き合いに

       

       出される程。気のいい男で、みんなに好かれている。


フェリシテ・・・ヤンフェスらの後輩。短剣の名手でヤンフェス同様


       とても重宝されている。


       主に、戦場ではヤンフェスと行動する事が多い。


シャッセル・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


       大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。

   

       無口、高潔な人柄で、剣の腕前もさる事ながら


       誠実さで、ギデオンの信望を得ている。  


レンフィール・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


        大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。


        “狐"の異名を取る、天才剣士。

      

        でも性格は、我が儘で目立ちたがり屋。


アドルフェス・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


        大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。


        体格が良く、押し出し満点。


        大貴族だけあって、プライドが高く、傲慢。


        だが剛腕をふるう腕の立つ剣士で、


        戦場では信頼されている。


ローゼ・・・近衛連隊、隊長の一人。アデンに指令を受け


     ギデオンに直接手を下す機会を狙う、暗殺者。


     ギデオンより、年上の熟練の、刺客。



 シャッセルとアドルフェスは、アデンの動向を見守っていた。

が、明け方近くにとうとう、寒さに震えてアデンは自分のテントに戻り、彼らは無言のままテント近くに居を移し、その場を見張り続けた。


陽は直に、昇った。

明け方の朝焼けを背に、その一行が野営地を訪れた時、アデンが兵のざわめきを耳にし、慌ててテントからその姿を現した。


着替えもせずに仮眠を取っていたようで、彼は櫛の通らない乱れた髪のまま、その騒ぎに出向いて行った。


が、馬上のその姿を見ると驚愕に目を見開き、その男に見つかる前に、こっそり兵の頭にその姿を隠し、テントに戻る。

そして次にテントが開いた時、アデンはいかにも逃げ出す様子で身の回りの物を携え、繋がれた馬のほうへと足早に歩いて行く。

手綱を取り、馬に乗ろうとしてその馬の轡を誰かに掴まれた。

背後にも、気配を感じる。


轡を掴んだのはシャッセルで、背後に居たのは、アドルフェスだった。

「…使者を出迎えるご用を、すっぽかすおつもりじゃあ、ありませんよね?」

黒髪の、体躯の立派なアドルフェスに凄まれて、アデンは心外だと言う顔で怒り狂った。

「…お前に何の権限がある!」


だが、いつもそれは静かなたたずまいのシャッセルが、乱暴に彼の腕を掴み捕らえ、もう片方をアドルフェスに掴まれて、アデンは顔色を、変えた。

「…何の権限があって私に乱暴を働く…!

お前達!こんな事をしてただですむと思っているのか…!」


だが騒ぐ彼の前迄、馬に乗ったその使者は、取り巻く兵達を引き連れてやって来た。


ファントレイユが、王子のテントから姿を出してその馬上の人物を見つめ、思わずつぶやく。

「……アイリス……!」


それは彼の、叔父の名だった。

馬上のその人物は、整った顔立ちの上に優雅な微笑を浮かべ、濃い栗毛を朝日の中艶やかになびかせて、濃紺のマントを纏い、それは柔らかに、ファントレイユに笑って見せた。

「…ファントレイユ。

無事を確信してはいたが、それは心配していた。

…何しろ君ときたら、ギデオンの側に居る時は、無茶ばかりする」


濃紺の輝く瞳に、瞳の色よりほんの少し明るい群青の上着とマントを付け、馬上よりそうファントレイユに挨拶をし、彼の隣に姿を現した王子に、優雅な仕草で上着と同色の帽子を脱いで、軽く会釈をし、礼を取った。


マントレンは彼の事を知っていたが、フェリシテとソルジェニーは、初めて目にするファントレイユの叔父が、彼以上に、それは優雅で気品あり、余裕の溢れる様子を目につい、二人揃って感嘆のため息を漏らした。


アイリスは大変巧みに手綱を操りながら、馬上よりアドルフェスとシャッセルに腕を捕らわれたアデンを見つめ、悪戯っぽく、微笑んで見せた。

「…アデン准将。

こんな早朝に、お出かけですか?」


アデンはその男を見て、完全に心の平衝を、欠いた様子で叫んだ。

「…アイリス………!

なぜ貴様がここに顔を出す!

