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アイリスと大物達と、その後の野営地

†‖:登場人物紹介:‖†


ファントレイユ・・・19歳。ブルー・グレーの瞳。


        グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。


        王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。


ソルジェニー・・・アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。


        少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし


        孤独な日々を送っている。


ギデオン・・・19歳。小刻みに波打つ金の長髪。青緑の瞳。


        ソルジェニーのいとこ。王家の血を継ぎ、身分が高い。


        近衛准将。見かけは美女のような容貌だが、


        抜きん出て、強い。筋金入りの、武人。 


シャッセル・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


       大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。

   

       無口、高潔な人柄で、剣の腕前もさる事ながら


       誠実さで、ギデオンの信望を得ている。  


レンフィール・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


        大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。


        “狐"の異名を取る、天才剣士。

      

        でも性格は、我が儘で目立ちたがり屋。


アドルフェス・・・19歳。近衛連隊、隊長の一人。


        大貴族出身で身分が高く、ギデオンの崇拝者。


        体格が良く、押し出し満点。


        大貴族だけあって、プライドが高く、傲慢。


        だが剛腕をふるう腕の立つ剣士で、


        戦場では信頼されている。


アデン・・・ギデオンよりうんと年上だが、同じ近衛准将。


     ギデオンの叔父で、現右将軍、ドッセルスキに指令を


     受けて、ギデオン暗殺を企む。



 ダサンテが、『神聖神殿隊』付き連隊官舎の中の連隊長司令室に辿り着いたのは、日の暮れる前だった。


彼は乱れた息を整えてアイリスへの面通しを願ったが、マントレンの名で、執務室の扉は簡単に開いた。

挿絵(By みてみん)


(おごそ)かな暗い色をした執務机を前に、椅子に掛けた軍の大物と呼ばれるその人物は、幅広の肩に手入れの良く行き届いた艶やかな濃い栗色の巻き毛を垂らし、ファントレイユの叔父だと納得のいく、素晴らしく顔立ちの整った美男で、ゆったりとした優雅な姿をしたとても魅力的な人物だった。

その濃紺の瞳をダサンテに向けると、微笑みかける。


ダサンテは一つ、息を吐くと声を潜め、しかし通るはっきりとした声音でこう、告げる。

「指揮官アデン准将が、ギデオン准将の暗殺を企んでいます。

阻止はこちらでするので、捕らえたアデンの、口を割らせる方法をお願いしたいと」

アイリスは顔色も変えず、微かに頷いた。

「それで?どれくらいの猶予がありそうなんだい?」

その声は低く良く響く声で、だがとても優しかったので、ダサンテは拍子抜けした。

「…現在ギデオン准将は、カディツ公居城の盗賊討伐をしています。

その数は劇的に減るとは思いますが、それで賊らが完全に撤退するとは思えません。

マントレン殿はおそらく次の一戦で、アデンはギデオン殿の部下を引かせ、自分の部下を代わりに付けるだろうと」


「…暗殺決行はその時か。

それがいつになるかはまだ、解らないという訳だな?」

ダサンテは、静かに頷いた。

全く無駄無く、自分の仕事に誠実なその年若い使者に、アイリスはそれはにっこり微笑むとささやくように告げる。


「“荒野亭(シュティツ)"があの近くにあるのを、君は知っているか?」

ダサンテは面長の、端正な顔を上げた。

真っ直ぐの栗毛が、肩の上で揺れる。

「…ええ。上級貴族の集まる、サロンですね?」

「野営地からは、どのくらいかな?」

「…ほんの、小半時。

…いえ、もっと早くに、着けます」

「ギデオン准将がアデンの部下と出かけたら、“荒野亭(シュティツ)"のミリアスに連絡を入れてくれると有り難い。

私の名を、使ってくれて結構だ」


ダサンテは、頷く。

そして言い難そうに、その美男の軍の大物を上目使いで見つめ、小声でそれを告げた。

「…マントレン殿はこの先、ドッセルスキ右将軍の企むギデオン准将暗殺計画に、付き合う気は無いと…。

そう告げればお解りになるからとご命令頂きました」


アイリスがこの言葉を聞いて激しい衝撃を受けるか、もしくは激しい異論を怒鳴り付けるか…。

ともかく、優雅この上無い高官の取り乱す姿を、ダサンテは待ち構えた。


が、予想に反しアイリスは、それは素晴らしい微笑を浮かべただけだった。

「じゃあ、ギデオンの説得も彼が引き受けるんだな?

始まった以上は必ず期待に添える成果を、上げる事を約束するとマントレンにそう、伝えてくれ」


ダサンテはまさか即答が返ってくるとは思わず、一瞬たじろぐ。

がその素晴らしい微笑を浮かべる、とても魅力的な美男に、深く一礼した。

アイリスは立ち去ろうとする彼に告げる。

「こちらは何も心配はいらない。

そう伝言してくれて、結構。

…それと、君の名前も聞いておこうか」


ダサンテは意味が解らなかったが、とりあえず自分の名を口にした。

「ダサンテ准子爵です」

その大物の大貴族は素晴らしい笑みを、湛えた。

「ではマントレンにもう一つ、伝言願えないか?

