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要塞での攻防

†‖:登場人物紹介:‖†


ファントレイユ・・・19歳。ブルー・グレーの瞳。


        グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。


        王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。


ソルジェニー・・・アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。


        少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし


        孤独な日々を送っている。


ギデオン・・・19歳。小刻みに波打つ金の長髪。青緑の瞳。


        ソルジェニーのいとこ。王家の血を継ぎ、身分が高い。


        近衛准将。見かけは美女のような容貌だが、


        抜きん出て、強い。筋金入りの、武人。 


マントレン・・・19歳。ファントレイユ、ギデオンの友達。


       近衛連隊、隊長。剣の腕はからっきしだが、


       参謀として、ファントレイユやギデオンの窮地を


       度々救い、信望を得ている。


ヤンフェス・・・19歳。ファントレイユ、ギデオンの友達。


       近衛では珍しい、農民出身だが、弓の達人で


       その腕前の素晴らしさから、各隊から引き合いに

       

       出される程。気のいい男で、みんなに好かれている。


シャッセル・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


       大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。

   

       無口、高潔な人柄で、剣の腕前もさる事ながら


       誠実さで、ギデオンの信望を得ている。  


レンフィール・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


        大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。


        “狐"の異名を取る、天才剣士。

      

        でも性格は、我が儘で目立ちたがり屋。


アドルフェス・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


        大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。


        体格が良く、押し出し満点。


        大貴族だけあって、プライドが高く、傲慢。


        だが剛腕をふるう腕の立つ剣士で、


        戦場では信頼されている。


 アデン・・・ギデオンよりうんと年上だが、同じ近衛准将。


     ギデオンの叔父で、現右将軍、ドッセルスキに指令を


     受けて、ギデオン暗殺を企む。


 ギデオンが殆ど陽の落ちた暗い要塞の、高い石塀の亀裂の一つに、確かに茂みで偽装されてはいるものの人が一人通れるくらいの穴を見つける。

茂みを手で払うと、素早く中に、侵入する。


慌てて続くローゼに、振り返るとギデオンは低くつぶやいた。

「…人質はお前達が探せ。私は正面から斬り込む」


どうせ、その手柄が欲しいんだろう。と言うギデオンのその表情に、ローゼは頷いて見せはしたが、ギデオンが彼に背を向けるなり、人質探索を後ろの部下に

『任せる』と頷き、そっと去りゆく背を、伺った。


ギデオンは全く見張りのいない中庭を抜けて屋敷の、正面に回る。

柱に括りつけられた松明の灯りに浮かび上がる石段の二段上に、幅広の焦げ茶色をしたオーク材の立派な玄関扉があり、その前にはさすがに見張りが一人、立っていた。


が、男はやる気の無いように扉にもたれかかり、瓶から酒を煽っている。

「……のどかだな」

ギデオンはしなやかに石段を駆け上がりそう、声を掛ける。

「……!てめぇ……!」

その見張りは驚きに目を見開いた。

が、腑に落ちず、咄嗟に正面の大きな門を見たがやっぱり閉まっていて、男はギデオンに向かって叫んだ。

「…どこから入って来やがったんだ!」


ギデオンは顔色も変えずその男に近寄り様剣を抜き、男が慌てて短剣を懐から差し出し、間近に迫るギデオンの顔めがけて斬りつけたが、ギデオンは首を傾けて避け、剣を振り上げ、一瞬でそれを振り下ろして一刀の元に切り捨てた。


「ぎゃっ!」

男は短く呻いてその場に崩れ落ちる。

ギデオンは不遜な態度で豪奢な金髪を散らし、血糊の付いた剣をさっと下に振って血糊を飛ばすと、握ったままきびすを返し扉を、開けた。



 …ローゼが駆けつけた時もう扉は開いていて、男が血を流して事切れているのを目にする。

中に入るが、その広い玄関広間の床にまた、一人。

丸で死人の後を辿ると、ギデオンの姿が見つかるとでも言うように、彼の進んだ先には死体が、転がっていた。




 …疾風のように馬を走らせる

ファントレイユの、その脳裏にはギデオンの姿が、あった。

彼の事だ。

一切無駄は無いし、一端出動となるとローゼ達ですら置いて行きかねない早さで駆けて行くに違いない。


暫くして道を外れ、丘を一気に駆け上がる。

蛇行した道の遙か下、丘の裾野に、二頭の馬が駆ける豆粒のような姿が、月明かりの中に浮かんで見え、その二騎には見覚えがあった。


ヤンフェスとシャッセル。

その後ろにまた一騎。

レンフィールと、その後ろから少し遅れてアドルフェスの姿迄月明かりの煌々と照る、蛇行した丘を登る一本道に現れ、ファントレイユは坂の上から思わず手綱を引いて、馬の足を止めた。