この男達に私を拉致するよう命じたのも、お前の差し金か?!」


アデンの睨みは凄まじかったが、アイリスは全く動じる気配は無かった。

「…指揮官が、指揮すべき兵を置いて野営地から逃亡したとあれば、拉致するのに私の命令等必要ないと思うが…」


彼らを取り巻いていた兵達が、それを聞いて一斉に、ざわめいた。

アデンの、顔が歪む。

「と……逃亡等、しておらぬわ!」

アイリスは、その端正な顔に僅かに微笑を浮かべ、素っ気なく言った。

「…それはこれから、ゆっくりと話すとしましょうか…」


そして彼は、シャッセルとアドルフェスに頷いてアデンを連行させた。

シャッセルとアドルフェスは、馬から降りるアイリスの横にアデンを、連れて来る。

アイリスは辺りを見回し

「…さて、どこならいいかな?」

と囁く。

ソルジェニーはすかさずファントレイユの隣から一歩踏み出し、申し出た。

「場所をお探しなら、私のテントで構いません」


アイリスはファントレイユの横に立つ、少女のような容貌の王子の、真っ直ぐな青い瞳を見つめると、それは人好きのする柔らかな微笑を浮かべ、にっこりと微笑んで言った。

「お言葉に、甘えるとしましょう」

彼はシャッセルとアドルフェスに振り向くと、彼らに微笑んで、促した。




彼らはアデンを引っ立てて、王子のテントに姿を消す。

彼らが消えた後、兵達が大いに困惑にざわめき、アイリスに付き従っていた男の一人が彼らに言った。

「…ここは私の部下が見張る。

君達は持ち場に戻りたまえ…!

…朝食の、支度をしなくていいのか?」

真被りにしていた帽子を取り払った、金髪で長身のその男を、兵の数人が見知っていて、慌てて皆を急かし、その場を散って支度をするよう告げた。


その兵の内の一人が、その男に声を掛ける。

「…ギュンター中央護衛連隊長。

一体何事です?

ギデオン准将も、夜襲を命じられたきり姿を見ないが……」


ギュンターと呼ばれたその長身のそれはしなやかな動作の男は、彼に言葉を返す。

「…直に正式指令が下る。

何も心配はいらない」


訊ねた男はギュンターを見たが、彼とアイリスが登場した以上、それは本当だと、納得した様子だった。

一つ、頷くと言った。

「…では勿論、ギデオン准将の事も?」

ギュンターが頷き、男はその返答で笑顔になった。


兵達皆ギデオン准将が、夜襲を命じられた切り戻らないと、心落ち着く様子も見せずにずっと夜通し、自分も含めてそわそわし続けていたからだった。


ギュンターは手袋を脱ぐと自分の部下達に、王子のテント周辺を見張るように告げて、テントの中へと消えて行った。



中ではアイリスが、王子ソルジェニーにそれは親しげだが礼をわきまえた、初対面の挨拶を、述べた所だった。


ソルジェニーはファントレイユの叔父と名乗るアイリスが、間近で見るとファントレイユよりも長身で幅広な肩幅で、すらりとしたしなやかな立ち姿をしていて、容貌も美しく大層立派な騎士で感心したが、ファントレイユの方もその叔父を、心から敬愛している様子だった。


ソルジェニーはファントレイユのいつも優雅な様子が、この叔父を見習っているんだと思い当たって、心の中でつぶやいた。

『…やっぱり誰にでも、お手本はいるんだ』と。


アデン准将は何度も、アドルフェスやシャッセルの腕を振り払おうとし、彼らに乱暴に、掴まれた腕を引き戻されていた。

ギュンターがひっそりと、後ろで腕組みして控えていると、アイリスが相変わらず余裕のある微笑をアデンに向ける。

「…久しぶりだな。アデン。

相変わらず、悪巧みが大好きな様子だ……」


アイリスにそう微笑まれ、アデンはそれはぞっとする、青冷めた表情を浮かべる。

アイリスはそんな彼の様子等素知らぬ顔で、ファントレイユに告げた。

「…ギデオンは無事だと、思って間違いなさそうだね?」

それは優雅に微笑みかけ、ファントレイユはアイリスに一つ、頷いて見せた。

「…刺客のローゼも、捕らえてあります」

アデンの顔がますます、青冷める。

そして、何も口を開くまいと堅い決意の表情を見せた。


アイリスは、それは素晴らしい微笑でファントレイユに微笑みかけると、アデンに顔を向ける。

「…ああ、アデン。

君がローゼに命じてギデオン准将の命を狙ったなんて、訊ねるつもりは毛頭無い。

私が来たのは、勿論別件だ。

サランティス公から大金の寄付を君が受け取った後、帳簿のどこを探しても記載されていない件なんだ。

釈明があれば聞こう…。

君もご存知の通り、サランティス公は老齢ながらもそれは厳格なお方だ。

君に着服等されたと知ったら…」

アデンは途端、青冷めた。

「…そんな事は知らん!