君の選んだ使者はとても君らしくて、素晴らしいと思う、と」

ダサンテは意味が解って少し、頬を染めた。

「ありがとうございます」

謙虚で素直な感謝の言葉に、アイリスはますますにっこり、微笑んだ。


が、ダサンテが出て行くと、彼はマントを羽織り直ぐに(うまや)に、向かう。

優雅だが風の、ようだった。




 中央護衛連隊本部官舎は、そう遠くの建物では無かった。

アイリスが姿を見せると、そこに居た銀髪の美貌の都護衛連隊長、取り次ぎ役のシェイルは直ぐ、奥の扉を開け、彼の上官である中央護衛連隊長の名を呼んだ。

「ギュンター!アイリスだ」

挿絵(By みてみん)

金髪で、紫色の瞳をした男らしい美貌のギュンターが、その長身の隙の無いしなやかな動作で姿を見せると、アイリスは微笑んだ。


ギュンターが、自分と同じ位の背の、優雅この上無い大貴族の彼のその、とても愉快そうな微笑みに一瞬身じろぎ、身構えると、そっと、ささやく。


「楽しそうだな」

「無論ね。

どうやら討伐に出かけた近衛で、動き始めたようだ。

使者が来た。

ギデオンも相手が凶行に出れば、腹を決める筈だ」

「凶行?…ドッセルスキが、まさか甥に刺客を差し向けたのか?」


それを尋ねたのは取り次ぎ役の、銀髪で際立つエメラルド色の瞳の、美貌の青年シェイルで、ギュンターの、表情を変えない驚愕の表情を通り超し、アイリスはシェイルに振り向く。

挿絵(By みてみん)


「ローフィスとオーガスタスにも、伝えてくれないか?

そして…出来れば元左将軍の、ディアヴォロスの力も借りたい。

退いたとは云え今だ、彼に尊敬と忠誠を向ける者は、数知れずだからな」

シェイルは一つ頷くと、ぶっきらぼうにつぶやく。

「ディングレーも、来ると言うだろうな。

宮中護衛連隊長なんて面倒な役職を押しつけられて、鬱憤が溜まりまくってる」


アイリスは笑い頷くと、シェイルは直ぐに部屋を出、名の上がった者達には使者を送り、自分は厩に駆け込むと馬に跨り、ディアヴォロスの元へと真っ直ぐ駆けた。



アイリスは長身で金髪の美丈夫、ギュンターに視線を向ける。

「付き合ってくれ。ギュンター。

君の顔が、要るんだ」


ギュンターは思い切り、肩を、すくめる。

室内からそっと、ローランデが姿を、現す。

挿絵(By みてみん)

独特の、濃い栗毛と明るい栗毛の交互に混ざる髪を品良く背に垂らし、澄んだ青の瞳の高貴な剣豪の貴人は、アイリスよりも一級上で今は北領地[シェンダー・ラーデン]の大公だった。


そのローランデがギュンターの横にそっと付くと、とても素晴らしい可憐なギュンターの恋人に見えて、アイリスは残念そうにギュンターに視線を、向ける。

「…邪魔したかい?」


ギュンターが口を開く前に、ローランデが言った。

「使者でなく君が直接出向いて来た以上、事は重大だと言う事だろう?

ギュンターは直ぐに支度が、終わる」


ギュンターは、そう告げる隙の無い騎士に戻った恋人の、艶やかな髪や唇を惜しそうに見つめ、吐息を吐いた。 




 馬上から、アイリスはギュンターをチラリと見る。

アイリスの方に振り向きもしないで、ギュンターがぶっきら棒に告げた。

「…馬鹿だと、思ってるな?」

アイリスは、吐息を付く。

「…いや。教練時代からまだ続くなんて、つくづく本物なんだなと感心していた所だ。

ローランデはとっくに結婚してるし、子供も二人、居るんだろう?」

ギュンターはアイリスを、真顔で見た。


この二級下だった、当時から人を喰ったような誰をも魅了する笑顔の、本音を“優雅さ"と“気品"で覆い隠し、滅多に見せた試しの無いアイリスが、『本音』でそう言うのを聞いた。


で、ついギュンターも、本音を吐く。

「…俺も続くと、思ってなかった」

「…君が諦めて?」

ギュンターが、思い切り肩をすくめる。

「いや?ローランデに惚れ込む女が出来てだ」

アイリスが、本心で頷いた。

「…見事な騎士だからな。

当時ですら大層遊び人だった君と付き合ってるだなんて、奇跡が起こったんだと思っていた。

…だが奇跡を君が、起こせる男だと解って納得した。

今度もそれを期待してる。

なにせ、今回はかなりの厄介事だからな」


ギュンターはローランデを使った世辞かと、いぶかってアイリスを見つめたが、アイリスはもう、前を向いていた。 




 ダーフス公の居城は、城から少し離れた領地内に、豪勢にそびえ立っていた。

アイリスは軽やかに正面で無く裏口に回り、そこの門番に訪問を、告げる。

彼と仲がいいようで、ギュンターはアイリスが、何度も彼を介してダーフス大公と、秘かに渡りを付けていると感じた。


ダーフスは近衛に口出す、大貴族の親玉だ。

勿論『神聖神殿隊』付き連隊長のアイリスが、直接関わり合う必要の無い相手だったが、中央護衛連隊長ギュンターは、別だった。


ダーフス達は近衛連隊に金も出し、口も出して来たが、そういった大貴族達は大抵盗賊被害を懸念する、それは豪華な金品や財産をあちこちの地にたくさん持っている金持ち達だった。