「……解ってるのか!西の端だぞ!」

下からファントレイユの姿を見つけ、レンフィールが叫ぶ。

ファントレイユは軽く頷くが、急かすように馬の首をまた丘に向けると、蛇行する道を外れ、一直線になだらかな坂道を駆け上がって行く。


「…………!」

それを見たシャッセルが、慌てて馬の首を道から外すと、丘の上へと馬の首を向け、拍車を入れて駆け上がる。

ヤンフェスもほぼ同時に、シャッセルの、横に並んで駆け上がって行った。


レンフィールが、そしてアドルフェスもが気づき、慌てて馬の首を道から外し、丘を、一直線に駆け昇り始めた。

が、シャッセルがどれだけ馬を急かしても、幻のようにファントレイユの背には追いつけない。


そのファントレイユの早さに、シャッセルの胸が騒いだが、それはレンフィールもアドルフェスも同じだった。


彼らは幾度もギデオンが、死を迎えるだろうという危機を目にして来たが、ギデオンのその、最も危険な時に、いつも決まって駆けつけるのはファントレイユだったからだ。


ファントレイユはまるでギデオンの危機に、特別なカンでも、働くかのようだった。

シャッセルが、更に馬の速度を上げようと拍車を掛けたがそれは、レンフィールもアドルフェスも、同様だった。 




 ローゼは必死で廷内を探した。

死体は転がっているものの、彼の探すその姿はどこにも見えない。

…だが、玄関広間に戻り、その二階に続く幅広の階段を上がった、その先だった。

開いたその扉の向こうに、多数の人のざわめく気配を感じた。


ローゼが、両開きに開いた戸口からそっと中の広間を伺い見る。

その舞踏会が開ける程広い部屋の中には、警戒する手に刃物を持った大勢の盗賊達が敵を迎え、そのたった一人を取り囲み、慌ただしく周囲を動き回る姿が、見えた。


…盗賊達は、40人程いた。

そして男達が殺気立って取り囲むその輪の中に、彼の探す姿をやっと見つける。


金の、どこにも無いような、鮮やかに小刻みに波打つ長髪。

色白の小顔に、宝石のような碧緑の瞳が煌めく。

その、むさい盗賊達の中で彼の姿は素晴らしく綺麗だったが、ローゼとてその容姿に騙される男なんかじゃなかった。


40人の盗賊に囲まれた彼の気迫は凄まじく、その瞳はぎらりと光り、幾数本の刃を向けられても、冷や汗すらかく様子の無いばかりか、たった一人でありながら彼らを圧倒する程の威圧と恐怖を、敵に与えていた。


ローゼはその彼の、戦場での人を超えた気迫の漲る様子にぎり…!と唇を、噛んだ。

…彼の狙う男は、人にあらざる、金の猛獣。

恐れを微塵も見せず、勇猛にして果敢。

一瞬でも気を抜けばその牙にかかって、あっという間にあの世に送られる。


ギデオンは襲いかかる敵を、素晴らしくしなやかな動きで斬り捨て、次にかかってくる敵をも、一刀の内瞬時に斬り捨てていた。

その流麗な動作に少しの、戸惑いもためらいも無い。

ローゼの、眉が、寄る。

隙が、全く無い…。

息一つ乱さぬ、その豪奢な金髪の男は、多数の敵に取り囲まれているにも関わらず顔色すらも、変えない…。




ファントレイユはどうしても、眉が寄るのを止められなかった。

決まって、ギデオンの危機を感じる時のあの全身がぞっと冷たい、嫌な感覚だった。

そして、幻が脳裏に浮かぶ。

それがまるで数分後に、実際起きるかのような、鮮明な。

そしてそれは、いつもギデオンの死の、幻だった…。


幾度目だろう…?

毎回自分の身も忘れ、その幻に支配されるのは…。

だがそれは事実だと、経験で解っていた。


自分が間に合わない限り、この幻は確実に現実になる!

歯を、自然と喰い縛る。頼む…!

彼は馬に心から語りかけた。

どれだけでもその後休ませてやる…。

だが、頼む…!今だけは………!


馬は狂ったように急がせる、その乗り手の意を汲み兼ねていた。

速度を上げるが、それよりも、もっと早く…!

…早る心が痛い程伝わったが、いくら必死で地を蹴っても、乗り手の望む早さには到底、到達出来ない気がした。

地を蹴り続け、だが何度も急かす手綱を振り払うかのように首を、横に振る。

いつも優しい主人はだが決然と、手綱を繰って拍車をかけ、猛速を望むのだった。


ファントレイユの瞳にギデオンの、幻の姿が映り続ける。

幾度も幾度も、その背に刃の喰い込む映像が、悪夢のようにだぶり続け、ファントレイユはそれを振り払う迄諦める気は無かった。

王子に、私が言ったのだ。

後は、覚悟を決めて出来る事をする迄だと…!


まだだ。頼む。もっと早く……!

もっと、もっとだ…!

間に合う迄………!


ファントレイユは背に深く傷を受けて血を吹き出す幻のギデオンを、抱き留める事をしなかった。

それは俺が、したい事なんかじゃない…!

その前だ…!

その刃の、振り下ろされるその前に、ギデオンの背に飛び込み…そして……………!

必ず、止めてやる。何としても!