公は本当に、寄付をされたとおっしゃったのか?!」


アイリスはそれは優雅に微笑むと告げた。

「…そうだな。

老齢だから寄付されてない事を、お忘れなのかも知れない」

アデンはほっとして、そうだろう。と頷いた。

「…が、例え記憶違いだとしても、それを君は彼にそう言えるのか?

年寄りだから、ボケてるんだろうと?

あのお方がどういうお方か、解っていて?」


微笑みながらそう畳み込むアイリスの顔を見て、アデンの顔色が、変わった。

「…その上、寄付をしたと歴とした証拠があったりしたら……

どうなると思う?」


彼は一層明るい笑顔をアデンに向けたまま、懐から取り出した、寄付の金額と署名をしたためた洋紙皮をひらひら指先で揺らし、そう問うた。

アデンが、一瞬にして青冷め震え出す。

その驚愕に見開かれたアデンの目を見つめ、アイリスが少しも優雅な態度を崩さぬまま、更に鮮やかに微笑む。


「…君が言えないのなら私が言おう。

公の金を泥棒した者はすべからく、右腕を切り落とされる。例外無く。

公の法に従って」

アデンはとうとう、我慢出来ず怒鳴った。

「そんな書状は、偽物だろう!

寄付したと言う証拠をでっち上げて、私をはめる気か?!

…くそ!放せ!!」


だが振り払おうとしてもシャッセルもアドルフェスもそれは厳しい表情で、頑としてその腕を放そうとはしなかった。

「…アイリス……!

貴様…!

俺に刀傷を付けただけじゃ飽きたらず、右腕迄切り落とすつもりか?!!」


その心底怯えた様子は、見ている者に鬼気迫るものがあった。

だがアイリスは、うっとりするような微笑を浮かべる。

「ああ、昔そんな事もあったっけね…!

だが君も飽きずに悪巧みをしてるじゃないか…!

言う迄も無く私は公に、問答無用で君の右腕を持って帰るようご命令頂いている…。

だが私にだって情けくらいはある。

君とは古い戦友だし。

…まあ、仲が良かったとはとても、言えないがね」


そう言ったアイリスは、それは優雅に微笑んだりしたからアデンは心底震え上がり、彼の恐怖はその場でアデンを見ていた全員に、背筋に冷たいものが走るような悪寒すら感じさせた。


アデンはアイリスを見つめ、もうすっかり真っ青な顔色で、低く震える声で声を絞り出す。

「…貴様はどうせ、私の腕を切り落とす瞬間もその笑顔を崩さないんだろう?」

アイリスはそれは屈託無く、楽しそうに笑って見せた。

「良く、知ってるな!

だてに付き合いは長くないようだ。

…右腕が無くなれば君の悪巧みが終わるとも思えないが、残念ながら公に、右腕だけとお約束してしまったんでね。

で?ドッセルスキ右将軍に組みしたのは、昔から敵視していた私に、脅威を与えたかったからか?

強力な後ろ盾が欲しかったんだろう?」

「……………」

アデンがまだ伺うような様子で、迂闊な言葉を口にすまいと顔を引き締める。

それを見て、アイリスは笑う。

「…ドッセルスキが怖いか?

右腕を、失うよりも?