居城は城近くにあり、当然その地の治安管理にも口五月蠅く、その地の治安の要は…中央護衛連隊が、護っていた。


ギュンターはその経歴を認められ、ダーフスの強い推薦を受けて中央護衛連隊長の椅子に、座り続けていた男だった。

今回のように、大規模な盗賊集団は近衛連隊に任されはしたが、ダーフスは常日頃から近衛の戦闘能力に疑問を抱いていたし、彼は中央護衛連隊長、ギュンターにその信頼を置いていた。


ギュンターを伴った来訪故に、少し遅い時間だったが、中へと通される。


ダーフスは、王族の二大血統、“右"の金髪の家系、そして“左"の黒髪の家系の内、黒髪の家系の出だった。


甥で養子に、誉れ高い軍神と呼ばれた元左将軍ディアヴォロスを持ち、誇り高い、厳格な男。

養子ディアヴォロスはギデオンの父、アルフォロイスが右将軍だったの時の、左将軍を務めていたが、アルフォロイスが命を落とした後

『戦が、つまらなくなった』

と軍から一切手を引いた、伝説の使い手だった…。


だがそのカリスマのような影響力は依然として存在している。

ギュンターの部下、銀髪で美貌の青年シェイルが走ったのは、この人物の元だった。


ダーフスは二人が室内に入ると、部屋着姿だったが威厳を滲ませ、だが性急にギュンターに、問うた。

「…討伐隊の事か?

が今度はあの“軍神"アルフォロイスの息子、ギデオンが同行している筈だ。

父親譲りの勇敢さと、人を率いるに長けた人物だと聞き及ぶ。

あの辺りの貴族達がこぞって、一刻も早く賊を追い払う事を期待しているが、ドッセルスキは准将達に、任せているようだな?

…最も金と政治しか出来んあの男に戦は無理だろうし、出向かない方がむしろ現場の邪魔に成らずに済むが、事は重大だ。

ギュンター。

君が、出動する状況に成りそうか?」


ギュンターは、他部署の相談を持ちかけられて困惑した。

元より近衛を差し置いて中央護衛連隊が出動なんてしたら、近衛の面目が潰れて連中がいい顔をしないのは、明白だった。


ギュンターの口は重そうだったが、その真っ直ぐの黒髪を背に流し、細面だが品格溢れて厳しい表情をしたダーフスは構わず続ける。

「本音を言えば、君に出動して欲しかった。

今の近衛は戦闘を悪戯に長引かせ、犠牲者ばかり量産してまるで、決着が付けられん!

今までは(地方だったから)容認出来たが、今度(大貴族の居城だらけの地なので)ばかりはそうは、いかん!」


ギュンターは自分可愛さに、ドッセルスキをのさばらせたダーフスに、さらさら同情する気は無かったが、ギデオンの為に告げる。

「…右将軍直系子息の、ギデオンはそれは、優秀です」


ダーフスは不安が少し遠ざかって、ほっとギュンターを見つめた。

その瞳には心からの信頼が、溢れていた。

「君の言う言葉なら確かだな。

君は滅多に、誉めない」


ダーフスはギュンターが、およそ世渡りの為に、世辞もおべっかも使わない事に更なる信頼を寄せていた。

が、ギュンターは心の中で肩を、すくめる。

平和時なら彼にそれは取り入るドッセルスキと、微笑んで親しげに話す男だ。

余程、今回の盗賊襲撃が、こたえている様子だな。と、秘かに(わら)った。


ギュンターはだがようやく、訪問の意図を告げる。

「貴方にお話があるのは、彼の方なのですが…」

アイリスはギュンターの後ろに控えていたが、すっ、とその姿を現す。


優雅、この上ない態度でダーフスですら一瞬、彼のその長身で魅力溢れる男らしさと、惹きつけられる存在感に魅入られる。

アイリスはだが、あくまでも丁重に語り始めた。

「…実は、お願いがあって来ました。

先日近衛を辞した男が大変な情報を握り、ドッセルスキ将軍怖さに私を頼って来たのですが…」


ダーフスは、そんな場合では無い。と眉を顰めてアイリスを見つめた。

が、アイリスはその、濃紺の瞳をダーフスから外す事無く続ける。

「…彼は、ドッセルスキ右将軍が南領地ノンアクタルの領主に他の地には行わない定例報告訪問をし、どうやらその手みやげが、貴方が出資している近衛の金庫から出ている事を知りました……」

ダーフスの眉が、思い切り寄った。


「…つまり私の金を使って、南領地ノンアクタルに定期的に賄賂を、送っていると?」

ダーフスには思い当たる事が他にも、あるようだった。

ドッセルスキは大貴族には子息やゆかりの者に役職を与え、優遇して懐柔し、それと引き替えに金を要求していた。

そしてその他の大物には、賄賂を。

…だがそれは、公然の事実の筈だ。

しかも、それを(おおやけ)で裁くとしても、賄賂相手が南領地ノンアクタルでは状況が悪すぎる。


アイリスがこの件を今、この事態に持ち出した事をダーフスは、深刻に考えた。

「…君の腹づもりは、もしかして……」

アイリスはにこやかに、笑った。

「…それは頼れる、直系子息ギデオンももう、19になります」

ダーフスは一瞬、顔を揺す。

アイリスは、尚も畳みかける。

「彼には多大な人望があり、彼の率いた近衛は彼の父の時同様、無敵となるでしょう」

ダーフスはだが、まだためらった。

「………だが南領地ノンアクタルを、言いくるめられるのか?

