護衛
アースルーリンドの王子ソルジェニーは
国の古くからのしきたり、『光の王』の花嫁に選ばれた。
本来女性の役割なのに、この時女性の継承者が居なかった為に。
その特異な事例の為、身内を尽く早く亡くした幼い彼に
城の者達は腫れ物のように扱い、彼はいつも孤独だった。
そんな時、彼は護衛のファントレイユに出会ったのである…。
†∥:登場人物紹介:∥†
ファントレイユ…19歳。ブルー・グレーの瞳。グレーがかった淡い栗色の髪の、美貌の剣士。
王子の護衛をおおせつかる。近衛連隊、隊長。
ソルジェニー…アースルーリンドの王子。14歳。金髪、青い瞳。
少女のような容貌の美少年だが、身近な肉親を全て無くし孤独な日々を送っている。
ソルジェニーは本当に、気落ちしていた。
古くからの契約、アースルーリンドの王子の、軍事教練を受け持つ『風の民』と年に一度の講習期間が終わってしまい、王子である彼は『風の民』の谷から城に、戻されてしまったからだ…。
家族のように扱ってくれる『風の民』達と離れ、本来の居場所である城に戻る事が、ソルジェニーはうんと寂しく、心細かった。
なぜなら彼の父であるアースルーリンドの王は、彼が産まれた年にとっくに亡くなり、母親も直ぐに事故で他界。
その上父に代わり女王として君臨していた祖母ですら、ソルジェニーが五歳の時にこの世を去り、愛情を注いでくれる肉親が身近に一人も居なかったから。
皆、慇懃無礼に礼を取って王子であるソルジェニーに頭を下げるけど、親しく声をかける者どころか微笑みかける者すら稀で、城の中に居場所は無いように感じられて、とても孤独だった。
…『風の民』の荒れた地の粗末な住まいと違い、ここには不自由なんて全く無かった。
いつだって美味しい食事が用意され、布団はふかふかだったし、衣服は毎朝召使いが整えてくれる。
にも関わらずソルジェニーは、親しみを感じない教育係と世話役に囲まれて毎日、息が詰まりそうだった。
そんな時だった。ファントレイユに、出会ったのは。
もう14にもなったのだから、自由に城下を歩き回りたいと申し出たら、大臣達が護衛役を付けてくれた。
近衛連隊の騎士の中でも彼なら宮廷でも如才無く過ごせ、気の利いた男で腕も確かだと言われ、初めてファントレイユに会った。
その時ソルジェニーは戸口から昼の陽光溢れる室内に、ファントレイユが金糸で飾られたクリームがかった衣服を纏って姿を現し、自分の方へとゆっくり歩み寄って来るのを不思議な気持ちで見つめていた。
溢れる光の中ファントレイユは、光の加減でグレーに見えるたっぷりとした艶やかな栗毛を首に巻き付けるように肩の上でほんの少し揺らし、その際立つ美貌の細面の上に、微笑を浮かべていた。
あんまりその立ち居振る舞いがすらりと美しく、仕草も所作もが優雅で気品溢れ、一瞬見惚れてしまったように思う。
姿の綺麗なご婦人はこの宮廷で幾人にもお目にかかったが、これ程隙無く美しい男性は初めだった。
ファントレイユには人を引きつける独特の雰囲気があって、その透けるように明るく輝くブルー・グレーの瞳のその美貌で微笑みかけられるとつい、彼に魅入られ、見惚れてしまい、それはうっとりとした気分にさせられる。
…宮廷作法の教育係だと紹介されたりしていたらきっと、こんなに驚いたりはしなかったろう。
けれど彼は近衛連隊に所属していて、護衛なのだった。
ファントレイユは自分より背が低く少女と見まごう顔立ちの、淡い金色の長い髪を背に流す青い瞳をしたソルジェニーに、少し屈んで伺うように見つめ、うっとりとする微笑を口元にたたえた。
「近衛から派遣された貴方の護衛です。
ファントレイユと…そう呼んで頂ければ結構。それで…」
彼の声は、その容姿に似合わずびっくりする程通った声だった。
相手に自分の意思を通すのに慣れた声色。
そう言えば
『近衛連隊の隊長を務めている』
と聞いていたのをソルジェニーは思い出す。
あんまり驚きを伴う表情で自分を凝視する王子の様子にファントレイユは気づくと、とうとう苦笑してささやく。
「…期待外れでしたか?