……私を完全に敵に回すよりも?」


アデンが声を低く落としてそうつぶやくアイリスを、体を震わせ、心底ぞっとした様子でそっと見る。

視線を受けてアイリスは、心から楽しそうにアデンに顔を傾け、促すように微笑んだ。

皆が、彼のそのあまりの素晴らしい笑みに呆れた。

心から楽しげな微笑で、脅しているからだ。


…アデンはアイリスが、彼の返答次第では本気で腕を切り落とす腹だと、完全に飲み込めたようだった。

アデンの顔が完全に真っ青になり、体がぶるぶると震え出す。

剣を、ぎらつかせて見せる必要も無かった。

アデンは彼の微笑みに、竦み上がったので。


アイリスはアデンの様子に素っ気なく首をすくめて見せると、退屈そうに告げた。

「…さて。

君が右腕をどうしても無くしたくないとあらば、私だって鬼じゃない。

君は寄付金を、新規の馬の購入費に当てたと公に報告し、その馬は私が手配して近衛連隊に送っても構わない。

…で?その交換条件迄君に言う必要があるかな?」


マントレンはあまりに見事なアイリスの優雅な脅迫に思わず唾を飲み込み、皆がアデンを見守ったが彼が既に、落ちているのは誰の目にも明白だった。

「…………ローゼに、命じたのは私だ」

アイリスはぴしゃりと言った。

「…それじゃ足りない。

アデン、解っているんだろう?」

アデンは目を剥いてアイリスを睨んだが、その優雅な男は目で微笑んで返した。

忌々しげにその笑顔を見つめ、アデンは唸る。

「…私に命じたのはドッセルスキ右将軍だ!

甥を殺せと…!

絶対、確実に仕留めてこの戦地から生きて都に返すなと!

…そう命じられた」


アイリスは目線をアデンからテントの戸口近くで腕組む、ギュンターに移して言った。

「…聞いたかい?ギュンター」


ギュンターはゆっくりと顔を前に倒し、言葉を返す。

「…確かに」


アデンははっとするようにギュンターを振り返り、アイリスに向き直ると叫ぶ。

「…あの男迄たらし込んだのか!!!

……アイリスの手管に下るとは、落ちたものだな!

ギュンターともあろう男が!」


アイリスは『人聞きの悪い』と肩をすくめたが、ギュンターはそれは迷惑そうに眉間に皺を寄せ、唸る。

「…お前がどう思おうが勝手だが、アイリスの、手管に落ちたと言うよりはドッセルスキが死ぬ程嫌いだと言えば、お前でも納得するか?!」


そう、ギュンターは長身の体を起こしゆっくりアデンの前まで来ると、金の髪を肩の上で揺らし、その深い紫の瞳でアデンを睨め付けた。


アデンは一瞬、目前の良く見知っている男を見つめ、はっと記憶が蘇ったように顔を歪めた。

「…やっと思い出したか?!

俺は剣を向けられて逃げ出す男が大嫌いだってな!

…ましてや仲間を平気で見捨てる奴なんぞは、虫けら以下だ!

あの肝っ玉の欠片も無いど卑怯な男が右将軍だなんて、こんな笑える話は無かろう?

…アイリスといつも、司令室で笑いの種にしている」


アデンがそのギュンターの凄まじい睨みについ、彼の瞳の底に沸き上がる怒りを感じ、顔を下げる。

確かにギュンターもアイリス同様、私生活ではそれは派手な遊び人だったが、いざ戦地となると誰よりも勇敢なだけで無く、どんな不利な状況下であろうと部下を見捨てた事の無い男として、確固たる周囲の信頼を得てきた男だ…。

そしてその事はアデン自身も良く、知っていた。


ギュンターは組んでいた腕を解くと、アデンに笑う。

「…で?お前はドッセルスキの、手管に下ったって訳だ!」


アデンはその長身から勇敢さ漂うそれは男らしい、かつて見慣れた素晴らしい美男の、それは頼れるギュンターにそう笑われて、俯く。

ギュンターは肩を、すくめる。そしてアデンを見つめ言い放つ。


「准将なんて過ぎた地位を与えられて、自分の肝っ玉がうんと小さい事も忘れたのか?

どうせ血を見るのは今だに怖いんだろう?

まだ戦場で、貧血を起こしてるんじゃないのか?

大貴族の地位で隊長に成ったと聞いたが、ドッセルスキに媚びへつらって准将迄成ったと聞いて、それは心配したよ。

お前の部下達をな!

…戦場で真っ先に血を見て貧血で倒れる、お前の身を心配しなくちゃならないからな?

…それで?