かの者とのトラブルは避けるに限ると、頭の良い君なら解るだろう?」

だがアイリスは微笑んだまま、告げる。

「…それは私が、何とかしましょう」

「…いいだろう。

それが君に出来るのなら、君の考えに私も異存は無い」

「では、南領地ノンアクタルを納得させた後、使者を貴方に送ります」

とても優雅に一礼し、彼は背を向け、ギュンターはそれに従った。


が、ダーフスはついに去りゆくアイリスの背に、その言葉を投げかけた。

「…その、罪状でドッセルスキを廃すのか?」

アイリスは振り向き様、微笑んだ。


だがその濃紺の瞳は一瞬煌めき、ダーフスはその鋭さに背筋が凍る。

「…別の罪状が上がり次第、ご報告いたします」

ダーフスは、唾を飲んで頷いた。


その、大貴族然とした優雅この上ない、気品溢れる男の底に潜む、容赦無い決断に怯えながら。

あの気迫は覚えがある。

どこの血を引いたのか、今は養子の甥、ディアヴォロスも持っていた。

弟の子だったが、弟でさえあれ程の“気"は、持ち併せてなんかなかった。


いざとなれば一瞬の躊躇無く敵を切り裂く事の出来る男が見せる、無言の、迫力だった。 




 ダーフス邸を出た後、一気に中央護衛連隊本部迄駆けて戻ると、シェイルの使者に呼ばれて、オーガスタス、ローフィス、ディングレーが、集まっていた。

「…詳しい事情を、聞いてないよな?」

挿絵(By みてみん)


その赤味がかった栗色の巻き毛をライオンのたてがみのようになびかせ、大柄なオーガスタスは相変わらず親しみやすい鳶色の瞳をアイリスに向け、ざっくばらんにそう告げる。


今や大貴族の上に実力者として名の轟くアイリスだったが、オーガスタスにとっては三級下の後輩に当たる。


アイリスはとっくに教練校の終わった今もその態度を変えないオーガスタスを、咎める様子無く見つめて微笑むと、言った。

「ギデオン暗殺をドッセルスキが企んでるので、近衛の参謀も私も、堪忍袋の緒が切れた所だ」


オーガスタスは大きな吐息を、吐いた。

「…それは、とっくだろう?

ではギデオンは腹を決めたのか?

奴がその気じゃなきゃ、我々がどう頑張ったって無理だぞ?」


言ったオーガスタスの横で、ギュンターとは同級でディアヴォロスとは親戚の、「左の王家」の血を継ぐ黒髪の大貴族、ディングレーがつぶやく。

挿絵(By みてみん)


「腹を決めざるを得ない状況に、追い込むんだろう?どうせ」

ディングレーの横に立つ、オーガスタスと同年のローフィスは、明るい栗毛と空色の瞳の美男で、相変わらず軽やかで爽やかな微笑を浮かべて後を、次ぐ。

挿絵(By みてみん)

「それはあっちの参謀が上手くやるさ。

で?こっちは何をするんだ?」


言われた途端アイリスは、オーガスタスに顔を向けると優雅に微笑む。

オーガスタスはその微笑に心からぞっとして、親友ローフィスと一級下の悪友ギュンターを、救いを求めるように交互に見た。


二人が二人共吐息混じりに俯いて、彼に心からの同情を寄せる。

「…明日の地方護衛連隊会議で、ドッセルスキが南領地ノンアクタルに送っていた賄賂は不正で、これを正すと発表してくれ」

オーガスタスが途端、頭を、抱える。


感情を滅多に顔に出さないディングレーですら、呆然とつぶやく。

「…爆薬投入だな」

オーガスタスはアイリスを見、怒鳴る。

「で?つまり俺にあの南の野獣を、言いくるめろと言う気か?!

賄賂を送っていたのはドッセルスキで、本来ドッセルスキが聞く苦情だぞ?!

それを俺に………よりによってあの、野獣だらけの会議で何とかしろと?!」


アイリスが、ディングレーを見た。

「西領地[シャノスゲイン]の護衛連隊長ウェラハスは王家の血繋がりで、君とは親交があるだろう?」


ディングレーは、頷いた。

「…まあな。さほど親しくは無いが」

「…だが君になら、会うだろう?