ファントレイユは倒れるギデオンの幻を振り払い続け、そして幾度も、振り下ろされる前にその刃を、自分の剣で止める幻にすり替えた。

チラとでも、息絶える青冷めた彼の姿を思い浮かべたりしたら、その想像を超えた喪失感で、自らが獣になって慟哭してしまいそうで、またぎり…!ときつく歯を喰い縛ると、その慟哭を心の、うんと、うんと奥底へと、押しやり続けた。 





 …そしてまた、一人……。

ギデオンがしなやかにその身を返し、野獣の、牙のごとくの剣を振る度に、男が短く呻いて床に倒れる。


正規の軍で無く、盗賊の集まりで皆が命を惜しみ、その獣の敵となるのを、ためらっていた。

恐怖におののき、ついに我慢出来なくなった男がまた一人、狂ったように、剣を掲げてギデオンに向かって行く。


狂気の形相にもギデオンは顔色も変えない。

ずばっ!剣を振る、その形も定かに見えない程早く、それは横に弧を描いて賊は短く呻き、倒れた。


全員が、次の敵を待つ、たった一人のその男をぞっ、と総毛立って見つめる。

命の惜しい男がギデオンを取り囲む輪からこっそり外れ、扉のこちらに逃げ出して来る。


ローゼはそっと扉の影に隠れると、広間には見えないようにその男を後ろから捕まえ、口を塞ぎ、喉をさっ、と切って誰にも気づかれないよう殺した。

ローゼは尚も広間を伺うが、誰も気づく様子は無い。

その場から僅か視線を外したその隙に、床に転がる死体が、また増えていた。


ローゼは喉を鳴らし、唾を飲み込む。

ギデオンの、金の髪が散り、その体をしなやかに倒し、いともたやすく敵の剣を潜り抜け、そしてまた一人…。


振りかぶり様凄まじい気迫の元、やはり一刀の内に打ち倒して賊は床に、突っ伏した。

ローゼは焦る心を、止められなかった。

…これではギデオンの、疲労は望めず、隙すら見つからない…!


じりじりと様子を伺うが、二人同時に斬り込んだにも関わらずほぼ同時に近い早さでギデオンは瞬時に二刀入れ、二人の男が床に伏す。


怯えきる、盗賊達を目にしてようやく、群の奥に居た首領が姿を、現す。

濃い栗毛を後ろで束ね、ごつい面構えの濃い藍の瞳をした、さすが頑強な逞しい岩のような大男で、他の男達より全ての造りが二周りは大きかった。


ギデオンが、笑う。

「…やっと私とやる気に、成ってくれたか?」

待ち望んだように低くつぶやくと、首領はその、ぞっとする幾人をも斬り殺してきた残忍な藍色の目を、ギデオンに向けた。


二人は相対し合うがさすがに首領だけあり、ギデオンの気迫籠もる一刀をその剣で、瞬時に防ぎ止める。

「…やっと手応えが、あるな…!」

剣を交えたままギデオンが笑うと、首領も唸る。

「…降伏するなら今だぞ…!

その綺麗な顔を切り刻むのは、惜しいからな…!」

「いらぬ世話だ…!」


同時に剣を離して引くが、引くなり構え、両者ほぼ同時に、真っ直ぐ互いに襲いかかる。

再び激しい、剣のかち合う音がする。

だがギデオンの気迫は剣がぶつかり合う度増すばかりで、首領は場数を踏んでいるだけありよく、ギデオンの鋭く早い剣を、全て受け止めてはいた。


だがどう見ても押しているのはギデオンで、その勢いは止まる様子が、無い…。

ギデオンの後ろから隙を付いて男が一人、振りかぶって斬りかかった。


が、ギデオンは鮮やかに剣を握り返し、正面に居る首領の動向を睨み据えたまま、後ろのその男の腹に真っ直ぐ剣を、突き入れる。


ざっ!剣を抜き様、隙有りと襲いかかる首領の剣を、瞬時に握りを戻し受け止める。

がっ!重ねた剣を、放した後瞬時に襲いかかる首領の剣がぎらりと銀の輝きを放って空を斬り、しなやかに身をかわしたギデオンも刃を返して振り入れるが、その鋭い剣は、首を振って避ける首領の顔近くを、ぎりぎりで掠めた。


殺気を帯びた銀の輝きを間近に目にし、首領はいかつい顔を歪め、思わず冷や汗をかく。

が、ギデオンのその背にまた、一人が斬りかかる。

だがギデオンはまるで知っているかのようにその男の突き出す剣を、僅か横に一歩体をずらし避け、右に突き出る男の腕を右脇に挟み捕らえると、剣を咄嗟左に持ち替え、鮮やかに刃を回し後ろに突き刺す。

腕を掴まれ腹を刺されて呻く、男の腕を咄嗟に放し、右斜め後ろからかかって来る敵に瞬時に剣を右手に持ち替え、振り向き様一刀を入れて斬り殺し直ぐ、襲いかかる首領の剣を、振り向き様受け止めた。


…ローゼはイライラしていた。

首領が討ち取られでもしたら、ギデオンの命を狙う隙が、全く無くなる。

心から敵の盗賊達に、ギデオンが疲れ切る迄保ってくれ…!と望みを掛けた。





 フェリシテが、仕切りに王子の様子を、伺う。

が、マントレンは構わず言った。

「貴方の番だ。王子。

それとも、ソランとお呼びした方が、いいですか?」


三人はテーブルに座り、カードを切っていた。

ソルジェニーはマントレンの言葉に顔を上げ、微かに微笑み、頷く。

が、気もそぞろな様子に、マントレンは真っ直ぐ斬り込んだ。

「…ギデオンの事が、心配ですか?」


顔を上げたソルジェニーの顔はランプの灯りの中、今にも泣き出しそうだった。

フェリシテがそれは胸の痛む表情を見せ、心配げに王子の様子を伺う。

だがマントレンは、小柄ながら肝の座った様子を見せた。


「…王子。私は、作戦を立てるだけだ。

そして後はいつも、彼らの無事を祈る事しか出来ない」


ソルジェニーはそのひ弱に見える、理知的な参謀の顔を、見た。

確かに少し青白い顔色で痩せていて、どう見ても軍隊に向いているとは言えない彼だったが、こんな場面で静かな態度を崩さない、その意志と覚悟は、ソルジェニーにもはっきりと伺えた。