俺に代わってお前の命を敵から護ってくれる、いい部下は見つかったのか?」


周囲の皆が、アデンがいつも決して戦場には足を踏み入れない理由を聞いて、心の底から呆れた。

が、アデンは体裁を構ってる暇は無かった。

アデンの瞳は真っ直ぐ、いつでも勇猛で誰からも頼られる、かつて彼の隊長だった男に注がれていた。

まるで彼の怒りを心から恐れるように。


…誰もが、ギュンターの部下に成りたがった。

彼はどの腕の立つ薄情な隊長達より、面倒見が良かったので。


「ドッセルスキなんぞに金と地位を与えられて尻尾を振り続けるから、命を何度も救われた恩人の俺が、卑怯者が何より大嫌いだって事も、綺麗に忘れて俺に平気で唾を吐きかけられるんだよな?!」


ギュンターに鋭くそう言われ、アデンは真っ青な顔で頭を、垂れた。

「…俺に、言わせたいのかアデン。

お前がドッセルスキなんぞとつるんで悪巧みをしてるのを知って、俺がどれ程お前の命を救った事を後悔したか…。

心の、底からな」


そう、静かな威嚇を向けられ、アデンはぶるぶる体を震わせて、更に深く、顔を下げる。

「…それとも俺が、お前の大嫌いな肝の座ったアイリスと組んでるのがそんなに不満か?

だが似合いだろう?

お前も自分の肝っ玉に見合った、ドッセルスキなんぞと蔓んでるんだからな?!」

アデンがますます、うなだれる。

だがギュンターの声が低く、鋭くなった。

「…実際、お前なんぞがギデオン前右将軍子息を殺そうだなんて企むくらいなら、敵に囲まれたお前をとっとと見捨てれば良かった!」

アデンの、掴まれた両腕が、それを聞いて激しく震え出す。


幾度も…幾度もだった…。

ギュンターは毎度足手纏いになる彼を連れ、それでも決して、彼を見捨てなかった。

そう、幾度もその身で、盾になってくれた…。


「…お前を助けに戻った時、お前が受ける筈だった敵の刃を代わりに受け、負った傷は今だあるが…。

全く甲斐のない、馬鹿げた行為だったな!」


ギュンターのその本心からの怒声に、アデンがわなわなと震え、その瞳にとうとう涙が滲む。

「………ギュンター…」

ギュンターは応えず、相変わらず低い、怒りの籠もる声音で怒鳴る。

「ギデオンの命を狙った事を卑劣な行為だなんて、これっぽっちも思ってやしないんだろう!」


叱咤するような鋭い言葉は、そこに居た全員を代弁するかのようだった。

その場の皆に氷のような冷たい視線を浴びせられ、とうとうアデンが、必死に首を横に振ってかつての恩人に叫んだ。

「…ちゃんと、証言する!約束する!!!」

「…本当か…!