彼に事情を、話して置いてくれ」

「オーガスタスに味方しろと頼むのか?」

「必要無い。

近衛の野党討伐出動中ギデオンの命を狙う者が居ると。

そして明日の会議の、内容を告げるだけで」


ギュンターが、唸るようにつぶやいた。

「どう出るかは、ウェラハスに決めさせるのか?」

アイリスは肩をすくめる。

「彼は、ギデオンの実力と人柄を買っている。

我々が何をする気か、読むだろう?」


ディングレーは腕組みしたまま、机にもたれていた腰を素っ気なく上げて返答も返さず帽子を被り、その部屋を後にした。


「で?我々は?」

ローフィスが尋ねる。

ディングレーと入れ替わるように、たった今戻ったローフィスの血の繋がらない弟シェイルは、兄と並んでアイリスを見つめる。

アイリスは二人を見つめ、ぼそりと漏らす。

「…アデンの、口を割らせる必要がある……」

ローフィスが言った。

「いいだろう。俺がサランティス公に話を付けよう。

かのじいさんは元から、アデンが自分の金を使い込んでないかと疑ってる。

寄付金の受け取り窓口をいつも、あいつは進んでやってるからな。

証拠をでっち上げてやれば、喜んで裁け。と俺達に命ずるだろうよ!」


シェイルがぼそりと、つぶやいた。

「…でっち上げなくても、間違いなくくすねてるだろう?アデンなら」

ローフィスがその言葉に肩をすくめ、金に近い栗毛を揺らし陽気な笑みを浮かべ、そう言う銀髪の美貌の弟の顔を見やる。


人付き合いのいいローフィスは抜け目無く腕も立ち、本来アイリスの椅子(『神聖神殿隊』付き連隊長)に座る程の器の男だったが、大貴族で無かった為その地位を、三つ年下のアイリスに譲った。

が、別にアイリスを恨む様子を一度も見せた事が無い。


ローフィスは、シェイルを見つめ促す。

「彼は君が、お気に入りだ」

シェイルは肩をすくめると、マントを手にして義兄ローフィスを見る。

「…一人で行けないんなら、付いて来て下さいと俺に頼むべきだろう?」

シェイルの軽口にローフィスは笑い、彼の頭を軽く叩いて促した。


二人が出て行くと、アイリスはつぶやく。

「…(かなめ)手が、欲しいな」

ギュンターがアイリスの要請につい一つタメ息を付き、オーガスタスをすまなそうに見つめながら、言いにくそうに告げた。

「アデンなら俺はうんと恩を売ってあるんだが…」

オーガスタスが、ギュンターを睨んだ。

「…ギュンター。

明日の護衛連隊会議に、出ないつもりじゃないだろうな?

お前は中央の、護衛連隊長なんだぞ!」


オーガスタスの、怒気含む言い回しに、ギュンターは気の毒げにそれでも救いを説く。

「重なるとは限らないだろう?アデンの口を割らせる時と、会議と」

アイリスも、頷く。

「で、どんな恩なんだ?」

「近衛にいて隊長だった時の部下だ。

ドッセルスキ同様からっきし意気地無しで、何度も敵に斬られかけたのを俺が保護した」


アイリスは呆れた。

「…つまり命の恩人か?それは助かる。

暗殺が動いたら、ぜひ私に同行してくれ」


ギュンターは尚もオーガスタスに気の毒そうな視線を送り、アイリスに告げる。

「…会議と重なって、俺迄いなくなればオーガスタスは、それは大変なんじゃないのか?」


大公の地位に座る前は北領地[シェンダー・ラーデン]の地方護衛連隊長だったローランデが、彼らから少し離れた場所から気づいたように、口を出す。

「…私は息子共々、明日の会議には顔を出すが…。

オーガスタスの補助は無理だろう」


だがアイリスは微笑んだ。

「君の息子のマリーエルは北領地[シェンダー・ラーデン]護衛連隊長の上、大層剛気だろう?

南領地ノンアクタルのアーシュラスに睨みが効く筈だ。

彼に頼んでくれ」

ローランデは頷く。


だがオーガスタスは荒れ狂う嵐の方がよっぽどマシだと言う程の、明日の護衛連隊会議を思っただけでつい、語気が荒くなった。


「西領地[シャノスゲイン]、北領地[シェンダー・ラーデン]の長が味方に付いてくれたとしても!

相手が誰だか解ってるのか?

サイアクの“俺様"の野獣なんだぞ!

死人が出なけりゃ、めっけものだ!」


アイリスは微笑みを崩さなかった。

「…そう。

この軍のみならず、大貴族達もこぞって口を揃え、君以外に地方護衛連隊会議長は務まらないと言い切り、他の適任者がここ10年も見つけられないのも、君が素晴らしい実力者だからだ」

「…それは誉め言葉に、聞こえない!

地獄に行け!よりひどい言葉だぞ」


ギュンターがぼそり。と口を挟んだ。

「…だがその通りだからな。事実は」

オーガスタスがその、金髪で美丈夫の長年の悪友をきっ!と睨み据える。

「俺なら何とか出来ると思ってやがるな!お前ら!」

アイリスとギュンターは顔を見交わしたが、揃って頷いた。

「…当然だろう?」

アイリスが言うとギュンターが更に後押しする。

「これを機会に、アイリスにうんと恩を売って置け」

オーガスタスが瞬間、怒鳴った。

「出来るか!これはアイリスの為なんかじゃない!