マントレンは更に口を開き、静かに告げる。

「…信じて、待つ事しか、出来ません」


ソルジェニーはそのマントレンの、静かな微笑みに圧倒され、頷いた。

そしてか細い声で、一緒に居てくれる彼に返答した。

「…私も、そうします…」

マントレンはようやく、笑ってカードを切った。

「王手…!また私の、一人勝ちのようですね?」


ソルジェニーはマントレンの切ったカードを見つめた。

フェリシテが、ついぼやく。

「…手加減、無しですか?」

「…したくても、君達は弱すぎる」


フェリシテが王子を見、ソルジェニーはフェリシテを見ると、二人で肩をすくめた。

だが不思議な事にソルジェニーは少しずつ、カードに没頭していった。

マントレンがそうする用し向けたせいもあったけど、マントレンにはどこか、とても心が落ち着く風情があって、彼と居ると、なぜか確信出来た。

ギデオンは無事、必ず返って来ると。


今度はそれが嬉しくて、ソルジェニーはまた涙が零れそうになった。

が、笑い声を立てるフェリシテも、朗らかに笑うマントレンも、嬉し涙を、咎める事はしなかったから、ソルジェニーは涙を、拭いながら笑った。

「…どうして勝てないんです?貴方は強すぎます…!」

マントレンに抗議するが、彼は笑い

「私のカードの切り方をもう少し見ている事です」

と言ったきりだったし、フェリシテもソルジェニー同様、文句を言った。

「…そこそこ解る私だって貴方が、毎度手を変えている事くらい解りますよ…!

そんなの、覚えられる訳が無い…!」

「ならファントレイユが戻って来る迄、君達は私に負け続けるしか、手はないね…!」


フェリシテはムキになる目をし、ソルジェニーは、ファントレイユが帰って来る事を確信しているマントレンが嬉しくて、また涙をこぼして言った。

「…一度くらいは、勝ってみせますから…!」

マントレンは大きく頷くと、返した。

「…では、受けて立つと、致しましょう…!」 






 ファントレイユの顔が、一瞬輝いた。

見えた、亀裂だ…!

石塀の西側の、掻き分けられた茂みの向こうの亀裂めがけ突っ込む。

後は自分の足が頼りだった。


まだ馬を降りる前から、駆け出す自分の姿を思うだけで、体に力が沸いて漲る。

岩塀の亀裂がぎりぎり、塀に衝突寸前迄馬を走らせた。

そして、馬から飛び降り様着地しそのまま、茂みを払いのけて裂け目に飛び込む。

素早く潜り抜け、足を全く止める事無くファントレイユは全速で、中庭を走り抜けた。


息が、止まってもいい…!

あの背に刃が振り下ろされる、その前に、飛び込めたなら…! 





 首領の、息が上がる。

糞…!

ローゼが心の中でだらしない盗賊の首領に悪態を付いた、その時だった。

彼の配下の部下達が、捕らわれた子息を救い出してローゼの元に駆けつけたのは。

ローゼは部下達に指令を下す。

30名程のローゼの部下達は大挙して広間に乱入すると、盗賊めがけて、なだれ込んだ。


広間に居た盗賊達は、入り口から斬り込む騎士の数の多さにおののき、顔を歪め、慌てて剣を構える。

ローゼは彼らに紛れ、こっそりギデオンに近づく。




 ファントレイユは二段ある石段を一飛びで駆け上がった。

玄関扉を駆け抜け、一瞬廷内を伺う。

そして、二階の広間で剣を交える音と人が騒ぐ音を仰ぎ見、階段を猛速で、駆け上がって行った。


一瞬、その視界にギデオンの背に飛び込む自分の幻が、今度ははっきりと見える。

ファントレイユは更に、速度を上げた。




 石塀の裂け目をくぐったものの、シャッセルはもうファントレイユの姿を見失う。

アドルフェスとレンフィールは息を切らし、ヤンフェスは軽やかに彼らを、追い抜いて行った。

「…敵は……!」

ヤンフェスの背に、レンフィールが言葉を投げかけたが、アドルフェスが『廷内だ…!』とその建物を目で示し、二人はヤンフェスの、背を追った。




 シャッセルが廷内を見回すと、ファントレイユのグレーがかった栗毛が二階広間の開いた扉に消えて行く姿がチラリと見えた。

彼は視線を階段に向けると、猛然と、駆け上がる。

ヤンフェスが軽やかにその背に、続いた。


 


 ギデオンは、隙を狙う首領の剣をその(やいば)で止め、二人は剣を重ねたまま睨み合った。

ギデオンのその背後は、がら空き。

ローゼが、紛れていた部下達の間から、さっと抜け出す。

ギデオンはさっきより気迫を、首領だけに向けている…!