二度と俺に、お前の命を救った事を後悔させないな?!」


ギュンターのその透ける紫の瞳と言葉は真剣で、アデンは頭を深く垂れ、ささやいた。

「…約束する……必ずだ……」

ギュンターが、ようやく笑った。

「…裏切ってみろ…。

右腕一本どころか俺が救った命を、俺の手で間違いなく終わらせてやる…!」

その言葉にアデンが顔を振り上げ、必死に叫んだ。

まるでその頼りになる味方だった男に、心の底から命乞いするように。

「……必ずだ!!!」

アデンはその厳つい顔を歪ませて、ギュンターに目に涙を浮かべて懇願した。

「…約束は必ず守る!」


ギュンターはようやく、怒りを解いてつぶやいた。

「……いいだろう」

一同はその、迫力ある答弁に、ほっと息を、付いた。







 アデンはギュンターの部下に引き渡され、縄をかけられ、テントから連れ出された。

ソルジェニーは長身で容貌の立派な二人の使者に声をかける。

「…お茶を…召し上がりませんか?」

アイリスは相変わらず人好きのする柔らかな笑顔で可憐な王子を見つめ、頷いた。

「…頂こう」


王子が、その素晴らしい微笑を向けられて思わず、微笑み返す。

皆はその場で、王子手ずから入れたお茶を配られた。

アイリスはそのゆったりとした優雅な動作でお茶のカップを手にし、控えめに立つ真っ直ぐの栗毛の、青白い顔の利発そうな小柄な男に顔を、向ける。

「やあ、マントレン」


マントレンはアイリスに、感心し声をひそめる。

「…アデンの口を割らせるのに二段構えだとは…!」

アイリスはカップを口に運ぶ。

「ここで口を割っても、裁判で平気で言動を覆されてはね…。

私はあの男にうんと嫌われてるから、裁判でドッセルスキの顔見た途端、保身を確約されて裏切りかねない」

マントレンが頷く。

「本当の武器は、ギュンター隊長のようですね」


アイリスよりもほんの少し背の高く、濃い金髪をさらりと背に流したその美男は、快活に笑った。

「…俺は隠し玉って訳か」

そして組んでいた腕を解いて、ソルジェニーから茶を乗せたカップの受け皿を受け取り、王子に丁重に礼をする。


ソルジェニーはその金髪の、男らしく勇猛な美丈夫に感嘆したように一瞬、見惚れた。


「…アデンの命を救ったって、本当ですか?」

シャッセルが、その噂でしか知らない歴戦の強者に訊ねる。

ギュンターはカップを口に運びながら言った。

「…昔は俺も近衛にいて、奴の隊長だったしな…!」

皆が、頷いた。

そこに居るソルジェニーを除くほぼ全員が、知っている事だった。


ドッセルスキが幾ら自分の周囲を身分の高い取り巻きで並べ、ギュンターのような身分の低い男を排除したくても、ギュンターは圧倒的多数の大貴族達に、かつて近衛で、決して味方を見捨てぬ気概と、どんな状況でも敵を打ち倒す勇敢さを認められ、彼以外に、王城ある中央地方の護衛連隊長を任せられる男はいないと迄言わせた、実績持つ男だと。


「…近衛がひどい事に成っているとは聞いていたが、甥まで暗殺しようと企むとはな…」

ギュンターがお茶をすすりながら、ぼそりと言う。

マントレンが笑った。

「都や王城警備隊長にと、ドッセルスキが指名してきた男を全部、蹴ったって聞きました」

ギュンターが、その紫の瞳を上げる。

「人の陣地に土足で上がり込むような行為だろう?

俺の傘下に、口出しはさせない。

悔しかったら俺を、クビにしてから好きにしろと言ってやった」


アイリスが、優雅な仕草でカップを口に運びつつも、ぼやく。

「…君が首になったりしたらそりゃ、もっとロクでも無い事になる。

君が首にならない様、君自身がちっとも心を砕かないから、こっちの心配事になってるんだがね?」


アイリスとて『神聖神殿隊』付き連隊長で、実際は別の連隊を統べている。

この二人が連隊長として居座ってなければ、ドッセルスキは自分の取り巻き達をこの部署の連隊長に据え、更に勢力を拡大し、軍の権力をそれこそその掌中に、一手に収める事になってたろう。


ギュンターは、笑った。

「…俺だってまさか、ドッセルスキが甥を葬って、ずっと右将軍の地位に居座ろうとする程図々しいとは思ってなかった」


アイリスが素っ気なく言う。

「そりゃ、するだろう?