あのアルフォロイスの息子、ギデオンの右将軍就任の為なんだろう?!」


ローランデが、それを聞いて静かに言った。

「…その為なら、やれるだろう?あんたなら。

アルフォロイスが死んで以来、身分の低い近衛の騎士達がドッセルスキの命の元、捨て駒のように激戦に送られ、次々に命を落としていると聞いて胸を、傷めてた筈だ」


ローランデに率直に言われ、オーガスタスは憮然と彼を、見つめ返した。

そして下を向いて黙り込み、ぶつぶつ口を動かしながら自分にそれを言い聞かせ、無理矢理その使命を、自分に納得させる。

「…俺が出来る限りは、やってやる!」


ギュンターはアイリスを見たが、アイリスはもう、もらった!と言う顔をした。

「ローランデはいつも真実しか言わない誠実な性格だから、私の言葉より余程説得力がある」

だがギュンターはそう言って笑うアイリスに、そっとささやいた。

「そう思うならお前はもう、口を開くな。

オーガスタスの気が変わると困るだろう?」

アイリスは彼を見て頷いた。

「…ごもっとも」 



アイリスが部屋の戸口に人影を、見つける。

彼は目ざとくそちらに行くと、戸影の人物はそのまま視線を送って、部屋の外へとアイリスを促す。


それは同じ神聖神殿隊付き連隊に所属している彼の、目を掛けている甥だった。

ファントレイユとそして、アイリスの息子テテュスと同年のいとこに当たる。


小柄で、その面差しはファントレイユらいとこ達に似てはいたが、鮮やかな栗色の肩迄ある巻き毛を華やかに揺らし、くっきりとした青紫色の瞳の、とても可憐な美青年だった。

遅い時間のアイリスの行動と大物達の召集に、何事かと姿を現し、事の内容を思ん計って控えている様子で、長身の叔父アイリスが彼の前にそっと立つと、俯いて言葉を待つ。


「レイファス。私は多分間も無く、近衛の野営地に出向くだろう」

レイファスは顔を揺らす。

「ではその間はローフィス殿が指揮を?」

アイリスは、そうだ。と、優しい微笑を浮かべ、頷く。


レイファスが、言い淀むように告げた。

「テテュスも気に、してるが…」

息子、テテュスの名を出されて、アイリスは小柄な彼をそっと、伺う。

「解ってる。ファントレイユの事だろう?」


レイファスは顔を上げると、濃い栗色の長髪を胸に揺らしその男らしく優雅に整いきった叔父の顔を、見上げる。

鼻筋が素晴らしく美しい形で、気品が溢れ返っていた。

レイファスは少しうっとり彼を見つめたが、慌てて言葉を放つ。

「ファントレイユは今度は王子の護衛だから、無茶はしないでしょうね?」


アイリスは配属が違う同年のいとこファントレイユを、心配する甥レイファスと息子テテュスの気持ちを思い、ささやく。

「…保証は出来ないが。

でもファントレイユはいつも今まで、乗り切って来たじゃないか?」


レイファスはだが、心配がそれで(ぬぐ)えた訳じゃない。と俯いた。

アイリスはそんな彼を見つめたものの、言葉を続ける。

「…確か君は近衛の隊長のローゼと、親交が無かったかい?」


極力、レイファスを気遣って言ったつもりだ。

だがレイファスは一気に顔を、上げる。

気遣いは向けるものの、かつて恋人だったアイリスに全く妬く様子が見られなくて、がっかりしたように肩を落とし、少し拗ねたようにつぶやく。

「ええ、まあ」


「彼に何か、聞かなかったかい?」

レイファスの、眉間がきつく寄る。

「…じゃあれは、冗談じゃ無かったんですか?」

アイリスはため息を付く。

「…何か、言っていたようだな?」

「ギデオンを、殺れる程腕の立つ男は、自分だと…」


「この所近衛で、ギデオンと親交の厚い男が次々に暗殺されている」

レイファスはそう言うアイリスを、たっぷり見つめた。

「……つまりとうとう、連中はギデオンを……?」

アイリスは低い声で即答した。

「この期に、それを命じたドッセルスキを廃す。

その企みの、真っ最中なんだ」


そう言ってアイリスは、耐えに堪え忍んで来たロクデナシの暴君を廃せる喜びに、心から楽しそうな微笑を浮かべる。

レイファスはきっ!とアイリスを見つめると、一気に言葉を放った。

「ならファントレイユに伝えて下さい!