多数の味方の援護で、彼の注意は目前の敵にのみ集中しているように見えた。


ローゼはそっと、殺気を隠して彼に、近寄った。

ファントレイユが戸口から広間の中へ足を踏み入れると、ローゼの部下達と逃げ惑う盗賊の間を、ぶつかり来る背を避けながら縫い歩き、その姿を必死で探す。

やっと広間の奥にローゼを見つけ、その姿が、でかい首領と剣を交え力比べのように押し合うギデオンの背に、気配を消して忍び寄る姿を見つけ、ファントレイユの眉が一瞬きつく寄る。


ローゼを激しく睨み据えると、ギデオンの姿目がけて猛然と、ごった返す争乱の広間を、駆け抜けて行った。


ローゼが、隙を見せるギデオンの背に、剣を振りかぶり襲いかかる。

ギデオンが一瞬、ふいに現れた殺気を背後に感じ、ぞっとした。


近い………!

が、首領は交えていた剣を、剣毎彼をまっ二つにする気迫を込め、力尽くで上から押さえ込む。

…今、この重い剣を例え跳ね除けたとしてもその途端、背後の剣が彼の逃げる隙など与えず瞬時に、その背に振り入れられるのはほぼ確実で、ギデオンは一瞬、覚悟を決めた。



 シャッセルもヤンフェスも、レンフィールもアドルフェスもが、広間に飛び込んだ瞬間、その光景を、見た。


ローゼの刃がギデオンの背めがけて振り下ろされたその時、ファントレイユはギデオンの背に飛び込み様、下げた剣の、握りを返してローゼの剣を、がちっ!と火花散らし、受け止めて見せた。


がっ…!

ギデオンが背後に人の気配を感じ、チラリと後ろに視線を投げ、直ぐにファントレイユの姿を確認し、その刃を交えていた首領の剣を、力を込めて思い切り上へと跳ね上げる。


そのまま剣を振り上げ、握りに力を込め、稲妻が駆けるより早く首領の肩へと、振り下ろす。


首領は肩口から胸にかけてばっさりと傷を作り、血を滴らせてギデオンを、凄まじい藍色の瞳で睨み据えた。


ローゼは止められた剣を引くと乱打するように、降って沸いたようなその邪魔者めがけて次々剣を、繰り出し続けた。

ファントレイユは雨のように息付く間も無く振り降って来るローゼの剣を、全て受け止めて見せる。

ローゼの視線に一瞬、傷を受けた首領の姿が映り、その顔が焦りに歪む。

何としてもこの男をさっさと始末しなければ、職務の遂行は望めない…。

だがこの男はファントレイユ。

そこそこ使える程度の、やさ男だ…!

ローゼは更に握る剣に、力を込めた。


がファントレイユはそのブルー・グレーの瞳でローゼを睨みすえ、一息も漏らさず降ってくる剣をことごとく受け止め、彼を討ち取ってギデオンを狙おうとする刃を、全て阻む。


瞬間、ヤンフェスの放った矢がごった返す人の頭上を抜けて飛び、ローゼに代わってギデオンの背に襲いかかる、部下の一人の、背を貫いた。


盗賊達は敵が、味方を狙う様に混乱をした。

が、ローゼの部下が、打ち合っていた盗賊を放り、ギデオンを取り囲み始めるのを目に、シャッセルが室内に飛び込むと、レンフィールとアドルフェスも、慌てて後に続く。


ヤンフェスは自分の背後を護ると言ったシャッセルが、さっさと持ち場を離れるのに思い切り肩をすくめたが、一つため息を付くと室内の壁に背を合わせ、近距離用の、弓を構えた。


ローゼの部下達は入り口からなだれ込む剣士達の前に次々と倒され、その様子に盗賊達は浮き足立ち、室内から、今が好機とばかりに逃げ出し始める。


首領が逃げ出す彼らに、怒鳴りつけようと目で追う隙にギデオンが、更に激しい一刀を振り入れ、首領は肩から血を滴らせながらも何とかそれを、避けた。


が、次に首領がこれが終いだとばかり、ギデオンを討ち取るつもりで剣を、凄まじい気迫で思い切り振り被った時、それを察したギデオンは一瞬剣を後ろに引き、首領が剣を、振り下ろすよりも先に懐に飛び込み、その身事剣を腹へと突き入れ、深々と腹を刺し貫いてはさっとその身を、剣ごと引き抜いた。


首領は首を垂れ、剣を落として脇を抑え、そしてそのまま、床に崩れ落ちる。

息を切らしてギデオンは振り返るが、ローゼがまだ、ファントレイユ相手に眉間を寄せていた。


ローゼは、そこをどけ…!

と言わんばかりに凄まじい瞳でファントレイユを睨め付け斬り殺そうとするが、ファントレイユは一歩もその場を、引かず対等に渡り合う。


ギデオンの眉が、その光景を目にし、切なげに寄った。

…普段優雅なその男は、見た事の無い程の気迫を漲らせ、ローゼが振り入れる素早い剣を、尽くはじき飛ばして見せた。

静かな気迫を威圧にすら変え、一歩も退く気の無い厳しい表情でローゼを睨み据える事を、止めようとしない。


ローゼの、相手にすらならないと思っていたその敵の手強さに、その顔を歪め焦る様子が手に取るように伺える。


ずばっ!