もっと屈強な男をお望みのようだ」
そう告げるファントレイユの声は羽毛のように柔らかく、その癖隙が、無かった。
間近で良く見ると確かに鍛え上げられた武人のような、引き締まったしなやかな体付をしてる。
ソルジェニーは慌てて首を横に振ると言った。
「…貴方のように綺麗な男性は初めて見たので、驚いただけです」
だがファントレイユは朗らかに笑った。
「…冗談でしょう?確か近衛一の使い手のギデオンは貴方のいとこの筈だ。
貴方と親交も厚いと聞いています。
彼がどれ程近衛で目立つか、貴方はご存じ無い?
彼と比べて私の容姿なんてどれ程のものです?
彼を見慣れている貴方が私に、そんな事を言うなんて!」
言われて、ソルジェニーはいとこのギデオンを思い浮かべる。
そう言えば彼も、近衛だった。
確かに同じ血を引くギデオンは、自分に良く似た雰囲気の顔立ちで金髪に青緑の瞳の素晴らしく目立つ容貌の上、その顔立ちは女性のように綺麗だ。
ソルジェニーは慌てて付け足す。
「あの…つまり、身内以外で…という意味です」
ファントレイユはようやく、ああ。と、うっとりするような美貌の上に微笑みを浮かべ、頷く。
ソルジェニーはその微笑に見とれながらささやく。
「それに貴方はギデオンとは、全然雰囲気が違います」
ファントレイユは少しからかうように覗き込むと
「…そりゃあ彼は本当に、あの容姿に似合わず戦うのが大好きで、剣を放さない猛者ですからね」
「…貴方は違うんですか?」
ソルジェニーが尋ねると、ファントレイユはまたうっとりするような微笑をたたえ、微笑んで告げた。
「…戦う以外に楽しい事はいっぱいあるでしょう?
多分そこが、ギデオンとは決定的に違うんでしょうね。
もっと腕の立ちそうな男をお望みなら、大臣にそうおっしゃって頂いて結構ですよ?」
「…でも貴方もとても、腕のいい方だとお伺いしています。
まさか剣の苦手なお方を大臣達も、私の護衛にしたりはしないんでしょう?」
ファントレイユは屈託無く笑った。
「…そりゃあ近衛で隊長なんてしていたら部下の手前、剣が使えなきゃ話になりませんが」
「…それに貴方をお断りなんてしたら貴方の立場上、それはお困りになるんでしょう?」
ソルジェニーの言葉にファントレイユは社交用の仮面を外し、優しげで気遣う表情を甲斐間見せた。
「…噂通りのお優しい方だ。
でも私の心配より貴方のお気に召す相手をお選びになる事です。
ご一緒に過ごす時間が、結構ありますからね」
ソルジェニーはそれを聞いて、心が震えた。
ファントレイユのその言葉は、自分の立場なんかより本当に、ソルジェニーの気持ちを優先し気遣ってくれていると感じたから。
儀礼的に、もしくは責務上気遣う者達は大勢いたけれど、心から気遣ってくれる相手が今までこの城の中に居なかった事に、ソルジェニーはその時になって初めて気づいた。
ああ…だから…。
唯一一番身近ないとこのギデオンと会った時、あれ程嬉しく、彼が去った後とても寂しく感じたのはそのせいだったのかもしれない。
ギデオンは身内だから特別なのだと思ってた。
けれどそうじゃなく、気遣ってくれる相手がこの城の中で、ギデオン唯一人だけだった…。
今までは。
それでソルジェニーはそのまま自分の心を、ファントレイユに告げた。
「…私は貴方が護衛で、とても嬉しいです。
貴方もそう思って頂けると嬉しいんですけれど」
ファントレイユはとても優しげな表情で柔らかく微笑んで
「…そりゃあ…。
近衛と来たらそれは殺伐としていますから、宮中でこんなに優雅で楽しい職務を努められるのが、嬉しくない筈ありませんよ。
貴方のご性格は本当に申し分無く、お優しい方ですし」
そう誉められてソルジェニーは思わず、頬を染めて頷いた。
彼に気に入られた事が、こんなに心が弾んで楽しい事だなんて思わなかったし、誰かに気に入られてこんなに嬉しい事は、今まで無かったから。