ローゼに一泡、吹かせられるでしょうから!」


レイファスの語気が大層きつく、アイリスはそれは困ったようにつぶやく。

「…でもローゼは、君の恋人なんじゃないのか?」


レイファスは睨むようにその瞳に鋭さを滲ませ、アイリスにきっぱりと言った。

「貴方と比べる事が、貴方への失礼に当たるような相手です。

恋人なんてとんでも無い!」

アイリスは、やっぱり困ったように微笑む。

レイファスは尚も、それは苦々しい表情で言った。

「ローゼの口ぶりだとファントレイユもあいつには、それはいい顔をしていたようなんですがね!」


そしてレイファスがじっと自分を見上げているので、アイリスはその小柄で素晴らしく華やかで可憐なレイファスに屈んで耳を寄せ、彼のひそひそ声を心に止めた。 





 日の殆ど落ちた夕暮れに、その要塞は丘の上に、黒々とそびえ立って見えた。

その丘の麓で、テントが張られて行く。

兵達はごった返し、野営の準備に忙しく動き回る。


ファントレイユは王子と共に、テントが張られる迄馬車の中に放って置かれた。

その兵達の、取りあえずの戦闘を終え、まだ終結前の緊張感が、ソルジェニーも伝わる。


が、ファントレイユはギデオン暗殺の不安を胸の内に隠し持っているにも関わらず、表情強ばる王子に戦や野営のテント張りの様子等を、相変わらずの優雅な表情で話して聞かせ、ソルジェニーの退屈と緊張をほぐそうと試みた。


王子は不安でたまらなくて、何度その美貌の騎士の胸にすがりつきたい衝動を抑えたか知れない…。

大好きな、ギデオン。

彼にとって、たった一人の気に掛けてくれる大切な身内。

もし彼がこの世からいなくなったら…そう考えただけで喉が、ひりつく。



ようやく使者が王子のテントの支度が出来たと告げに来て、ファントレイユはソルジェニーを促し、馬車の中を出た。

もう殆ど暗くなり、あちこちに焚き火の篝火が(とも)り、並び立つテントの白幕をその炎で赤く揺らめかせる。


ファントレイユがその少女のような容貌の王子を伴って、並び立つテントの間を抜け、用意された金の刺繍入りの豪奢なテントへと進み行く。


それを目にした者達の作業の手が一瞬止まり、並んで歩く二人のそれは品良い優雅な姿に見惚れる。


ファントレイユは振り向くと、アデン准将が王子に視線を送るのが見え、こちらに報告に来るのかと思ったが途端アデンはふいと背を向ける。


案の定、アデンにとって王子はお荷物で、ともかく戦闘終了迄は何事からも遠ざけ、どこかに閉じこめて置きたいようだった。

王子に万が一の事でもあれば指揮官アデンの首が、確実に飛ぶからだ。


が、兵達がざわめき始める。

口々にその名が、昇った。

「…帰った…」

「ギデオンが…」

「…ギデオン!」

ソルジェニーはテントの入り口を潜ろうとし、その騒ぎを耳にして振り向く。


暮れゆく夕日の中、その篝火の焚かれた広い場所へと馬を進めて来る豪奢な金髪の乗り手の姿が視界に入り、ソルジェニーは思わず駆け出す。


いきなり、ファントレイユの腕が抱きしめるように小柄なその体を抱き止める。

そして耳元で、密やかにささやく。

「…ゆっくり進みましょう…。

そしてアデンの前で一言も、余分な事を漏らしたりしてはいけません…!」


ソルジェニーが見やると、ファントレイユのそのブルー・グレーの瞳はやっぱり優しかったが、声は感情を殺したように低かった。

ソルジェニーはその美貌の面を見つめ、一つ頷く。

ファントレイユはそれを見、王子を抱く腕を解いた。



二人は馬から降りてアデンに報告するギデオンの方へと向き直り、ゆっくりと歩を進める。

並び立つテントの合間を、ファントレイユと一緒に抜けていく。

兵達が、今だ新たにテントを張り物を運ぶ作業の手を止めながら、皆篝火に浮かび上がる金の髪の、素晴らしく綺麗で勇猛なギデオンの姿を安堵するように見つめていた。


ソルジェニーは不思議に、感じた。

その前迄はどこかにぴりぴりとした緊張感が確かにあったのに、ギデオンがその姿を見せた途端兵達からその緊張が消えていた。


皆、嬉しそうな表情で、ギデオンがアデンと話す姿を作業の合間に盗み見る。

「…ギデオンはみんなに、凄く好かれているの?」


王子の、見上げて問いかけて来るそのとても可憐な少女のような姿に、ファントレイユは優しく顔を傾け、ささやき返す。

「とても、『信頼』されています」

ソルジェニーはそう告げる、微笑を浮かべた美貌の騎士を見つめた。


そして周囲の騎士達の、心から朗らかに作業をする様子を見回す。

ギデオンの存在一つで皆の雰囲気が変わる程…彼は皆に、信頼されているのを肌で感じて。 



テントの谷間を抜けその広場のような場所に出ると、アデンと話しているギデオンの顔が、ゆっくりとこちらに振り向く。

「…ギデオン!」

ソルジェニーはとうとう、我慢出来なくて駆け出した。


ギデオンはソルジェニーの様子に嬉しそうに両手を広げて迎えると、王子はその腕の中へと飛び込む。

ギデオンは彼を抱きしめ、微笑を浮かべ優しくささやく。

「…怖かったかい?」

ソルジェニーは彼の胸に顔を埋め首を横に、振る。

顔を上げてギデオンを見ると、いつものとても優しげな彼で、ソルジェニーは途端、涙が滲みそうだったが必死で抑えた。

「…ぜんぜん…!刀の触れ合う音も、聞いていない…!」

ギデオンは、笑った。

「ならとても、退屈なんだな?」

ソルジェニーは頷いたが、後ろからアデンがすかさずつぶやく。

「…今回の相手は盗賊で、正式な戦ではありません。

軍の様子をご覧になるだけですからな…!