…だがついにローゼの早い剣が、ファントレイユの肩を掠る。

ファントレイユのブルー・グレーの瞳が、一瞬駆け抜けた肩口の熱さに瞬く。


ローゼは笑った。

が、ファントレイユは痛みに呻くどころかその瞳を少しも泳がす事無くローゼを見据えたまま、静かに剣を、握り直す。

見ると右肩口から血が、滴り始めている。

ギデオンが口を開こうとしたその時、ファントレイユの剣が隙を付いて返礼のようにローゼの脇を、目に止まらぬ早さで掠めた。

一瞬、焼けるような痛みが腹に走ったのか、ローゼは体を揺らし、その顔が、驚きに歪む。


見えなかったんだな…。

ギデオンは思った。

こんな早業を、彼は一度だって人前で披露した事が無い。


だが明らかに、ファントレイユの礼の方が上手だった。

…その滴る血は、ローゼの方が、多かった。

今や誰の目にも使い手として人を殺す腕では隊一の、『人切りローゼ』と異名を取るその男なんかより明らかに、ファントレイユの剣戯が上廻って見えた。


だが…。

ギデオンは知っていた。

上を行ったのは剣の腕で無く、その凄まじい、気迫だと………。


ギデオンはファントレイユに、『もういい』と声を掛けようとし、彼のあまりの気迫に言葉が、出なかった。

ローゼの瞳に、ファントレイユの背後、ギデオンが様子を伺う姿がチラと映る。

そして…レンフィール、シャッセルが、荒い息を吐きながらも自分の背に、剣を向ける気配に、気づく。


アドルフェスが少し遅れて、やはりその背に、剣を構えた。

正面のファントレイユの他、背後を三方から彼らに狙われ、ローゼはとうとう視線を、正面で今だ殺気を解こうとせず睨み据えるファントレイユからそっと外し、背後からぎらつく殺気を滲ませて剣を向ける三人の剣豪達に、それぞれ送った。


右斜め後ろのシャッセルも、中央後ろのレンフィールも左斜め後ろのアドルフェスも、ローゼがそれより一歩でも動けば斬り殺す腹で、動くのを、剣を握りしめてじりじり、待っている様子だった。


長身の、端正な面持ちの白碧の騎士シャッセルは殺気を纏いながらも、ぞっとする程、静かに。


“銀弧"と異名を取る華やかな容貌のレンフィールは笑みすら浮かべ、剣を下げて殆ど遊んでいる程軽く握り、だが敵が動けば直ちにそれを、一気に振る様子で。


そして、長身で頑健な肩幅の黒髪男前のアドルフェスは、ギデオンを殺そうとした男を、生かしておく気は全く無いように高く剣を構え、凄まじい藍色の瞳で急所を、狙いすましていた。


が、ギデオンが叫んだ。

「…………殺すな!」


その声で、ファントレイユはようやく気迫を解いて、剣をゆっくりと、降ろした。

ローゼはまるで誘うような、直前迄戦っていたその敵の隙に、思わず釣られて剣を、振り入れようと反射的に一歩、進もうとし、直ぐに動きを止めた。

背後の三つの剣が、瞬間殺気を帯びてぎらついたからだった。


アドルフェスが、低い、どすの聞いた声でつぶやいた。

「…いいぜ…!とっとと動いて、ファントレイユを斬り殺せ…!」


アドルフェスの脅しに、ファントレイユは静かな様子で息を切らしていたが一瞬、目をしばたいて見せた。


だが、ローゼは構えを解き、腕をだらりと剣毎下げ、ギデオンの、生きて傷一つ無い姿を一瞬視界ではっきり捕らえ、目を細め顔を歪めて、一息大きく、吐き出した。


シャッセルが視線を送るが、レンフィールもアドルフェスも構えを解かなかった。

どうやら命令違反をしたいようで、ローゼが悪あがきをしてくれる事を、心から望んでいるようだった。


レンフィールの構えは両手を下げ、遊ばせていて、およそどう見ても、構えているようには見えなかったが。


が、ローゼが、シャッセルが近寄っても大人しく、シャッセルはその両手首を後ろから取り、重ねて縄で縛り始めてようやく、レンフィールは舌打ちして忌々しげに剣を、一気に鞘に納め、アドルフェスはその剣を振り損なって唸りながら怒り、空を切る激しい勢いで振り降ろし、鞘に収めた。


ギデオンが、ファントレイユの横でそっと様子を伺うが、ファントレイユは俯き、目を閉じ、肩を小刻みに上下させ、息を整えている様子だった。


ギデオンはとても声の掛けられない彼を、気遣うように見守ったが、ローゼに振り返るとつぶやく。

「…たったの一人、生き残ったな………」


ローゼはその言葉に後ろを振り返ると、30数名は居た彼の部下達は三人の剣士と、広間後ろに陣取ったヤンフェスの手で全て息を止められ皆、床に転がっていた。


ローゼは唇を噛んだが、シャッセルに肩を乱暴に押され、歩き出した。

ギデオンは俯くファントレイユの横顔に視線を戻すと、じっと彼を、見つめる。

…あの瞬間、ギデオンは覚悟した。

だがまたしても、ファントレイユがそれを止めた。


…幾度目になるだろう?