戦場で敵と戦って実績を上げるより、うんと手っ取り早くて楽じゃないか」


その言いように、皆が『やはり彼はファントレイユの叔父だ』と目を伏せた。

ギュンターは肩をすくめる。

「…まあ、実際ギデオンが殺られなくて良かった。

で?その刺客は大層手練れなのか?」

「…実際、ファントレイユが駆けつけなければ危なかった」

シャッセルがぼそりと言うと、皆が目を見開いてファントレイユを見る。


シャッセルはその時の様子を思い出すと、又ため息を漏らす。

が、ファントレイユが全員の視線を浴びて口を開く。

「…マントレンと王子と約束している。

果たせなかったら、彼らに顔向け出来ない」

シャッセルとアドルフェス迄もが、そう言うファントレイユを見つめた。

マントレンもフェリシテも、ソルジェニーも同様に。


アイリスが、それは気遣うようにファントレイユをそっと見つめる。

ファントレイユより頭一つ長身の、その優雅で柔らかな笑顔を持つ騎士は、その美貌の甥に労り包み込むように寄り添うと、その瞳を覗き込んだ。

ファントレイユがそっと見上げると、アイリスは微笑んで告げる。

「…テテュスがそれは、いつも君の身を案じている」


ファントレイユはいつも自分を心配してくれる、アイリスの息子、彼にとっての優しいいとこの名を聞き、思わず顔を下げる。

その様子を目に、アイリスはいつも崩さない微笑を翳らせ、訊ねた。

「…今度も、無茶はしていないね?」

が、アドルフェスが口を滑らせた。

「…ギデオンの背に飛び込んでローゼの剣を受止めたが、掠り傷を負っただけだ」


アイリスが初めて笑顔を崩し、眉をひそめた。

「…傷を、負ったのかい?」

ソルジェニーが途端、それは心配げにファントレイユを、喰い入るように見つめた。

マントレンは眉を寄せ、フェリシテは言葉を無くした。


だがファントレイユは一斉に視線を注ぐ彼らの様子を目にし、何でも無いようにいつもの優雅な微笑で返す。

「…アイリス。

アドルフェスが言ったように、本当に掠り傷なんです」

だがアイリスの眉は心配げに、寄ったままだった。

「………見せてご覧」


ファントレイユは一つ、ため息を付くと、口を滑らせたアドルフェスを軽く睨む。

アドルフェスは気づいて視線をそらし、肩をすくめた。


上着とシャツを肩から滑らせ傷を皆に見せて、ファントレイユはつぶやく。

「名誉の負傷にもなりませんよ…。

ヤンフェスが良い傷薬を持っていて、ギデオンが塗ってくれたので、傷跡すら残るかどうか……」

アイリスは傷を見て納得したように、頷いた。


が、ソルジェニーはそれでも肩口を抉る五センチ程の刀傷を目にして顔を歪めていたし、マントレンはファントレイユの剣の腕をどの誰よりも熟知していたから、ローゼの手強さを思って、俯いた。


ファントレイユはどんな時でも、自分が傷を負う戦い方はしなかった。

きっと彼は真っ向からあの男と、やりあったに違いない。

傷を受けるしかない程、ローゼ相手には余裕が無かったんだろう…。


ギュンターが、つぶやいた。

「…なる程。

君の甥は君同様、姿に似ずそれは勇敢なようだ」

アイリスはそう言うギュンターに、誇らしげににっこり微笑んだ。

「…自慢の、甥なのでね」

そう言われた途端、ファントレイユが頬を染めて大人しく俯く。

皆が一度も見た事の無いファントレイユのその、とても殊勝な様子につい、彼を一斉に凝視した………。



「…これから、どうします?」

マントレンに聞かれ、アイリスは彼に微笑む。

「…ギデオンを、迎えに行かないと」

ソルジェニーが咄嗟叫ぶ。

「どうか…!

私も同行させて下さい…!」

アイリスはその必死な様子の幼い王子に、微笑んで頷く。


「…私はアデンを連れて先に戻る。

する事も、あるしな」

ギュンターが言うと、アイリスは頼むと言うように、頷いて応えた。

が、テントの外でアデンがギュンターの部下に引き立てられ始めると、兵達が一斉に手持ちの仕事を放り出し、寄って来てはその様子を見、ざわめく。


そして夕べから姿の見えない彼らの英雄、ギデオンの身を案じ、兵達は不安げに

『どうなってるんだ?!』と騒ぎ始めた。


マントレンはその様子を目に、一つ、ため息を付く。

こういう騒ぎを収めるのに頼りになりそうな、アドルフェスやシャッセル達はさっさと、ギデオンの元に戻る為、繋いだ馬に乗り始めていた。

が、騒ぎを見物中の、近くに立っているスターグに気づく。

「…役に立ってくれるな?

ギデオン准将はじきご無事で戻られるから、自分の仕事をしろと、兵に告げてまわれ!」


スターグがふいに話しかけられ、その命令に肩を不満げに揺らすのを見て、マントレンが尚も言った。

「…聞いたんだろう?

ファントレイユが安酒場の夕食じゃ割にあわない。とぼやいたのを。

その借りを返すチャンスだぞ…!」


スターグは、借りを作ったのは彼であんたじゃない。と言いたかったが、小柄ながらマントレンは肝が座っていて、彼は自分の隊長をこれ以上敵に回すのはまずい。と察し、彼の前から姿を消して親友のラウリッツ迄促し、仕事に戻れと喚きながら兵の間を歩き抜けて行った。











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