大してなさる事もありますまい。

テントでどうか、ごゆっくりくつろぎ下さい」


そして王子をこんな所へ連れ歩く護衛のファントレイユを、それは忌々しげに睨む。

ソルジェニーはそれに気づいた。

ギデオンが途端、冷静な表情でアデンに告げる。

「…野営地内を見回るのも、様子を見る事の内。

…それも大切な王子の仕事でしょう?」


そう言い、ファントレイユを睨むアデンの視線を、きつい瞳で厳しく制した。

ソルジェニーはそんな風にアデンからファントレイユを庇うギデオンの態度を見て、心が熱くなった。

思わずファントレイユを見上げたが、彼がそれは切なげな瞳で、そんな風に現体制にたった一人で立ち向かうギデオンの恐れの微塵も無い強い態度と、その尊大な姿をじっと見つめていた。


金の髪が暮れかける夜風になびき、一歩も引く様子の無い、決然とした表情を浮かべる美しい宝玉のような碧い瞳の、彼の姿を。


ファントレイユのそのブルー・グレーの瞳は

『ギデオンはとても大切な人だ』

と物語り、彼の命を救う事は、自分の職務や今後の昇進よりも余程大事なんだと告げていて、ソルジェニーの胸を、きゅんと痛ませた。


だがギデオンはソルジェニーに振り向くと、少し首を、小柄な彼に傾けささやく。

「…まだ終わってないから、する事があってゆっくり出来ない…。

明日には戦いの土産話が、笑って出来るようになるといいが」


そう微笑むギデオンに、ソルジェニーが口を開きかけ、後ろのファントレイユの気配に慌てて口を噤む。

余計な事を言うな。とファントレイユに釘を刺された事を、思い出したのだ。


思わず振り返ると、アデンは一瞬背を向けるギデオンを忌々しげに睨み付け、王子の視線に気づき慌ててくるりと脊を向け、歩き去って行った。


ソルジェニーが、ギデオンとは反対側に立つファントレイユを見上げたが、彼は俯くとギデオンにそっと告げる。

「…アデンに勝手に、睨ませて置けばいい…」

ファントレイユの切なげな表情と、地に落とした視線。

その言葉にはギデオンを気遣う響きがあり、ギデオンは少し笑った。

「…ソルジェニーを、厄介者のように扱うから腹を立てたんだ。

別にお前を、庇ったりしてない」


ファントレイユは、目線を少し上げた。

ファントレイユのブルー・グレーの瞳は夕闇にきらきらと煌めいて、それがとても綺麗に、ソルジェニーの瞳に映り込む。

そしてその形の良い唇が動く。


「…それでもだ。

別に睨んだってお前が容認している限りはどうとも、出来やしないんだ。

睨むくらいはさせて置けばいい」


秘やかな、ギデオンへの労りの言葉。

ギデオンの瞳が、ファントレイユの少し俯き加減の表情に、腑に落ちないように注がれた。

「…確かに、あいつに睨まれて縮こまるような神経の持ち主じゃないな。お前は」


ファントレイユはギデオンのその言葉にようやく目線を彼に向け、ギデオンの姿を見つめて嬉しそうに微笑んだ。

「…解ってるじゃないか…」


ソルジェニーの胸が、彼のその笑顔に微かに震えた。

ファントレイユは自分同様…もしかして自分以上に、ギデオンの事が好きなのかも知れない。と、思ったからだ。


ギデオンは無言で暫く、その美貌の笑顔を見つめたが、口を開く。

「…ともかく、用事を片づけて来る。

今夜は出動出来るかどうかは解らないが、ソルジェニーより小さな子供が捕まっているから早い所あの忌々しい要塞に切り込んで、助け出したいんだ」

ファントレイユは、頷く。


ギデオンは、いつも地顔を軽やかで優雅な態度で隠し続けるその男が、素顔を晒し続けるいつもとは違う、その真摯な様子を伺い、言葉を紡ぐ。


「…お前の仕事はソルジェニーに、もりもり夕食を食わせる事だ」

ファントレイユは、伺うように見つめてくるギデオンの宝石のような碧緑の瞳に気づき、軽やかで優雅な態度を取り戻して笑う。

「…ああ。そんなのは訳無いさ。君の仕事と同様にね…!」


ギデオンは、その余裕に肩をすくめる。

「…まあ、そうだろうな。

だが首領が残ってる。

アースルーリンドに攻め込む『私欲の民』の首領は大抵、手応えがあると相場が決まっている」


ファントレイユも、肩をすくめた。

「…じゃあ君はさぞかしストレスが溜まっていたから、一気にここで発散出来るな」

そのファントレイユの笑顔に、ギデオンがぼそりとつぶやく。

「………嬉しそうだな」

ファントレイユは尚も朗らかに微笑んだ。

「出来れば、部下を殴りたくなる分迄、この機会に全部発散しておいてくれ…!」


ギデオンはファントレイユのそのいつもの言い草に首をすくめ、だが言った。

「…そうしよう」






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