間違いなくそれが自分に届き、息の根を止めるだろう刃が、まるで魔法のように消えて無くなるのを感じるのは。

間違いなく鋭く重い、それは命を奪う程の殺気だったのに。


一瞬で、背が軽くなる。そしてそこには、温かな体温を感じた。

断固としてそれを阻む意思を持った…人の体温だった。


時々、ギデオンはファントレイユに訊ねたい時があった。

…お前はもしかして、私の守護天使なのかと。


幾度も目を堅く閉じて待った。

それが振り下ろされる瞬間を。

本当に、いつだってほんの僅かな隙だった。

自身ですら防ぎきれない。

いつだって戦闘の、まっただ中で、皆が自分の事で、手一杯の、ごった返すさ中に……。


なのにどうして…。

それが解って、飛び込んで来られるのか。

どうしたって人の仕業に、思えなかった。


だが、ファントレイユがようやくその美貌の面を、横に立つギデオンに、向ける。

その、ブルー・グレーの瞳は、今だ殺気が消えていなかったが、目前の、生きてどこも傷の無いギデオンの無事な姿をその瞳に映した瞬間、泣き出しそうな安堵の色を浮かび上がらせ、ギデオンは彼の想いを感じて、瞳が熱くなった。


ほっとしたようにいきなり気が、抜けたのか、ファントレイユのその足がふらついて、ギデオンは思わずその左肩を手で支えた。

その温かさが、ギデオンに教えた。

彼は守護天使なんかでなく、生身の人間なのだと。


そして視線が、ファントレイユが受けた傷に自然と吸い付く。

「…ファントレイユ……。

右肩に怪我を、している…」


ギデオンが、心配の漂うか細い声でそう、告げる。

ファントレイユは疑問を一瞬その表情に浮かべ、ギデオンの顔を見つめ返した。

そして、少し心の平静を欠いたように眉を寄せ、慌ててギデオンの姿を、見回す。


ギデオンの瞳が、彼のその様子に、更に切なげに瞬いた。

自分の負った傷も忘れて心配するファントレイユに、胸を殴られたようなショックを、受けたからだ。


そこ迄………。

滅多に、感情を、現さない癖に…。


どうしてそこ迄人の事で、狼狽えてみせるんだ?


「…私じゃ、無い…。君だ………。

右肩を、掠ったろう…?」

声が、掠れた。


だがファントレイユは、ギデオンの宝石のような碧緑の瞳が、自分を真っ直ぐ見つめて輝くのを、それは安堵した表情で嬉しそうに見つめる。

ギデオンはそのファントレイユの様子に、泣き出しそうになる感情を必死にこらえて聞く。

「………痛く……無いのか…?」

ギデオンのその、気遣いに満ちた震う声にようやく、言っている事が解ったようで、一瞬自分の右肩をチラリと見た。

そして、大きく吐息を吐き出し、つぶやく。


「…掠っただけだ」

そう、端正な顔で俯くファントレイユは、教練時代に見慣れた、何の感情も現さないそれは綺麗な人形のような顔で、ギデオンは思わず眉を寄せた。


どうして…。

彼はこうなんだろう?

私の事ではあれ程動揺してみせる癖に、自分の事になると、痛みすら、現そうとしない…。


ギデオンはその様子に感極まっていたが、ファントレイユが感情を抑えているのが解っていたから、俯いて髪で顔を隠すとファントレイユの左肩を支えたまま、弓を背に担いで近寄ってくるヤンフェスに、声を掛けた。

「…傷薬は、持っているか?」

ヤンフェスは一つ、頷くと、腰に下げた革袋を開けた。


ギデオンは、ファントレイユの正面に回ると、彼の上着の、ボタンを外す。

ファントレイユは不思議そうに自分の首の前で動く、そのギデオンの、白い指を、見ていた。


上着の前を開け、それを右肩からそっと滑らせる。

そして、その下の真っ白なシャツが、破れて血で滲むのを見ると、一瞬、ギデオンの眉が寄った。


…そんな程度の傷は見慣れている筈だったが、指先が震え出しそうだった。

だが、努めて平静を取り戻してシャツの、ボタンを解く。

右肩から、そっと傷に触れないよう、滑らせた。


ファントレイユの、色白の、しなやかな筋肉の肩が現れ、その傷が見えた。

掠ったとはいえ、5センチ程だったが、中央が少し深く切れていて、血が滴っていた。

ギデオンはその傷に、ヤンフェスが差し出した軟膏を指で掬い、なるべくそっと、塗った。


その時ようやく軟膏が滲みるのか、ファントレイユの眉がくっ…!と寄り、その表情を一瞬、ギデオンから背けて隠した。


ふわりと、ファントレイユのたっぷりなグレーがかった栗色の髪が揺れてギデオンの、頬に触れる。

ギデオンは自分のせいで傷を負った、その負担を感じさせまいと、大した事は無いと演じ続けるファントレイユに、気づいていた。


…いつも、そうだった。

一生かけても返せないような借りを作っていると言うのに、ファントレイユは毎度、そんな事は何でも無い振りをする。


自分の無事な姿を見た時あれ程安堵してみせたと言うのに、恩に着せようとした事が一度だって………無かった。


「……………」

努めてそっとそれを塗り、そしてまた、指が震え出さないよう注意して、彼のシャツと上着を、静かに戻す。

「…痛むか…?すまない。

気を付けた、つもりだったが」


ギデオンの、掠れて弱々しい声に、ファントレイユは振り返り、切なげに眉を寄せるギデオンのとても綺麗な心配げな顔を見て、困惑仕切った表情を一瞬浮かべたが、直ぐに普段通りの優雅な微笑を取り戻すと、ギデオンを見つめて答えた。

「…少し、滲みるだけだ。君にしては素晴らしく優しい」


その言葉と、普段通りのファントレイユの微笑みに、ギデオンの眉が思わず寄る。

「……私にしては……?」

ファントレイユは途端、いつものような少し戸惑う表情を浮かべ、一つ、ため息を付くとそっと、ささやくようにギデオンに、顔を寄せてつぶやいた。

「…だって君、およそ繊細な事は、苦手だろう…?」


ギデオンは、感激が思い切り薄れるいつも通りのファントレイユの受け答えに、また思い切り眉を寄せ、今度は低い声で、ささやき返した。

「………傷の、痛みくらい解るぞ?」


だがファントレイユは、本当に?という顔をして、見せる。

「だって…ジャンジャンが傷を負って喚いた時、君が薬を塗っていたが、あれは確か……拷問に近かった……」


途端、レンフィールとヤンフェスは、知っているのか思い出して二人同時にぷっ、と吹き出す。

アドルフェスが、呆れて彼らを、見る。


ファントレイユは、思い切り眉を寄せているギデオンに、問いかけるようにそっと、首を傾けささやく。

「…君に薬を塗られてもっと、喚いただろう?

君は、喚くのを止めようとしたらしかったのに。

君に薬をその………。

あんまり優しく無く塗られて、もっと五月蠅くなったのを、覚えていないのか?」


瞬間ギデオンは、自分のヘマで大怪我を負った間抜けなジャンジャンの場合と、彼の場合との違いを全く無視するファントレイユに怒りが沸き上がったが、ぐっとこらえた。

その瞳が、真っ直ぐファントレイユを見据えて問う。

「……君の傷に塗った時も、拷問だったのか?」

ファントレイユは一瞬たじろぐ様子を見せたものの、返答した。

「…いや?とても優しかったからもの凄く…………意外だった」

「………………」


ギデオンが、言葉を失い眉間に皺を寄せたまま、ファントレイユをじっと、見つめ続ける。

レンフィールは笑いが止まらず、アドルフェスはギデオンが手ずから傷の手当てをした事に、不満そうに眉を寄せていた。


ヤンフェスがギデオンの様子を見、そしてファントレイユに向かって、しょうも無いなと、口出す。

「…ファントレイユ。君に礼が、言いたいんだギデオンは。

それとも、彼に言わせたくないのか?」


ギデオンが、ヤンフェスの助け船に途端、ほっとした。

が、ファントレイユは困惑した表情を、浮かべただけだった。

「…………礼?」

ファントレイユが、そっとそう聞く。


ギデオンはその綺麗な顔をすっ、と真剣な表情に変えると、言った。

「…命を救ってくれたろう………?」


ギデオンの、声が掠れていて、その宝石のように綺麗だと影で評されている碧緑の瞳があんまり真っ直ぐ、自分に向けられて、ファントレイユは困ったように顔を下げてその表情を、隠した。

暫く言葉を探す様子だったが、顔を下げたまま声落とす。

「…私は君の、部下だから、当然の役割だと思うが…」


ファントレイユがそう、言い訳のようにつぶやくと、ギデオンは俯く彼の表情を伺うように、顔を少し下げてささやいた。

「……君の仕事は、ソルジェニーの護衛の筈だ…。

そう言えるのは、ここに居るヤンフェスや、シャッセル、レンフィールや……アドルフェスから聞くなら、当然だとは思うが」


だがファントレイユは俯いたままで、ギデオンがその次に言い出そうとする言葉を、受け取る様子を見せない。

ヤンフェスがため息混じりにつぶやいた。

「…君は彼の礼を、受け取りたくないのか…?

幾らギデオンだって、感謝したい時はあるんじゃないのか?

命を助けられる事なんてそうそう、ある事じゃないんだからな…!」


ギデオンがその言葉に次いで、感謝を口に、しようとしたその時だった。

ファントレイユがいきなり顔を上げると、一気に言い放った。

「そうそう?ギデオンに関しては、まだこれから先幾らでもありそうなんだぞ?

礼を言って命を大切にしてくれるんなら私だって報われるが、どうせ君は、生き方を変える気なんか、無いんだろう…?!」

そう捲し立てて、真剣なブルー・グレーの瞳で真っ直ぐギデオンを、見つめ返す。


突然の彼のその剣幕につい、ギデオンが口を閉じ目を見開いてファントレイユを見つめた。

レンフィールもアドルフェスもがぎょっとしたが、ファントレイユはギデオンの返答を待たなかった。


「もう二度と、君の命の心配をしなくていいと言うなら、礼は喜んで受け取るさ…………!

だが、そうならない事も私は知っているからな!」


ファントレイユが、吐き捨てるようにギデオンにそう告げると、ぷんぷん怒って彼に背を向け、歩き出す。

ギデオンはその彼の反応に、思い切り呆けた。


暫く呆けたままだったが、隣のヤンフェスに、困ったように眉を寄せて訊ねた。

「………何で、彼は怒ってる?」


だがヤンフェスもその予想のつかない反応に、覚えがないと言う様子で困惑し切ったギデオンを見つめ、肩を、すくめて見せた。 









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